殺す王、生かす王Ⅰ

箴言14章32節(旧1009頁)           マルコによる福音書6章14-29節(新71頁) 前置き 今日の本文はヘロデの暴政と洗礼者ヨハネの死に関する物語です。ところで、この物語はマルコによる福音書6章の構成に必ずしも必要な話ではありません。「12十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。13そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。30さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。」(12,13,30)このように14-29節がなくても話は自然につながります。なのに、なぜマルコによる福音書の著者はわざわざ洗礼者ヨハネとヘロデの話を付け加えたのでしょうか? 6章7節でイエスは12人の弟子たちを呼び寄せ、伝道の旅に送り出されました。その後、弟子たちが戻ってきてイエスに報告し、福音を聞いた数多くの群衆が押し寄せました。主は福音を聞いて寄り集まる貧しい群衆のために五つのパンと二匹の魚をもって5000人を食べさせました。この世に福音を宣べ伝えられるイエスは、真の王として、民を呼び寄せ、仕えてくださる方です。五つのパンと二匹の魚の奇跡は、このようなイエスが真の救い主であり、王であることを示す象徴的なしるしです。本文はヘロデという暴政をしく邪悪な王を、イエスという正しい王に対照させることで、イエスという存在の偉大さを極大化する一種の文学的な装置なのです。私たちはイエスとヘロデという二人の王を通して、イエスがどのような方なのかをより深く悟ることになるでしょう。 1.邪悪な王ヘロデ·アンティパス まずは、本文に登場するヘロデについて探ってみましょう。(別紙参照)ヘロデの家系は非常に複雑です。ヘロデは聖書を読む時に、とても紛らわしい名前です。マタイによる福音書でイエスのご誕生の時にもヘロデが登場していますが、イエスの昇天後の使徒言行録にもヘロデが登場しています。予想しておられると思いますが、彼らは同一人物ではなく、祖父から孫につながる同名異人たちです。つまりヘロデとは王朝の名称なのです。マタイによる福音書でイエスを殺すために幼児殺害を命令したヘロデは、ヘロデ大王と呼ばれる人です。(偉大な王という意味ではなく、区別のための名称)ヘロデ大王はイスラエルの血統ではありませんでした。彼は創世記のイサクの長男エサウの子孫であるエドム(イドマヤ)民族出身で、母側もイスラエルの血統ではありませんでした。ですが、ローマ皇帝との人脈により、異邦人であるにもかかわらずユダヤの王に任命されたわけでした。ヘロデ大王には10人の妻がいましたが、みんな政略結婚でした。今日の本文に登場するヘロデは、彼の4番目の妻マルタケから生まれたヘロデ·アンティパスです。この人は洗礼者ヨハネだけでなく、イエスも処刑した暴君です。洗礼者ヨハネが、このヘロデ·アンティパスと、その妻ヘロディアを叱った理由は、ヘロデ·アンティパスが腹違いの兄弟であるフィリッポスから妻ヘロディアを寝取り、彼女と再婚したからでした。 「兄弟の妻をめとる者は、汚らわしいことをし、兄弟を辱めたのであり、男も女も子に恵まれることはない。」(レビ記20:21)律法は兄弟の妻を欲しがることを罪に定めています。ところで、なぜヘロデ•アンティパスは彼女を欲しがったのでしょうか? ヘロディアの祖母マリアムネ(Ⅰ)はヘロデ大王の2番目の妻で、ユダヤ族の正統性をつなぐハスモン王族(新旧約中間時代に打ち立てられたダビデ王朝と別の王朝)でした。ユダヤ人はヘロデ家を嫌っていましたが、彼らが異邦出身の王朝だったからです。そこで、ヘロデ•アンティパスは正統性を獲得するために、ユダヤ族出身の王族の女を求め、マリアムネ(Ⅰ)の孫娘であり、異母兄弟の妻であったヘロディアを寝取ったわけでした。そういう非律法的な背景の故に、洗礼者ヨハネはヘロデ•アンティパスとヘロディアを叱ったのです。「そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。」(19-20)ヘロデ•アンティパスは残酷な王でしたが、それでも予言者である洗礼者ヨハネだけは恐れていました。しかし、彼を恨んでいた妻ヘロディアの計略により、結局ヨハネを殺してしまいます。世の中はそういうものです。いくら、予言者が主の言葉を述べ伝えても、結局は自分の考え、富と誉のために、その言葉を無視し、軽んじてしまいます。そういうわけで、歴史上、正しい言葉を宣べ伝えた数多くの人々が殉教することで一生を終えなければなりませんでした。 2.「殺す王の世」 ここで驚愕に耐えないことは、ヘロディアの有様です。歴史の記録は、ヘロデ•アンティパスが腹違いの兄弟フィリッポスの妻ヘロディアを寝取ったと記録されていますが、実はヘロディアも元夫よりも権力を持っていたヘロデ•アンティパスの妻として生きることを望んでいたようです。「ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと」(21)ヘロデ大王は権力への執着の故に跡継ぎを定めずに死んだと言われます。そのため、ローマ帝国は彼の死後、イスラエルの地を分割し、彼の息子たちに分け与えて支配させました。ヘロデ•アンティパスは、その中でもガリラヤ地域を支配しましたが、エルサレムのあるユダヤ地域に比べて貧しい地域でした。しかし、ヘロデ•アンティパスはローマ帝国の将校たち(千人隊長、1000人の兵士たちを率いる将校。)や、高官たちと手を組み、自分の欲望を満たすだけに精一杯でした。そのため、貧しい民は後回しにされていたのです。なぜガリラヤの群衆が、イエスを熱狂的に探し、ついて回ったのか、なぜイエスがガリラヤの人たちを中心にお働きになったのかを考えてみれば、ヘロデ•アンティパスがどれほど民を配慮せず、自分の私利私欲だけを満たしまくっていたのかが、すぐに分かってきます。彼の妻ヘロディアも、民への愛はなく、夫との享楽に陥り、罪と義も弁えられない愚かな女だったと思われます。 このようなヘロディアの愚かさは神に遣わされた預言者である洗礼者ヨハネを殺すことで、その極みを示しています。「早速、少女は大急ぎで王のところに行き、今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございますと願った。」(25)神の御言葉を拝聴するより、自分の欲望をもっと追求したヘロディアは娘を通して夫の歓心を買い、その代償として洗礼者ヨハネの死を求めました(22-25)。このようなヘロデ•アンティパスとヘロディア夫婦の仕業を見ることで、当時のガリラヤの民が、どれほど邪悪な指導者に晒されていたのかを推測してみることが出来ます。世の権力者たちは自分の力を保たせるために、いかなる不当なことも平気で犯してしまいます。ヘロデ夫婦は自分の権力のために神の預言者を無残に殺しました。歴史上、そういう場合は数え切れないほど多いです。ローマ皇帝は帝国の維持のために植民地を暴圧で治めました。19世紀、列強の指導者たちは自らの利益のために他国に侵入し、植民地化して略奪しました。アメリカの指導者たちは戦争の勝利のために核兵器を弄んだのでした。このように権力を持つ者は、結局自分の罪の性質によって最悪の結果をもたらしがちです。それが、罪を持っている人間の本性なのです。もし、我々に権力があったらそう変わってしまうかも知れません。キリストの道を備え、神の御言葉を宣べ伝えるために、この世に遣わされた旧約最後の予言者、洗礼者ヨハネは、このような権力者の悪によって殺されたのです。 3.キリストが来られた理由。 「イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。そのほかにも、彼はエリヤだと言う人もいれば、昔の預言者のような預言者だと言う人もいた。 ところが、ヘロデはこれを聞いて、わたしが首をはねた、あのヨハネが、生き返ったのだと言った。」(14-16)そのためか、イエスの奇跡の噂は、ヘロデとヘロディアに恐ろしく迫ってきました。自分たちが殺した洗礼者ヨハネが生き返って、神の裁きをもたらすかもしれないと思ったからです。当時のユダヤには「死者の復活」という信仰があったと言われます。イスラエル民族は、数百年にかけて大国に攻められ、滅び、絶えず思い煩い、惨めな植民地生活をし、ヘロデのような邪悪な王の暴政の下で暮らしてきました。このように、この世での苦しみに悩まされた彼らは現世での希望を失い、死後に神が最も理想的な姿で復活させてくださるという復活信仰を信じるようになったのでした。おそらく、その復活に関する話しを聞いたことのあるはずの、ヘロデがイエスのご活躍の噂を聞いて、復活した洗礼者ヨハネと勘違いし、神のお裁きがもたらされるかと恐れたわけでしょう。本当に洗礼者ヨハネが復活したわけではありませんが、ヘロデ•アンティパスがイエスの噂を聞いて感じた恐怖には、ある程度意味があるでしょう。イエスがこの世を裁かれる聖なる審判者であることは間違いなく事実だからです。 洗礼者ヨハネの死は、本当に残念なことでした。正しい人の惨めな死だったからです。しかし、彼の死は、逆説的にもキリストによる新しい世への門を開け放つ記念碑的な出来事でした。「言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」(ルカ7:28)邪悪な王ヘロデ夫婦は自分の欲望のために洗礼者ヨハネを殺しましたが、彼の死は旧約を終わらせ、新約を始めさせる有意義な死でした。彼は偉大な預言者でしたが、キリストによって成し遂げられる神の国においては最も小さな者でした。ここでの神の国(御国)とは、キリストに治められる世を意味し(死後の世界だけでなくキリストに治められるすべての物事)、そして、その神の国を生きる者とはイエスを信じ、神の救いを得た主の民を意味します。つまり、新約時代の教会を意味するのです。洗礼者ヨハネは、最も偉大な旧約最後の予言者でしたが、彼はイエスを信じる我々より小さな者と評価されました。キリストが来られた理由は、この世の邪悪な王を裁き、ご自分が世を治める正しい王になられるためです。そして主に治められる新約の民を、旧約の最後の預言者である洗礼者ヨハネよりも、偉大にさせてくださるためです。私たち自らでは自覚できないでしょうが、神は明らかに私たちを洗礼者ヨハネよりも偉大な主の民として認めてくださったというわけです。 締め括り 今日の本文を通して、私たちはこの世がヘロデとヘロディアのような邪悪な権力によって支配されていることを改めて教えてもらいました。そして、正しい人がそのような悪人によって殺される場合があることも考えさせられました。しかし、主キリストは、そのすべての悪人をお裁きになる真の王として、必ずこの世に再び来られるでしょう。いや、主はすでに聖霊によって導かれている教会を通して、この世を生きる民たちと一緒におられます。教会は常にこの世の邪悪な権力を見張り、キリストのお裁きを警告するべき見張り番として、この世に存在する共同体です。世の邪悪な権力とイエスの正しい裁きの間で、私たちの教会はどのような生き方をとって生きるべきでしょうか。戦前、旧日本キリスト教会の先達は帝国主義に屈服し、偶像崇拝を犯して主を裏切ってしまいました。日本のプロテスタント教会に、偶像崇拝反対のための殉教者が一人もいないことは、悲しいことでしょう。しかし、戦後の新日本キリスト教会は過去の過ちを悔い改め、信仰の死守のために徹底して生きています。私たちも生涯を通して、真の王イエスへの信仰を固く守って生きていきましょう。「神に逆らう者は災いのときに退けられる。神に従う人は死のときにも避けどころを得る。」(箴言14:32)今日の旧約の言葉のように、キリストによって死の時にも希望を得る誠実な民になることを心から望みます。

