神の子イエス

創世記18章1-15節(旧23頁)マタイによる福音書18章10-14節(新35頁) 前置き もう、マルコ福音書を始めてから半年が経っています。それにも拘わらず、話の進みが遅すぎて、先々週やっと2章を終えて、今週からは3章に入ることになりました。もちろん、一週間おきに創世記をも取り上げているため、もっと遅くなっていると思いますが、マルコ福音書の短い文章の中には、奥深い意味が多く含まれていて、さらに遅くなっているかと思います。しかし、マルコ福音書には21世紀を生きる我々に、依然として有効な教えが、たくさん隠れているので、ゆっくり吟味しつつ語り合っていきたいと思います。イエスはローマ帝国の下で迫害を受けていた主の教会にキリストによる希望を与えてくださり、またイエスご自身が罪と悪に満ちたこの世に、どのように対抗なさったのかを教えてくださるために、私たちにマルコ福音書を残してくださったと思います。マルコ福音書を通して、主イエスがどれだけご自分の民を愛しておられるのかを、また現代を生きていく私たちに、どれだけ希望と勇気を与えることを望んでおられるのかを、一緒に学び、覚えていきましょう。今日は神の子イエスという題で皆さんとマルコ福音書3章の言葉を話してみたいと思います。 1.人を愛されたイエス·キリスト イエス様はマルコ福音書2章後半で、安息日の本当の意味について教えてくださいました。 ‘安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。'(マルコ2:27)主は安息日に宗教儀式としての礼拝だけでなく、神が与えられた隣人に愛を実践することで、真の安息日の精神を守ることを命じられました。今日の本文3章1-6節は、もう一度安息日を背景にし、イエス様が人をどのように愛されたのか、実践的なイエス様の生き方を示してくれます。当時、ユダヤ人は安息日に「働かないこと」という旧約の律法を誤解し、安息日に人を助けることさえ犯罪だと見なしていました。もともと律法が安息日の労働を禁じた理由は、「自分の欲望のための労働や娯楽を止め、神様に完全な礼拝を捧げなさい。」という意味だったからです。 つまり、きちんと聖別された安息日を過ごせとの意味だったのです。 しかし、イエス当時の宗教者たちは、それを誤解して安息日にすべての労働を禁止し、さらに隣人を助け、人を生かすことさえ労働と見なしてしまいました。特に、律法を研究していたファリサイ派の人々は、そのような評価基準に基づき、人々を罪に定めたりしました。 聖別のための禁止が、人を罪に定めるための禁止に変質したわけです。 「イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。」(3:1-2)そのため、彼らは安息日に片手の萎えた人を治そうとしていたイエス様に注目し、何とかイエス様を罪に定めたがっていました。イエス様が前の2章で「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」と仰ったにもかかわらず、彼らはものともせず、イエスを不正な者として中傷するために血眼になっていました。それでも、主は彼らの評価よりも、片手の萎えた人を治されることに力を注いでおられました。ここでの「片手の萎えた人」という表現は、自力では何もできない弱い者を意味する表現です。しばしば聖書は「手」という表現を「力」と解釈したりします。神様は安息日という、本質を失い、口実だけ残っている宗教儀式より、安息日に何もできない者、他人の助けを切実に求めている者を助けることに心を注がれることで、真の聖別とは何か、神様の御心とは何かを教えることをお望みになったのです。そのために力の弱い者に力を与え、助けを求める者を助けてくださったわけです。キリストは神への真の礼拝とは、神様が私たちに与えて下さった隣人を愛し、助ける生き方を伴うことだと教えてくださったのです。 安息日の後、イエスはガリラヤ湖に足を運ばれました。その時、おびただしい群衆がイエスのところに従って来ました。彼らの中にはイスラエル人だけでなく、異邦の人々もいました。彼らはローマ帝国の支配下にある貧しくて哀れな人々でした。イエスのうわさをことごとく聞いた彼らは、自分たちの宗教やローマ帝国では満たされなかった慰めと癒しを請うために、イエスのそばに集まって来たのです。群衆はイエスに会うために押しつぶされるほど、たくさん集まりました。 しかし、イエスは彼らを無視なさらず、皆が怪我せずに主を見ることが出来るように、小船にお乗りになりました。イエスは彼らを癒され、悪霊を追い出してくださいました。イエスは彼らの苦しみと悲しみを知っておられ、治すことを望んでおられたのです。神の聖なる者、油注がれた者イエス·キリストは、人を愛し、彼らを助けるために来られた方でした。イエスは、真の神でありますが、人間でもある、神と人の間の仲保者でした。みずから人間になるほどに、主は人間を愛してくださったのです。神の子イエスは、このように神という絶対的な存在でしたが、人間を愛する憐れみの主でした。 そして、その主は今日もキリストの愛と助けを望んでいる、私たちを喜んで愛してくださる方なのです。 2.神の子という表現について。 「汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、あなたは神の子だと叫んだ。」(3:11)その時、貧しくて病んでいる人々を苦しめていた汚れた霊どもは、イエスを見てひれ伏し、「あなたは神の子だ」と叫びました。