神の子イエス

創世記18章1-15節(旧23頁)マタイによる福音書18章10-14節(新35頁) 前置き もう、マルコ福音書を始めてから半年が経っています。それにも拘わらず、話の進みが遅すぎて、先々週やっと2章を終えて、今週からは3章に入ることになりました。もちろん、一週間おきに創世記をも取り上げているため、もっと遅くなっていると思いますが、マルコ福音書の短い文章の中には、奥深い意味が多く含まれていて、さらに遅くなっているかと思います。しかし、マルコ福音書には21世紀を生きる我々に、依然として有効な教えが、たくさん隠れているので、ゆっくり吟味しつつ語り合っていきたいと思います。イエスはローマ帝国の下で迫害を受けていた主の教会にキリストによる希望を与えてくださり、またイエスご自身が罪と悪に満ちたこの世に、どのように対抗なさったのかを教えてくださるために、私たちにマルコ福音書を残してくださったと思います。マルコ福音書を通して、主イエスがどれだけご自分の民を愛しておられるのかを、また現代を生きていく私たちに、どれだけ希望と勇気を与えることを望んでおられるのかを、一緒に学び、覚えていきましょう。今日は神の子イエスという題で皆さんとマルコ福音書3章の言葉を話してみたいと思います。 1.人を愛されたイエス·キリスト イエス様はマルコ福音書2章後半で、安息日の本当の意味について教えてくださいました。 ‘安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。'(マルコ2:27)主は安息日に宗教儀式としての礼拝だけでなく、神が与えられた隣人に愛を実践することで、真の安息日の精神を守ることを命じられました。今日の本文3章1-6節は、もう一度安息日を背景にし、イエス様が人をどのように愛されたのか、実践的なイエス様の生き方を示してくれます。当時、ユダヤ人は安息日に「働かないこと」という旧約の律法を誤解し、安息日に人を助けることさえ犯罪だと見なしていました。もともと律法が安息日の労働を禁じた理由は、「自分の欲望のための労働や娯楽を止め、神様に完全な礼拝を捧げなさい。」という意味だったからです。 つまり、きちんと聖別された安息日を過ごせとの意味だったのです。 しかし、イエス当時の宗教者たちは、それを誤解して安息日にすべての労働を禁止し、さらに隣人を助け、人を生かすことさえ労働と見なしてしまいました。特に、律法を研究していたファリサイ派の人々は、そのような評価基準に基づき、人々を罪に定めたりしました。 聖別のための禁止が、人を罪に定めるための禁止に変質したわけです。 「イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。」(3:1-2)そのため、彼らは安息日に片手の萎えた人を治そうとしていたイエス様に注目し、何とかイエス様を罪に定めたがっていました。イエス様が前の2章で「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」と仰ったにもかかわらず、彼らはものともせず、イエスを不正な者として中傷するために血眼になっていました。それでも、主は彼らの評価よりも、片手の萎えた人を治されることに力を注いでおられました。ここでの「片手の萎えた人」という表現は、自力では何もできない弱い者を意味する表現です。しばしば聖書は「手」という表現を「力」と解釈したりします。神様は安息日という、本質を失い、口実だけ残っている宗教儀式より、安息日に何もできない者、他人の助けを切実に求めている者を助けることに心を注がれることで、真の聖別とは何か、神様の御心とは何かを教えることをお望みになったのです。そのために力の弱い者に力を与え、助けを求める者を助けてくださったわけです。キリストは神への真の礼拝とは、神様が私たちに与えて下さった隣人を愛し、助ける生き方を伴うことだと教えてくださったのです。 安息日の後、イエスはガリラヤ湖に足を運ばれました。その時、おびただしい群衆がイエスのところに従って来ました。彼らの中にはイスラエル人だけでなく、異邦の人々もいました。彼らはローマ帝国の支配下にある貧しくて哀れな人々でした。イエスのうわさをことごとく聞いた彼らは、自分たちの宗教やローマ帝国では満たされなかった慰めと癒しを請うために、イエスのそばに集まって来たのです。群衆はイエスに会うために押しつぶされるほど、たくさん集まりました。 しかし、イエスは彼らを無視なさらず、皆が怪我せずに主を見ることが出来るように、小船にお乗りになりました。イエスは彼らを癒され、悪霊を追い出してくださいました。イエスは彼らの苦しみと悲しみを知っておられ、治すことを望んでおられたのです。神の聖なる者、油注がれた者イエス·キリストは、人を愛し、彼らを助けるために来られた方でした。イエスは、真の神でありますが、人間でもある、神と人の間の仲保者でした。みずから人間になるほどに、主は人間を愛してくださったのです。神の子イエスは、このように神という絶対的な存在でしたが、人間を愛する憐れみの主でした。 そして、その主は今日もキリストの愛と助けを望んでいる、私たちを喜んで愛してくださる方なのです。 2.神の子という表現について。 「汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、あなたは神の子だと叫んだ。」(3:11)その時、貧しくて病んでいる人々を苦しめていた汚れた霊どもは、イエスを見てひれ伏し、「あなたは神の子だ」と叫びました。イエスはまだご自分の時ではなかったので、彼らに「ご自分のことを言いふらさないように」と厳しく戒められました。御父から来られ、人間の間にいらっしゃるイエスは、実に神の子でした。そして、イエスを敵視する汚れた霊どもは、イエスが神の子であることを見抜き、証ししました。敵対する者がイエスを神の子と認めるとは、いかに皮肉なことなのでしょうか。ところで、イエスの当時のローマ帝国において、「神の子」という言葉には、どのような意味があったのでしょうか? 聖書がイエスのことを「神の子」だと証しするから、当たり前にイエスは神の子なのでしょうか? それとも、他の裏の意味があるのでしょうか?事実、この「神の子」という短い表現には、当時の歴史的、文化的、政治的な奥深い意味が隠されていました。イエスはなぜ、このように「神の子」と表現した霊どもを叱られ、戒められたでしょうか? これを理解するためにはイエスの時代から約400年前に遡らなければなりません。 紀元前、約360年ごろ、古代ギリシャの小さな国家、マケドニア王国にアレクサンドロスという王子が生まれました。当時、マケドニアはそれほど大きな国ではありませんでした。しかし、20歳になったアレクサンドロスは特有の勇猛さと実力を発揮し、周辺のギリシャ諸国とエジプトを征服していきました。彼はギリシャ、エジプト征服にとどまらず、西のペルシャを攻撃しました。当時のイスラエル民族はペルシャの支配下にありましたが、アレクサンドロスはペルシャを征服し、イスラエル民族をも支配することになりました。その後、アレクサンドロスは西へと進撃し続け、現在のインドの一部までも掌握し、ギリシャ帝国を打ち立てました。(広さ九州→アメリカ)このすべての征服活動は、わずか10年にしかならない短い期間に行なわれました。 それで人々は今でもアレクサンドロスを偉大な王という意味で、大王と呼びます。ところが、アレクサンドロスの業績は土地の拡張だけにとどまることではありませんでした。彼はギリシャの文化をペルシャとインドの地域まで伝え、西洋と東洋の文化が結びついた、いわゆるヘレニズム文化の発端となりました。以後、ヘレニズム文化は西洋に逆流入し、その影響はギリシャ帝国のみならず、ギリシャ帝国の滅亡後、ローマ帝国の全盛期にも影響を及ぼすほど、強力なものでした。 そのヘレニズムの影響で、ローマ帝国の支配下で記された新約聖書は、ほとんどがギリシャ語版であり、ローマ帝国が誕生する前、すでに旧約聖書はギリシャ語に翻訳されたのです。 ところで、アレクサンドロス大王は自らをゼウスの子だと言いました。つまり「神の子」だと主張したわけです。以降、ローマ帝国の皇帝たちが自らを神の子と呼んだ理由も、こうしたアレクサンドロス大王への羨望と嫉妬、尊敬の意味を盛り込んでいるためでした。したがって、イエスの時代にあって、「神の子」という言葉は、ローマ皇帝を意味する表現でした。ところで、イエスに敵対していた悪霊たちは、このようなイエスの真の存在意味を見抜き、イエスにまるでアレクサンドロス大王のような権威を込めて「神の子」と呼んだわけです。当時、「神の子」と呼ばれることには、政治的な意味が深くあったため、政治犯と見なされ、十字架につけられ、殺される危険性を持っていました。そういうわけで、イエスはまだご自分の時になっていないとご判断なさり、悪霊どもにイエスについて言い表すことを厳しく戒められたのです。当時のローマの皇帝は、自分の名誉と権力を高めるために、「神の子」と呼ばれることを望んでいました。貧しい人々を支配し、弱い者たちを征服し、もっぱら自分の既得権だけのために世界を治めようとしていたのです。しかし、真の神の子、イエスは彼らと違いました。イエスは「神の子」でいらっしゃいましたが、ご自分の名誉、権力、既得権のためではなく、父なる神が憐れんで愛しておられた弱い者たちの名誉、力、回復のために神の子として来られたのです。イエスはアレクサンドロス大王より偉大なお方でしたが、高いところではなく、最も低いところに来られ、愛と慰めと希望を与えてくださった、真の神の子だったのです。 締め括り 今日の旧約本文である詩編2編は、「神の子(メシア)への賛美」です。この詩篇2編がいつ記録されたのかは詳しく分かりませんが、イスラエル民族がバビロンに滅ぼされる前、王政時代に記録されたという仮説が有力です。つまり、アレクサンドロス大王やローマ皇帝を意味する「神の子」よりも、ずっと前の概念だという意味です。 おそらく、このような詩編2編の影響で、イエスの時代の人々も、神の子という表現に対する旧約のイメージを知っていたと言えるでしょう。 それにアレクサンドロスによるヘレニズム文化的な「神の子」という意味も知っていたはずでしょう。結局イエスは、このようなヘブライ的な、そしてヘレニズム的な文化が重なっているローマ帝国の支配下のイスラエル社会に真の「神の子」として来られた方なのです。しかし、イエスはこの世が示すローマ皇帝としての神の子ではありませんでした。詩編2編のように、世の権力の上におられ、この世とあの世、両方とも治められる真の神の子でした。 この真の神の子イエスは、いつかこの世の悪い権勢を退け、正義と愛の王として再臨されるでしょう。我々キリスト者は、そのイエスを信じて、イエスが行われた神と隣人への愛を重要な価値として、生きていくべきでしょう。 神の子イエスは、敵には審判者として、民には救い主として来られる方です。そのイエスの再臨を待ち望む存在として、イエスに倣い、聖別されたものとして、正義をもって生きる私たちになることを願います。