忠実な年老いた僕(しもべ)。

創世記24章1-14節(旧33頁)  ヨハネによる福音書3章22-30節(新168頁) 前回の創世記の説教ではアブラハムが妻のサラと、その子孫のために墓を備える物語を話しました。ところで、カナンの墓、つまりマクぺラの洞穴は、単なる墓地という次元を超えるアブラハムの子孫たちが必ず帰るべき神との約束の地という意味を持っていました。創世記の次の出エジプト記は、アブラハムの子孫イスラエルがこの約束の地に帰っていく物語なのです。私たちキリスト者にも帰るべき所があります。主イエスは、神の民でありアブラハムの霊的な子孫である私たち教会員に必ず帰るべき所を備えてくださるために十字架で死んでくださった方です。私たちの帰るべき所とは、まさに創り主であり、救い者である三位一体なる神の統治のもとなのです。神がアブラハムを通して、マクぺラの洞穴を与えてくださったように、キリストを通しては真の救いをくださいました。私たちは、マクペラの物語を通してキリストの御救いを固く記憶し、常に主の恵みのもとのみにいることを誓って生きるべきでしょう。 1.神の祝福について。 今日の本文は神の民アブラハムが何事においても神の祝福のもとで生きていたという記録から始まります。「アブラハムは多くの日を重ね、老人になり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた。」(1)創世記12章でアブラハムを呼び出された神は彼に約束されました。「私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。」(創12:2)しかし、アブラハムは祝福どころか、数多くの信仰の失敗と苦しみの中で暮らしました。妻を2度も捨て、相続人にしようとしていた甥と別れ、側女の故に家庭の問題が起きました。約束の相続人の兆しは中々見えませんでした。こんなアブラハムは本当に祝福された人だったのでしょうか。果たして神の祝福とは何でしょうか。まず、我々は聖書が語る「祝福」という概念を確実に理解する必要があります。もともと、祝福を意味するヘブライ語の「バラク」は「誰かに向かって跪く。」という意味です。神がアブラハムにくださった祝福とは、「経済的な豊かさ、子どもたちの出世、無病長寿」などの漠然とした世俗的な幸せを意味するものではありませんでした。アブラハムの祝福は、彼が真の神に出会い、その御前に跪き、主に従って生きることでした。 ここで跪くということは惨めに屈服するという意味ではありません。人が自分の存在理由に気付き、創り主の御前に出ること。つまり、自分の在り方を悟ることなのです。アブラハムは信仰の失敗と苦しみの中で暮らしていましたが、神は一度もアブラハムをお離れになりませんでした。神は、時には、何もお答えになりませんでしたが、その時でさえも変ることなく彼の人生の中におられたのです。アブラハムは紆余曲折の歳月の中でも、変わらず神と共に歩み、神がくださった信仰によって数多くの苦難と逆境を乗り越えました。アブラハムの人生は、神の無い自己中心的な生き方から、神に跪き、すべてを委ね、神と同道する神中心的な生き方に変わっていきました。聖書が語る祝福とは、まさにそういうことです。民が神の御心に従順に聞き従うことなのです。私たちの求めるべき祝福は創り主であり、救い主である主なる神を知ること、また共に生きることなのです。喜怒哀楽の中でも変わることなく、主と歩むことこそが祝福の真の意味なのです。その時はじめて、主は霊的な祝福と共に肉的な祝福をも与えてくださるでしょう。我々がイエスを信じて生きるということは、神に跪いて生きるという意味です。自分の考え、自らからの基準ではなく、聖書の御言葉を通して教えていただく神の御旨、神の基準に自分のことを合わせることです。そこから神の祝福は始まるのです。 2.アブラハムの年老いた僕(しもべ)。 アブラハムは今日の本文で重大な決定を下すことになりました。「私の一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように。」(4)それは、相続人イサクの結婚のために、故郷の一族の所に行って、嫁を連れてくることでした。イサクは神の約束の実でした。アブラハムと結ばれた神の約束は、彼の死後に息子を通して、同じく受け継がれるべき大事なものでした。そういうわけでイサクが妻をめとることは、神とイサクとの約束を守るための、とても大事なことでした。「私の故郷、私の一族」という言葉の意味は同じ価値観を共有する存在という意味です。周りのカナン民族は、神に呪われるべき存在でした。彼らは異邦の神々を拝み、邪悪な宗教行為も平気にやってしまう罪人たちでした。彼らの最大の罪は真の創り主、神を拒否することでした。当時、大きな影響力を持っていたアブラハムが唯一の真の神を信じていることを知っていたにもかかわらず、彼らは自分たちの偽りの神々を信じ、淫らで罪深い人生を送りました。アブラハムは、そのような呪われるべき異邦の信仰の中から約束の子孫イサクを守り、聖なる約束を継承させるために同族から嫁を見つけようとしていたのです。 しかし、アブラハムは高齢が故に、動きが不自由な状態でした。それで彼は自分が一番信頼する僕 (しもべ)を、自分の代わりに送ろうとしました。「アブラハムは家の全財産を任せている年老いた僕(しもべ)に言った。手を私の腿の間に入れ… 主にかけて誓いなさい。あなたは…私の一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように。」(2-4)今日の本文には、僕(しもべ)の名前が載せられていませんが、多くのユダヤ教のラビやキリスト教の学者たちは、この人が15章に登場するエリエゼルではないかと推測しました。「わが神、主よ。私に何をくださるというのですか。私には子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」(15:2)甥のロトが去り、イサクも生まれる前、アブラハムは僕(しもべ)エリエゼルを自分の相続人にしようとしました。おそらくそれだけにエリエゼルは忠実で、偽りのない人だったでしょう。アブラハムは、彼に自分の腿の間に手を入れさせて誓わせました。ここで「腿の間」という言葉は「ヤレク」というヘブライ語で、婉曲的に男性の生殖器(割礼部)を意味します。つまり、神の契約を意味する割礼の痕跡を通して真剣に誓いなさいという意味なのです。それだけアブラハムは、エリエゼルを信頼し、重要な務めを任せようとしたわけでした。 「そこで、僕(しもべ)は主人アブラハムの腿の間に手を入れ、このことを彼に誓った。 」(9)もし、アブラハムの年老いた僕(しもべ)が、本当に15章のエリエゼルだとすれば、彼の忠誠心は本当に驚くべきものです。もし、イサクが生まれなかったら、この僕(しもべ)はアブラハムの相続人になるに違いありませんでした。おそらく、彼にはアブラハムの死後、その一家を始末して、アブラハムのすべてを奪い取る力もあったはずです。しかし、彼は謙虚にアブラハムに仕え、自分の若い主人のために、ベエルシェバからハランまで900kmにも達する遠い道のりを何の不満もつぶやかず旅しました。「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、私を顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。」(12)むしろ彼は主人の願いが叶うことを神に切に祈るほどでした。たとえ自分への何の利益もないとしても、主人のことを自分のことのように思い、命をかけて遠い道のりを進んでいった忠実さ。自分のものになり得る財産を受け継いだ若いイサクを大切にして彼に代わって嫁を探しに行った主人への愛。自分も高齢なのに主人のために喜んで仕える心得。主人公の席を主人とその息子に返し、自分はただ黙々と主人の命令に従う謙遜さ。彼の姿から忠実なキリスト者の在り方が見つかります。 3.主に仕える僕(しもべ)の在り方。 アブラハムの僕(しもべ)の仕え方を見ながら、一番初めに思い浮かんだ新約の箇所はヨハネによる福音書3:28-30でした。「私は、自分はメシアではないと言い、自分はあの方の前に遣わされた者だと言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、私は喜びで満たされている。あの方は栄え、私は衰えねばならない。」イエスが公生涯をお始めになった時から、主の道を備えるために先に来ていた洗礼者ヨハネの人気は、徐々に落ち、その影響力を失っていきました。洗礼者ヨハネの弟子たちは、それを見て残念に思っていました。しかし、洗礼者ヨハネはむしろ自分の消えゆく人気よりも、主なるイエスの栄えをもっと喜んでいました。我々はキリストによって救われ、神の子となった主の民です。尊い命を捧げて我々を神に導いてくださった、主イエスのために我々は何をすればいいでしょうか? 本当に祝福された主の民は、限りのない欲望に溺れて、世俗的な祝福だけを求める者ではないはずです。自分を救ってくださった神の御救いが、さらに世の中に広がっていくように、主の道を備えていく者に違いありません。 締め括り 私は、皆さんが宗教生活をなさらないことを願います。「ただ心の安らぎのために、ただ慰められるために、ただこの世での繁栄のために」のように、うわべだけの宗教生活をなさらないことを願います。それらのことは他の宗教からも、いくらでも得られるものです。宗教生活と信仰生活は完全に異なるものです。主の福音は宗教ではなく生活です。神社参拝のような崇拝行為ではなく、神と共に生きることです。私たちが愛する人たちと触れ合って幸せに生きることと同じように、人間の罪によって関係が切れてしまった、唯一の神に立ち帰って、その方と共感しつつ共に生きることです。我々を呼び出し、赦し、子供にしてくださった神と共に幸せに歩む皆さんになることを願います。イエスは我々にそのような人生を与えてくださるために、十字架の上で残酷な苦しみをお受けになったのです。自分自身が今すぐ栄えなくても、主と福音、教会が栄えるのなら、それに満足できる真の信仰者になることを願います。今日、アブラハムの年老いた僕(しもべ)が見せてくれた忠実な姿から、また、ご自分の民を救ってくださるために、すべての栄光を捨てられ、血潮を流してくださったイエスの姿が見えます。私たちもアブラハムの僕(しもべ)と苦しみのイエスに見習い、謙虚に神だけを崇める人生を生きていきたいと思います。神の御前に跪き、共に歩む忠実な民になってまいりましょう。そのような人生の中で、主なる唯一の神は私たちを限りなく祝福してくださるでしょう。

