レントについて。

ヨブ記42章1~6節 (旧832頁) マタイによる福音書6章16~18節 (新10頁) 前置き 今週は、レントの4週間目です。私たちは毎年レントの期間を過ごしつつ、週報でレント何週間目という表現をよく目にします。しかし、私たちはレントの真の意味について、どれほど知っているでしょうか? もしかしたら、レントという言葉にどういう意味が含まれているのかも分からずに使っているかもしれません。しかし、昔の教会はレントの期間を通してイエス·キリストの苦難と復活を黙想し、祈り、断食し、記念したと言われます。今日は、果たしてレントとは何か、現代を生きる私たちは、この期間をどう過ごすべきかについて考えてみたいと思います。 1.レントの由来と意味 毎年、春になると、私たちはレントという名の四旬節の期間を過ごすことになります。四旬節は漢字語で40日という意味で、イエス·キリストの復活を記念するイースター前の40日間を意味します。それでは、レントとはどういう意味でしょうか? 私は、この四旬節を意味するレントという表現を日本に来て初めて使うようになりました。本国では四旬節と呼んでいたからです。そこで、四旬節の原文を探ってみたら、ギリシャ語では「テサラコステ」、ラテン語では「クアドラゲシマ」でした。いずれも40日という意味です。どこにも「レント」と「40日」の関わりが見つかりませんでした。それで、インターネットを検索してみたら、この表現の由来が古代アングロサクソン語の春を意味する「レンテン」から来たことがわかりました。なぜ、突然アングロサクソン語が登場するのでしょうか? 初代教会時代、キリスト教は迫害を乗り越え、ローマ帝国の国教として認められ、非常に大きな影響力を持つようになりました。その時期、ヨーロッパの辺境には依然として数多くの迷信とシャーマニズムが存在していました。しかし、その地域の異教徒が徐々にキリスト教信仰を受け入れ、これまで行ってきた迷信とシャーマニズムの祭りにキリスト教的な意味を与えるようになりました。わたし個人の推測ですが、おそらくこのようなローマ帝国の辺境の異教徒たちの改宗によって迷信とシャーマニズムの祭りがキリスト教的に変わっていき、キリスト教の四旬節の期間に、辺境部族の春の祭りの名称「レンテン」に由来するレントが名付けられたのではないかと思います。 ローマ帝国当時、辺境の言葉だったアングロサクソン語が使われる可能性は、これが唯一だからです。これは私の仮説ですので、定説だとは言い切れません。しかし、キリスト教の他の記念日の場合、こういう経緯によって名付けられたことが多いですので、ある程度の可能性はあると思います。先ほど、レントは春を意味する古代アングロサクソン語のレンテンに由来したとお話しました。イエス·キリストの死は、主を信じるすべての者に真の命を与える、冬が来る前に命の種を蒔くことのような聖なる出来事でした。ひょっとしたら、四旬節にレントという名称を与えた昔の教会の人々は、イエス·キリストの復活から真の命の春を見つけたわけではないでしょうか。しかし、私たちは意味の分かりにくい、この「レント」という表現に伝統という名目でこだわる必要はありません。四旬節という漢字語で呼んでもいいし、テサラコステやクアドラゲシマのような古代語で呼んでもいいです。もちろんレントという名称も構いません。しかし、最も重要なことは、主イエス·キリストが私たちの真の救いと命のために、苦難を受けられたこと、私たちの代わりに死んでくださったこと、そして復活によって死の権能に勝利されたこと、これらを憶えることです。名称が何であっても構いません。大事なのは名称でなく、その意味だからです。 2.なぜ40日なのか? そして灰の水曜日とは。 ところで、レントの期間は、なぜ40日なのでしょうか? 正確に言えば、レントは、イースターから7週間前の水曜日、いわゆる灰の水曜日から、6つの日曜日の日数を抜いた、イースターの直前の土曜日までの期間を意味します。(画像参照) 例えば、2023年のレントは2月22日の灰の水曜日に始まり、2月26日、3月5日、12日、19日、26日、4月2日の6つの主日を抜いた、4月8日までの40日間を意味するのです。ですので、正確に言えば、日曜日を含めたレントの期間は46日となります。なぜ、レント期間を40日として守ったのかについては、様々な仮説がありますが、「聖書に現れる40という数字に深い意味があるから」という説が有力だと思います。