聖霊と教会。

ハガイ書2章1-9節(旧1477頁)エフェソの信徒への手紙2章14-22節(新354頁) 前置き キリスト教は、御父、御子、聖霊の三位一体なる神を信じる共同体です。創造から終末まで、すべてをご計画なさる父なる神と、その御父の御言葉であり、ご意志として神と人の間をお執り成しになる御子イエスと、御父と御子から遣わされ、教会と世を導いていかれる聖霊、このように3位が一つになって三位一体の神としておられる方です。しかし、私たちには主に父なる神と御子イエスにだけ集中する傾向があり、聖霊に対しては、よく見落としたりする場合があると思います。このように聖霊が見落とされる傾向について、アメリカの、ある神学者は、このように語りました。「聖霊は長い間、まるでシンデレラのような存在だった。2人の姉妹は舞踏会によく行き、シンデレラは全く行けなかったように、聖霊は御父と御子に比べ、いつも冷遇を受けた。」それほど、聖霊は頻繁には取り上げられない方だと思います。私たちは普段、聖霊について、どんな認識を持って生きているでしょうか? 実際、父なる神やイエス・キリストに比べて、聖霊への認識は薄いのではないでしょうか。私たちは毎年聖霊降臨節(ペンテコステ)を記念していますが、私たちの実生活の中で聖霊はどのような位置を占めておられるのでしょうか。今日は三位一体の聖霊と、そのご降臨について話してみたいと思います。 1.「聖霊がご降臨なさる。」 イエスは十字架で御救いを成し遂げられた後、3日目に復活されました。復活なさった主は40日間、弟子たちとイエスに従っていた人々に現われ、ご自分の復活を証しし、この世の終わりまで福音を宣べ伝えることを命じられました。そして昇天なさり、父なる神の右に行かれました。弟子たちは復活された主を目撃し、その方が本当に神の子であると信じるようになりました。それでも、彼らは主イエスの不在を恐れていました。しかし弟子たちは主の御言葉に従い、ご命令通りに行いました。その命令とは、神の約束、つまり聖霊の降臨を待つことでした。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」(使徒言行録1:4-5)生前のイエスは繰り返し聖霊が来られると予告してくださいました。 使徒言行録によると、その聖霊が降れば、主の民は神に力を受け、地の果てに至るまで主の証人になると記されています。そして、その結果、聖霊によって主の教会が打ち立てられました。 主が天に昇られた後、10日間、弟子たちは主が約束してくださった聖霊を待ちながら祈りに力を尽くしました。そんな五旬節の日、(過ぎ越し祭後50日目、イエス昇天後10日目、ユダヤ人の祭り七週祭)突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響きました。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまりました。すると、一同は聖霊に満たされ、ほかの国々の言葉で話し出しました。聖霊に満たされたペトロは、過去のような恐れではなく、確信を持ってイエス・キリストと、その福音を堂々と宣べ伝えました。そして、その日、彼の伝道によって3000人の人々がイエスを信じるようになりました。主の教会はこのように聖霊のご降臨から本格的に始まりました。イエス様が繰り返して予告された聖霊の登場は弱い信仰を強く、不信を信頼に変える、また、主の福音を地の果てに至るまで伝える原動力になりました。このすべては、聖霊の降臨から、はじめて実現したのでした。 2.聖霊はどなたであり、何をなさる方なのか。 それでは、聖霊はどんなお方なのでしょうか。聖霊はヘブライ語では「ルーアッハ」、ギリシャ語では「プニュマ」と言います。いずれの単語も「風、息」という意味を持っています。神の霊である聖霊は、人間が触れることも、見ることもできない超越的な存在です。しかし、風が見えなくても存在するのと同様に、御父と御子から来られた聖霊は、民の生活に介入し、共にいてくださる方です。聖霊はまるで風のように人間の統制を超える方です。時には、そよ風のように優しく私たちの間にいらっしゃる方で、時には嵐のように強く私たちを導いてくださる方です。聖霊は創造の前から御父、御子と共にいらっしゃった神様で、創世記1章でも現れる方です。「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」(倉1:2)また聖霊は息のような方です。生き物が息をついて生命をつないでいくように、聖霊はキリスト者に神による御言葉と信仰、すなわち神による生命を与える方です。聖霊を通して生命の主であるキリストを知るようになり、信じるようになり、日常生活で神様の御言葉に聞き従って生きるように導いてくださいます。初めの混沌と暗闇と無秩序に満ちた世界に秩序と生命を与えてくださったように、聖霊は地上のキリスト者に信仰と生命と秩序を与えてくださる生命の息のような方なのです。 聖霊は教会と切っても切れない方です。御父と御子がご計画なさり、成し遂げられた、すべてのことが聖霊を通して、この世に成就されます。イエスは頭、教会は体という教会論の概念も、イエス様と私たちを一つにつなげてくださる聖霊がいらっしゃらなければ、成り立たない話です。私たちに与えられた聖書も各時代の預言者たちが、聖霊を通して書き残した神の御言葉の記録です。江戸時代にカクレキリシタンへの迫害が激しかったにもかかわらず、19世紀に再びプロテスタントの宣教師が来日したことも、宣教に対する聖霊の情熱のゆえです。聖書を読む時の悟りも、主日の説教も聖霊によるものです。教会員の国籍が異なる志免教会が、一つの心を持って礼拝する理由も、聖霊によって一つになったため、可能なのです。キリスト者が自分だけを愛する人間の本性を乗り越え、神と隣人を愛するようになるのも、この聖霊による信仰と愛のゆえです。 もし、聖霊が来られなかったら、2000年前に打ち立てられたキリスト教会は100年も経たないうちに消えてしまったのかも知れません。しかし、御父と御子から我々に遣わされた聖霊のお導きによって、教会は2000年間の歴史で健在に続いて来ました。 3.教会を保たせてくださる聖霊 今日の旧約本文は、この聖霊が旧約時代にも主の民と共におられ、活動された方であるということを示してくれます。「今こそ、ゼルバベルよ、勇気を出せと主は言われる。大祭司ヨツァダクの子ヨシュアよ、勇気を出せ。国の民は皆、勇気を出せ、と主は言われる。働け、わたしはお前たちと共にいると万軍の主は言われる。ここに、お前たちがエジプトを出たとき、わたしがお前たちと結んだ契約がある。わたしの霊はお前たちの中にとどまっている。恐れてはならない。(ハガイ2:4-5)聖霊は初めからおられ、旧約時代の神様の民とも常にいてくださった方です。イスラエルの国が滅び、神様がいらっしゃらないように感じられる時も、聖霊は変わらず常に民の間におられました。それでは、このように旧約時代から存在しておられた聖霊が、なぜ五旬節に再びキリスト者たちに臨まれたのでしょうか。これは、これまで不在だった聖霊が、新しく臨まれるという意味ではなく、常におられた聖霊がキリストの新約の教会を打ち立ててくださるために、新しい力をくださったと理解するのが正しいでしょう。初めから常におられた聖霊が、イエスの十字架での犠牲と復活によって建てられた主イエスの教会を支え、その教会を保たせてくださることを示すために降臨という出来事を起こしてくださったわけでしょう。 このように、新約の民、つまりキリスト者に臨まれた聖霊は、聖書を通して現れる神の御言葉を我々に教えてくださる方です。またキリスト者の心に神の御心に聞き従おうとする聖なる熱望をくださる方です。聖霊はキリストへの信仰をくださり、神と隣人への愛をくださる方です。このように主の教会がキリストを中心にし、しっかりと建てられるように、聖霊は教会を助けてくれる方です。そういうわけで、イエス様はヨハネによる福音書を通じて「助け主」聖霊が来られると何度も強調してくださったのです。イエス様は肉体を持った方でしたので、世の中のすべての所にいらっしゃることが出来ませんでしたが、霊でいらっしゃる聖霊は、時空間を越えて、いつでもどこでもキリストの民と共にいてくださる方です。したがって、主イエスの教会がある場所には、かならず聖霊が一緒におられます。「(教会は)使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。 キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」(エフェソ2:20-22)聖霊は今日も教会を導かれる方として父と子のご意志を私たちに教えてくださり、この世の終わりまで教会と共にいてくださるでしょう。 締め括り プロテスタント教会の代表的な神学者、ジャン·カルバンは、著書『キリスト教綱要』で、「聖霊はキリスト者だけでなく、神を信じない者の中でも、ご自分の御業を成し遂げ得る方である。」と語りました。それは聖霊が教会だけに限られる方ではなく、この世のすべてのことをご覧になる方であり、治めておられる方であるという意味でしょう。この聖霊が特別に教会のために降臨してくださったということは、教会を神の民として認め、愛と恵みとを持って教会を守るという神様の強いご意志の表現ではないでしょうか。キリスト者である私たちは、主の御心に聞き従い、神への信仰と隣人への愛を持って生きていきます。また、もし罪を犯したり、間違ったりすると罪悪感を感じて悔い改めの座に進みます。これらのすべては、私たちキリスト者の意志ではなく、キリストによって私たちに与えられた聖霊の善良な影響力からではないでしょうか。だから、信仰を持って、愛を持って、悔い改めの心を持って生きていく私たちの中には、聖霊が共にいらっしゃるのです。聖霊は絶対に遠くにおられる方ではありません。聖霊は常に私たちの中に一緒におられ、私たちが感じるにしろ、感じられないにしろ、私たちの人生を導いてくださいます。聖霊降臨節を迎え、私たちの間にいらっしゃる聖霊を覚え、御父、御子だけでなく、聖霊まで、三位一体なる神様が私たちの主となられ、私たちの生を守ってくださることを信じ、感謝をささげる志免教会になることを切に祈り願います。