ナザレのイエス

エレミヤ書15章10-11節(旧1205頁)       マルコによる福音書6章1-13節(新71頁) 前置き 我々はマルコによる福音書5章の出血病の女、そして会堂長ヤイロの物語を通して、イエスがいかなる不浄も正される聖なる方であり、死までも支配なさる真の神であることが分かりました。前回の本文は、このような主に出会うために登場人物たちが、どのような信仰を持っていたのかを語りました。出血病の女は、何があっても主に会おうとする大胆な信仰を、会堂長ヤイロは謙虚に主の時を待ち望む信仰を示しました。我々の人生の中には他人には打ち明けられない、様々な苦難や障害があります。しかし、神は常に私たちの中におられ、時には大胆な信仰を、また時には待ち望みの信仰をお求めになります。主は民がご自分への変わらない信仰を持って生きる時、必ずその信仰に答えてくださる方です。私たち志免教会の兄弟姉妹たちも、またそのような信仰を持って生きて行くことができますように祈ります。神は私たちの信仰の中にいらっしゃるからです。 1.ナザレのイエスという表現について。 本日の本文でイエスは幼年期と青年期を過ごされた故郷ナザレをお訪ねになりました。「イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。」(1)実は本文に故郷の地名が明らかに書いてあるわけではないですが、ルカによる福音書の並行本文ではナザレとはっきり書いてあります。主の故郷ナザレ、しかし怪しい点があります。なぜなら、主の故郷はナザレではなく、ベツレヘムだからです。「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。」(マタイ2:1)主はベツレヘムで生まれ、ナザレでは育たれただけなのに、どうして聖書はナザレを主の故郷だと語っているのでしょうか?※マタイによる福音書2章23節では、「ナザレという町に行って住んだ。彼はナザレの人と呼ばれると、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。」という言葉があります。イエスが旧約の預言者たちの預言のようにナザレ人と呼ばれるためにナザレに行ってお住まいになったということでしょう。しかし、旧約のどこにも「ナザレの人と呼ばれる。」という箇所はありません。ですので、私たちはナザレという表現が持つ他の意味を探ってみる必要があります。「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。」(イザヤ11:1-3) エッサイはユダ族の人であり、ダビデ王の父です。 ※「日本では故郷と言えば、育ったところというイメージが強いと思います。しかし、古代ユダヤでの感覚は現代の日本とは違いました。当時のユダヤ人にとって、ナザレ出身という言葉には劣るイメージがあったと言われます。貧しいガリラヤでも一番貧しい村の一つだったからです。ギリシャ語で故郷はパトリスと言います。この言葉はパテルに由来した表現ですが、父(Father)の語源です。ユダヤ人がどれほど父系を大事にしたのかが分かります。ベツレヘム生まれとすればダビデの子孫というネームバリューが、つまり伝統的、神学的な権威が付きますので、とても大事です。2000年前のユダヤ式の考え方ですので、故郷という言葉を日本の文化的な感覚のように受け止めるには多少無理があるだろうと思います。聖書解釈の基本は、当時の現地での社会、政治、文化を理解することから始まりますので、キリストの本当の故郷はベツレヘムとするのが正しいではないかと思います。聖書神学では、キリストの故郷をベツレヘム、ナザレの両方として取り上げていますが、神学的な重さは断然ベツレヘムの方にあるでしょう。」 エッサイの株と根とは、即ちダビデの血統を意味するものです。旧約イザヤ書には、このダビデの子孫から神のメシアが生まれると予言されています。ここで「ひとつの若枝」と訳されたヘブライ語は「ナツェル」という表現ですが、この表現はナザレ(ヘブライ語ナツラット)の語源としても知られています。つまり、ナザレのイエスとはダビデの子孫、神のメシアであるという意味です。別の意味としては、旧約聖書に登場するナジル人、つまり聖別された者の語源である「ナザル」から派生した言葉であるという見解もあります。つまり、キリストは神に聖別された聖なる方であるということです。最後にナザレは当時のガリラヤ地域の貧しい村として無視されていたと言われています。ところが、いと高き神の子が最も低いナザレに来られ、貧しくて弱い者たちに仕え、彼らの中で神の栄光を輝かせるためにナザレ人イエスと呼ばれたという見解もあります。いずれにしても、三つともイエスのアイデンティティを確実に表す意味を含んでいるので、意味のある解釈だと思います。主は旧約にも登場するダビデの町、ベツレヘム出身です。しかし、主は旧約で全く認められなかったナザレを拒否されませんでした。むしろ主は、ナザレの人と呼ばれることをお許しになりました。主は最も低いところをご自分の故郷とし、貧しい民を救いへと導かれることを喜ばれたわけです。 2.故郷で排斥されたイエス。 主はそんなナザレに弟子たちを連れて行かれました。「安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。」(2)そして、マルコによる福音書1章でカファルナウムの会堂に入って教えられたように、ナザレの会堂に入り、御言葉を教えてくださいました。ナザレの人々もカファルナウムの人々のように主の御言葉を聞いて、その知恵と奇跡に驚きました。本文の「その手で行なわれる」という表現は当時の慣用句で「神がその手を通して偉大な業を行わせる。」という意味が隠れていると言われます。しかし彼らの反応はすぐ冷ややかになりました。「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」(3)ナザレ人たちは、イエス・キリストの御言葉の権威と主の権能を自分の目で確かめたにもかかわらず、当時のイエスが自分たちの隣人の家族であることを知るや否や、イエスへの偏見を持ってしまったのです。普段、古代イスラエルで誰かを指す時は父の名前を挙げて呼んだりします。例えば、「小泉純一郎さんのご次男の小泉進次郎さん」こんなふうに表現するものです。ところが、「マリアの息子じゃないの?」と言うことは、イエスを私生児のように扱い、完全に無視することと同じだったのです。 「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけであると言われた。」(4-5)主はナザレの人々の不信仰のゆえに、何の奇跡も行うことが出来ず、ごくわずかの病人と他の地域の人々にだけ癒しを施されただけでした。私たちのほとんどはかなり長年、主を信じてきました。しかし、揺らぐことなく完全に主を信じ込んで生きているでしょうか。信仰の短い人が、信仰の長い人より、むしろ生き生きとした信仰生活を営む場合もまれではないでしょう。我々の信仰生活に永い間大きな変化がないから、神に十分慣れ親しんでいるから、実生活で奇跡がほぼ起こらないからといって、主の権能が信じられない姿が我々の中にないでしょうか? 日本は特にキリスト教の伝道が容易ではない国であり、他の国々に比べれば小規模の教会が形成されています。社会的な影響力も微々たるものでしょう。「いくら信じてもうまくいかないから、教会が弱いから、社会に認められないから」という考え方でイエスの御言葉の権能まで無視する姿が私たちの中にはないでしょうか? 私たちの中にいるナザレの人々の姿を警戒し、どんなことがあっても主を信じて疑わない信仰者であるべきではないかと思います。信仰なくしては主からのお答えもないということを忘れてはならないでしょう。 3.主の弟子の道。 イエスはナザレの人々に無視されることを知っておられたはずです。すでに主は他人でもない家族に気が変になっていると扱われていました。(3章)それにもかかわらず、主はあえて弟子たちを連れてナザレに行かれたのです。もし、私のような平凡な人だったら、弟子たちを連れて故郷に行くはずがなかったでしょう。もし私が国会議員や総理大臣、有名な芸能人だったら、知人を連れて誇らしげに故郷を訪ねたかもしれませんが、イエスのように既得権者たちに嫌われ、貧しく暮らし、精神病者のように扱われる立場だったら、ここ福岡ではなく、北海道の山里に行って息をひそめて生きたかもしれません。それでも、イエスはあえて弟子たちを連れてナザレに行かれ、排斥される姿をありのままに見せてくださいました。なぜ、主は自らの恥をお見せになったのでしょうか? イエスは世の人々に排斥されることなんかに絶望なさる弱い方ではありません。主は神の御目を通して、この世のすべてを見ぬかれる方で、神がご自分をいかに愛しておられるのかを、よく知っておられる方でした。むしろ、主イエスはこのような故郷での排斥の経験を通して、イエスを信じる弟子たちなら、イエスのように排斥されることを覚悟すべきということを教えてくださったのです。 今日の本文の7-13節にはイエスが弟子たちを派遣される場面が出てきています。「あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」(11)つまり、イエスの弟子だと自負するなら、排斥されることを恐れてはならないということです。主の弟子として生きようとする人は必然的に、この世に排斥を受けるようになります。この世と異なる道を歩んでいくからです。もし、世から歓迎されるなら、自分の信仰と生き方を真剣に省みるべきでしょう。神はエレミヤ書を通してこのように仰せになりました。「(新改訳聖書)主は仰せられた。必ず私はあなたを解き放って、幸せにする。必ず私は、災いの時、苦難の時に、敵があなたに執り成しを頼むようにする。」(エレミヤ15:11)、新共同訳聖書では、「主よ、私は敵対する者のためにも幸いを願い、彼らに災いや苦しみの襲うとき、あなたに執り成しをしたではありませんか。」と書いてありますが、ヘブライ語本文、20種類以上の英語聖書、また日本語の新改訳聖書には、先のように記されていました。新改訳と新共同訳の違いは原本の差にあります。いずれも権威がありますが、新改訳の翻訳のほうが普く使われており、そっちの翻訳を使用したいと思います。とにかく、主は排斥されるご自分の民を必ず守ってくださる方です。私たちは主の民としての覚悟を持って生きるべきでしょう。 締め括り 今日、学んだ内容は大きく3つでした。第一に、ナザレという言葉にはメシア、聖なる者、低い所という意味があるということ、第二に、長年、奇跡のない信仰生活に慣れているからといって、神の権能を軽んじてはならないこと、第三に、神の弟子なら世の中の排斥を覚悟して生きること。イエスの民として生きることは、決して安楽で楽しいこととは限らないでしょう。イエスのように貧しく、低く、苦しみの中に生きる時もあるでしょう。それでも聖なるメシア主イエスに倣って世の中に福音を伝えながら生きる私たちになることを願います。私たちの人生は短いです。しかし、神との同道は永遠です。イエスのように正しく、低い所に仕え、神の御言葉を尊く思い、世の中の光と塩として生きていく私たちになることを願います。主イエスの祝福がこの一週間も皆さんと共にあることを切に祈り願います。

帰っていくべき地。

創世記23章1-20節(旧32頁)          ヨハネによる福音書14章1-3節(新196頁) 前置き サラが神に召されました。長い間、夫と共に、神の民として生きてきたサラ。しかし、彼女の人生には数多くの出来事があり、その度にサラは傷つき、挫折しながら生きてきました。「信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。」(ヘブライ11:11-12)けれど、彼女には神への信仰がありました。時には信仰の失敗もありましたが、それでも信仰を持って生きてきた彼女は、最終的に息子を得、その名前どおりに「諸国民の母」という誉も得ることになりました。確かにサラには短所もありましたが、神はその短所よりは彼女の信仰を見て、彼女を導いてくださいました。神は民の短所ではなく信頼をご覧になる方です。「私は出来ないが、神はお出来になる。」という信仰を持って生きる者は、一生、神に導かれ、終わりの日に褒められるでしょう。 1.サラを葬るアブラハム。 サラはヘブロンのマムレに葬られました。前回の説教のモリヤの山での出来事の後、アブラハムとイサクはベエル・シェバに帰ってきたのですが、なぜ、サラはヘブロンに葬られたのでしょうか。(ベエル・シェバとヘブロンの距離は約60km)ユダヤのあるラビはこのように主張したと言われます。「ふだん、アブラハムの信仰を妬んでいた天使たちが、アブラハムとイサクがモリヤに向かう間、サラにアブラハムの計画を言い付け、仲たがいをさせた。サラはその話を聞いてアブラハムの後ろを追った。サラは結局、二人を逃し、ヘブロンで立ち止まった。その後、アブラハムとイサクは無事に帰宅したが、衝撃を受けたサラはヘブロンに滞在し、夫と別居した。結局、サラはその衝撃の故に息を引き取ることになった。」昔のラビたちの話は信憑性が低いので、事実として受け入れる必要はありませんが、私たちはこの話からサラの悲しみを垣間見ることが出来ると思います。おそらくサラはイサクを生け贄にすることで、ひどく傷ついたはずです。我々は時々「神の御心だから」という言い訳で、知らず知らずに隣人を傷つけることがあります。人々は息子を捧げたアブラハムの信仰だけを称賛しがちですが、妻サラの心はどうだったでしょうか。聖書をさまざまな側面から読み、黙想しながら、神への信仰と隣人への愛と配慮の関係について深く考えるべきではないかと思います。 「サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり、ヘトの人々に頼んだ。」(創世記23:2-3)一生、サラと共に生きてきたアブラハム、妻の死去は、彼にとって大きな悲しみになったことでしょう。ある研究によると、「配偶者の死は子供の死を超える大きな衝撃を与える。」と言われます。いつも一緒だった人が亡くなってしまうと、比較できない甚だしい喪失感がやって来るからです。サラの生前、アブラハムは彼女を二度も見捨て、また側女との関係を傍観して、サラの心を傷つけました。アブラハムの悲しみは、そういう過去への悔恨からもたらされたものではないでしょうか。今、私たちのそばにいる人は本当に大切です。連れ合いを大事にして愛するべきです。今は日常ですが、いつか、「さよなら」と言う時が来るからです。また、先に連れ合いを亡くした方々は、過去の愛を記憶し、赦すべきことは赦し、大事にして生きるべきでしょう。さて、先に読みました3節には「立ち上がる」という表現がありましたが、これはヘブライ語で「クム」という表現です。どこかで聞いたこと、ございませんか。先週、登場したアラム語の「タリタ・クム」に係わりがあります。「クム」には「起きる、立ち上がる」という意味もありますが、何かを「確定する、確かめる」という意味もあるそうです。妻の死を経験したアブラハムは、今後の何かをはっきり定めるために立ち上がったのです。(ヘブライ語とアラム語は近い言語。) 2.ヘブロンの土地を買い取った理由。 「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです。」(創23:4)アブラハムが立ち上がった理由は、妻のために墓を買い取るためでした。ところで、この墓はサラ一人だけのためのものではありませんでした。「こうして、マムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、土地とそこの洞穴と、その周囲の境界内に生えている木を含め、町の門の広場に来ていたすべてのヘトの人々の立ち会いのもとに、アブラハムの所有となった。」(倉23:17-18)(新共同訳ではアブラハムの所有となったと記されているが、原文では前のクムを使ってアブラハムの所有と確定されたと記されている。)アブラハムはマムレの前のマクペラの洞穴と、その他を買い取りましたが、このマムレは非常に大事な場所でした。創世記18章で神の御使いたちがアブラハムに訪れた場所がマムレでした。神は、そこでイサクの誕生と、世界の全民族がアブラハムによって祝福に入ると確定してくださいました。マムレは神の民アブラハムが信仰的に成長するたびにいた場所です。つまり、ヘブロンのマムレは「神の民アブラハム」という存在が養われた場所であり、神とアブラハムの子孫イスラエルの関係を証明する記念碑的な場所であったのです。妻の死後、アブラハムは神との約束を記憶し、妻はもとより、自分と子孫たちの帰るべき「約束の地」を確実にしようとしました。それでマムレを買い取ろうとしたわけです。 「どうか、 御主人、お聞きください。あなたは、わたしどもの中で神に選ばれた方です。どうぞ、わたしどもの最も良い墓地を選んで、亡くなられた方を葬ってください。わたしどもの中には墓地の提供を拒んで、亡くなられた方を葬らせない者など、一人もいません。」(6) 「どうか、御主人、お聞きください。あの畑は差し上げます。あそこにある洞穴も差し上げます。わたしの一族が立ち会っているところで、あなたに差し上げますから、早速、亡くなられた方を葬ってください。」(11) アブラハムが、その土地を買おうとした時、先住民の指導者だったエフロンは、土地をただであげると言っていました。しかし、それは婉曲な拒絶を含む表現でした。本音と建前という概念がありますが、エフロンの行動がそれに似ていました。エフロンは、表向きでは親切に行動しましたが、裏では土地を売りたくない気持ちを持っていました。しかし、アブラハムは神が確定してくださった、この地を必ず所有しなければならないという信念を持っていました。 結局、エフロンは銀400シェケルという、土地の本来の価値より、はるかに高値を示しました。それでも、アブラハムは意に介さず、その土地を買い取りました。神は創世記15章13節で、アブラハムの子孫がエジプトで400年間奴隷として生きるだろうと予言されました。アブラハムは妻の死をきっかけに、神が約束された土地を妻と自分が葬られる土地として買い、以後、自分の子孫たちが帰ってくるべき場所として備えたわけでした。 3.「主の民には帰るべき所がある」 古代ユダヤの墓を上から見下ろすと、まるで手のような形になっていたと言われます。入口に入ると手のひらのように広い場所があり、死者を亜麻布に包んで安置したそうです。そして数年後に、その遺体が骸骨になると、指のような別の墓室に移したということです。そのため、先祖の遺骨が古ければ古いほど、内側に安置されたそうです。つまり、同じ墓に同一家系の人々が代々に葬られるわけです。旧約聖書には、このような表現があります。「あなたは先祖の列に加えられる。」ユダヤ人にとって最も名誉ある死は、安らかに死に、先祖の墓室に安置されることであり、最も不名誉な死は遺体が毀損(きそん)されて先祖の墓室に入れないことです。そして、最後の日、復活の日には、その骨に生命が立ち戻り、蘇るということが彼らの信仰でした。それほど、アブラハムが妻と自分の墓に気を遣ったことには、子孫のためのこういう理由があったのです。実際に息子のイサク夫婦も、孫のヤコブ夫婦も(レアだけ、ラケルはベツレヘムに。)マクペラの畑の洞穴に葬られます。とにかく、マムレのマクペラにはアブラハムの子孫に与えられた、神からの恵みの場所であり、彼らが必ず帰るべき土地であるという記念碑的な意味がありました。現代にも外国に暮らしていたユダヤ人が、死後にイスラエルに葬られる場合が少なからずあると言われます。先祖の列に加えられたいという考え方が今でも残っているからです。 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」(ヨハネ福音書14:1-3)今日の旧約と新約の本文の間に神学的な関りがあるかどうかは、私には、はっきり見つけられませんでした。しかし、アブラハムの子孫であるイスラエル民族に必ず帰るべき地があったように、私たちキリスト者にも必ず帰るべき所があるという点で、今日の新約本文が強く思い浮かびました。旧約が語る地という概念は、神の祝福と恵みを意味し、新約になっては、この地の意味がイエス・キリストの御救いに変わることになりました。神の祝福された神殿の意味がイエス・キリストの教会共同体と変わったように、旧約の地の概念も新約の主の御救いに変わったわけです。 締め括り アブラハムが、自分たちの帰っていくべき地であるマクペラの洞穴を備えたとすれば、我が主イエス·キリストは、ご自分の血潮によって御国に帰って行ける御救いを備えてくださいました。我々は、イエスを通して真の神に出会い、その方の国に入ることが出来るのです。アブラハムが愛する妻と子孫のために土地を買い取ったように、イエス·キリストは愛する民の救いのために、ご自分の血を流して神への道を設けられました。本日、旧約の本文を見ながら、我々は記憶しなければなりません。旧約のアブラハムが行なったことを、新約では誰が行なったのか、神の約束の地を記憶させた旧約のアブラハムの出来事を黙想しつつ、神の御救いを約束された新約のキリストを共に記憶すべきでしょう。 私たちには必ず帰っていくべき地があります。そこには苦しみも、悲しみも、痛みも、差別も、民族も、国家もありません。ただ、キリストの支配と神の愛だけがあるだけです。私たちは必ず帰っていかなければなりません。父なる神がキリストを通して、主の前に出てくるすべての民を喜んでお迎えくださるでしょう。 そのような信仰を持ってアブラハムの物語を理解し、キリスト・イエスの恵みを覚える私たち志免教会になることを願います。