「ノアの洪水の時、40昼夜雨が降ったこと(創世記6:5-7)」「出エジプトの時代、イスラエルが荒野で40年間生活したこと(申命記29:4)」「モーセが神に十戒をいただくとき40昼夜断食したこと(申命記9:18)」「予言者エリヤが神の山に行くために40昼夜を過ごしたこと(列王期上19:7-8)」「イエスが公生涯を始められる前に40昼夜試練をお受けになったたこと」(マタイ4:1-11)「イエスが昇天される前に40日間地上におられたこと。(使徒言行録1:3)」など。すなわち40日という日数は断食と悔い改め、贖罪によって、自分の罪を顧み、神の御前に進んでいくための清めの時間という意味が強かったためです。とういうことで、レントの期間も40日になったと思います。 それでは、レントの初日である「灰の水曜日」には、どんな意味がありますでしょうか? 灰は非常に古い象徴です。今日の旧約本文を読んでみましょう。「わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます。」(ヨブ記42:6)学者たちはヨブ記の時代が、アブラハムの時代と近いと推測しています。創世記を読むとイスラエル民族が打ち立てられる前にも、神を崇める存在はいましたので、可能性がないとは言えないでしょう。つまり、イスラエルが成立する前から、灰は悔い改めと反省の象徴を持っていたようです。創世記には神が塵で人間を創造されたと記してあります。(創2:7) エデンの園から追い出された最初の人間たちは、神に「塵にすぎないお前は塵に返る。」(創世記3:19)と言われました。ヘブライ語の塵は、時には灰と翻訳される場合もあります。つまり、灰には「私は塵のようになにものでもない」という意味が含まれています。聖書全体的に灰は罪人たちが神の赦しを求める時、自分の罪を悲しむ時に使われる表現でした。古代の教会は額に灰を塗り、悔い改めの祈りによって、四旬節を始めたと言われます。灰を塗って悔い改めつつ、四旬節を始める水曜日という意味として灰の水曜日と呼ばれはじめたわけです。 したがって、初代教会の信仰者たちは、この灰を自分の額に塗る象徴的な行為を通して、40日というレントの間、神の御前で悔い改めと断食をしつつ、自分の罪を顧みようとしたのです。現代のプロテスタント教会では、灰を額に塗る行為はほとんどしていないと思います。象徴的な行為(外面の象徴)より、実質的な悔い改めと生き方の革新(内面の変化)がさらに大事だと思うからです。今年のレントの間、私は普段とそんなに変わりなく過ごしています。涙を流して悔い改めたり、祈りの時間を増やしたり、断食をしたりしてはいません。いつものどおりに生活しています。レントだから悔い改めを増やし、レントじゃないから悔い改めを減らすということではないからです。私たちはレントだけでなく、常にキリストの苦難と死と復活、そして私たちが罪人であることを憶え、主にあって生きていかなければならないからです。ある意味で、レントのような記念日がなくても問題ないかもしれません。もちろん伝統を無視してもいいという意味ではありません。伝統は尊重するものの、その時だけでなく、私たちの毎日が、主のご誕生を記念するクリスマスであり、主の受難を憶えるレントであり、主の復活をほめたたえるイースターのような日であることを心にして生きるのが望ましくないでしょうか。特定の記念日を守るというより、毎日、主の御業を憶えつつ生きること。それが四旬節の真の精神ではないかと思います。 3.レントを過ごしながら プロテスタント教会の歴史の中に、1522年、スイスのチューリッヒで起こった「ソーセージ事件」という面白い名称の出来事がありました。中世カトリック教会には、数多くの宗教的な慣行があったと言われますが、その中、聖書の教えとは関係ない強制的な断食、免罪符などの宗教儀式が多かったと言われます。中にはレントの期間に肉食禁止という聖書に基づいていない制限もありました。(現代カトリック教会はだいぶ改革していると言われました。)ところで、チューリッヒの印刷業者のフローシャウアーと何人かは、レントの慣行である肉食禁止は聖書に基づいた慣行ではないと批判し、食事の時、小さいお肉一枚とソーセージ2個を食べました。(レントにも肉食したいという意味ではなく、聖書による根拠のない慣行に反抗するという意味として。)これが問題となり、彼らは大罪を犯したと教会の糾弾を受けることになりました。その時、彼らを弁護した宗教改革者が、あの有名な「ツヴィングリ」でした。ツヴィングリは主の教会は虚礼虚飾の慣行から脱し、ひとえに主の御言葉に基づいて生きなければならないという説教をしつづけました。