私の名前はキリスト者です。

創世記17章4-8節(旧21頁) マタイによる福音書28章18-20節(新60頁) 前置き 創世記17章で神はアブラハムと契約を結ばれた後、24年ぶりにアブラハムに現われられました。しかし、アブラハムには約束された相続人も土地も、どれ一つ、まともに成就されたものがありませんでした。むしろ、相次ぐアブラハムの不信仰のため、問題が起こる一方でした。それでも、アブラハムに再び現れた神様は、変わらずアブラハムの相続人が生まれ、また、大いなる国民になるとの約束を思い起こさせてくださいました。アブラハムは変わりましたが、神様のご意志には移り変わりがなかったわけです。神様は 24年前に結ばれた契約を再確認なさり、依然としてアブラハムが神との契約関係の中にいるということを明らかにしてくださいました。そして、その契約の象徴として、アブラハムと彼に属している男子全員に割礼を命じられました。割礼とは、人間に与えられた神との契約の象徴でした。それによって、割礼を受けた者が神様との変わらない契約の中にいることを覚えさせてくださったということです。以上が前回の創世記説教の粗筋でした。 今日は17章に登場するまた違う話、アブラハムの改名を取り上げて聖書に現れる改名と神のお導きについて話してみたいと思います。 1.名前が持つ意味。 幼い頃、私はドンウという名前が気に入りませんでした。私の名前には ‘東側、助ける’という意味の漢字が含まれています。今では週に2回くらい食べるほど、饂飩が好きですが、当時の私は、逆に発音すれば、ウドンというあだ名になってしまいましたので、自分の名前が本当に恥ずかしかったのです。また、あだ名が日本の食べ物で、かなり丸々と太っていたゆえ、相撲取りとも言われていました。私の名前は祖父が占い師からもらった名前で、別に意味がありませんでした。東側のドンに、人助けのウで、東側を手伝う人という意味だったのです。それで同じ名前のまま漢字を変えて改名しようかと悩んだこともありました。しかし、30代に入ってから日本の宣教への確信を持ち、その準備を始めた時、母に「ドンウが東側にある日本へ宣教をしに行く人だから、神様がドンウと名付けてくださったようだ。」と言われました。これが本当に神の御旨かは分かるすべがないと思いましたが、そう言われると、今まで好きではなかった自分の名前が意味のあるものと感じられました。また、日本に来て、自己紹介をする時に、饂飩を逆に言うとドンウになると説明すれば簡単ですので、本当に便利です。そういうわけで、今では、私の名前がとても好きになっています。 人の名前には、その人のアイデンティティが含まれています。もちろん、大した意味が無さそうな名前もあるでしょうが、少なくとも両親や家族が心を込めて名づけてくれたのは確かでしょう。そのような意味でアブラムの名前にも深い意味がありました。アブラムは当時の有り触れた名前で「神は尊い。」または「尊い父」という意味だったそうです。アブラハムの家族が祭っていた異邦の神を称える名前であると同時にアブラハム自身を高める名前でもありました。おそらくアブラハムの家族は、彼が異邦の神の祝福の中で尊い者として暮らすことを願い、このように名付けたのかも知れません。聖書は登場人物の名前を重要に扱っています。例えば、出エジプト記に登場するモーセは、水(死)から引き上げるという意味として(死のようなエジプトの奴隷から引き上げ)、また、彼の跡継ぎであったヨシュア(主は救いである。)は、イスラエルの戦争を勝利へと導き、定住を指揮した救済者のような存在として、聖書に、その名が記されています。同じく創世記17章で神は、信仰の父となる存在として、アブラムの名をアブラハムに変えてくださいました。主は彼が神によって名前が変わった新しい存在として信仰の父らしく生きることを望まれたからです。 2.名前が変わったという意味。 人の名前には、その人が生きていた時代の状況が反映されています。 1900年代の初めから、戦後、日本と国交を再開した1965年にかけて、韓国には「子」で終わる女性の名前が非常に多かったです。明子、英子、淑子、順子、涼子など、日本の和名と同じ、韓国語式発音の韓国語の名前でした。なぜなら、その時の韓国は今とは比べ物にならないほど、日本から影響を受けていたからです。朝鮮戦争以後、アメリカとの関係が深まるにつれ、デイヴィッド·キム、トーマス·キムなど、英語の名前を使う人も増えました。このように人の名前は、当時の文化、経済、社会的な影響を受けます。つまり、名前にその時代の価値観や、状況が染み込んでいるということです。アブラハムの孫ヤコブは、兄の踵を掴んで生まれた存在で、ヤコブという名前には「踵、誤魔化す者、奪う者」という意味がありました。これによって、父のイサクが兄に比べて、ヤコブが好きでなかったこと、ヤコブが野望と欲望の強い人だったことが分かります。 世の中の全ての人は生まれるや否や名前をもらいます。そして、その名前のままで生きていく場合が多いです。しかし、途中で名前を変える場合もあります。日本の有名な細菌学者の野口英世は、もともと野口清作という名前を持っていました。しかし、ある日、ある小説を読んでいる際に、自分と同じ名前の医者が怠惰のため人生を台無しにするという話を読み、名前を変えたと言われます。しかし、聖書で名前を変えた人たちには、ほとんど神様によって新しい名前が与えられました。「神は尊い」あるいは「尊い父」という意味のアブラムは、「あらゆる国の父」という意味のアブラハムに改名されました。神様は異邦の神と自身を高める名前を持っていたアブラムに偶像と自分自身ではなく、唯一の神様だけを高める、信仰の父になれという意味でアブラハムという名前を与えてくださったのです。また、その孫ヤコブは、ヤボク川辺で神にイスラエルという名前を頂きましたが、これは「神様と戦って勝った。」という意味でした。人を騙し、詐欺師のように生きてきた過去の人生を清算し、神様と誠実に関係し、神様の民らしく生きろという意味を持つ名前でした。 また、新約聖書にも名前と関連した事例があります。今日の新約本文に出てくる使徒ペトロのことです。もちろん、この場合は名前が変わったというよりは、普段の名前を使いつつ、象徴的な新しい名前を頂いたことになります。「シモン・ペトロが、あなたはメシア、生ける神の子ですと答えた。すると、イエスはお答えになった。シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたに、このことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」ペトロは「主イエスが神の子である」と信仰告白をしました。その時、主はイエスへの信仰を告白したシモンにペトロという新しい名前を与えてくださいました。ペトロとは「岩」という意味です。主はペトロに岩という名を授けられることによって、ペトロが告白した信仰告白の上に、岩のように堅牢で変わらない教会を建て、その教会を通して陰府の力を打ち砕くと仰せられました。(新共同訳には対抗できないと記されていますが、叩き壊すという言葉が本来の意味に近いです。)このように聖書で名前が変わったり、新しい名前をもらったりすることは、人の人生が変わる全く新しい始まりを意味するものでした。 3.我らの名前はキリスト者。 それでは、今日の、この名前が変わるという話は、私たちにとって、どういう意味があるのでしょうか? カトリック教会では信徒たちに洗礼名を与えます。洗礼名を与えることで洗礼前後の生き方をはっきりと区別する意味があるそうです。しかし、プロテスタント教会では、そこまではしていません。しかし、我々はイエスへの信仰によって、キリスト者という新しいアイデンティティーと名前を持つようになります。イエス・キリストの教会は普遍的で使徒的な教えを受け入れ、イエスの体となった共同体というアイデンティティを持ちます。 普遍的で使徒的な教えという言葉は、すべての信じる者が同様に共有する使徒によって伝えられたキリストへの信仰告白と主の福音を意味します。そして、そのような告白と福音のある人生を生きるキリスト・イエスの人々という意味で、キリスト者と呼ばれるようになるのです。私たちはキリストを信じることで、過去の人生とは完全に別の存在となったのです。神を知らなかった存在が、神を知るようになり、イエスを信じなかった者が信じるようになり、自分だけを愛した存在が、隣人も愛するようになったのです。我々はキリストを信じることにより、その存在の意味自体が変わった、キリスト者になりました。 そして、その変わった名前のように、私たちは貫くべき新しい生き方を求められるようになりました。 締め括り 主はアブラハム、ヤコブ、ペトロの名前を変えてくださることで、彼らに新しい人生を与えてくださいました。名前を変えてくださった上で、いつも彼らと一緒に歩んでくださいました。イエスもペトロが告白した信仰告白の上に岩のような堅い教会を建て、その教会と世の終わりまで一緒におられると約束してくださいました。イエスは、ご自分によってキリスト者という名前を持つようになった私たちと、いつも一緒に歩んでくださる方なのです。主がその名をくださったからです。なので、私たちは日本人、ニュージーランド人、韓国人、中国人として生まれましたが、キリスト者として同じアイデンティティーを持っています。それは誰にも奪われることのない、変わらない事実です。私たちは神様に選ばれた存在として、誰でもは受けることの出来ない、名誉な名前をいただいたのです。だから、私自身がキリスト者であることを恥じ入ったり、隠したりしないようにしましょう。私たちを通してキリストが現れるからです。私たちが自分の身分を隠せば、キリストも私たちによって隠されるでしょう。神様は今日も私たちに「君は誰なのか」とお聞きになります。その時、私たちは「私の名前はキリスト者です。」と誇りを持って答えるべきでしょう。アブラハムは、主にいただいたアブラハムという名前で残りの人生を生き、信仰の父と認められました。私たちもまた神様にいただいたキリスト者という名前通りに生きていき、キリスト者として神様に帰っていく日を待ち望みましょう。

新しい葡萄酒は新しい革袋に。

イザヤ55章1-5節(旧1152頁) マルコによる福音書2章21-22節(新64頁) 前置き 「新しい酒は新しい革袋に盛れ。」 テレビや新聞、インターネットなどで、このような語句をしばしば目にします。「新しい考えを表現したり、新しいものを生かしたりするためには、それに応じた新たな形式や環境が必要であること。」のたとえとして、他国はもちろん日本でもよく使われる表現です。皆さんも、よくご存じだと思われますが、この語句は新約聖書の「新しい葡萄酒は新しい革袋に」という言葉に由来するものです。しかし、社会で一般的に使われる、この表現は聖書の本当の意味を見落とした表現だと思います。なぜかというと、もともと、この表現にはイエスを信じる者として、それに相応しい生き方を促す意味が含まれているからです。イエス様は、なぜ、このような表現をお使いになったのでしょうか? そして、この表現の本当の意味は何でしょうか? 今日の話はマルコによる福音書2章の話を復習する気持ちで分かち合いたいと思います。それでは、「新しい葡萄酒は新しい革袋に」という表現を通じて、神の共同体、教会が貫くべき在り方ついて考えてみましょう。 1. 間違った宗教儀式に陥っていたイエスの時代のイスラエル社会。 もともと、今日の本文は、一ヵ月前に取り上げた断食に直接的な関係がある言葉です。その時、私は断食について語りつつ、断食に代表される、宗教儀式に陥った信仰生活の問題点について語りました。私たちは、その断食に関する言葉を通して、現代の私たちも礼拝、献金、祈りなどの宗教行為にあまりにも集中したあげく、私たちが望むべき実質的な信仰の在り方を忘れ去る可能性があるという警告を受けました。断食は、イスラエルの代表的な宗教行為でした。 当時の宗教指導者、もしくは宗教に熱心だったユダヤの宗教共同体は、少なくとも月に2回、多くは週に何度も断食をしたと言われます。特に、当時尊敬されていたファリサイ派の人々は、頻繁に断食を行い、貧しい者たちへ救済を施したりしました。彼らは断食の時に、洗面もせず、顔の辛い表情をも隠さずいたそうです。自分が断食していることを隠さなかったわけです。そして、そのような姿を取りつつ救済を行なったりしました。そのような行為を通じて、イエス様が登場する前まで、ファリサイ派の人々はユダヤ人の社会で多くの尊敬を受けました。「今日もファリサイ派の先生たちが偉いことをしておられる。」「彼らは私たちと違う。神の正しい者たちだ。」そのような一般の民らの褒め言葉と尊敬が彼らの後についてきました。 しかし、彼らのその行為の裏には「そうだ。この私はあなた達とは違うのだ。私は正しい者だから。」という偽善的な姿が隠れていました。彼らの救済の行為そのものには、確かに社会的な良い機能があったのでしょうが、彼らの心の奥底には、神の栄光よりは、ひそかに自分の義を表わそうとする宗教的な欲望が潜んでいたわけです。そのため、彼らは、何の褒め言葉も代価も求めずに、ただ貧しい者たちを治し、宣教し、教えてくださるイエス様に憎しみを抱くようになりました。イエスが自分らの人気を横取りすると思ったからです。彼らは、道端や神殿の入口に立って長い時間祈ったり、断食の時には苦しい様子を見せたり、救済の時にはたいそうな物を与えるかのように威張ったりして、人々に立派な先生だと褒められたのです。しかし、イエス様は彼らよりもっと多くの慰めと癒しと奇跡を行われながら、何の代価も求められませんでした。ただ、主が望んでおられたことは、人々が悔い改めて、神の懐に帰って来ることだけだったのです。そういうわけで人々の関心と愛がイエス様に集中するのは当然の結果でした。それにより、ファリサイ派の人々とユダヤ人の宗教指導者たちは自然とイエスを憎むようになったわけです。 2.私たちの姿はどうなのか。 イエスの当時、都エルサレムは表向きは神に生け贄を捧げる神殿があり、断食と祈りを行い、貧しい者たちに救済を施し、それなりに宗教的な秩序が定着された所でした。しかし、エルサレムを離れると、貧しい人々の呻き声が聞かれ、少数者が疎外され、既得権者の偽善による理不尽に満ちた場所でした。今日の本文イザヤ書を通じて神様は仰いました。「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い、飢えを満たさぬもののために労するのか。わたしに聞き従えば、良いものを食べることができる。」(イサヤ55:1-2)神は、このように誰でも神様の御前に来て、飾り気と偽善のない真のお交わりをお望みになる方でした。でも、イエスの時代のイスラエル社会は多くの献金や祈りや目に見える宗教的な行為が、宗教的な熱心さを代弁し、それによって自分の宗教的な欲望を満たしていく、神様とはあまりにも、かけ離れた宗教社会だったのです。このような社会の中で、最も貧しく低い所の者たちは何の慰めも、助けも得ることができませんでした。 恐ろしいことは、このような様子が、単に聖書の中にだけ、存在する問題ではないということです。ひょっとしたら、これは現代の私たちの中にも存在する姿かも知れません。以前ある教会で働いている時に、このような経験をしたことがあります。礼拝の時、説教をしていたとき、ふと辛い目にあった未信者の近所の方の話をして、祈りを求めたことがあります。しかし、その話で時間が少し長くなりました。その日の説教の内容とは少し、ずれるところもあり、信徒たちに申し訳ない気がありました。ところで案の定、礼拝後に信者の一人が来て、説教する時は余計な話は控えてほしいと言いました。その近所さんの話以外に特に聖書から外れた話をした記憶がなかったので、その話を指摘されるんだと思い、丁寧に謝りました。その方の意図は十分わかりました。礼拝の時間には礼拝に集中しようという願いだったはずです。その意図は非常に正しいと思われました。しかし、一方ではこんな気もしました。「一体、神様への礼拝とは何だろう?」同時に、聖書の言葉が一つ思い浮かんできました。「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない。」(マタイ9:13)その日は、なんとなく悲しくなりました。 3. 宗教儀式ではなく信仰と愛を持って。 私は韓国の長老教の高神派出身です。高神派は旧日本帝国の神社参拝強制への反対運動で有名な教派です。彼らの信仰的な誇りは韓国の教会の中でも非常に高いことで有名です。なので、私が韓国にいた時は「高神派的な信仰」という表現をよく聞きました。また、日本に来てからは、「日本キリスト教会的な説教」という表現もよく耳にしました。ですので、日本キリスト教会も高神派教会のように信仰的なプライドがとても高いと感じました。ところで、その度に高神派的な信仰とは何か? 日本キリスト教会的な説教とは何か?と問い返さざるをえませんでした。イエス様が望まれたのは、高神派的な信仰、また日キ的な説教なのでしょうか? キリストが望んでおられる価値は何なのかと思いました。もちろん、形式も大事です。が、主の教会には、もっと大事な普遍的な価値があると思いました。ファリサイ派の人々とヨハネの弟子たちが断食する時、人々はイエスに「なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」と尋ねました。しかし、それは弟子たちへの不満ではありません。イエス様への不満の抗議だったのです。おそらく、彼らにもユダヤ教への大きな誇りがあったはずでしょう。彼らは「なぜ、あなたは我々の律法を無視するのですか?」と問い詰めたのです。皮肉にも自分たちに律法を与えてくださった方に、律法を守れと問い詰めたわけです。 その時、イエス様は「新しい葡萄酒は新しい革袋に。」というやや理解しにくいお話をされました。これは果たしてどういう意味なのでしょうか。イエス様は旧約の律法を完成なさるために来られた方です。そして、主は旧約の数多くの律法が「神と隣人への愛の実践」のために与えられたものであると教えてくださいました。つまり、律法の完成とは、律法に含まれている精神、愛を明らかにすることだと言って過言ではないでしょう。主は多くの宗教儀式や教義的な立場ではなく、神の愛をどうすればもっとこの地で行なうことが出来るのかに関心を持っておられたのです。もちろん、律法も教義も大事なものです。しかし、そのすべてが神が命じた愛の実践ための道具であることを見逃してはならないでしょう。イエス様はご自身の福音を通して、偽善的な宗教儀式に縛られていた過去の姿を捨てて、神様と隣人への真の愛と実践のある、新しい信仰をお望みになりました。自分の宗教的な欲望のための信仰ではなく、神様がご計画なさった、真に生き生きとする信仰を望まれるのです。神がお求めになることは、何十年も繰り返される習慣的な宗教活動ではなく、ただ一分一秒でも隣人への真の憐れみと愛ではないでしょうか。このイエスを信じる私たちは、過去ユダヤ人が追い求めた自分の信仰的な欲望や偽善的な宗教生活ではなく、真に主の手と足となり、主の栄光のために行い、神と隣人の喜びになるために努力しつつ生きるべきでしょう。 締め括り 主イエスはご自分の犠牲を通して、愛の宗教という新しい革袋としての教会を打ち立てられました。そして、その教会に属する者たちは、新しい葡萄酒のように、神の御心に適う人生を生きるべきです。古い革袋に新しい葡萄酒を入れると、熟成から生まれるガスによって袋が裂けて使えなくなってしまいます。主イエスは新しい革袋として、愛の共同体である教会を与えてくださいました。そして、その中で生きている私たちは主による愛の実践を貫いて生きるべきでしょう。その時はじめて、私たちは良質の美味しい葡萄酒のように、神の喜びになれるでしょう。短い例話をあげて説教を終わりたいと思います。どこかで読んだ文章ですが、ある教派の牧師が天国に行く夢を見たそうです。宝石のような川が流れ、青い草原が広がり、神の24人の長老たちと真っ白な天使たちが神に賛美をしていました。うっとりした彼はそばの天使に尋ねました。「天国にはカトリック信者が多いですか。プロテスタント信者が多いですか?」彼は教理的な質問をしたわけです。その時の天使は、たった一言で言いました。「ここには、神の子羊だけがいる。」そして、彼は夢から覚めたという話でした。神の国は宗教儀式と教理のみで行く所ではありません。それを通して、自分の人生でイエスを信じ、主に倣った愛と実践がある時、私の人生の中に現れるものです。また、そのように生きる者こそ、きっと死後、神が備えてくださった天国に入るでしょう。宗教ではなく実生活として神への信仰と隣人への愛を持って生きていく私たちになることを祈り願います。