生と死の支配者、キリスト。

列王記上17章17-24節(旧562頁)        マルコによる福音書5章35-43節(新70頁) 1.「会堂長ヤイロ」 今日の新約本文のヤイロはユダヤ教の会堂長でした。ところで、ヤイロが長として働いていた会堂とはどんな場所でしょうか? その由来を知るためには、旧約の歴史を探ってみる必要があります。旧約のイスラエルがバビロン帝国に滅ぼされた時、ソロモン王が建てた最初のエルサレム神殿は無残に破壊されました。イエスの時代のエルサレム神殿は、捕囚から解き放たれたイスラエルの民が建てた第2の神殿で、改築されたものでした。会堂は最初の神殿が破壊された後、無くなったエルサレム神殿に代わる場所として作られ、ユダヤ人の共同体を代表する建物でした。この会堂はイエスの時代に約300ヵ所が存在していたと言われていますが、ユダヤ人は会堂が神殿のように主のご臨在の場所だと信じていたそうです。そこではモーセ五書に関する研究、説教、教育などが行われ、時には民法、刑法、宗教法などを取り扱うこともあったと言われています。つまり、この会堂は宗教と社会をまとめるユダヤ社会の中心とされていたわけです。そして、ヤイロは、この会堂を指導する偉い身分の会堂長だったのです。私たちは今日の本文でイエスの御前に力なくひれ伏しているヤイロを見て、会堂長が持つ存在の重さを見落しがちかもしれませんが、当時の会堂長は相当な宗教的、社会的な権威を持っている者でした。 「会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。私の幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」(5:22-23)そんな会堂長ヤイロが働きを始めたばかりのイエスという若者にひれ伏したということは、自分のプライドを捨て去る、大きな勇気を伴う行為でした。ユダヤ教の指導者が、当時のユダヤ教において異端児のように見なされていたイエスに頭を下げるということは、会堂長の職を諦めようとするほどの覚悟があったからでしょう。ここまで自分のことを屈服させたヤイロは、イエスがすぐに自分の家に駆けつけて娘を治してくれると期待していたはずです。しかし、イエスは赴く途中、前回の説教の出血病の女に出会い、時間を使いました。一刻を争う状況でしたが、イエスには余裕があるように見えました。おそらく、ヤイロは、焦りと不安で辛かったことでしょう。その時、遠くから何人かの人々が駆けて来ました。「イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」(5:35)彼らは、ヤイロの娘が、結局亡くなったという訃報を持って来た者らでした。イエスが到着する前に、ヤイロの娘は息を引き取ってしまったのです。 2.「信仰とは待ち望むこと」 しかし、主は依然としてお急ぎになりませんでした。「イエスはその話をそばで聞いて、恐れることはない。ただ信じなさいと会堂長に言われた。」イエスはヤイロに二つのことを求められました。それは「恐れるな。」と「ただ信じなさい。」でした。ここで、私たちはその前の表現にもっと目を注ぐべきだと思います。「イエスはその話をそばで聞いて。」この表現は「じっと聞いている。」というよりは、「それを聞いて気にしなかった。」というニュアンスで解釈したほうが、より正しいと思います。イエスは、「人々が何と言っても、あなたはそれに心を奪われるな。恐れずに、ただ私を信じなさい。」と求められたわけです。私たちの人生の中で自分の心を奪う自我からの声、社会からの声、この世からの声が、如何に多いことでしょうか。「私の知る限り、これは違うだろう。」「ニュースではそれは違うと言っただろう。」「この日本ではそうなるわけがないだろう。」など、数多くの声があります。しかし、主はそのすべての他の声を気にせず、ただ主のお声だけを聞くことを望んでおられます。私たちの信仰は、私たちの状況によって揺れるものになってはいけません。どんな状況であっても揺れることなく、ただ主の約束、御言葉だけを信じる信仰にならなければなりません。これを通して、キリスト者が追求すべき信仰の特徴が分かります。 我々の信仰を、真の信仰にする原動力は、イエス・キリストの存在そのものにあります。いつも揺れ動いてしまう私の「信じる。」という感情が、私の信仰を定めるわけではなく、私に信仰をくださり、その信仰を守り、保たせてくださる、移り変わりのない主イエスだけが私たちの信仰をお定めくださる方なのです。こんなイエスの御前で、「娘は死んだ。もう諦めよう。」という人々の声には、何の意味もありませんでした。イエスがヤイロの家に行かれることを、すでにお決めになり、その決定には「必ず、君の娘を治してあげる。」という主の約束が含まれていたからです。ヤイロに信仰と約束をくださった主は、ご自身が与えてくださった、その信仰と約束に答えくださるために、必ずヤイロの娘を生かしてくださるでしょう。大事なことは主の御心とご意志です。主の御心とご意志がある限り、必ず成し遂げられると信じるのが、真の信仰なのです。ですから信仰には待ち望むことが必要です。約束を必ず成し遂げてくださる主への待ち望みが必要なのです。神は高い確率で私たちが願っている時ではなく、神のお定めになった時に応えてくださる場合が多いです。ヤイロはその主の時を待ち望みました。切迫していましたが、出血病の女と共におられる主を待ち望んでおり、すでに娘の訃報を聞いたにも拘わらず、変わらず主を待ち望んでいました。主が死んだ娘のところに着かれるまで、彼は主を待ち望み続けていました。静かに主の時を待ち望むこと、それが、まさにヤイロの真の信仰の現れだったのです。 3.生と死を支配なさるイエス。 「一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。人々はイエスをあざ笑った。」(5:38-40)主がヤイロに堂々と「恐れることはない。ただ信じなさい。」と言われた理由は、主の御目に少女の死は死ではなく、ひと眠りから起き上がるための過程に過ぎなかったからです。ヤイロに娘を治してやると約束なさった主イエスにとって、娘の死は、間もなく目覚めるに決まっているひと眠りに過ぎませんでした。先駆けて、主はヤイロに信仰を与えてくださいました。そして娘の救いを約束してくださいました。待ち望みつつ主の約束を信じていたヤイロの信仰を通して、主は「君の娘は死んだのではなく、ただ寝ている。」という、この世の観点とは全く違う、新しい観点で世を見通す目を与えてくださいました。つまり、キリスト者に信仰が与えられたということは、この世を見直せる、新しい目が開かれたという意味なのです。ですから、私の自我からの声、社会からの声、この世からの声は何の力も持つことが出来ないのです。ただ主の約束の御言葉と主の約束を信じる我々の信仰があるだけです。人々は少女が寝ていると言われた主をあざ笑いましたが、主は彼女の手を取って実際に起き上がらせてくださいました。「タリタクム、少女よ、起きなさい。」ヤイロの信仰に応えてくださった主のご宣言によって、愛する娘の死という恐怖は、本当にひと眠りのようなものに変わってしまいました。 「タリタ、クム」という主のご宣言の中で、この世を虜にしていた死の権勢は、単なるひと眠りのように弱まってしまいました。 私たちがキリストの復活を信じ、そして、私たちもキリストのように終わりの日に新たなる存在として復活することを信じる理由は、このように主が死の権勢を弱めてくださったからです。主イエスはすべてを死に追いやる、ガリラヤ湖の嵐を静められました。ゲラサ人の地方で出会った悪霊に取り付かれていた者から、汚れた霊を追い払われました。12年間も出血病で苦しんでいた不浄な女を清めてくださいました。そして、今日の本文を通しては、既に死んでしまった少女を起き上がらせてくださいました。このすべての奇跡は、この世を支配していた邪悪な死の権勢へのキリストの勝利を意味します。主はすでに勝利を持って、この世に来られました。ですから、主はご自分を信じる者たちに信仰をお求めになるのです。「私はすでに勝利を持ってきた。私の勝利を受け入れるか否かは、あなたたちの信仰次第である。」主は聖書の御言葉を通して、私たちに、このように勝利なさった主への信仰を求めておられるのです。 私たちはすでに勝利を持ってこられ、主ご自身への信仰を求めておられる、キリストの御前にどのような生き方で生きるべきでしょうか? 締め括り 今日の旧約本文の言葉はアハブという悪い王が治めていたイスラエルの暗黒時代、神の預言者であったエリヤが、ある少年を蘇らせた話で、今日の新約の本文に非常に似ています。エリヤがある寡婦の息子を死から生き返らせた時、寡婦はエリヤに向かってこのように叫びました。「今私は分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。」今日の新約本文は、おそらく、このような旧約のエリヤの物語と、ある程度、関りがあると思います。私たちは今日の旧約と新約の物語を通して、少女を生き返らせた主イエスが神から遣わされた方であり、その方を通して私たちに与えられる御言葉が、真実な神の御言葉であることが分かります。このように主は死を退け、生命をもたらす真の勝利者であり、その民に信仰をお求めになる信仰の主であります。私たちの生が、主による信仰に基づいた生であることを望みます。今日も主が私たちの間におられ、私たちの信仰の中で働いておられることを信じつつ生きることを願います。聖と死を支配される主、本当の勝利者イエスは、今日も我らの信仰を求めておられます。

ヤーウェ・イルエ(主が備えてくださる。)