教会は反発しましたが、宗教改革を支持する民衆は大声で歓呼しました。この面白い名称の出来事を皮切りとして、チューリッヒでは宗教改革の炎が燃え上がるようになり、最終的にスイスはプロテスタントの盛んな国になったのです。私はレントの期間を、このような心で過ごしたいと思います。断食のような宗教的な行為も良いですが、さらに聖書が語る主の苦難、死、復活、愛を憶える期間であることを願います。 締め括り 最後に、今日の新約本文を読んで説教を終わりたいと思います。「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(マタイ6:16-18)レントの期間に、主が望んでおられるのは、他人に長い断食や立派な祈りのような行為を見せるのではなく、ひたすら主なる神だけに自分の信仰と愛を表すことだと思います。レントを通して、信仰の虚礼を捨て、謙虚に苦難の主だけを黙想し、記念する志免教会であることを祈ります。レントだからではなく、毎日がレントのような人生でありますように。父と子と聖霊の名によってアーメン。

最後の晩餐

出エジプト記24章3~8節 (旧134頁) マルコによる福音書14章12~26節 (新91頁) 前置き イタリアのミラノに「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ(意味は聖マリアの恩寵)天主堂」というカトリック教会があります。そこの壁面には、あの有名なレオナルド·ダ·ヴィンチの作品「最後の晩餐」が描いてあります。今日の週報にも掲載した絵です。おそらく、この絵を知らない方はおられないと思います。今日の本文では、このイエスと12人の弟子の最後の晩餐が描かれます。今日の本文を通して、主が弟子たちにお与えになった晩餐、すなわち聖晩餐について話し、いくつかの教訓を学びたいと思います。少しずつ、マルコによる福音書に現れる主イエスの十字架での出来事が近づいています。そして、まもなく受難週が始まり、私たちは復活節の礼拝を迎えることになります。今日から復活節まで、主の受難と死と復活を記念し、黙想する時間になることを願います。 1.聖餐 – 主が与えてくださった晩餐。 聖餐はプロテスタント教会を表す二つの聖礼典の中の一つです。(ちなみにカトリックは7つ)一つは洗礼、もう一つは聖餐です。しかし、私たちは割と洗礼より聖餐のほうを軽んじているかもしれません。若い頃からの月一度の聖餐式に慣れており、その大事さを忘れがちだからです。しかし、聖餐にはとても深い意味が含まれています。果たして聖餐は私たちの信仰において、どんな意味を持っているのでしょうか? 今日の本文からも分かるように、もともと最後の晩餐は、主の死を記念する特別な食事ではありませんでした。ユダヤ人の祭りである過越祭と除酵祭の慣習的な食事だったからです。元旦やお盆に家族が集まってする食事が誰かを記念する儀式ではなく、家族同士の楽しい時間であることと似ているでしょう。このように古い仕来りである過越祭の食事が、弟子たちにとって主の死を記念する壮絶な食事までではかなかったはずです。「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに『過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか』と言った。」(12)つまり、イエスがこの食事に意味を与えられるまでは、最後の晩餐は最後の晩餐ではなかったということです。ただ毎年行われる慣習的な祝日の食事だったでしょう。しかし、主がこの食事にみ言葉を与えられた時、慣習的な祝日の食事は、この世で最も特別な食事、聖晩餐になりました。 「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取りなさい。これはわたしの体である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。『これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。』」(22-24) 昔の出エジプト時代、神はイスラエルをエジプトから脱出させるために、エジプト全土に10の災いを下されました。そして最後の災いとして死の天使を遣わされます。その時、主はイスラエルを死から守ってくださるために子羊を屠り、その肉を食べ、その血を家の入口に塗るように命じられました。イスラエルの民はその言葉に従い、死の天使の過越しを待ちながら、子羊の肉を食べ、その血は入口に塗りました。