契約と割礼

創世記17章1-10節(旧21頁)ローマの信徒への手紙2章28-29節(新276頁) 前置き 前回は2度にわたる創世記16章の説教を通して、アブラハム、サラ、ハガルの不信仰を考えてみることが出来ました。「相続人を与える。」という神の約束を完全に信頼することが出来なかったアブラハムとサラの不信仰、アブラハムの子を身ごもって、鼻高々になったハガルの傲慢など。アブラハム、サラ、ハガルが罪のゆえ、どれだけ不完全な存在だったのかを通して、人間の限界について改めて顧みることが出来ました。しかし、重要なことは、そのような人間の限界があるにも関わらず、神は決して彼らを見捨てられず、堪忍して待ってくださり、憐れんでくださり、導いてくださったということでした。今日の創世記17章は、その愛の神がアブラハムとサラに、いっそう具体的な相続人の誕生の約束をくださり、かつてアブラハムと結ばれた契約を堅く守っていかれることを強調する箇所です。このように神は罪人に罰だけを下される無慈悲な存在ではなく、罪人のことを顧みられ、回復を望んでおられる愛の神なのです。私たちは、初めの人間の堕落以来、一貫性を持って変わらず人間を見捨てず、愛し、導いてこられた神の愛を深く覚えるべきです。今日は創世記17章を通じて愛の神が罪を犯す不完全な人間と結ばれた契約、またその証拠であった割礼について分かち合いましょう。 1.民と契約を結んでくださる神様。 創世記15章で、神はアブラハムと契約を結んでくださいました。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる。」(創15:5)現代の我々は、「契約とはビジネス的なものであり、いざという時は破棄も在り得るだろう。」と考えるかもしれません。しかし、アブラハムの時代の契約は違いました。 契約を破った者は、相手によって、どんな悲惨な目に遭っても抗議できない、まるで命がけのような行為でした。15章で、神は真っ二つに切り裂かれた動物の間を通り過ぎ、アブラハムに相続人を与え、彼を通して大いなる国民を打ち立ててくださるという約束をくださいました。真っ二つに切り裂かれた動物の間を通り過ぎる当時の契約のやり方は、契約を破った者が、そのように惨めに死ぬという意味でした。 ところで、神はアブラハムではなくご自分だけが、そこを通り過ぎてくださいました。それは「完全なる神様が、不完全なアブラハムではなく、移り変わりのない御自身を保証にして、永遠にアブラハムとその子孫を守ってくださる。」という契約への堅い御意志と愛とを示すものでした。そして今日の本文は15章のその契約をもう一度確かめる場面から始まります。「アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。 わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」(創世記17:1-2) 神様はアブラハムが75歳の時、彼と契約を結ばれて以来、それを忘れず24年ぶりに現れ、過去のその契約をもう一度確証されました。人間は神様との約束を忘れても、神様は人間との約束を決して忘れられません。神は、「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」と言われました。ところで、この言葉のヘブライ語の文章は、古代中東の国々の条約の前置きのような形で書いてあるそうです。歴史家たちによると、古代世界では国家間に主従関係があったそうです。強い国が弱い国を屈服させ、強制的に保護者としての役割を自任し、変わらぬ忠誠と貢物を求めたということです。そして、本文で神様はこのような方式でアブラハムとの契約を再確認なさいました。もちろん、神が当時の強大国のように武力で強制的にアブラハムを征服され、苦しめられたという意味ではありません。ただし、人間であるアブラハムが神様の御心を理解できるように、人間のやり方を借りて、武力による忠誠ではなく、愛による信仰を求められたということです。アブラハムは、過去24年間、少なからず不信仰な生き方をしてきました。そういうわけで神様は、「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」という言葉をもって、アブラハムに「神様と契約を結んだ民なら、それにふさわしい人生を生きなさい。」と婉曲的に戒められたわけです。その時はじめて、アブラハムは神様と結んだ契約の中で栄えていくからでしょう。 今日本文に登場する契約という言葉はヘブライ語で「ベリット」と言います。この「ベリット」は「断ち切る」を意味する動詞「バサール」に由来する名詞だそうです。それでは、何を断ち切るという意味でしょうか? おそらく、神様と何の係わりも無かった過去の罪に満ちた人生を断ち切り、今後、神様の民として新たな人生を生き始めるという意味ではないでしょうか? 基本的に神様はその民と契約を結び、お交わりになる方です。これは罪によって神様を離れてしまった人間が、過去の生き方を断ち切り、改めて神様の民になるという意味だからです。 つまり、神様は罪人をご自分の子としてお呼びくださり、新しい人生を生きさせてくださるために、罪人と契約を結ばれるのです。 これは神様のためではなく、罪人のための契約なのです。我々は、このような神の契約を、またキリストを通しても、改めて見ることができます。アブラハムの子孫と呼ばれるイエスはなぜ十字架につけられ、真っ二つに切り裂かれた動物のように悲惨に死なれたのでしょうか。それはイエスが贖罪のために民の代わりに死に、罪の呪いを断ち切るためでした。契約を守れない存在が死ななければならなかった古代社会において、イエスの犠牲は神様が罪人の代わりに死んでくださったという意味を持っています。(15章参照)そして、イエスは復活なさり、罪人との契約を全うしてくださいました。私たちは、このようなキリストを信じることによって、アブラハムが神様と結んだ契約を再確認することが出来ます。そして、そのイエスを通して、私たちは神様の子供として、神様との契約者として、御国の民として永遠に生きるです。 2.人間側の契約の象徴-割礼。 「あなたたち、およびあなたの後に続く子孫と、わたしとの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。」(倉17:10)神様は今日の言葉を通じてアブラハムとの契約を再確認され、アブラハムに割礼を命じられました。この割礼には一体どんな意味があったのでしょうか。「あなたの家で生まれた奴隷も、買い取った奴隷も、必ず割礼を受けなければならない。それによって、わたしの契約はあなたの体に記されて永遠の契約となる。 包皮の部分を切り取らない無割礼の男がいたなら、その人は民の間から断たれる。わたしの契約を破ったからである。」(創世記17:13-14)割礼は神の民が神様と契約を結んだという象徴であり、男性の重要な部分に痕跡を残す行為でありました。つまり、包皮を切る行為(バサール)を通して、神様との契約(ベリット)の痕跡を民の体に残すことでした。神様はこの割礼を非常に重要に思われ、割礼を受けなかった者は神様との契約を拒否し、破った者と見なされ、民の中から断たれるほど厳重な刑罰に処されました。 なぜなら、この割礼とは神様の契約に応える人間の応答だったからです。神様が切り裂かれ動物の間を通り過ぎて契約を結ばれたならば、民は男性の包皮を切り取ることで神様と結んだ契約の証拠にしたわけです。神様は契約を結んだ人間が必ず割礼を受けることで、神様との契約を確証し、記憶することを望まれたのです。 また、割礼には二つの別の意味が含まれていたと主張する学者たちもいます。一つは子孫の繁栄のためでした。古代中東ではアブラハムの子孫であるイスラエルが打ち立てられる前にも、エジプトでは種族にしたがって割礼を行う場合があったと言われます。なぜなら、男性の包皮のゆえに生じやすい性病を予防し、また割礼を受ける前より、受けた後のほうが、妊娠の確率が高くなったからだと言われます。面白いことに、現代医学でも、この主張がある程度、認められており、世界保健機関でも男性の包皮を切る手術を勧める発表があったそうです。二つ目は、割礼を通して子孫の出産を神にお委ねするという意味があったからという主張です。古代の社会では男の性に子孫を残す重要な機能があるため、大事にされました。しかし、その一部を刃物で切り取るということは男の性の死を意味することだったのです。つまり割礼は男性、すなわち人間の力で子孫を栄えさせるのではなく、神だけが子孫を栄えさせてくださるという象徴だったのでしょう。したがって、割礼には神様に種族の繁栄をお任せし、その方が子孫を守り、導いてくださるという信仰が込められていたということです。神様は生命をくださる方だからです。このように割礼には科学的にも信仰的にも少なからず意味があるという主張も存在します。 それでは、私たちが生きる現代において、割礼はどのような意味を持っているのでしょうか。明らかなことは、イエスの復活以来、この旧約の割礼という儀式の機能は無くなったということです。「アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。」(ローマ4:11)使徒パウロはローマ書を通して、割礼が持つ本来の意味について解き明かしました。当時ユダヤ人たちは、割礼を受けなければ、神の民ではないと主張し、初代教会の中にも、そのような思想を持った者が少なからず存在しました。しかし、パウロは割礼そのものに力があるわけではなく、割礼は神への信仰の象徴にすぎないと力説しました。イエス様が十字架で罪人たちを救ってくださった後、主はイエスへの信仰を持って生きる罪人たちをお赦しくださり、永遠の契約を結んで神様の民と認めてくださいました。旧約時代には割礼の痕跡を通して神様との契約を表したとすれば、キリストの復活後からはキリストへの信仰を通して神様との契約を表すということです。「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。 内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、律法の条文ではなく、霊によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。」(ローマ2:28-29)したがって、イエスを信じる私たちは体や行いで神様との契約を証明することが出来ません。 ひとえにイエス·キリストを信じる信仰だけで、神との契約を証明することが出来るのです。 前置き 今日は創世記17章を通して、契約と割礼について話してみました。私たちは神様との契約の中に生きています。神様は御自分の民と契約を結ばれ、彼らが過去のように罪人としてではなく、契約の中にいる神様の子供として生きることをお望みになります。旧約では、その契約の証拠として体に割礼を受けたとすれば、現代を生きる我々キリスト者は、イエスへの信仰を証として、神との契約を結んだ存在です。もうこれ以上肉体の割礼で神の民になるのではなく、ひたすらキリストへの信仰と関係を通して神様と契約を結ぶのです。ですから、キリストを通して神様と契約を結んだ者らしく、私たちの心を神様に捧げ、神様の御心に聞き従う者として生きていきましょう。今日の新約本文のように「霊によって心に施された割礼こそ割礼」なのです。神様を信じない罪、他人を憎む罪を心から断ち切るために神様のお導きを求めて生きましょう。ご自分の血潮を流して私たちを神との契約へと導いてくださったイエス様が、私たちの心の中に聖霊による割礼をくださり、毎日私たちを新しく導いてくださるでしょう。キリストによって神様と契約を結んだ存在、主の聖霊によって心の中に割礼を受けた存在という我々のアイデンティティを覚え、主と共に一週間を生きていく志免教会になることを祈り願います。