創世記22章1-19節(旧31頁) ヨハネの手紙一4章9-10節(新445頁) 前置き 世の中で一番偉大な愛とは何でしょうか。神が人類を愛する無条件的な愛、いわゆるアガペーの愛を除いて、最も崇高で偉大な愛は断然子供に向けた親の愛、ステルゴではないかと思います。(ギリシャ語、ステルゴは献身。家族、親、子、君主への愛)恋人への愛を意味するエロスは、最初は燃え上がりますが時間が経つにつれて冷めていき(夫婦の愛はエロスから始まってステルゴになる)友達や恩師への愛、つまりフィレオは愛の感情というより、友情あるいは尊敬、尊重に近いでしょう。しかし、子供への親の愛、つまりステルゴは子供のために喜んで命を懸ける、献身的な愛なのです。もしかしたら親の愛ステルゴは人間の愛の中で、神の愛であるアガペーに最も似ている愛なのかも知れません。いつか、こんな話を読んだことがあります。朝鮮戦争の時、南下してくる北朝鮮軍が撃った砲弾のかけらに当たった、ある若い母親が、自らは死に行きながらも子どもを生かすために乳を飲ませ、母親の犠牲によって生き残った子どもが米軍によって救助され、養子縁組されたという話です。実に涙ぐましい母の愛の物語です。このような物語は、どの文化圏にでもあり、人々に親の愛を悟らせます。それだけに親の愛は何よりも偉大な愛であり、民族と文化と国家を貫く真の愛なのでしょう。 1.アブラハムに与えられた試練。 母の日、父の日でもないのに、冒頭から親の愛を取り上げた理由は、今日の本文に世の中で何よりも大切な息子を生贄にしなさいと、ご命令なさる神と、それに応ずるアブラハムの物語が登場するからです。アブラハムは前の21章で、愛する息子であるイシュマエルを捨てなければなりませんでした。「このことはアブラハムを非常に苦しめた。その子も自分の子であったからである。」(21:11)たとえ、本妻サラの圧力と神のご命令の故にイシュマエルを行かせてしまったとしても、父アブラハムはイシュマエルも愛していたはずでしょう。しかし、アブラハムは神の御言葉に聞き従い、薄情にも息子を去らせてしまいました。おそらくアブラハムは、イシュマエルを捨てたことに罪悪感と苦しみを覚えたことでしょう。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。私が命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」(22:2)ところで、神は今度は100歳で儲けた最も大切な息子であるイサクさえ、焼き尽くす献げ物としてささげなさいと命じられたわけです。長男を去らせ、また残った次男さえも、お求めになる神。アブラハムも一人の父親として、親の愛、即ちステルゴの愛を持っていたはずです。にも拘わらず、主はアブラハムに、その最も可愛い息子を自分の手で殺し、その肉体を切り裂いて、祭壇で焼き尽くせという恐ろしい命令を下されたのです。 もし、私がアブラハムでしたら、何日も思い煩っていたことでしょう。神に「代わりに私を死なせてください。」と乞い願ったかも知れません。しかし、神の御命令をいただいたアブラハムは、一言もなく神の御言葉に従いました。「次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。」(3)神学校に入学する前、ただ文字の上でだけ聖書を読んだ時の私は、到底、このアブラハムを理解することが出来ませんでした。いくら神の聖なる試練であるからと言っても、子どもを殺す仕打ちは、親として許せないと思ったからです。「三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えた。」(4)しかし、教師になって本文を研究する際に、アブラハムの苦しみと悲しみの感情に気付くことになりました。ある解説書によると、4節の「目を凝らすと。(直訳.目を上げて眺めると)」という表現には、聖書には記されていないアブラハムの苦悩が含まれているそうです。何気なく見えたアブラハムにとっても、息子の犠牲は、心が裂けるほどの痛みだったのです。しかし、アブラハムは、これまで自分の人生を正しく導いてくださった神が、この先もきっと正しく導いてくださると信じ込んでいたでしょう。しかし、それにもかかわらず、その神の本当の御心を知るためには、いちおう息子を神に捧げる、人間としては耐えられない試練を経験しなければなりませんでした。これはアブラハムの一生の試練だったのです。 2. 神への徹底した信頼が無ければ認められない。 一時、私はこの本文に対して、自分のすべてを捧げて、信仰を貫かなければ神に祝福されないという風に説教したりしました。ですが、今では登場人物の感情を無視しすぎたのではないかと反省しています。もし、聖書の登場人物ではなく、私の隣人に、このようなことが起こったら、私は気軽に「神を信じて家族を捧げましょう。神が祝福してくださるでしょう。」と言えるでしょうか?なぜ、神はこんなに無理やりにアブラハムに求められたのでしょうか? また、アブラハムは、なぜ無理やりな命令に従順に従ったのでしょうか。「イサクは言った。火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。アブラハムは答えた。私の子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。二人は一緒に歩いて行った。」(7-8)アブラハムは、神の約束を信じ込んでいました。「あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサクと名付けなさい。私は彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。」(17:19)神は、確かにイサクという、たった一人の息子を通して、契約を立て、民族を立ち上がらせてくださると、固く約束なさったのです。過ぐる数十年の間、神はアブラハムとの約束を覚えておられ、固く守ってくださいました。アブラハムは、長年、その約束の神を経験してきたのです。神へのアブラハムの信頼は絶対的なものだったのです。 新約のヘブライ人への手紙は、今日の場面をこう説明しています。「アブラハムは、試練を受けた時、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれると言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもお出来になると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。」(ヘブライ11:17-19)ヘブライ書の記録者はアブラハムが、「もし神がイサクをお受けになっても、既に結んでくださったアブラハムとの約束を守ってくださるために、イサクを死者の中から蘇らせてくださる。」と信じていたと証しています。その分、アブラハムは現在の目の前の状況より、神の御言葉にもっと重きを置いて、最後まで約束の神を信じ込んでいたわけです。「アブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。その時、天から主の御使いが、アブラハム、アブラハムと呼びかけた。彼が、はいと答えると、御使いは言った。その子に手を下すな。何もしてはならない。」(10-12) 神の御言葉への限りのない信仰、そして、もし、そうでなくても、神がそれに相当する他の方法で必ず約束を守ってくださるという信頼。過去、数十年の間、数多くの失敗と過ちの中で信仰の浮き沈みを経験してきたアブラハムでしたが、今回は成熟した堅い信仰を持って最後まで神を信じ込んだのです。そして、神は彼の堅い信仰をご覧になり、ついに彼の信仰を認めてくださいました。「あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。」いよいよ彼は神に信仰の父と認められるようになったのです。 3.ヤーウェ・イルエ、主が備えてくださる。 そもそも神は人身御供、つまり人を生け贄にお受けになる方ではありません。旧約聖書のあちこちで、神は異邦人が神々に自分の息子を捧げる人身御供を禁じられました。つまり、神は異邦人のように人の命を軽んじる方ではないということです。神は当初からイサクを供え物にさせようと思っておられなかったのです。神はあくまでもアブラハムの信仰をお試しになるために息子を捧げるようにと言われたわけです。アブラハムが息子を捧げようとした時、神の御使いは、それを阻んで神へのアブラハムの絶対的な信仰を確かめました。これは過去、数十年間のアブラハムの信仰が、本物か偽物かを究め尽くす最終段階のテストだったのです。時々、神はご自分の民に試練をお許しになります。しかし、その試練は民を苦しめるための試練ではありません。より一層豊かな神のご恩寵に導くための、神の恵みの手立てなのです。過去の試練は厳しかったが、後々顧みると、その試練があって良かったと思われる場合が少なからずあるでしょう。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリント第一10:13) 実際に神は、この試験の後、より多くの祝福をくださり、イサクの将来を明るく輝かしてくださいました。我々は人生の試練に遭う時、神の祝福が目の前に来ていることに気づくべきです。もちろん試練が大変であることは当然のことです。それでも神への信仰だけは失わず、必ず報いてくださる神を信じていきたいと思います。 「アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行って、その雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。」(13)むしろ、神はこの出来事を通して、まるで鏡のように主の御業をお示しくださいました。数多くのキリスト教の聖書の解釈者たちは、今日の本文を通じて、神が御自身で成し遂げられる偉大な御業を予告してくださったと告白しています。アブラハムがイサクを捧げたように、御父は御子を生け贄にされたからです。神はアブラハムとイサクのために茂みに角をとられた雄羊を送ってくださいました。アブラハムはイサクの代わりに、その雄羊を捧げ、2人は無事に帰ることが出来ました。キリスト教の解釈者たちは、旧約のこの雄羊が、自分の民の身代わりに死んでくださる新約のキリストのモデルであると信じていました。主なる神は常にご自分の民を導き、民の道を開いてくださる方です。主は異邦の神々のように民を虐げる方ではありません。むしろ、主が先に苦しみと悲しみをお受けになり、後についてくる民を安全に守り、導いてくださる愛の神です。イエス・キリストは罪の故に裁かれなければならない、罪人のために神が御自身で備えてくださった贖いの生け贄です。アブラハムは息子を捧げようとする信仰を見せただけですが、神は実際に独り子イエスを犠牲になさり、ご自分の民への真実な愛を確証してくださいました。 締め括り 「アブラハムは、その場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも、主の山に備えありと言っている。」(14)今日、アブラハムが祭壇を築いたモリヤの地の語源は「ラアー」ですが、その言葉には「備える。」という意味があります。そして、この「ラアー」は今日の説教の題に出てくる「イルエ」の語源でもあります。同じ語源を持つモリヤとイルエ。これは偶然の一致なのでしょうか? 主は初めからイサクを生かす御計画だったのです。その代わり、主は遠い後日、ご自分の独り子を犠牲にして、民の犠牲ではなく、ご自分の犠牲によって彼らを赦し救ってくださいました。三位一体のお一人の御子が死ぬということは、絶対に有り得ないことでしたが、父なる神は、それをなさったのです。三位一体において、それは大きな苦しみでした。私はその神の痛みについて、よくこう説明したりしました。「御父が民のために御子を死に追い込んでくださったことは、人が自分の胸を切り裂いて心臓を取り出すことでも比べ物にならないほど、極限の苦しみである。」それだけに主なる神は民を愛しておられる方なのです。主はご自分の民のために、まるで心臓のように大事な息子を進んでお捨てになったわけです。そして復活させることによって、御子を信じるすべての者に、真の赦しと和解を与えてくださいました。「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、私たちが生きるようになるためです。私たちの罪を償う生け贄として、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネ第一4:9-10)神の愛には限りがありません。そのような神が与えてくださる試練は、私たちの信仰を養うための、もう一つの愛の表現なのです。試練を恐れず、常に私たちを愛し、共に歩んでくださる神への信仰と愛を持って生きることを願います。