以後、その行為は過越祭の大事な仕来りとなり、夕食のかたちになりました。おそらく、今日の本文の晩餐は、このような過越祭を記念する食事だったと思われます。ところが、そんな食事の席で主は不思議なことを言われます。「このパンを取りなさい。これは私の体だ。 この杯を飲みなさい、これは私の血、すなわち契約の血だ。」過越祭の食事は、大昔の出エジプトを記念して飲み食いする慣習的な食事であるだけなのに、主はまるでご自身が子羊にでもなったかのようにパンと葡萄酒に意味を与えられたわけです。 ここで、私たちは最後の晩餐の意味について、思わされるようになります。出エジプトを目の前にしたイスラエルの民を神の死の裁きから救うためにいけにえとされた子羊。イスラエルはその羊の肉を食べ、その羊の血を入口に塗って、主の裁きから救われました。子羊は神のご計画に従い、自分のすべてを惜しみなく捧げ、イスラエルの民を神の裁きから守ったのです。その子羊の肉は神の民だけに許された食物であり、その血は神の民だけを救う、神との契約の血でした。最後の晩餐でイエスがパンと杯とをあずからせてくださったのは、そして、そのパンと杯の意味について教えてくださったは、そのパンによって、パンを取った者たちが神の民であることを、その杯によって、杯を飲んだ者たちが神の死の裁きから救われる契約の血の下にあることを思い起させるためでした。つまり、イエスはご自身がその過越祭の子羊のような存在であり、ご自分のすべてを捧げ、晩餐に参加した主の弟子(民)たちを救われることを教えてくださったわけです。したがって、過越祭の最後の晩餐は、その昔の過越祭の子羊のように、主イエスがご自分のすべてを与えてくださるという契約と救いの場だったのです。そして、聖餐は主がご自分の民に与えてくださる救いと契約の最後の晩餐の再現なのです。 2.主の救いと契約にいなさい。 「彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物をささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。」(出24:5)「モーセは血を取り、民に振りかけて言った。見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」(出24:8)いけにえの肉と血への言及は、出エジプト記24章にも現れます。旧約において、神に捧げられた献げ物は、神だけのものとされ、その肉を完全に焼き尽くすかたちで、人が食べてはならないものでした。ところが、唯一、和解の献げ物だけは捧げた者が、祭司からその肉を分けてもらい、食べても良いものでした。5節には、和解の献げ物について書いてありますが、これが和解のいけにえとなった主の体、つまり聖晩餐のパンの根拠ではないかと思います。そして、8節の契約の血は、主の血、つまり主が与えてくださった杯の根拠ではないかと思います。そのため、聖餐は旧約のいけにえの献げ物と深い関係を結んでいると思います。最後の晩餐が単なる仕来りによる食事ではない理由は、まさにこの旧約の律法と関係を持っているからです。この晩餐を通して、主イエスは、ご自分の民を罪から救われるための旧約のいけにえの席に自分自身を置かれたからです。それについて、新約のヘブライ書は次のように述べています。「キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブライ9:11-12) したがって、最後の晩餐は主が、ご自分で計画なさった真の律法の行為であり、しかも繰り返して行わなければならない昔の律法の行為そのままではなく、完全な大祭司であり、完全な贖いの献げ物であるキリストが、ご自身を捧げられた新しい律法の行為なのでした。そして、その新しい律法の行為は、今やキリストの福音という新しい約束の中に成し遂げられ、私たちに与えられているのです。ですから、私たちの聖餐は、昔の律法の献げ物にある真の意味を現す行為であり、さらに新しい福音の中で成し遂げられた、主の救いを現す私たちの福音の行為なのです。私たちは聖餐を行うたびに、パンを通して今現在私たちがキリストの民であることを憶え、杯を通して今現在私たちがキリストの救いと約束のもとにいることを憶えるようになるのです。ある学者はこう言いました。 「聖餐はパンと杯を用いて、主の肉と血を象徴する単純な象徴行為ではありません。聖餐は今現在私たちが主の民であり、主の救いの中にいることを再確認する地上から天上に引き上げられる実質的な約束の行為なのです。」