安息日論争

申命記5章12-15節(旧289頁)マルコによる福音書2章23-28節(新64頁) 前置き 前回のマルコ福音書の説教では断食について話しました。断食とは、自ら飲食を断ち、肉体の欲望を抑え、罪を悔い改め、自分のことを省みるための行為でした。旧約では年に一度、贖罪日に断食を行うことで自らを反省し悔い改めたようです。(レビ記23:27)また、時間が経ち、断食は貧しい隣人を助けるという意味も持つようになりました。(イザヤ58:6)しかし、このように断食が持つ立派な精神は、イエスの時代に至っては偽善的な宗教儀式に変質してしまったようです。(マ6:16)イエスはそうした偽善としての断食を強く拒否されました。 私たちは、前回の説教で、この断食という代表的な宗教儀式を例に挙げ、偽善的な宗教行為に陥らず、神への信仰と隣人への愛とを持って生きるべきだと学びました。こんにちの私たちには宗教儀式としての断食を行う機会はあまりありません。しかし、私たちは依然として、礼拝、献金、祈りなど、宗教儀式の中で生きています。 イエス様が偽善的な宗教行為としての断食を拒否されたように、私たちも、また信仰生活が偽善的な宗教儀式にならないように注意しなければなりません。私たちは、ひたすら神と隣人への愛を示す手立てとして、宗教儀式を追い求めて生きるべきでしょう。 1.安息日についての論争が起こった理由。 「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。 ファリサイ派の人々がイエスに、御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのかと言った。 」(23-24)ある安息日に、イエスと弟子たちが麦畑を通っていました。 彼らは道をつけるために(直訳ギリシャ語)、穂を摘みました。それを見たファリサイ派の人々が抗議しました。「どうして安息日にしてはならないことをするのか。」彼らはなぜ抗議したのでしょうか。もしかして、イエスと弟子たちが麦畑を荒らすことを糾弾するつもりだったのでしょうか? これと同様の本文がマタイによる福音書にも出て来ていますが、「ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。」(マ12:1)と表現されています。 旧約聖書の申命記23:25には、これに関する規定があります。「隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない。」つまり、イエスと弟子たちが道を作りながら麦の穂を摘んで食べたのは、犯罪行為ではなく、社会的に許された合法的なやり方でした。ところが、ファリサイ派の人々は彼らの行為を見て、「安息日にしてはならないこと」だと叱ったのです。弟子たちの行為は不法じゃなかったのに、なぜファリサイ派の人々は彼らを非難したのでしょうか? その理由は、イエスと弟子たちが昔の人の言い伝えを破っていると考えたからです。この昔の人の言い伝えとは、モーゼ五書を解説した『ミシュナー』という解説書を意味するのですが、有名なラビたちが残した記録でした。このミシュナーにはモーゼ五書ほどの権威は無く、その中にはラビたちの個人的な主張も含まれていて、神の御言葉だとは言えない書でした。しかし、ユダヤ人は、それを聖書に次ぐものと重要に扱い、それを中心に数多くの規定を作り出しました。その中には安息日に関する解説もありましたが、例えば「安息日に働いてはならない。だから、旅をして800M以上歩くことを禁止。人が壁の下敷きになっても石の退かすことを禁止。隣の牛が穴に落ちても救うことを禁止。」などのように、とんでもないことが安息日の禁止規定となっていたそうです。宗教的に重要な安息日を守るためには、他人への奉仕や愛の行為はやめるしかないと思ったわけです。もともと旧約に記された安息日の労働禁止は、自分の欲望、娯楽のために働いてはならないという意味だったのに、昔の人たちは、それを極端に誤解したわけでした。それで、ファリサイ派の人々は弟子たちが安息日に麦畑の穂を摘んだことを労働だと見なし、昔の人の言い伝えを破っていると主張したわけです。 2.神が安息日を制定された理由 イエスのお働きを補助していた弟子たちは、おそらく食事を済ます時間さえなかったでしょう。そんな彼らが、お腹を満たすために麦畑の穂を摘んだことは、もしかしたら生きるための最小限の行為だったのかもしれません。しかし、ファリサイ派の人々は彼らの事情には関心がありませんでした。 彼らは昔の人たちが残した歪んだ言い伝えを用いて、イエスと弟子たちを責めることにだけ関心があったのです。神は、なぜイスラエルに「安息日を守ってこれを聖別せよ。」という律法を与えられたのでしょうか? 安息日を宗教的な日と定め、人間を束縛し、神様に礼拝だけさせるために造られたのでしょうか? 旧約本文の申命記の十戒はこのように語っています。「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。」(申命記5:15)神は、かつてエジプトの奴隷として生きていたイスラエルに、真の自由をくださるために安息日を制定されました。神は強い者が弱い者を弾圧し、自分の欲望を満たしていたエジプトの間違った文化を打ち破り、弱い者をも人間らしく生きさせられるために安息日をくださったのです。 つまり、神がイスラエルを尊く思われ、安息日をくださったという意味です。古代社会において弱い者には人権がありませんでした。彼らは家畜や品物のような存在でした。強い者が命じると死ぬしかなく、差別は当然のことでした。古代中東社会で安息というのは神々、王族、祭司だけの特権であり、弱い者たちは彼らの特権のために死ぬほど仕えなければならない存在に過ぎなかったのです。そのような社会で神は弱い者たちにも安息という特権をくださるために安息日を造られたわけです。 弱い者を王のように扱ってくださったという意味です。 「七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。」(申命記5:14)それは、単にイスラエルにだけ適用されることではなく、家畜、異民族、よそ者にも同じことでした。このように安息日は神の支配の下にある、すべての存在に許された自由と平和の日でした。それなのに、ファリサイ派の人々は、人よりも宗教儀式に目がくらみ、人を憐れまず、罪に定めるだけでした。 3.安息日は人のためにある。 「イエスは言われた。ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。 アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」(2:25-26)イエスは安息日に弟子たちが麦の穂を摘んだことを咎めるファリサイ派の人々に、イスラエルの代表的な王、ダビデを挙げて仰いました。サムエル記Ⅰ21章で、ダビデが自分を殺そうとしていたサウル王を避けて逃げる際に、幕屋の供えのパンを食べたことを取り上げられたのです。「このパンはアロンとその子らのものであり、彼らはそれを聖域で食べねばならない。それは神聖なものだからである。」(レビ記24:9)幕屋の供えのパンは、神様と民の契約を象徴する聖なる物であり、誰もが食べられる物ではありませんでした。 聖なる祭司だけが、聖なる場所で食べられる聖別された物だったのです。 しかし、神様に選ばれたダビデは、それを食べて何の罰も受けませんでした。 神様が彼を王として用いられるために守ってくださったからです。 つまり、神にとって、当時のダビデは供えのパンよりも大切な存在だったということでしょう。   もちろん、律法は大事なものです。ダビデと供えのパンの出来事は特別なケースです。ダビデのように絶体絶命の状況でない限り、律法は必ず守るべきです。それでは、弟子たちを咎めるファリサイ派の人々に反論なさったイエスは、律法を無視されたわけでしょうか? 違います。イエスは律法と安息日の存在理由を誰よりも、よく知っておられました。それは、人を人間らしく生きさせるためでした。「イエスは言われた。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。隣人を自分のように愛しなさい。律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。(マタイ22:37-40)主はご自分が神の子で、ダビデのような偉い人だから安息日なんて破っても良いという趣旨でダビデを取り上げられたわけではありません。 安息日も律法も大事ですが、そのすべてが人のためのものだから、たとえ安息日だと言っても、人の苦しみと悲しみを顧み、助けなければならないということを教えくださるためでした。御父は、イエスを通して、主を信じるすべての人をご自分の子とされます。当時のユダヤ人の社会、法則、慣習のように、人を歯車のように軽んじるのではなく、一人一人を神の子として愛し、重んじておられるのです。 しかし、ユダヤ社会は旧態依然として、人の生命よりも社会、法則、慣習をより大事にしました。そしてそれは神の御心とは相反するものでした。 だからイエスはこれを問題視されたのです。 締め括り 私たちは先週の大信仰問答を通して、人の在り方について学びました。それは神を知り、崇め、一緒に生きることでした。ところで、イエスは神様との関係に劣らないほど、隣人との関係をも大事にされました。すなわち、イエスは律法を通して、神への愛はもちろん、隣人への愛までも学ぶことをお望みになったわけです。今日の本文の、ファリサイ派の人々は、そんな主の御心が分からなかったのです。 彼らはただ、知識と宗教儀式だけを大切にし、自分たちと違う隣人を軽んじ、それを主の御心だと理解しました。そのようなファリサイ派の人々に向かって、イエスは厳重に宣言されました。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」(27-28)イエスはご自分のことを人の子と言われました。イエスが自らを人の子と呼ばれたのは、神であるご自分が人々の間に共におられることを強調する意味だったと思います。それほど、神は人を愛しておられるのです。新約の時代に安息日というのは、主日だけではありません。主イエスと共に生きるすべての日が安息日であり、主日なのです。したがって、私たちは日曜日の宗教儀式に閉じ籠って、他人を罪に定めず、どうすれば彼らをもっと愛し、共に生きていけるのかと悩みつつ生きるべきでしょう。安息日の主であるイエス様が、私たちにそのような人生を促しておられるからです。