あなたの信仰があなたを救った。

出エジプト記29章38-46節(旧143頁)         マルコによる福音書5章21-34節(新70頁) 前置き 前回の説教でイエスは、湖の向こう岸の異邦の地であるゲラサ人の地方に足を運ばれ、汚れた霊に取りつかれた人を治してくださいました。これはイエスが御自分の本来の民であるイスラエルだけでなく、異邦人までもご自分の民として受け入れてくださる宣教の出来事でした。ここで汚れた霊に取りつかれたという意味は、一個人が精神的に狂ったということを超えて、神に対抗する悪の権勢に支配される世の中と社会の不条理を意味する、社会的な意味をも持っていました。主は、ゲラサ人の地方で、そのような悪の権勢に苦しめられている人をお治しになることで、キリストの癒しと教えと宣教が、この地方でも始まったということを教えてくださったのです。「その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。」(20)ところで、主は悪霊に取りつかれていた人を治してくださった後、これ以上デカポリス地域には行かれず、またガリラヤに戻っていかれました。その代わりに主は、ご自分が治された悪霊に取り付かれていた人をデカポリス地域に遣わされました。主に治していただいた、その人は元々イエスと同行しようと思いましたが、主はむしろ彼を地元にお遣わしくださることで、主の御業を宣べ伝えさせられました。すなわち、主は彼を宣教師として派遣してくださったのです。この地上に宣教師として来られたイエスは、主の民を呼び出し、癒してくださり、教えてくださることで、彼らを再び宣教師として行かせる方です。このように宣教は神から始まり、その民、すなわち教会を通して行われるものなのです。 1.会堂長のヤイロと出血病の女性 「イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。」イエスがまた、向こう岸にお渡りになると、大勢の群衆が主のところに集まってきました。その時、一人の男が主を訪ねてきました。「会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。私の幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」(22-23)ヤイロという人は当時のユダヤ人の中でも宗教的な権威を持っている、いわゆる「偉い方」でした。彼は会堂長で、その村の宗教指導者だったのです。そしてある意味でイエスを最も警戒する反対側の一人でした。そんなヤイロが危篤な娘のために、警戒すべきイエスの御前に出てきて、高いプライドを捨て、ひれ伏したわけです。彼が大事にしたのは、自分の自尊心より死んでいく娘が救われることでした。23節の「助かり」という表現にはギリシャ語「ソーテーイ 」つまり、「救い」の意味が含まれています。彼にとって「救い」とは、死んでいく娘が全快することでした。彼は会堂長という自分の地位も、ユダヤ教という宗教も、いかなる医学も、娘を治せないことに気付き、最後にイエスを訪ねたのです。そして主は快く彼の家に足を運ばれました。 ところで、今日の本文は25節で突然、会堂長のヤイロの物語から12年間も出血の止まらない女(以下、出血病の女)へ眼差しを移します。ヤイロの娘は死にそうな状態で、すぐさま駆けつけねばならず忙しいところに、なぜ本文は、いきなり他の人に関心を注ぎ始めるのでしょうか。初め説教が長くなるかと思って、ヤイロと出血病の女の物語を2回に分けてお話しする予定でしたが、実はこの会堂長ヤイロと出血病の女の物語は、ひとつの話なのです。(21-43)ハンバーガーを食べる時、2枚のパンの間に具材を差し入れて食べることと同じように、この物語は2つに分けられているヤイロの物語の間に出血病の女の物語が挟まれている様です。まず、ヤイロが娘のために主と出会い、主が娘のところに赴く途中、出血病の女に出会って治され、また、主が、すでに死んでしまったヤイロの娘を生き返らせるという仕組みなのです。ハンバーガーを具材別にではなく、一口で一緒に食べることと同じように、この物語も、ひとつの話として受け止めるべきなのです。本文は会堂長ヤイロと出血病の女という二人の信仰を通して、主イエスの御業を示すために、このようなハンバーガーのような仕組みで話を展開しているのです。それでは今日は出血病の女の信仰について話してみましょう。 2.命をかけてイエスを求めた出血病の女。 本日、登場する出血病の女は、当時イスラエル社会において極めて不正な存在とされていました。そもそも旧約律法で女は不正な存在と考えられていましたが、その理由は女性が子供を産む存在だったからです。これを聞くと「出産は生命を生む神聖な行為なのに、なぜ不正に扱われるだろうか?」と疑問が生じるかもしれません。「神は女に向かって言われた。お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。」(創世記3:16)なぜなら、古代イスラエルでは、出産の苦しみが人間の罪に対する神の呪いであるという間違った信念があったからです。出産時の出血、生理、女性の出血なども、それと同じ脈絡で理解できるでしょう。そのため、女と出血は律法において不正なものの一つでした。現代にも女性差別がありますが、イスラエルの律法までもが女性を悲しませていたわけです。また、律法は病気も不正なものだと見なしていました。今日、登場する出血病の女が極めて不正とされた理由は「女、出血、病気」といった3つをすべて持っている存在だったからです。「さて、ここに十二年間も出血病の女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。」(25-26)しかし、当時の社会は、彼女の癒しのために何も出来ない状態でした。彼女は12年間、辱めと苦しみの中に生きてきましたが、快方に向かうことなく、さらに悪化し、かえって世間は非難で苦しめるばかりでした。そんなある日、彼女にイエスという方の噂が聞こえてきました。 哀れな出血病の女、人々は彼女と服が擦れることさえ不正だと思っていました。そういうわけで彼女は出かけることも出来ませんでした。不正な女が町を歩き回る途中に発覚したら、石に打たれて死ぬのは決まっていることでした。しかし、イエスという存在の噂は彼女が家の中にじっとしているのを許しませんでした。彼女はイエスに会うために出かけようと決心しました。それは命懸けの挑戦であり、険しい冒険でした。しかし、彼女はひたすらイエスを最後の希望にしていました。それはまさに彼女の信仰の表れでした。「イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。」(27)彼女は死も気にせず、群衆の中に紛れ込んでいきました。発覚した瞬間、無惨に殺されるはずでした。しかし、結局、彼女は群衆の中からイエスの服に触れることになりました。「この方の服にでも触れればいやしていただけると思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。」(28-29)彼女はイエスだけは自分を清くすることがお出来になると信じており、その信仰通りに命をかけてイエスの方へ進みました。そして、イエスの服に触れた時、彼女は自分の信仰どおりに12年間の病気から救われることになりました。「イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、私の服に触れたのはだれかと言われた。」(30)その時、主は彼女が信仰を持って御自身のところに出てきて、また、その信仰によって治ったことをお知りになりました。 3.清めてくださる主イエスと出血病の女の信仰。 今日の本文が、ヤイロの家へ赴く途中、意図的に出血病の女性に目を注いだ理由は、当時の医師も、宗教も、社会も、治せなかった、この哀れな女を主イエスだけは治せるということを教えるためでした。旧約の律法には一つの法則があります。それは「清いものが不正なものに触れると不正になる。」ということです。イスラエル社会で不正な存在とされ、嫌われた、この女は人々の認識の中で、すべてを汚す、極めて忌まわしい存在でした。誰も彼女を清めることが出来ず、彼女を憎み、遠ざけるだけでした。しかし、イスラエルの中に彼女を清める、たった一つのものがありましたが、それは神殿の聖なる祭壇でした。「祭壇に触れるものはすべて、聖なるものとなる。私はその所でイスラエルの人々に会う。そこは、私の栄光によって聖別される。」(出29:37、43)私たちは旧約の律法を読む際に、聖と俗を分けて差別を煽っていると感じられるかも知れません。しかし、神は明らかに御自身からの祭壇を通して不正なものを聖なるものにする手立てをくださいました。律法では死んだ獣の肉が不正なものと記されていますが、なぜ、神に捧げる生け贄の肉は聖なるものと見なすのでしょうか?律法によると遺体はすべて不正なものではないでしょうか?色々解釈があるでしょうが、私は、肉そのものが聖なるものではなく、聖なる神の栄光によって祭壇が神聖になり、その祭壇を通して捧げる肉も主の栄光によって聖なるものに変わるためではないかと思います。 しかし、残念なことに、当時の不条理なイスラエル社会では、出血の故に嫌われ、迫害される彼女を祭壇まで連れて行く憐みも愛もありませんでした。ただ差別し、憎み、排除するだけでした。その時、真の神、祭壇を聖別される方、ご自分の民のために自らを犠牲になさる主イエスが、彼女の前に現われたのです。そして、彼女の信仰通りに、イエス·キリストは不正な女に服を触れられたにも関わらず、むしろ彼女を清く治してくださいました。社会は彼女を祭壇に連れても行かなかったのですが、主イエスは彼女の前に、神聖な祭壇より、もっと神聖な御自身を現わし、直接会ってくださったのです。「イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」(32~34)12年間、不正な存在とされ、隠れて過ごさざるを得なかった女性、彼女は「イエスだけが、自分の不正を清めてくださる。」という信仰を持って、命を懸けて主の服に触れ、 その信仰通りに清められました。世のすべての人々は彼女を汚い女性と評価しましたが、主は彼女を神の娘と認めてくださったわけです。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。」彼女を娘と呼ばれた主の宣言の中には、彼女の信仰に応えられる神の救いがありました。 締め括り。あなたの信仰があなたを救った。 聖書は、常に神への信仰を求めています。「あなたが信じた通りになる。」という言葉で、私たちの信仰を促しているのです。しかし、私たちの信仰とは、私の情熱と努力を意味するものではありません。 出血病の女は命をかけて、主を訪ねてくる信仰の行動を見せましたが、彼女の信仰を真の信仰にした原動力は、不正を清める主イエスの存在にありました。したがって、我々の信仰の前提条件はイエス·キリストという存在の完全さから始まるのです。私たちは、そのイエスが完全な方であること、その方だけが私たちを救ってくださることを信じる信仰によって本当の信仰者になるのです。つまり、自分の熱情的な信念によるのではなく、キリストの存在によって認められるのです。自分が罪人だと思われますか。自分はどうしようもない情けない者だと思われますか。もし、そうであれば、不正なものを聖なるものにしてくださる、主イエスに手を触れてください。その方だけは、自分を清められる方であるという信仰を持って、主の御前に進んでください。主は「娘よ、息子よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と宣言なさるでしょう。今日、出血病の女が救われる間に、会堂長ヤイロの娘は死んで、また他の不正な存在になってしまいました。しかし、完全な主イエスは、この後の出来事を通して、死んで不正になった娘を、蘇らせることで清めてくださるでしょう。ただ、主だけが私たちの信仰の対象であり、ただ、その方への信仰だけが、私たちを救いへと導くでしょう。その主の完全さを信じつつ生きる私たちになることを祈り願います。

イサクとイシュマエル

創世記21章9-13節(旧29頁)         ガラテヤの信徒への手紙4章21-31節(新348頁) 前置き 前回の説教では、神の約束通りに成し遂げられた、アブラハムの相続人の誕生についてお話しました。神とアブラハムが初めて出会った時、神は「アブラハムが祝福の源となり、彼を通して生まれる相続人が神の祝福の民になるだろう。」と約束してくださいました。アブラハムは、その約束を信じ、神は彼の信仰をご覧になり、義としてくださいました。それから、アブラハムは25年間、神による相続人の約束の成就を信じ、待ち望んで生きて来ました。その間、アブラハムの不信仰によって様々な紆余曲折がありましたが、それでも神は彼と同道されつつ、彼の信仰を保たせて、アブラハムとの約束を準備して行かれました。そのおかげでアブラハムも主のお導きの下に神への信仰を諦めずに暮すことが出来ました。その結果、神は子供が持てないほどに老いてしまった100歳のアブラハムと90歳の妻サラを通して、真の信仰の子孫であるイサクを与えられました。このように、イサクは神の約束と、その方へのアブラハムの信仰がもたらした神からのお贈り物でした。このすべては、神の語られた約束どおり、その約束された時に、正確に成就されました。 1.イシュマエルがイサクをからかう。 「やがて、子供は育って乳離れした。アブラハムはイサクの乳離れの日に盛大な祝宴を開いた。」前回の創世記の説教の本文である8節には、イサクの乳離れと、それを祝うためにアブラハムが開いた宴に関する物語が出ていました。アブラハムは、なぜイサクの乳離れを記念して盛大な祝宴を開いたのでしょうか。現代には赤ちゃん向けの粉ミルクなどが、ちゃんと備えられているので、比較的早めに乳離れをする場合が多いと知っています。世界保健機関は、まる2歳までは母乳を勧めていますが、最近は普通1歳になる前に粉ミルクなどに変える場合が多いでしょう。それでは、アブラハムが生きていた紀元前18世紀頃は、どうだったでしょうか。創世記の解説書を参考にすると、学者たちは3~4歳ぐらいに乳離れしたと考えてきたようです。おそらく現代と違って赤ん坊のための食物が豊かでなかったわけでしょう。そのように3~4年が経ち、乳離れすると、家族はそれを祝って宴を開いたことでしょう。たぶん、古代には乳児の生存率が非常に低かった故であると推測されます。古代の資料が無くて、西暦1350年代の中世イギリスの乳児死亡率を確かめてみたところ、生まれて1年足らずで亡くなる赤ん坊の割合、すなわち乳児死亡率が約22%に達していました。(イギリス 2015年 0%)出生後1年の内に10人に2人が亡くなったということです。それからすると、古代の乳児死亡率は1350年より高かったはずで、低くはなかったはずでしょう。 そういうわけで、古代人は赤ん坊が3-4歳まで生き残り、乳離れしたことを良い兆しと考えていたことでしょう。特にイサクの場合は、年寄の親から生まれ、元気に育ち、無事に乳離れまでしたので、めでたいことだったでしょう。でも、家族の中には、そんなに喜ばしくない人もいたようです。「サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、イサクをからかっているのを見て、アブラハムに訴えた。」(9-10)アブラハムの長男イシュマエルがイサクをからかう出来事が起こったからです。なぜイシュマエルはイサクをからかったのでしょうか。ただ、子供たちのいたずらではないかと思いがちですが、たぶん、それよりはイシュマエルの嫉妬によることではなかったのかと思われます。イサクより14歳も年上のイシュマエルは、すでに成人式を終えた年だったはずです。今やっと3-4歳になった弟とは、いたずらをする年ではなかったでしょう。もし弟さえいなかったら、父アブラハムの相続人は自分になるはずだったのに弟が生まれたわけです。そうじゃなくても、本妻の息子イサクは、側女の息子であるイシュマエルにとっては目の上のこぶのような存在だったでしょう。イシュマエルの行為を目撃したサラは憤り、アブラハムにイシュマエルと、その母親ハガルを追い出すことを要求しました。「あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、私の子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」(10)結局、イサクをからかったイシュマエルは母ハガルと共に追い出されてしまいました。 2.肉によって生まれた者と約束の子。 今日の説教では、本妻サラとイサク、側女ハガルとイシュマエルという2つの親子の違いを通して、キリスト教の重要な教理について語ってみたいと思います。それで、かわいそうにも追い出されたハガルとイシュマエルの物語は思い切って省きたいと思います。(創世記21章13-21節参照要望)「このことはアブラハムを非常に苦しめた。その子も自分の子であったからである。神はアブラハムに言われた。あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。(11-12)私たちは今日の出来事を通して、ハガルとイシュマエルを追い出したサラにがっかりするかもしれません。強く妬んでおり、非人道的に見えるからです。しかし、サラの行為は当時の法律に基づく行為でした。当時、カルデアには「リピト·イシュタル」という法典がありましたが、その中には、このような条項がありました。「男性が妻と結婚し、彼女が彼に子供を産み、それらの子供が生きていて、奴隷も彼女の主人のために子供を産んだが、父親が奴隷と彼女の子供たちに自由を与えた場合、奴隷の子供たちは元主人の子供たちと財産を分割してはならない。」また、サラは妬み半分であるかも知れないが、主の御言葉に基づいた主張もしています。「あの女の息子は、私の子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」 もちろん、サラの肩を持とうとするわけではありません。確かにサラは人間としてしてはならないことをしています。しかし、彼女の主張は当時の法律上問題無いことであり、ある程度、神の御旨にも合致することでした。「あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサクと名付けなさい。私は彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。」(創世記17:19)神は、なぜイシュマエルとハガルが追い出されるように放っておかれたのでしょうか? それは神の約束の相続人は、ひたすらイサクだけだったからです。イシュマエルはアブラハム夫婦が、神との約束を疎かにし、自分たちの独断で女奴隷に産ませた子です。神ははっきりと相続人を約束してくださいましたが、その御言葉を信頼せず、自分たちのやり方で生んだ、いわば約束の外の子でした。その反面、イサクは神の約束によって一方的な恵みで生まれた約束の成就の子だったのです。すでに生殖機能を失った年寄の夫婦に、すべての障害を乗り越えさせてくださった神との約束の子なのです。これについて、今日の新約本文はこのように語っています。「アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から生まれ、もう一人は自由な身の女から生まれたと聖書に書いてあります。」(ガラテヤ4:22-23)もちろん、イシュマエルとハガルの立場は、とても気の毒だと思います。サラも薄情すぎです。それにもかかわらず、神はひとえにサラから生まれたイサクという約束の子だけを通して、神の約束を成し遂げようとなさったのです。 3.行いと信仰の結果 一見、現代人の感覚からすると、今日の出来事はとても理不尽に感じられます。サラもアブラハムも神さえも、あまりにも薄情に感じられます。イシュマエルとハガルを追い出すことを許された神を見て、「神は本当に愛の神なのか?」という懐疑が感じられるほどです。しかし、今日の本文は人間の倫理道徳のために記録されたものではありません。以後、神がイシュマエルとハガルを見捨てられず、導いてくださり、二人の人生のために確実に責任を負ってくださったことを見落としてはならないでしょう。したがって、今日の本文については、現代的な感覚の倫理道徳にではなく、本文に含まれている教理的な意味に集中して解釈すべきです。今日の本文の教理的な解釈は、新約本文のガラテヤの信徒への手紙4章を通して見ることが出来ます。「私に答えてください。律法の下にいたいと思っている人たち、あなたがたは、律法の言うことに耳を貸さないのですか。」(ガラテヤ4:21)ガラテヤとは、現代のトルコ中部内陸地方を意味します。そこには多くの教会があったと言われますが、当時の教会でも、こんにちのように「キリストへの信仰によってのみ救われる。」という教理が通用していました。ところで、いつからか「キリストへの信仰だけじゃ物足りなく律法の行いが加わってからこそ真の救いに至る。」と言う律法主義者たちが教会に入ってきて間違った教理を教え始めました。そのため使徒パウロは、彼らを偽りの教師と呼びつつ、ガラテヤの教会に対して、律法の行いではなく、もっぱらキリストへの信仰によってのみ救われることを力強く教えるために、ガラテヤ信徒への手紙を書いたわけです。 「こうして律法は、私たちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。私たちが信仰によって義とされるためです。」(ガラテヤ3:24)ここで養育係とは、ローマ時代の貴族の子供たちが学校に入るまで養育を担当する家庭教師奴隷のことです。つまり、パウロは「律法とはキリストを紹介する補助にすぎない。」と思っていたわけです。旧約の律法は神が、民たちにくださった生活の指針でした。しかし、それは人間が守りきれないものでした。律法には613の条項がありましたが、もし誰かが612の条項をすべて守っても、一つを守れなかったら、すべてが無駄になるシステムでした。つまり、神は人間が律法をすべて守ることではなく、律法を通して自分の不完全さに気付き、キリストを信じて救いに至ることを望んでおられたのです。なのに、ガラテヤの偽りの教師たちは、この律法の行いで救われると教えていたわけです。パウロはアブラハムとサラが、神の約束を無視し、自分たちの判断でハガルを通してイシュマエルを産ませたことを行いの結果、つまり律法主義に似ていると見なしていました。「約束への信仰ではなく、自分の力でやってみよう。」と思った結果だったということです。以後、生殖機能が尽きた二人が、すべてを諦め、神への信仰だけで生きた時、はじめて神の約束どおりにイサクが生まれたことを信仰の結果だと見なしていました。ひたすらキリストへの信仰によってのみ救われる福音に似ていると考えたわけです。サラがイシュマエルとハガルを追い出したことは本当に気の毒です。しかし、私たちはその出来事を通して、神が人間の行いではなく、ひとえに神の約束と、それに対するアブラハムの信仰によって生まれたイサクだけを真の信仰による結果として認めてくださったことを覚えるべきです。そして、このことを通して、現在の私たちも自分の行いではなく、キリストへの信仰によってのみ、自分に救いがもたらされるということを信じるべきでしょう。 締め括り 「しかし、聖書に何と書いてありますか。女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になってはならないからであると書いてあります。」(ガラテヤ4:30)イシュマエルはアブラハムとサラの独断のもとで、女奴隷によって生まれた結果です。彼らが神との約束を破り、独断で振舞ったことは行いによって救われるという律法主義と似ています。しかし、行いによる救いは決して神に認められません。しかし、先が見えない真っ暗な時に神だけを信じることでもうけたイサクは信仰の結果でした。ただキリストを信じて救いを得るという信仰による救いと非常に似ています。行いの結果である女奴隷の子は追い出され、信仰の結果である自由な身の女から生まれた子は真の相続人となりました。繰り返しますが、ハガルとイシュマエルの事情は本当に残念です。しかし、彼らのことを憐れむだけでは、到底、今日本文の結論を下すことが出来ません。つまり、今日の本文は結局、教理の側面から見るべきでしょう。律法の行いによって救いを追求すべきか。それとも、キリストへの信仰によって救いを追求すべきか。私たちはイシュマエルの側に立っているのか、イサクの側に立っているのか、考える機会になると幸いです。神の約束への信頼だけが、また、キリストへの信仰だけが、私たちを真の救いへと導きます。その点を改めて考えつつ生きる志免教会になることを願います。