したがって、聖餐はキリストへの私たちの信仰を飲み食いによって公に告白する聖なる行為なのです。そのため、洗礼を受けず、信仰告白をしていない者は聖餐にあずかることが出来ないのです。このような聖餐の意味を憶え、私たちは主に与えられた晩餐すなわち聖餐にあずかるべきなのです。 3.「二つ考えたいこと」 最後に気になる人物がいるので、手短に言及して説教を終えたいと思います。それはイスカリオテのユダです。「一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。』」(18)前回の説教の本文にも、イスカリオテのユダがイエスを裏切る場面が出てきていましたが、説教の分量の関係で話しませんでした。主はユダがご自分を裏切ることをすでに知っておられたにもかかわらず、彼を聖晩餐の席に招かれました。ここで、私たちは2つのことを考えるようになります。一つ、主はご自分を裏切る人さえも差別なく、主の恵みの場に読んでくださるということです。考えてみたら、本文の晩餐に参加したすべての弟子たちが、主の十字架の苦難の時、主を見捨てて逃げてしまいます。とういうのは、皆が裏切り者だったということです。しかし、最後まで立ち返ってこないのはユダ一人だけでした。愛の主は主を裏切る人さえもお赦しになる方です。そのような主の呼び声の前で、すべての罪人は裏切りと立ち返りという分かれ道の前に立っているのです。二つ、主の晩餐の席にいる私たちも裏切り者になり得るということです。日曜礼拝、水曜祈祷会を欠かさず出席し、牧師、長老、執事の務めを尽くしているからといって、自分の信仰には異常なしと考えてはなりません。私たちはいつでも主を裏切ることができる罪ある存在だからです。自分自身を信じてはなりません。民を諦めず最後まで導いてくださる主を信じて生きるだけなのです。 締め括り 今日は聖餐の意味について、そして、短くともイスカリオテのユダについてお話しました。私たちは主の晩餐に招かれ、主によってパンと杯をいただいた主のものです。しかし、私たちには、イスカリオテのユダのような罪の本性があります。いつも自分が主に属しているという信仰と、自分も主を裏切ることができるという反省の間で、自らをわきまえつつ生きていきたいと思います。しかし、私たちの信仰は自分の力によって与えられ、保たれるものではなりません。すべてが主のお導きによって成り立つものです。したがって、私たちを聖晩餐、すなわち信仰の道に導いてくださった主を信じ、自分の信仰が折れないように絶えず祈っていきましょう。主が私たちの人生を導き、終りの日に主の御前に立つときまで共に歩んでくださることを信じていきましょう。そのような志免教会でありますように祈り願います。 父と子と聖霊の御名によって、アーメン。

人間の理不尽。

創世記47章13~26節 (旧86頁) エフェソの信徒への手紙4章13節 (新356頁) 前置き 今まで私たちは、主にヨセフという人物の明るい面について話してきました。若い頃、自分の夢を話しつつ、父親と兄たちに分別のない言動をしたこと以外に、ヨセフはいつも信仰の人物、主と共に歩み、逆境を乗り越えた人物のように描かれました。しかし、今日はヨセフという人物の理不尽について語り合い、彼の暗い面について話してみたいと思います。これを通して、ヨセフを信仰的に勝利した人物と理解している私たちの認識に変化を与え、ひとえにイエス·キリスト以外に完全な者はいないということを分かち合いたいと思います。多くの聖書の学者たちが、ヨセフを旧約に現れるキリストのモデルとして理解してきました。しかし、ヨセフも結局は罪人の中の一人に過ぎない存在です。 実に私たちにとって、イエス·キリスト以外に希望になれる者は一人もいません。 主お一人以外に頼れる者は一人もいません。 すべての人間は不完全で、罪を持っている存在だからです。 1.ヨセフの行動は、すべて正しかっただろうか。 ヨセフが、エジプトの総理になった時代のファラオとエジプトの支配層は純粋なエジプト人ではありませんでした。ヒクソス人というセム族系統の民族で、紀元前17世紀頃に勢力を伸ばし、馬に乗って戦争する騎馬術や鉄器武器と鎧などを武装して、北側からエジプトまで進撃し、ナイル川の三角州地域を征服、その後エジプトの北部地域の一部を占領したと言われます。当時、騎馬術に慣れていなかったエジプトは、簡単に征服されたそうです。このヒクソス人はエジプトの王朝の中で、第15王朝として知られています。 ヨセフの曾祖父アブラハムもセム族系統だったので、ヨセフは割と難なく総理になったと思われます。