主こそ民を顧みられる神

創世記16章1-16節(旧20頁)エフェソの信徒への手紙1章17-19節(新353頁) 前置き 神に召され、カナンに来たアブラハム夫婦には10年が経っても子供がいませんでした。神は「あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」(15:4)と約束されましたが、その約束は、成し遂げられる気配が見えませんでした。結局、アブラハムの妻サラは、神の御心ではなく、自分の判断に従ってアブラハムに一つ提案をしました。それは自分の女奴隷のハガルを二番目の妻にして相続人を設けようとの話でした。しかし、話しはサラの考えとは違う方向に流れていきました。 ハガルは結婚して身ごもると、自分の女主人であるサラを軽んじたからです。これによってサラは心を傷つけられ、ハガルはサラに憎まれ、アブラハムはハガルを見捨ててしまいました。これにより私たちは、神の約束を待ち望まなかった、アブラハムとサラがもたらした悪い結果を目撃することになりました。その結果は思いもよらなかった人間関係と家庭の破綻でした。神はいつも聖書を通して私たちに約束をくださいます。そして、その約束が叶うまで待つことを望んでおられます。創世記16章は神の約束を待ち望むことがどれだけ重要か、神の約束を無視した人間の態度が、どんな結果をもたらすのかを示してくれます。今日はもう一度、創世記16章について話してみたいと思います。今回は、アブラハムとサラではなく ハガルの立場から探ってみましょう。アブラハムとサラを通して神の約束への待望の大事さを学びましたが、ハガルを通しては何を教えてもらえるでしょうか? 1.高慢になってしまったハガル。 創世記16章の出来事が起こった主な理由は、アブラハムとサラの不信仰によるものでした。神は明らかに相続人の約束をくださいましたが、アブラハムとサラは、それを待たず自分たちの判断通りに振舞い、神の約束を無視したわけです。しかし、ハガルにも16章の出来事への少なからぬ責任がありました。それはハガルの高慢でした。「アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。」(4)当時、ハガルはエジプトから連れてきたサラの女奴隷に過ぎない身分でした。なのに、どうして妊娠と同時に女主人であるサラを軽んじることが出来たのでしょうか。その理由は当時の社会相にありました。 現代にも女性の人権は男性に比べて劣悪な方ではないかと思いますが、アブラハム当時の社会では女性の人権は、はるかに劣悪でした。 女性は男性の財産の一部と見なされ、夫や息子のいない女性は家畜や品物のような扱いを受けるしかありませんでした。このような社会で女性が一人の人格として尊重されるためには、夫と相続人が必要でした。 ところで、ハガルにいきなり夫が出来、また、女主人にはいない相続人を身ごもったのですから、どれほど鼻高々となったことでしょうか。ハガルは、自分が女主人を蹴落としてアブラハムの正妻になったと思ったのでしょう。 急に身分が上昇したと思ったハガルは奴隷という自分の地位を忘れ去り、高ぶってしまったわけでした。 アブラハムとサラが神の約束を待ち望まず、間違った決定を下したとしても、もしハガルが自分の立場を弁えて謙遜に行なっていたら、16章の出来事は起こらなかったかもしれません。むしろ二番目の妻としてサラに認められ、アブラハムにも愛されたかもしれません。 ですが、鼻高々となってしまったハガルは、自分の高慢によってアブラハムとサラから追い出されてしまいました。 創世記16章はハガルに対して一度もサラと同等に扱っていません。 ヘブライ語原文では側女ではなく妻として一度言及していますが、当時の文化に照らしても、聖書の文脈に照らしても、ハガルは明らかにサラより低い地位にある存在でした。 7節から登場する主の御使いも、ハガルをはっきりサラの奴隷だと呼んでいます。「痛手に先立つのは驕り。つまずきに先立つのは高慢な霊。」(箴言16:18)、新旧約を問わず、聖書は常に謙遜であることを命じます。 人は人生を通していつも浮き沈みを繰り返します。 名誉、財物、権勢を得る時があれば、そのすべてを失う時もあります。人は神ではないからです。したがって、人はいつも移り変わる自分の立場を認め、力があろうが無かろうが、神の御前でへりくだってあるべきです。高慢な者は必ず倒れるからです。確かにアブラハムとサラの不信心が今日の物語の発端です。ですが、その出来事の本当の理由は、ハガルの高慢からだったと言っても過言ではないでしょう。 2.無関心と排除を経験するハガル。 アブラハムは、サラとハガルとの葛藤を見て、無責任な姿勢で一貫しました。「サライはアブラムに言った。私が不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたの懐に与えたのは私なのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、私を軽んじるようになりました。主が私とあなたとの間を裁かれますように。アブラムはサライに答えた。あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」(15:5-6)アブラハム当時の遊牧民文化における一夫多妻制は一般的なものでした。その理由は多くの子供を得るためでした。当時は今のように工場やスーパーマーケットは無い時代でしたので、すべてを自給自足しなければなりませんでした。そのため、将来の労働力となる子供が多いことは祝福とされました。「若くて生んだ子らは、勇士の手の中の矢。いかに幸いなことか、矢筒をこの矢で満たす人は。」(詩篇127:3-5)そのため、一夫多妻制にも関わらず、円滑な出産と家庭の平和のため、本妻ほどではありませんでしたが、二番目の妻、三番目の妻たちも、ある程度尊重されていたそうです。ですが、アブラハムはハガルを尊重せず、あまりにも簡単に見捨ててしまいました。 当時、ハガルが感じた裏切られた気持ちと絶望は、どれほど大きかったでしょうか。 世の中の誰も自分の味方ではないと思ったはずでしょう。 結局、ハガルはエジプトに立ち帰ろうとしました。もちろん本文にはエジプトに帰ろうとしたという話はありません。 ただ、ハガルが「荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとり」(7)にいたと言うだけです。さて、ここでシュル街道という場所が登場しますが、これは出エジプト記にも登場しています。「モーセはイスラエルを、葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒れ野に向かって、荒れ野を3日の間進んだが、水を得なかった。」(出エジプト記15:22)シュルとはエジプトからカナンに向かう途中にある荒れ野地域なのです。 つまり、カナン地域に住んでいたハガルは、自分の故郷エジプトへ帰る途中、シュルという地域に留まっていたわけです。 旧約聖書におけるエジプトという表現は、地域としてのエジプト、国家としてのエジプトという意味と共に、象徴的に「偶像崇拝」「圧制」「罪」「不従順」などの否定的な概念として、よく使われる表現です。つまり、ハガルは象徴的に神の民の座を離れ、神に逆らう偶像の地に戻ろうとしていたとも解釈できるでしょう。ハガルは自分の高慢によってサラに過ちを犯しましたが、その結果は夫の無関心、共同体からの排除でした。高慢になったハガルの罪は明らかな間違いです。しかし、アブラハムとサラの無関心と排除は、ハガルという人をさらに大きな罪の道に追い立てる、もう一つの間違いだったのです。このように、高慢と無関心、そして排除は、罪に罪を加える、より大きな問題を生むだけです。無関心と排除では何事も解決できません。 3.人間の問題を解決してくださる神。 しかし、神は無責任なアブラハムとは違いました。10年間アブラハムに現われなかったかのように描かれた神が、むしろアブラハムとサラから排除されたハガルには現れられたからです。主人公にも現れない神が、脇役を助けてくださるために現れたわけです。「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」「女主人サライのもとから逃げているところです。」「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」(8-9)神はハガルに、彼女がやるべきことを教えてくださいました。神は彼女の行方を知らずに「お前はどこから来て、どこへ行くのか」と尋ねられたわけではありません。これは情報を得るための質問ではなく、ハガルが冷静に現実を認識し、覚醒することを促す婉曲な表現なのです。言い換えれば「ハガル、君は誰なのか?君はアブラハムの妻となったが、相変わらずサラに仕える者だ。それは私の意志である。だから、サラのもとに帰って服従しなさい。」すなわち、神はハガルに主の御心を教えてくださり、彼女の高慢さを取り除き、罪の道に陥らないように助けてくださるために、彼女を訪ねて来られたのです。 また、神は不安を抱えているハガルを慰められるために、希望の約束を与えてくださいました。「私は、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい。主があなたの悩みをお聞きになられたから。」(10-11)、神はハガルを祝福し、彼女の赴くべき方向を正しく示してくださいました。神は高慢と罪によって完全に崩れるところだったハガルを憐れんでくださり、彼女が新たなる人生を送れるように配慮してくださったのです。「ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、あなたこそエル・ロイ(私を顧みられる神)ですと言った。それは、彼女が、神が私を顧みられた後もなお、私はここで見続けていたではないかと言ったからである。 そこで、その井戸は、ベエル・ラハイ・ロイと呼ばれるようになった。」(13-14)ハガルは自分を虐げた女主人サラや自分を捨てたアブラハムとは違って、自分を認め、今後の人生と息子を守ると約束してくださった神の愛を感じるようになりました。ハガルはエジプトからの奴隷であり、共同体に見捨てられた存在でありましたが、むしろ、この出来事を通じて万軍の主に出会うことになりました。そして彼女は自分のことを大切にしてくださる神への信仰を持ってアブラハムのところに帰ることになりました。人間たちの罪による葛藤と問題の中で、神は赦しと愛と希望をもって問題を解決してくださいました。葛藤と暴力は、問題を解決することができません。ひとえに、神によるお赦しと愛と希望だけが世の中の問題を解決できるものです。 締め括り 神に出会い、自分の位置を悟ったハガルは、神が自分に出会ってくださった場所をベエル・ラハイ・ロイ、すなわち「私を顧みられる生ける神の泉」と名づけ、その方との出会いを記念しました。神は創世記16章の主人公であるアブラハムとサラだけを大事になさる方ではありません。神は異邦の女ハガルという脇役にも、喜んで出会い、導いてくださる神です。神は彼女も同様に愛し給うた方なのです。 神はいくら小さな者であっても神に出会うことを望んでおられる方なのです。16章の葛藤の中で傷ついて絶望したハガルは悟らせてくださる神に出会い、その方への真の信仰を持つことになりました。パウロはエフェソ書を通じて、こう語りました。「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。また、私たち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。」(エフェソ1:17-19)今日も、神はキリストを通じて、民が神の御心を悟ることを望んでおられます。神がハガルに出会って信仰をくださり、彼女を顧みられたように、私たちのことをも顧みてくださり、キリストによる深い信仰を願っておられます。その方への信頼と信仰を持っていつも神の中で生きる志免教会になることを祈ります。