異邦のための宣教。

イザヤ書61章1-4節(旧1162頁)       マルコによる福音書5章1-20節(新69頁) 前置き イエスはマルコ福音書1章で弟子たちをお呼び出しになった後、ガリラヤのカファルナウムという村にて本格的にお働きを始められました。イエスはガリラヤ全域からご自身を訪ねてくる、あらゆる哀れな民を拒絶なさらず、彼らを癒し、教え、宣教してくださいました。身と心をお尽くしになったイエスの御業を通して、ガリラヤの哀れな民は癒しと慰め、そして自由を得、自分たちを変わらず愛してくださる神を発見しました。「先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」(イザヤ8:23後‐9:1)旧約のイザヤ書は、このように罪によって神に見捨てられ、辱めを受けるガリラヤ(旧約時代のゼブルンとナフタリ族の地。)の哀れな民たちが、真の栄光を受けるだろうと予言しています。主がエルサレムの指導者やローマの支配者ではなく、このガリラヤ地域に先に臨まれ、貧しい民からお訪ねになった理由は、まさに、このような旧約の予言がイエスによって成就されていることを示してくださるためでした。貧しいガリラヤの民は、まるで異邦人のような扱いと差別の中に生きてきました。しかし、主は彼らに一番先に仕えてくださることで、差別なく人間を愛することを示してくださったのです。そして主のその愛は、本日の言葉を通して本当の異邦にまで広がり始めます。 1.宣教とは何か? まずは宣教について話してみましょう。日本最初のキリスト教宣教師はスペインのカトリック教会の司祭であったフランシスコ·ザビエルでした。彼はこんにちのマレーシアで偶然出会った弥次郎という日本人から日本について聞き、1549年に鹿児島に上陸し、日本での宣教を始めました。その後、戦国時代が終わり、江戸幕府が立つと、日本のカトリック教会は激しい迫害を受けて、ほとんど無くなりましたが、残された者たちはカクレキリシタンという名で、その命脈を保ちました。最初のキリスト教宣教師ザビエルの上陸から約300年後、1858年の日米修好通商条約によって日本は開港し、その翌年からアメリカからの宣教師たちが日本に上陸することになりました。それから日本でのプロテスタント教会の宣教が始まり、今に至っています。カトリックのザビエル、プロテスタントの宣教師たち、彼らは出身地も、所属教派も、時代も異なりましたが、そのすべてを超える共通の教えを持っていました。それは「イエス·キリストは救い主である。」という唯一無二の神の福音でした。ところで、新約聖書はいろいろな箇所で、このような福音を伝える行為を「ケリュソ」というギリシャ語で表現しています。「ケリュソ」には、「王のご命令を公布する。」という意味があり、創り主でいらっしゃる神の厳重なご命令を世に宣べ伝えるという、強力な神の権威を含む表現です。 私は前のマルコ福音説教でイエスが、この地上に来られ、おもに行われた御業が「癒し、教え、宣教」の三つだったと申し上げました。主は神の厳重なご命令に聞き従い、癒しと教えと宣教を通して哀れな民を神に導いてくださいましたが、まさにそれが「ケリュソ(宣教)」だったのです。ここで重要なことは癒しと教えと宣教が、それぞれ別のものではなく、そのすべてが一つになって宣教を成すということです。宣教とは、神の厳重なご命令を宣べ伝える行為です。「イエス・キリストは救い主である。」という創り主、神の最も重要な御言葉を信者の口の言葉と生活での実践を通して、世に宣べ伝える行為なのです。イエスは御言葉だけを宣べ伝えた方ではありません。民の癒しのために眠れず、福音の教えのために食事も忘れ、宣教のために十字架に自らを犠牲になられた方です。主は神のご命令に従い、民の救いを成し遂げられるために身と心とを進んで捧げられた方なのです。そういう意味で、イエスは真の最初の宣教師でした。そして復活されたイエスは、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(マ28:18-20)という新しい命令を下されることで、「ケリュソ(宣教)」の務めを私たち教会にもお委ねになってくださいました。したがって、我々は自分が宣教師であることを自覚し、隣人に仕え、福音を伝える人生を生きるべきです。ザビエルと明治時代の宣教師たちだけが宣教師ではなく、私たち皆が共通の福音にあずかっている主に遣わされた宣教師であることを忘れてはなりません。 2.悪霊に取り付かれた者を癒されるイエス。 「一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。 2イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。」(1-2)ガリラヤでの宣教に一段落つけられたイエスは、湖の向こう岸のゲラサ人の地域に足を運ばれました。主はそこで悪霊に取り付かれたある人に出会われました。マルコ福音書1章でイエスが初めてガリラヤでの御業に取り掛かられた時、主は会堂にいた悪霊に取り付かれた人を一番先に直してくださいました。ところで、湖の向こう岸でも一番先に悪霊に取り付かれた人と出会われたというわけです。これは偶然の一致でしょうか? 「悪霊に取り付かれた。」という表現は、単に「ある人が悪霊の故に狂ってしまった。」という個人的な事項だけの意味ではありません。確かにその人は、実際に悪霊に取り付かれ、苦しんでいたはずでしょう。ですが、マルコ福音書は彼のことを通じて両義的に当時の異常な状況を私たちに教えているのです。イエスが到着された場所が神の正しい統治ではなく、悪霊に表現される邪悪な世の支配の下にあるという、当時の社会的な状況を示しているのです。正義と愛ではなく、不正と憎しみが溢れる病んでいる社会を表現することです。つまり、ガリラヤ全域と国境地域が、このような状況下にあったことを表しているのです。したがって、イエスが悪霊を追い払われたということは、神の統治のない場所に神の統治をもたらす、イエスの霊的な癒しを意味する表現しています。救い主イエスのおいでになる場所では不正がなくなり、膨大な罪の影響が力を失うからです。 「イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。イエスが、汚れた霊、この人から出て行けと言われたからである。」(6-8)まるで悪霊に取り付かれたような、この世はイエス・キリストの権能によってのみ癒されるものです。世界を支配している悪は、主の権威の下では、如何なる反抗もできません。私たちはこれをはっきりと認識するべきです。世の巨大な悪に跪くことなく、主がそれより、はるかに大きな方であり、十分にこの世の悪を裁かれる方であることを信じなければなりません。「そこで、イエスが、名は何というのかとお尋ねになると、名はレギオン。大勢だからと言った。」(9) 悪霊に取り付かれた者に付いていた汚れた霊は軍団を意味するレギオンという名の存在でした。当時のローマ軍の一つの軍団が約6000人だったことに照らすと、その人を苦しめていた悪霊が如何に強かったのかが分かります。主イエスは一言でこの悪霊どもを豚の大群に送り込んで裁かれました。ユダヤ教の代表的な不正な獣の一つであった豚に、悪霊が追い出されたことから、この世を支配する悪の勢力の性質がはっきり示されます。このように主は御言葉を持って強力な悪を裁かれ、悪霊に取り付かれた哀れな者を救ってくださることで、異邦への宣教をお始めになりました。 3.疎外される者への主の宣教。 ゲラサ人の地方は当時のイスラエルとデカポリスの国境地域でした。デカとは10、ポリスとは町を意味しており、ローマ以前のギリシャ帝国時代に建てられたイスラエルの東側の10の町のことでした。ゲラサはその一つの町だったそうです。当時のイスラエル民族は徹底した民族主義を唱え、異邦人を否定的に考えていました。ユダヤ人のある記録によると、異邦人は「神に裁かれるべき地獄の焚き物」と思われていたそうです。このように、ゲラサ地域はユダヤ人に嫌がれる所でした。しかし、主はそこを素通りされずお訪ねになったのです。神は最も疎外される所、最も不正な所を決して見落とされる方ではありません。そんな所こそ、主の愛と癒しを最も切実に必要とする所だからです。極東の島国、地の果てにあった日本に、主の御言葉を持ってきたザビエル、厳しい鎖国の江戸時代を経て、何とかキリストの福音を持ってきた宣教師たち、主はご自分の僕たちを通して、この国に福音を届けてくださいました。しかし、相変わらず日本は福音が必要な国です。日本に来た最初宣教師から500年経っています。プロテスタントの伝道開始から160年経っています。ですが、日本の福音率はごくわずかで、悪の支配は相変わらず健在です。しかし、神様は移り変わりなく、この日本という国を愛しておられます。 数日前、コロナに感染したある妊婦が入院できず、自宅出産のあげく、子どもを亡くした事件がありました。数多くの市民たちが病床がなくて自宅で療養中だそうです。朝日、東京新聞などの比較的に進歩的なマスコミによると、政治的関係によって、無理やりにオリンピックを開催し、また、そのための緩いコロナ対策によって、日本の弱い市民たちが苦しんでいると評価していました。また、相次ぐ緊急事態宣言により、多くの自営業者たちが廃業などに苦しんでいるそうです。しかし、政治家たちは自分たちの権力のために、今でも自分たちの安全だけを考えています。これはただ日本だけの問題ではありません。アメリカ、中国、韓国、ヨーロッパなど、全世界がまるで汚れた霊に取り付かれているかのように、権力者に操られ、弱い一般市民が真っ先に苦しんでいます。神の御目は、まさにそこを向いています。彼らと共に歩むこと、彼らのために祈ること、彼らの苦しみを分かち合うこと、それが神が望んでおられる、また違う意味としての宣教ではないでしょうか?このような状況の中での教会の役目は何でしょうか。イエスはこの世を、どう考えておられるでしょうか。世の中の理不尽をじっと眺めると、この世が依然として悪霊に取り付かれていることが分かります。本当の意味での宣教、教会はそのために何をしていくべきでしょうか? 結論 私は主の身体なる教会の外にいる、すべての人が、私たちが仕えるべき異邦だと思います。日本には0.4%のキリスト教系の人口がいると言われています。プロテスタント、カトリック、異端を含めて、その程度だそうです。もしかしたら、この日本の99.9%の人口がイエス様には異邦人に見えるかもしれません。しかし、神は彼らを変わらず愛しておられ、彼らに主の福音を宣べ伝える宣教を望んでおられます。「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由をつながれている人には解放を告知させるために。」(イザヤ61:1)旧約イザヤ書にはメシアの到来時の、その役目について予言されています。メシア主イエスはこのように良い知らせをお伝えになるために真の宣教師として来られました。そして、その役目をご自分の身体なる教会の私たちにも分け与えてくださいました。まるで汚れた霊に取り付かれているかような、この世を眺めながら、我が教会の在り方について思い巡らしていくべきだと思います。主は主の肢である教会を通して宣教をなさいます。私たちは志免教会という共同体の中で、自分だけの救いに満足しているのではないでしょうか? 私たちの助けを求めている隣人のために何が出来るだろうかという悩んでいるでしょうか?確かに私たちは小さな群れで、社会的な影響力も弱いです。しかし、だからこそ、もっと教会の外の異邦の隣人のために祈り、仕え、私たちの在り方について思い悩んでいくべきです。その中に主の宣教が始まるのです。私たち志免教会にそういう正しい悩みがありますように祈ります。