つまり、ヨセフはヒクソス人ではありませんでしたが、同じセム族系統で、有能だったため、エジプトの最高権力者になることができたのです。ということで、ヒクソス人ではなかった彼は、自分の政治的な基盤のために、彼らに自分の忠誠心を見せる必要があったと思います。 「飢饉が極めて激しく、世界中に食糧がなくなった。エジプトの国でも、カナン地方でも、人々は飢饉のために苦しみあえいだ。 ヨセフは、エジプトの国とカナン地方の人々が穀物の代金として支払った銀をすべて集め、それをファラオの宮廷に納めた。 」(創世記47:13-14) そのため、ヨセフはエジプトと周辺民族を助ける良い政策を出したにもかかわらず、結局、それを用いてエジプトの被支配層と周辺の民族に穀物を売って、彼らのお金と家畜、そして土地を手に入れ、ファラオに捧げたのです。 「ヨセフは、エジプト中のすべての農地をファラオのために買い上げた。飢饉が激しくなったので、エジプト人は皆自分の畑を売ったからである。土地はこうして、ファラオのものとなった。」(創世記47:20)もし、私たちに馴染みのあるヨセフという人物ではなく、他の人がこのような政策を広げたとしたら、私たちは非常に抑圧的だと批判したかもしれません。しかし、彼が親しみのあるヨセフだから、私たちは自分も知らないうちに、ヨセフの行動に疑いを挟まないのではないでしょうか。創世記はヨセフをまるで主人公のように描写しているからです。 「ヨセフはこのように、収穫の五分の一をファラオに納めることを、エジプトの農業の定めとした。それは今日まで続いている。ただし、祭司の農地だけはファラオのものにならなかった。」(創世記47:26) このようにヨセフはエジプトの民の土地と、その高い税金までファラオに捧げることで、実は普通の民ではなく権力者に合わせた政策を広げてしまいました。イザヤ書では、神のメシアがどんな人物なのか、非常に詩的な言語で表現しています。「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。」(イザヤ42:3) 果たして、私たちはヨセフをメシアのモデルと考えても良いのでしょうか? いくら有能な神の民だと言っても、人間は不完全は存在です。偉大な信仰の人物たちも神の御前では、不完全そのものでした。モーゼが、アブラハムが、ダビデが、そして、ヨセフも不完全な弱い人間でした。どんなに偉大な存在でも、彼が人間なら不完全から自由ではなりません。それが罪を持っている人間の限界なのです。 2.聖書を読む時に注意したいこと。 私たちは、最初、聖書を学び始めた時から、聖書が神の御言葉だと聞いてきました。実に聖書は神の御言葉が記録されている書です。しかし、この聖書の文字一つ一つが100パーセント神の御言葉であると言えるでしょうか? それでは、旧約でイスラエルが盲目的に異邦人を差別したり、憎んだりしたのも神の御言葉によるものであり、新約で女性は教会で教えてはならないという言葉も神の御言葉によるものなのでしょうか? 現代のイスラエル人がパレスチナ人を迫害したり、いくつかの教派で女性に牧師や長老の按手を授けないことも、神の御言葉に従っているためでしょうか? これからの話は、今まで聖書と神学を研究しながら私なりに整理した、多少個人的な意見です。そのため、皆さんの聖書観と少し違う点があるかもしれません。神は不思議な力で、直接ペンを動かして聖書を書かれたわけではありません。各時代の預言者のような神を信じる、しかし、不完全な「人間」をお呼びになり、聖書を記録させられたのです。そのため、聖書には記録した人の民族的な特徴や歴史的な限界が現れる場合もあります。確かに聖書には神の御言葉が記録されていますが、神に用いられた著者たちの歴史的、社会的、民族的な思想も、一緒に記録された場合が少なからずあるということです。 改革教会では、モーセ五書のほとんどがイスラエルの指導者であったモーセの記録だと見なしています。つまり、モーセ五書には、彼の神学、民族、性向が、ある程度投影されている可能性が高いということです。 というわけで、モーセ五書の一部である、創世記47章で、ヨセフはヒクソス人のファラオと、その宗教指導者たち、そして自分の家族には、とても優しく接しているのではないでしょうか? 創世記を記録したモーセの見方(ヒクソスの次の王朝の弾圧を経験した)がある程度適用されたと思うからです。そのためか、その他の人たちには非常に厳しい姿を見せます。そして、まるでヨセフが賢く政策を広げたかのように描いています。