イエスはまだご自分の時ではなかったので、彼らに「ご自分のことを言いふらさないように」と厳しく戒められました。御父から来られ、人間の間にいらっしゃるイエスは、実に神の子でした。そして、イエスを敵視する汚れた霊どもは、イエスが神の子であることを見抜き、証ししました。敵対する者がイエスを神の子と認めるとは、いかに皮肉なことなのでしょうか。ところで、イエスの当時のローマ帝国において、「神の子」という言葉には、どのような意味があったのでしょうか? 聖書がイエスのことを「神の子」だと証しするから、当たり前にイエスは神の子なのでしょうか? それとも、他の裏の意味があるのでしょうか?事実、この「神の子」という短い表現には、当時の歴史的、文化的、政治的な奥深い意味が隠されていました。イエスはなぜ、このように「神の子」と表現した霊どもを叱られ、戒められたでしょうか? これを理解するためにはイエスの時代から約400年前に遡らなければなりません。 紀元前、約360年ごろ、古代ギリシャの小さな国家、マケドニア王国にアレクサンドロスという王子が生まれました。当時、マケドニアはそれほど大きな国ではありませんでした。しかし、20歳になったアレクサンドロスは特有の勇猛さと実力を発揮し、周辺のギリシャ諸国とエジプトを征服していきました。彼はギリシャ、エジプト征服にとどまらず、西のペルシャを攻撃しました。当時のイスラエル民族はペルシャの支配下にありましたが、アレクサンドロスはペルシャを征服し、イスラエル民族をも支配することになりました。その後、アレクサンドロスは西へと進撃し続け、現在のインドの一部までも掌握し、ギリシャ帝国を打ち立てました。(広さ九州→アメリカ)このすべての征服活動は、わずか10年にしかならない短い期間に行なわれました。 それで人々は今でもアレクサンドロスを偉大な王という意味で、大王と呼びます。ところが、アレクサンドロスの業績は土地の拡張だけにとどまることではありませんでした。彼はギリシャの文化をペルシャとインドの地域まで伝え、西洋と東洋の文化が結びついた、いわゆるヘレニズム文化の発端となりました。以後、ヘレニズム文化は西洋に逆流入し、その影響はギリシャ帝国のみならず、ギリシャ帝国の滅亡後、ローマ帝国の全盛期にも影響を及ぼすほど、強力なものでした。 そのヘレニズムの影響で、ローマ帝国の支配下で記された新約聖書は、ほとんどがギリシャ語版であり、ローマ帝国が誕生する前、すでに旧約聖書はギリシャ語に翻訳されたのです。 ところで、アレクサンドロス大王は自らをゼウスの子だと言いました。つまり「神の子」だと主張したわけです。以降、ローマ帝国の皇帝たちが自らを神の子と呼んだ理由も、こうしたアレクサンドロス大王への羨望と嫉妬、尊敬の意味を盛り込んでいるためでした。したがって、イエスの時代にあって、「神の子」という言葉は、ローマ皇帝を意味する表現でした。ところで、イエスに敵対していた悪霊たちは、このようなイエスの真の存在意味を見抜き、イエスにまるでアレクサンドロス大王のような権威を込めて「神の子」と呼んだわけです。当時、「神の子」と呼ばれることには、政治的な意味が深くあったため、政治犯と見なされ、十字架につけられ、殺される危険性を持っていました。そういうわけで、イエスはまだご自分の時になっていないとご判断なさり、悪霊どもにイエスについて言い表すことを厳しく戒められたのです。当時のローマの皇帝は、自分の名誉と権力を高めるために、「神の子」と呼ばれることを望んでいました。貧しい人々を支配し、弱い者たちを征服し、もっぱら自分の既得権だけのために世界を治めようとしていたのです。しかし、真の神の子、イエスは彼らと違いました。イエスは「神の子」でいらっしゃいましたが、ご自分の名誉、権力、既得権のためではなく、父なる神が憐れんで愛しておられた弱い者たちの名誉、力、回復のために神の子として来られたのです。イエスはアレクサンドロス大王より偉大なお方でしたが、高いところではなく、最も低いところに来られ、愛と慰めと希望を与えてくださった、真の神の子だったのです。 締め括り 今日の旧約本文である詩編2編は、「神の子(メシア)への賛美」です。この詩篇2編がいつ記録されたのかは詳しく分かりませんが、イスラエル民族がバビロンに滅ぼされる前、王政時代に記録されたという仮説が有力です。つまり、アレクサンドロス大王やローマ皇帝を意味する「神の子」よりも、ずっと前の概念だという意味です。 おそらく、このような詩編2編の影響で、イエスの時代の人々も、神の子という表現に対する旧約のイメージを知っていたと言えるでしょう。 それにアレクサンドロスによるヘレニズム文化的な「神の子」という意味も知っていたはずでしょう。結局イエスは、このようなヘブライ的な、そしてヘレニズム的な文化が重なっているローマ帝国の支配下のイスラエル社会に真の「神の子」として来られた方なのです。しかし、イエスはこの世が示すローマ皇帝としての神の子ではありませんでした。詩編2編のように、世の権力の上におられ、この世とあの世、両方とも治められる真の神の子でした。 この真の神の子イエスは、いつかこの世の悪い権勢を退け、正義と愛の王として再臨されるでしょう。我々キリスト者は、そのイエスを信じて、イエスが行われた神と隣人への愛を重要な価値として、生きていくべきでしょう。 神の子イエスは、敵には審判者として、民には救い主として来られる方です。そのイエスの再臨を待ち望む存在として、イエスに倣い、聖別されたものとして、正義をもって生きる私たちになることを願います。