断食の本義。

イザヤ書58章3-11節(旧1156頁)マルコによる福音書2章18-20節(新64頁) イエスは表面的にユダヤ人でした。 民族的な背景だけでなく、宗教的な背景もユダヤ人だったわけです。 現代のキリスト者が誤解しやすいことの一つは、キリスト教をイエスが打ち立てたと信じることです。 しかしイエスはキリスト教という宗教を造られた方ではありません。 イエスはあくまでもユダヤ人としてユダヤ人の民族宗教であるユダヤ教の内部者でした. キリスト教はユダヤ教と分かれてから、イエスの弟子であった使徒の教えを中心に興りました。人々はイエスがユダヤ人のラビの一人だと思いました。というのは、イエスもユダヤ人としてユダヤ人の宗教儀式を行う義務を持っておられたという意味でしょう。だから、イエスは主な活動地域であったガリラヤを去り、ユダヤ教の祭りのためにエルサレムに行かれたわけです。 しかし、だからといってイエスが何も考えずに、習慣的にユダヤ教の宗教儀式を従ったわけではありません。主はユダヤ教を離脱してはおられませんでしたが、ユダヤ教の固着化した、間違った教えは拒否されました。イエスはユダヤ人が誤解している聖書の教えを、本来の意味どおり教えようとしましたが、それによって多くの誤解と葛藤の中に置かれるようになりました。 今日の本文に登場する断食も、それに纏わる話しの一つです。 主はこの断食についての教えを通じて、聖書の読み手に何を教えようとされたのでしょうか。 本文の言葉を通して、話してみたいと思います。 1.宗教の機能は何か? まず、ユダヤ教の断食について論じる前に、宗教というものについて考えてみたいと思います。皆さんのご存知のように、世の中には数多くの宗教があります。そして各宗教にはそれぞれの教義と生き方があります。多くの人は、この宗教を通じて、神を追求したり、祝福を求めたり、心の安らぎを得たりします。 何年か前にインドに行ったことがありますが。 当時、現地で非常に驚いたのはインドにヒンドゥー教の他にも数多くの宗教があったということでした。ヒンドゥー教をはじめ、仏教、ジャイナ教、イスラム教、シーク教、ゾロアスター教、キリスト教、その他に多くの宗教があったのですが、一説によるとユダヤ教まであるそうです。そのあと日本に来てみたら、それに劣らない多くの宗教がありました。 神道は宗教というより文化的な形として存在し、様々なスタイルの仏教、天理教、創価学会、その他の数多くの宗教団体が存在していました。インド、日本だけでなく、他の国々でも同様ではないかと思います。なぜ、世の中にはこんなにも多くの宗教があるのでしょうか。イギリスの小説家アラン・ド・ボトンは自分の著書「無神論者のための宗教」という本で二つの点を挙げて宗教が存在する理由について説明しました。 第一に「共同体意識を培うため」でした。 例えば、かつての神道は国体としての日本を支えるための強力な民族宗教でした。現代の日本人にとって神道がどのような意味を持つのかは、私の知識でははっきり分かりませんが、少なくとも太平洋戦争前までは、神道は日本という国家共同体の意識を高めるための宗教的機能を持っていたそうです。 このような影響は植民地でも見られますが。 韓国ソウルには朝鮮神宮という大きな神社があり、私の実家のある釜山にも大きな神社があったと言われます。 戦争の末期には南太平洋の小島にも鳥居があったと言われ、当時の日本にとって神道というのは共同体意識を培う非常に重要な意味を持っていたようです。第二に「守るべき価値を絶えず追求させるため」でした。 各宗教は独自の経典を持ち、それを繰り返して教えます。これはキリスト教も同じだと思います。 我々は、神の御言葉を繰り返し学び、それを教義化して習得します。 仏教にはお経があり、イスラムにはコーランがあります。このようにアラン・ド・ボトンは宗教の存在意味が一種の制度としての役割を持つところにあると考えました。これが一般論だとは言えませんが、かなり説得力のある主張ではないでしょうか?皆さんは宗教について、どのような理解を持っておられますか。 私たちは習慣的な礼拝、献金、祈り、集まりを通じて信仰的な義務を果たすと考えているのではないでしょうか。 ひょっとしたら、私たちも、このような共同体意識の養いと価値への追求という、宗教の制度的な機能の中にいるのではないでしょうか? 2.宗教行為としてのユダヤ教の断食 だからといって、宗教の制度的な機能が悪いとは言えないでしょう。 確かに、ある程度の制度的な機能がないと宗教は保たれないからです。 でも、それがあまりにも過剰になって副作用が生じると、それは重大な問題になってしまいます。 かつての神道は、国家共同体意識の養いという美名の下、他宗教の信徒にも神社参拝を強要し、特にその悪い影響は、日本や植民地のキリスト教に分裂という深刻な結果を残しています。 現在、韓国の長老派は約250の教派に分かれていますが、その最初の分裂の理由は神社参拝への悔い改めについての論争から生み出されました。 また、宗教的価値の追求ということにも問題があります。 日本の教会の中でも、信仰的な価値を追求する熱心な人たちが、比較的熱心でない人たちを批判し、対立することがあると聞いたことがあります。 私が所属していた韓国の教会では、礼拝に熱心に出席し、大金の献金をし、祈りをたくさんする人々が、そうではない人々を非難し、それから信徒の間に葛藤が生じる場合が多かったです。 このように、各宗教はその宗教が持っている、過度な宗教性のため、本質を見失ってしまう間違いを犯すこともあるのです。 今日の本文に記されている断食という宗教行為が、このような宗教性によって変わってしまった代表的なユダヤ教の儀式でした。 もともと断食とは「私が飢え、その飲食を他人に食べさせる。」という意味を持っていたそうです。 しかし、時間が経つにつれて断食は宗教的な熱心さの道具になってしまいました。 ユダヤの宗教家たちは断食に代表される宗教儀式を通して、自身の宗教的な熱心さと水準を誇りとしました。「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。」(マタイ6:16)イエスが警告なさるほど、当時ユダヤ人たちは断食を誤用していたようです。 またユダヤ人には断食を通じて、自分たちの感情と信仰の欲望をも追い求めている姿があったようです。「国の民すべてに言いなさい。また祭司たちにも言いなさい。五月にも、七月にも、あなたたちは断食し、嘆き悲しんできた。こうして七十年にもなるが、果たして、真にわたしのために断食してきたか。」 (ゼカリヤ7:5) バビロンによって滅ぼされたユダヤ人は、神様がまたユダヤ民族を解放させてくださるまで、約70年の間、神様の御心とは関係なく、ただ自分たちの心の慰め、感情的な欲望を満たすために、断食を誤用してきました。 ちなみに五月の断食とは、イスラエルが滅ぼされた月を記念するもので、七月の断食とは、イスラエル民族のある指導者の死を記念するもので、国や民族の悲しみを記念するものでした。 つまり、神様が、なぜユダヤ民族を滅ぼされたのか、その滅亡が持つ意味は何かに対しては、何の反省もしなかったということです。 彼らの断食は、神と何の係わりもないものでした。 それ故に、主はこのような自己中心的な宗教行為としての断食を咎められたわけです。 3. 断食(宗教行為)に対する神の御心。 古今東西を問わず、キリスト教の最大の問題点の一つは、信徒が自分の慰め、家族の幸せ、仕事の繁栄など、自分だけのために宗教儀式を行うということです。 もちろん、私たちの人生、神様の慰め、家族の幸せ、仕事の繁栄は大切なことです。 私はそれ自体を否定するつもりはありません。 私も皆様個人やご家族、職場などのために毎日祈っております。しかし、はっきり知っておくべきことは、それらは私たちの信仰の一部に過ぎないということです。私たちは、それらよりもっと大きい価値としての神様への信仰を持つべきです。イエスは貧しい隣人のために一緒に喜んで食べられ、悲しい隣人のために一緒に悲しみつつ飲まれました。イエスにとって大事なことは、イエスが目立つための宗教行為としての断食ではなく、神様が愛する貧しい者、悲しい者たちに喜びと慰めになる隣人としての生き方でした。イエスは、誰よりも熱心に祈り、誰よりも熱心にユダヤ人として生きました。 しかし、その祈りと宗教的な熱心さは、神の愛に乾いている隣人との同行として現れました。 イエスは決してご自分のための宗教行為に満足されませんでした。主はその宗教行為の結果として、神様の愛を伝えるメッセンジャーになることをもっと大事に思われたのです。…

復活のある人生。

ヨハネによる福音書11章25-26節(新189頁) 前置き 私たちは日常生活で復活という言葉をよく耳にします。 特に、ニュースや新聞では「○○選手の華麗なる復活」「XX特別法が復活した。」などの表現が、よく使われています。これを推し量ってみると、日常生活で使われている復活という表現は、新しい始まりや活動の再開などを示す時、よく使われていることが分かります。復活という表現の本来の意味は「死んだ人が蘇ること。」という意味なのですが、実際に死んだ人が蘇ることは現実では有り得ないので、こんにちの復活という表現は比喩的な意味ではないかと思います。ところが、依然として「死者が蘇る。」という意味として復活を使っているところがあります。まさにキリスト教です。 聖書はイエス・キリストが死んで3日後に復活し、この世を裁くために再臨なさる時に、イエスを信じるすべての者が、イエスのように復活を経験するだろうと証言しています。 そして、キリスト者たちはそれをイエスの約束だと信じています。 なので、復活はキリスト教の最も重要な教義の一つです。皆さんは復活をどう思っておられますか? 今日はキリスト教が語る復活、そして我々の生活の中での復活とは何かについて考えてみたいと思います。 1.死を治めるイエス·キリスト 新旧約聖書を問わず、私にとって最も印象深い語句の中の一つは「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている。」(ヘブライ9:27)という言葉でした。 人間は誰でも一度は死ななければならない存在であり、誰もが、その後に裁きを受けるに決まっているという、神の厳しい警告だと感じられたからです。 なぜ、人は生きるために生まれたのに、死ななければならないのでしょうか? 先日、志免教会墓地の逝去者名簿を見る機会がありました。 最も幼くして亡くなった方は1歳で、最も長生きなさった方は100歳でした。 一人は、とても幼い年で、また一人は100歳の超高齢まで生存されましたが、結局はお二人共、神の召しに応じなければなりませんでした。 名簿を見ながら、人はいつかは死ななければならない運命なのかと、粛然となりました。 そして、皆が死後、神様に裁かれるんだと思い、畏れを感じました。 このように人間は、死の前で限りなく弱くなる存在です。 いつかは神に召され、死ななければならない存在なのに、なぜ人間はこの世での富や誉や権力のために、他者を苦しめ、互いに争い合い、傷つけて生きるのでしょうか? 人生というものの虚しさに改めて、どのように生きるべきだろうかと反省するようになりました。 「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ福音書11:25-26)しかし、聖書は死を終わりだと見なしていません。 死後の復活も共に語っているからです。 今日の新約本文であるこの言葉は、ラザロという人が死んだ後、イエス様が彼を生き返らせる物語です。 死んで四日も経ち、臭いがするラザロは、完全に死んでいる状態でした。 しかし、イエスはそのラザロに「ラザロ、出て来なさい」と大声で呼ばれ、彼は蘇らせられました。 イエスはこの出来事を通して、人間の生と死が、神様に遣わされたイエスの権限のもとにあることを教えてくださいました。 人は誰もが、一度は死ななければならない存在です。 人間は、その摂理に逆らうことが出来ません。 しかし、聖書は語ります。 「復活であり、生命であるイエスのもとにいる者は、死んでも生きる。」イエス·キリストは死を打ち砕かれた存在です。 むしろ死は、イエスを信じる者にとっては人生の一部になるだけです。 なぜならば、イエスを信じる我々は終わりの日に、主によって復活させられるからです。 キリスト者にとって死とは、復活を待ち望む人生の一部なのです。 疲れた者が眠り、元気に起き上がるように、イエスのもとでの死は、栄光の復活を経験するための長い眠りに過ぎないものです。 2.復活のためのイエスの苦難 ここで、一つ考えてみるべきことがあります。 なぜ人間は死ぬことが定まっている存在になったのでしょうか。 聖書は、初めに神様が人を造られた時、人に神様と共に生きることが出来る永遠の生命を与えられたと語っています。 人は神の子として創造され、神はその人間を最も大切な子とされたわけです。 しかし、その人間は、自ら傲慢になり、いと高き神の御座を奪おうとする欲望によって、神を裏切り、背く存在となってしまいました。 聖書は、そのような人間の邪悪な振舞いから罪が生まれ、その罪によって神と人間が敵となったと話しています。 ところで、この罪が持つ致命的な問題は、その罪がもたらす呪いとして人間に死が訪れたということでした。 「罪が支払う報酬は死です。」(ローマ書6:23)聖書は、この罪のため、すべての人が死の支配のもとで、死ぬしかない存在となったと証言しています。 つまり、人間が死ななければならない理由は、私たち人間に神様を敵とする罪が残っているからです。 罪とは、殺人、暴力、盗難等の強悪犯罪のみを意味するものではありません。 人間を創造した神を拒否し、神に逆らうすべての行為が罪なのです。 そういう意味で、神様に従わない存在が、殆どを占めるこの世は、罪の固まりと言っても過言ではないでしょう。 それにも関わらず、神様はこのような罪に満ちた、この世でも罪人を諦めずに神様と和解できる手立てを備えてくださいました。 その手立てとして遣わされた方が、まさにイエス·キリストです。 旧約聖書では、人が罪を贖われる手段として獣を屠り、その血で神に赦される方法を提示していますが、この方法の盲点は、自分の罪に気付くたびに、それを繰り返さなければならない、不完全性にありました。 つまり、一度だけの生け贄では完全な贖いが保たれないということでした。それ故に神は、たった一度の生け贄で過去、現在、未来のすべての罪を一気に贖える強力な生け贄を自ら備えてくださいましたが、それがまさにイエス・キリストの十字架での犠牲だったのです。キリストとは神の独り子が人間になって来られた救い主で、罪のない方でした。その方は罪人たちのために、代わって御自分の命を犠牲にして、その罪を贖ってくださいました。 イエス・キリストが苦しみを受けた理由は、神と人間を和解させる、この完璧な生け贄を捧げるためだったのです。 罪に汚された人間を愛した神様が、罪のないイエスに、そのすべての罪を擦り付け、罪人の代わりにイエスを犠牲にしたわけです。 また、神はご自分の死を通して、人間の罪の償いを完全に支払ったイエスを復活させることで、イエスを信じる者たちも、同じくイエスのように罪から自由な者として復活することを約束してくださいました。…