主が約束された通り。

創世記21章1-8節(旧29頁)         ヘブライ人への手紙11章11-12節(新415頁) 前置き カルデアのウル地域を離れ、今のトルコ地域のハランに住んでいたアブラハムに主が現れ、彼を主の民とされてから25年が経ちました。長いといえば長く、短いといえば短い25年という年月の間、神はアブラハムに相続人をくださるという約束、アブラハムとその子孫をご自分の民にされ土地を与えるという約束を通して、彼と一緒にいてくださいました。アブラハムは、何度も挫折と絶望、失敗を経験し続けていましたが、それでも彼は神の約束を覚え、常に主に付き従っていました。アブラハムは、「自分はできないが、主はお出来になる。」という神への信仰を持って、最後まで主、神の約束を待ち望んでいたのです。それで神はアブラハムに不十分さと弱さがあるにもかかわらず、彼の信仰をご覧になり、約束を果たしてくださいました。結局、神の約束通りにアブラハムの相続人イサクが生まれたのです。まさに今日の本文のことです。25年の間成し遂げられないまま、続いてきた約束、相続人を与えるという約束がついに成就されたわけです。 1.主の御言葉のとおりに。 2019年インドで74歳のお婆さんが双子を産んだとのニュースがありました。夫は80代のお爺さんだったそうです。正常な方法ではなく、他人の卵子寄贈を受けて人工授精を行い、帝王切開で出産しましたが、赤ちゃんは無事に生まれたと言われています。現在、彼女は歴史上の最高齢の産婦として記録されているそうです。このように科学が発達した現代でも、70代の女性が子供を産んだら、人々はとても驚きます。ところで、今日の創世記ではアブラハムの妻サラが90歳で子どもを産んだという物語が出てきます。このサラは人工授精でも、帝王切開でもなく自然に子供を産んだのです。しかも今から約3500年前の話です。そのように子供を産んだことについて、今日本文はこのように語っています。「主は、約束されたとおりサラを顧み、さきに語られたとおりサラのために行われたので、 彼女は身ごもり、年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。それは、神が約束されていた時期であった。」(創21:1-2)現代の未信者たちは創世記の話を神話だと思っているかも知れませんが、私たちはこのイサクの誕生を本当の出来事として信じています。 何故なら、神がそうおっしゃったからです。 信仰とは「神の御言葉どおりに成し遂げられると信じること」です。「神が私の思いのままに叶えてくださること」ではなく、「神の御言葉が神の御心のままに必ず成し遂げられること」を信じることが、真の信仰なのです。伝道師時代、私は子供会を担当していました。その時、子供達によくこのように問われました。「神様におもちゃが欲しいと祈っても聞いてくれないの。」それで、私はこう言い返したのです。「神様が本当におもちゃをくださると言われたの?」と聞いたら「いいえ」と照れ笑いして言っていました。もし、私たちが神の御言葉によるのではなく、自分の欲望によって、神を利用しようとするかのように祈ったら、私たちの祈りはまるで子供会の子供たちのおもちゃをせがむ祈りのように決して叶わないことでしょう。私たちは「神の御言葉」に基づいて祈らなければなりません。今日の本文では「主が約束されたとおり、さきに語られたとおり、神が約束されていた時期」という表現が登場しています。これらをヘブライ語風に翻訳すると、「神の御言葉どおりに」という一つの表現になります。神はご自身がおっしゃった御言葉どおりに成し遂げられる方です。そして、その御言葉による約束は、どんなことがあってもお守りになる方なのです。その神の御言葉を信じ込んだアブラハムとサラは、老年になって相続人を儲けることになったのです。 2.サラを顧みてくださった神。 サラはつらい人生を生きた女でした。かつてアブラハムと結婚しましたが、彼女には長年子供がいませんでした。現代は子どもがいないからといって、そんなに問題化するとは思えません。子供の有無よりも、夫婦が仲良く過ごすことが、より大切な時代になっているからです。しかし、アブラハムの時代の女性において、子どもがいないということは、死亡宣告のようなものでした。当時の女性は幼い時は父、結婚してからは夫、夫の死後は息子に頼って暮らすのが一般的でした。神が旧約の律法を通して「孤児と寡婦のために」と何度も言われた理由も頼れる男のいない子供たちや女性たちのための最小限度の社会的な配慮を促されるご命令だったからです。このように子どものいないサラは、生きていても生きた心地がしない状況でした。そんなある日、神が夫のアブラハムから生まれる息子を授けると約束してくださいました。その話を聞いた時、サラは小さな希望を見つけたかも知れません。しかし、神は直ぐにはその約束を果たしてはくださいませんでした。待ちくたびれたサラは自分の女奴隷を夫の側女にしました。相続人が夫から生まれると言われたから、自分の身でなくても構わないと思ったわけです。しかし、その結果、返ってきたのは、側女の反抗と蔑視でした。 それから、10年以上経って神がまた現われて今度はサラ自身を通して子供をくださると約束されました。「わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。」(創17:16)しかし、サラはすでにかなり老いている状態でした。初めて神に出会った時のサラは65歳でした。その時、身ごもっても、産めるかどうかの状態だったのに、25年が過ぎた90歳に神が子供をくださると言われたわけです。サラはそれが信じられませんでした。しかし、しばらくして神は再び主の御使いを送って、確とお知らせになりました。「主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」(創18:14)そして結局、神は今日の御言葉通りにサラとの約束を守ってくださったのです。神の約束は特別な存在にのみ、与えられるものではありません。神はアブラハムだけに主役を与えられたことでもありません。神は年寄、弱者、女性のサラにも、神の御救いの歴史を成し遂げる主人公としての役割を与えてくださいました。確かにアブラハムとサラは完全無欠な信仰者ではありませんでした。創世記には彼らの数多くの失敗が記されています。しかし、神は一方的なご恩寵を通して、不完全な二人を導いてくださいました。弱くて老いた女性、子どもへの希望が見えなかったサラは、最終的に神の一方的な恵みによって神の栄光に満ちた存在として生まれ変わりました。 3.変わらない神の約束と成就。 私たちの信仰は、私たち自身の行いにかかっているものではありません。もちろん、私たちも自分なりの信仰の熱情を持って生きるべきであることは確かです。毎日御言葉に耳を傾け、毎日信仰を持って祈り、毎日主の御旨に頼って待ち望んで生きるべきです。しかし、本当に神が望んでおられることは信徒自身の努力、行為ではなく、神の御言葉、つまり主の約束通りに成し遂げられる神への信徒の信頼と愛なのです。ご自分の民の信頼と愛の中で、神はご自身の御業を、主の御言葉に基づいて完全に成し遂げられ、主が成就なさった、その栄光を民に分け与えてくださるのです。神の約束、すなわちアブラハムとサラを通して相続人を与え、その相続人から生まれたイスラエルの民に土地を与えるという旧約の約束は、キリストを通して神の国を建て、この世を救ってくださるという新約の約束の第一歩なのです。アブラハムにイサクをくださったことは、このアブラハムとイサク、そして彼の息子ヤコブの子孫を通して私たちのところに来られる、救い主イエス·キリストの到来の予告であり、約束なのです。そして神はそのキリストを通して、この世を罪から救ってくださるのです。 神は聖書の御言葉を通して、私たちに仰せになります。神と隣人への愛という最も基本的な御言葉からはじめ、いろいろな約束をくださいます。私たちはその御言葉に基づいて神の約束の成就を期待しつつ生きるべきでしょう。しかし、その約束が私たち自身の望む時点に成されるとは言えません。神の時と人間の時は違うからです。私が志免教会に赴任したばかりのある日、どなたかにこう言われました。「先生、心配しないでください。志免教会には何度も危機がありましたが、神様はその度に志免教会を守ってくださいました。」私はその話を聞いて大きな感動を受けました。それは神への一点非の打ち所のない完璧な信仰告白だったからです。神は私たちが教師を必要としていた時には待っておられました。そして、私達がもうダメかと思った時、教師を送ってくださいました。もちろん他国からの宣教師ですので文化的に、言語的に多少の違いはあるでしょうが、少なくとも主は教会を守り、御言葉を分かち合う道を開いてくださいました。そして、その宣教師の伝道を通して、立派な日本人の牧師を立ち上がらせてくださるかも知れないでしょう。人間の時と神の時は違います。神はご自分の教会を最後まで守り、導いてくださるという約束の言葉をくださいました。私たちは信頼、愛、そして忍耐で、その御言葉の成就を待ち望むべきです。主の御言葉ですので、主が必ず成し遂げてくださるでしょう。 締め括り 「信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。」(ヘブライ11:11)アブラハムの年齢100歳、これには数字としての意味と共に「ほぼ死んだ者」としての意味もあります。90歳の女性サラも同じです。しかし、神は御言葉に基づいてほぼ死んだ者から息子を産ませてくださいました。「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう。」(創21:6)何の希望もない中でも、神は希望をくださる方です。イサクという息子の名前は「彼が笑うだろう」という意味です。ほぼ死んだ者であったアブラハムとサラは神への信仰によって力を得、神の約束を信頼し、終わりに笑う人になりました。神は今日も私たちに信仰を求めておられます。「私はできないが、私の主は約束に基づいて成し遂げてくださるだろう。」という信仰を持って生きていきましょう。神は約束の言葉を必ず成し遂げてくださる方です。その神を堅く信じ、感謝と喜びで生きる志免教会になることを祈り願います。