詩編22編23-29節(旧853頁)
マルコによる福音書7章24-30節(新75頁)
1.シリアのフェニキア人。
今日の本文で、主と出会った女はフェニキア出身のギリシャ人でした。シリア・フェニキア人は、シリア地域のフェニキア民族の人という意味で、イスラエルの北海岸地域にある、とても古い民族でした。(紀元前40世紀にもあったと知られている。)フェニキアはアルファベットで有名ですが、大昔からフェニキア人は地中海を掌握し、貿易を通して令名をはせてきました。そのため、早くから文字、数学、航海術が発達していました。フェニキア文字の影響でギリシャ語も発展し、またそのギリシャ語の影響で、ラテン語、ヨーロッパの諸言語、英語も発展していきました。だけでなく、ヘブライ語やアラビア語も、その影響下にありました。また、フェニキアは軍事的にも強い民族でした。紀元前3世紀から2世紀頃、ローマが本格的に大帝国になる前、ローマの海の向こうにはカルタゴという海洋民族がありました。彼らは地中海の支配権をめぐってローマと雌雄を争いました。西洋史で有名なポエニ戦争が、このカルタゴとローマの戦争です。ここでカルタゴはフェニキア民族に由来した国です。このようにフェニキアは、文化的、経済的、軍事的に非常に由緒ある民族だったのです。
というのは、フェニキア人には文化的、経済的にユダヤ人より優れたというプライドがあったということです。これが当時のシリア・フェニキア人、つまり本文で、主に出会ったティルスの人々(フェニキア人)の認識でした。「イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。」(24) しかし、そのような歴史と文化へのプライドのあるフェニキア人の中にも貧しい人々はいました。その貧しい人々の中には、助けを求めてイエスのところに来る人もいたようです。彼らはどんな病気でも治し、どんな悪霊でも追い出し、5000人でも腹一杯食べ物をくださった「奇跡の男」イエスに会うために押し寄せて来ました。今日、登場するシリア・フェニキアの女も、そういう人たちの中の一人だったのです。「汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。」(25)
2.イエスの試み。
しかし、イエスを訪ねてきたからといって、皆がイエスに対して真の信仰を持っているとは言えませんでした。ある人は本当の信仰で、ある人は好奇心で、また、ある人は欲望で、各々の意図をもって訪ねてきました。その代表的な人物が12弟子の1人であったイスカリオテのユダではありませんか。彼はイエスを政治的なメシアだと思い、従ったのですが、自分の思い通りにならないのを見て、結局、裏切ってしまいました。ここで一つ考えたいことがあります。私たちは、なぜ、イエスを信じているのでしょうか? 私たちは、なぜキリスト者と名乗り、教会に通っているでしょうか? 主への本当の信仰のためか、それとも、他の理由のためか、私たちの信仰を顧みたいと思います。「わたしに向かって、主よ、主よと言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」(マタイ7:21)私たちはこの言葉に耳を傾けなければならないと思います。多くの群衆の中でイエスを訪れた女は、果たしてどんな心でイエスのところに来たのでしょうか? 「女はギリシャ人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。」(26)
シリア・フェニキアの女の娘は、悪霊に取り付かれていました。新約聖書で「悪霊に取り付かれた。」という言葉には、実際に悪霊に取り付かれたという意味もありますが、「神に逆らう、汚れた世の邪悪な支配のもとで苦しんでいる。」という意味でもあります。おそらく、この女は占い師、医師、宗教家など、多くの人々に娘のために頼んだはずです。しかし、誰ひとり、この世の支配から娘を自由にすることが出来ませんでした。結局、彼らもこの世の支配に属していたからです。ひとえにこの世の悪の支配を退けられる方、世の支配の反対におられる主イエスだけが、その苦しみから女の娘を自由にすることが出来るのです。ユダヤ人も、ギリシャ人も、主イエスによってのみ世の悪の支配から自由になることが出来るのです。ところで、女がイエスに声をかけた時、イエスのお答えは、私たちの予想とは全く違うものでした。「イエスは言われた。まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」(27)イエスが女を小犬に比喩されたからです。当時のユダヤ人は自分たちは神の子どもであり、異邦人は「犬」のように扱っていました。滅ぼされるべき存在であるという意味で、非常に侮辱的な言葉だったのです。つまり、イエスがこの異邦の女を侮辱したも同然の状況でした。
先ほど、私はフェニキア民族の由来について話しました。彼らは長い歴史、伝統、優越な文化を持っていました。当時のフェニキア地域はローマ帝国の植民地の一つとなっていましたが、ローマの文化がフェニキア文明から大きく影響を受けたことは否定できない事実でした。また、本文の女は、ギリシャ人と呼ばれました。つまり文化人だったのです。当時のギリシャ人は野蛮人でない人という意味であったため、女の民族的、文化的なプライドは高かったはずです。しかし、主は彼女を「犬のような人間」のように扱われました。数多くの人々がイエスを訪ねましたが、その中に真の信仰を持っている人は何人だったでしょうか。イエスの弟子たちでさえ、不信心の時があるほどでした。つまり、イエスはこの女の信仰を試みられたのです。本当に信仰を持ってきただろうか、それとも他の人々と同じように好奇心や欲望だけできただろうかをお測りになるためだったでしょう。しかし、彼女は驚くべき深さの信仰で、イエスに答えました。「女は答えて言った。主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」(28) つまり、言い換えれば、こういう意味でしょう。「もし、あなたが私を犬と呼ばれるなら、私は犬のように扱われても良いです。しかし、犬のような私でも、あなただけが私を助けてくださる方であることを信じています。」彼女はまるでこのような返事をするかのように、主に反応したわけです。
3.謙遜と信仰
「そこで、イエスは言われた。それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。」(29-30)もちろん、イエスは心から彼女を犬だとは思っておられたわけではないでしょう。主は全人類の主であり, その愛は人種を選り分けません。主は彼女の信仰を試そうとされたわけでしょう。そして彼女は見事にその試みを乗り越えました。民族、文化、歴史的な優越感ではなく、イエスというお方と自分自身という一人の人間の間にある、あらゆる妨げを乗り越えて、主との関係のみに集中する、その立派な信心を、シリア・フェニキアの女は証明したのです。そして、その証明の根源は彼女の謙遜にありました。「貧しい人は食べて満ち足り、主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。」(詩編22:27)今日の旧約本文の27節には「貧しい者」という表現が出てきます。この「貧しい」の原文は「アナブ」というヘブライ語で、解釈次第で「謙遜である」という意味にもなります。つまり、27節は「謙遜な心を持って主を追い求める者は豊かに恵まれる」という意味でしょう。優れた文化と伝統のフェニキア人、しかもギリシャ人と呼ばれていたシリア・フェニキアの女。彼女はみすぼらしい人間の姿で来られた神の神である主イエスを謙遜な心によって見つけたのでした。主は謙遜を通してご自分の姿を表されます。今日の本文は、その点を大事にしているのです。
締め括り
「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイ5:3)今日、本文の原文に照らすと、あの有名な山上の垂訓の、この言葉も再解釈できると思います。つまり、「謙遜な者は幸いである、御国は彼らのものである。」ともいえるでしょう。我々の信仰の基礎は謙遜にあります。「自分ではなく、主の貢献によってのみ救われる。私ではなく、神の力によってのみ祝福が与えられる。」という信仰自体が謙遜に基づくものでしょう。このようにキリスト者の信仰にあって謙遜とは、美徳ではなく、本質なのです。その謙遜を貫いて生きる時、主はますます私たちを祝福してくださるでしょう。我が教会が謙遜に生きていきる主の民でありますように祈ります。