主の約束を待ちなさい。

創世記16章1~16節(旧20頁)ヘブライ人への手紙10章36節(新414頁) 前置き 先々週の創世記の説教では、人間の信仰と神の約束についてお話しました。私たちは、その説教を通して、人間の真の信仰とは「神から与えられた約束」という前提から、初めて始まると学びました。私たちは、キリスト者として生きていきつつ、信仰の重要性について、絶えず、聞き学びます。信仰がなければ神を喜ばせることが出来ず、信仰がなければ、キリスト者ではないと学んできました。しかし、私たちは、この信仰という言葉だけに集中したあまり、もっと大切なことを忘れてしまう時もあります。まさに、この信仰の主体が誰なのかということです。聖書は新旧約を問わず、人間の行いではなく、信仰によって救われると語っています。しかし、それは単に「信じる」という人間が中心となった、また別の行為を意味するものではありません。真の信仰とは、「私の心の欲望が叶うだろう。」ということを信じるのではなく、「神様が私たちに与えられた約束通りになるだろう。」ということを信じることです。 「私の願いを信じるのではなく、神の御言葉の約束を信じること」これが、先々週の創世記説教で分かち合った内容でした。今日は、その神の約束を信じるということについて創世記16章を通して、再び話してみたいと思います。 1.繰り返されるアブラハムの失敗。 創世記で、アブラハムの生涯を取り扱う箇所は、創世記11章29節から25章7節まで、非常に長い紙面を割いています。このようなアブラハムの長い物語を説教しつつ、一つ、悩みが生じてきました。それは、アブラハムの信仰にある頻繁な浮き沈みのことでした。アブラハムは信仰の失敗と回復を創世記の読み手に繰り返し見せてきました。おそらく読み手は、彼の生涯を眺めながら、繰り返される失敗と回復に疲れを感じるかもしれません。そして、それらを説教する人も、アブラハムの不安定な信仰の故に、ある時はアブラハムの信仰の回復を、またある時はアブラハムの信仰の失敗を説教して、特に違いの無い説教を、一週間おきに繰り返すことになるでしょう。これは説教者の立場では、本当に困ることだと思います。ところが、この失敗と回復が繰り返されるアブラハムの生涯は、全く無意味なばかりなのでしょうか。私は、このようなアブラハムの信仰の浮き沈みが、ただアブラハムだけの問題ではないと思いました。現在を生きていく私たちの生活は、果たして、いかがでしょうか?私たちは、アブラハムに勝る存在でしょうか?我々はアブラハムの浮き沈みを介して、自分の信仰の現状を鑑みなければなりません。私たちは、時には信仰が強くなったり、また時には信仰の弱さを経験したりします。つまり、私たち自身にも信仰の浮き沈みがあるということでしょう。ひょっとしたら、聖書は浮き沈みが繰り返されるアブラハムの生涯を通して、むしろ、それを眺めている私たちに、自分の信仰を顧みることを訴えているのかもしれません。 今日の物語(16章)は、アブラハムが神に出会ってから、10年後の出来事です。つまり、創世記15章の主とアブラハムとの契約から、かなり時間が経っている状況だったのです。しかし、神の約束とは違って、アブラハムには、未だに子供がいませんでした。 「あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」(創世記15:4)10年前、神は、アブラハムに何よりも感激的な相続人の約束をくださいました。しかし、その約束は10年が経った今でも、全く成就されておらず、アブラハムを焦(じ)らしているだけでした。アブラハムが住んでいた古代中東の社会で、相続人がいないというのは「彼は神々に呪われた。あるいは、彼には権威がない。」などと、人々に嘲笑を受けるべき、大きな欠陥だったからです。現代では子供がいなくても、そんなに大きな問題とされないと思いますが、当時に相続人がいないというのは、社会的な欠格事由となるほどの深刻な事柄だったのです。そして、それは、アブラハムの妻サラにも、同じく心配事になりました。息子がいないサラは、アブラハムよりも、さらに大きな嘲笑を受ける立場だったからです。つまり、相続人が生まれてはじめて、アブラハムとサラは、自分たちの社会的な地位と権威を認められるのでした。なので、彼らは自分なりのやり方で相続人を設けるために工夫し、計画を立てました。それは二人目の妻(原文ではサラと同等、側女ではない。)を迎えることでした。しかし、これは、むしろ家庭内の争いと、神のご計画に反する騒動をもたらす種になってしまいました。これにより、アブラハムは再び信仰の失敗を経験してしまいます。 2.アブラハムの失敗がもたらした種子。 「アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。 サライはアブラムに言った。主は私に子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷の所に入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。アブラムは、サライの願いを聞き入れた。」(16:1-2)当時、アブラハムとサラの出身地であるウル地域では、妻が不妊だったら、二人目の妻を迎えて、相続人を出産する場合が珍しくなかったと言われます。そして、二人目の妻は代理母ではなく、一夫多妻制による正式な妻でした。なので、新共同訳の側女という表現は、原文のイメージと多少ずれる点があります。(日本と文化が違う)1番目の妻は2番目の妻より、大きい権威を持っており、2番目の妻が子供を産めば、共同の子供として育てました。なので、サラは自分の文化の仕来りに従って、二人目の妻をアブラハムに提案し、アブラハムはそれを受け入れたわけです。しかし、ここには一つの問題点がありました。 「主は私に子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷の所に入ってください。」サラは、神が自分を通して、子供をくださらないだろうという、全く根拠のない自分の独断的な判断に従って、神のご意志を勝手に解釈してしまったことでした。実際に、神はアブラハムの体を通して子供を授けると約束してくださいましたが、その子がサラの子なのか、他人の子なのかについては、明らかにしておられませんでした。しかし、神は「サラではなく、他人を通して生ませる。」とも教えておられませんでした。まだ何も決まっておらず、神の約束は依然として有効だったのです。なのに、アブラハムとサラは、自分なりの熱心さで、身勝手に振舞ってしまったわけです。彼らの思いでは、その熱心が正当だったのかも知れませんが、神への信仰においては、神のご意志を限定しようとした、もう一つの信仰の失敗となってしまったということでした。 「神はアブラハムを通して相続人を授けると仰ったが、その子が、必ずしも、サラを通して生まれるだろうとは言われなかった。とにかくアブラハムの子供が生まれれば良いじゃないか?」という考えが、彼らにあったわけでしょう。結局、アブラハムはサラの女奴隷ハガルを妻に迎え、しばらくして、身ごもりました。サラは自分の女奴隷が身ごもったので、ウル式にその子を通して、子無しの汚名返上を図っていたかも知れません。しかし、その結果は別の方向に進みました。 「アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。」(4)予想とは違って、ハガルはサラを軽んじたからです。ここで私たちが知っておくべきことは、ハガルはウルではなく、エジプト出身者だったということです。学者たちは、このエジプト人ハガルが、アブラハムが飢饉を避けるために行ったエジプトから出てくる時、連れてきた奴隷であると見なしています。なので、結婚への文化的な概念自体が異なっていたということです。おそらくサラはハガルの子であるが、その子を通して自分の権威が保たれるだろうとの、ウル的な思いを持っていたはずでしょう。しかし、エジプト人ハガルの思いは、それとは、また違う点があったようです。結局、アブラハムとサラは、神の約束の実現のためという口実で独断的な判断を下したあげく、また、新しい問題を作ってしまいました。神はサラの子イサクを通して、アブラハムの子孫を受け継がせる計画を持っておられましたが、彼らの独断的な判断は、神の御業を妨げ、家庭の争いと共に、イシュマエルという計画されていない息子まで生ませてしまったのです。 3.信仰において待ち望みが大事な理由。 このような状況で、サラは自分がハガルをアブラハムに与えたにもかかわらず、奴隷ハガルを虐め、夫アブラハムを責めました。「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのはわたしなのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、わたしを軽んじるようになりました。主がわたしとあなたとの間を裁かれますように。」(5)すると、アブラハムは無責任に、ハガルを放り投げてしまいます。「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」(6)最終的に、ハガルは、アブラハムの無関心とサラの虐めで、苦しさのあまり逃げてしまいました。しかし、神は彼女を見捨てられず、御使いを送ってくださり、荒れ野の泉のほとりまで逃げた彼女に出会って、ハガルと彼女の息子のための約束をくださいました。 「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。」(9-10)、結局、ハガルは、神の御言葉に服従し、アブラハムとサラのもとに戻っていき、彼らに従順に仕え、一緒に暮らしました。そして、息子のイシュマエルを産んだのです。神はアブラハムとサラに与えられた約束のように、ハガルにも、その子孫を祝福し、栄えさせるとの約束をくださって、この出来事を一段落させられました。 今日の出来事は、神の約束への待ち望み、つまり忍耐の不在から起こりました。その始まりは、創世記12章のアブラハムが飢饉を避けてエジプトに行ったことから始まります。神がアブラハムに「祝福の源にする。」という、同道の約束をくださったにも関わらず、アブラハムは自分の判断でエジプトに下り、その時、連れてきたハガルによって、今日の出来事が起こったわけです。(全てがハガルのせいではないが、要らない出来事が生じてしまった。)15章で、神は必ずアブラハムを通して相続人をくださると仰いましたが、その約束には、基本的に妻サラを通して生まれる子供への約束だったはずでしょう。(文脈上)しかし、アブラハムとサラは、自分たちの判断により、その約束を歪曲し、最終的には、ハガルとの結婚により、家庭の争いと約束されていない子供が生まれるという悲劇につながりました。ヘブライ人への手紙には、このような言葉があります。 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブル11:1)神の約束を信じるということは、人の目に、その見通しが立たなくても、その約束をくださった神の御心を根拠にし、成就されるだろうと信じることです。自分の考えとは違っても、すぐに道が開けてこなくても、その約束を与えられた方の完全さに頼って、その約束を信じ込むことです。約束の達成という甘い結果ではなく、その結果を成し遂げられる神の御業という過程を信じることです。そういうわけで、神を信じると自負する者に、必ず求められるのは待ち望みと忍耐なのです。神の御考えと人間の予想は、全く違うからです。忍耐のない信仰は、人間の欲望に過ぎず、その欲望の終わりは、今日の物語のように破綻になるだけです。 締め括り 「神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。」(ヘブライ10:36)私たちは、信仰生活をしつつ、どんなに祈っても叶わない経験をしたりします。子供のために切に祈ったのに子供が不良学生になったとか、ビジネスの上で切に祈ったのに不渡りになったとか、人間関係のために切に祈ったのに、むしろ人間関係がさらに悪くなったとかなどの場合もあります。それらの場合、応えてくださらない神に失望し、信仰が揺らいでしまう時もあるでしょう。そして祈りを止めてしまうこともあります。まだ、神の時ではないのに、自分の忍耐不足のため、諦めてしまうのです。もちろん、最後まで叶わない願いもありますが、その願いへの答えは、神様に属する事柄なのです。我々は自分自身ではなく、祈りを聞かれる神の立場から考えてみる必要があります。自分の祈りが叶うのが、自分の欲求を満たすことなのか、神の御心を待ち望むことなのか、振り返る必要があるでしょう。聞いてくださる方は神様です。聞いてくださるという意味は叶えてくださる方も神様であるという意味でしょう。神が望まれる時、神が望まれること、神が望まれる計画などを、聖書の言葉を通して黙想しつつ、それに応じて待ち望み、忍耐する必要があります。そして、「そうではなくとも」というダニエル書の御言葉のように決定の主導権を神様にささげる信仰を持って神様のお働きを待ち望むべきです。信仰は忍耐との戦いです。そして、その忍耐を持って神の御心を待ち望むのが、真の信仰なのです。忍耐ある信仰者になっていきましょう。そして、私が願う時ではなく、神が成し遂げてくださる時を待ち望みつつ、主を信頼していきましょう。