エジプトとカナンの普通の民が一文無しになったという描写はありません。私たちは聖書を読む時、これに注意する必要があります。「聖書は神の御言葉」という名目で、暴力的で不条理な記録さえ、神に許されたと考えてはならないということです。聖書に記録された文字一つ一つが神の御言葉そのものだと受け止めるより、聖書を貫く大きな脈絡に神の御言葉が込められていると理解するのが正しくないでしょうか。そうでなければ、私たちは旧約聖書に現れる暴力までも、神の御言葉によるものと誤解してしまう恐れがあるからです。 何の疑いもなく聖書の記録を盲目的に神の御言葉として理解するよりは、聖書の著者たちも私たちのような人間だったこと、にもかかわらず、主は彼らを用いて聖書をくださったとの理解を持って、聖書への正しい理解のために神に祈り、きちょうめんに勉強しつつ読まなければならないと思います。 3.ヨセフという人間の理不尽 また、本文の内容に戻り、ヨセフは果たして正しい人だったでしょうか? 例えてみましょうか。太平洋戦争の時、原爆で日本は無条件に降伏します。当時、アメリカのマッカーサーは日本を占領し、天皇の上の支配者のようになりました。ところで、この時、日本の捕虜だったスミスというイギリス人がおり、戦後、賢い政策をアドバイスして、いきなり、マッカーサーの補佐官になったと仮定してみましょう。自分の家族を日本の最高の地域に呼び込み、足りない物資を利用して、日本の産業とお金と土地をすべて没収してアメリカに渡し、日本人をマッカーサーの奴隷にしたとしたら、皆さんのお気持ちはどうなるでしょうか。これがまさにヨセフがエジプト人と周辺民族に行った政策だったということです。私たちは、常にヨセフの側から創世記を読むので、これが悪いという認識が薄くなる場合が多いです。しかし、エジプト人やカナン人の目から見ると、これ以上の暴政があるでしょうか? 神はすべての人類を愛される方です。キリストをお遣わしになった理由も、イスラエルだけでなく、この世のすべての人類を救ってくださるための普遍的な恩寵だったのです。もちろん、その中でご自分の民をお選びになるのは、神の主権によることですが、少なくともすべての人類にイエスを信じる機会は与えてくださったのです。つまり、神は皆に公平な方であるということです。 だからこそ、イエス·キリストの愛もすべての人類に公平に与えられるものなのです。とういうことは、イエスの体なる私たち教会の、この世への愛も公平な愛でなければならないということです。信徒同士だけが愛し合い、教会の外の人には愛しなくて良いというわけではありません。キリストの愛が、この世のすべての人類に許されたように、私たちの愛も教会と社会にあって、皆に普遍的に伝えられるべきです。そんな意味で、ヨセフはエジプトの指導者だけのための政策を広げてはなりませんでした。ファラオがヨセフに無理やりにさせたことではありません。ヨセフ自身がそのように行ったわけです。他の人々はファラオの奴隷のようになろうがなかろうが、自分の上司であるファラオ、自分の家族であるエジプトの宗教指導者たち(ヨセフの妻アセナトは、エジプト祭司のポティ・フェラの娘でした。)そして自分の父親であるヤコブとその家族だけに特権が与えられる政策でした。皆さん、ヒキソス人のエジプト支配が何年間続いたかご存知でしょうか? わずか100年過ぎの短い期間でした。その後、再び政権を奪還した純粋なエジプト王朝がヒキソス王朝を追い出し、エジプトを掌握したのです。出エジプト記の苦しむイスラエルの姿は、もしかしたら、ヨセフが行った政策の結果だったかもしれません。ヨセフという人間の理不尽が子孫を苦しめる悪を作り出したわけです。 締め括り 最後に、今日の新約の本文を読んでみましょう。「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」(エフェソ4:13) 聖書が語る「知識」とは、行いと体験を伴うものです。頭だけで知るわけではなく、実践が伴う知識という意味です。私たちが聖書に現れる神の御言葉を信じ、知るということは、主の御言葉の意図通りに生きるという意味です。かつてヨセフは神と共に歩んだ者と呼ばれました。しかし、総理になった彼の歩みはどうだったでしょうか? 神と共に歩む者なら、賢い政策という名目で他人の財産と労働力を一方的にファラオのものにしてはならなかったでしょう。ヨセフが正しいかどうか、聖書ははっきり評価していません。しかし、少なくとも、ヨセフの行為を、私たち自らが一度考えてみる必要はあると思います。それによって、私たちはヨセフも、結局、不完全な罪人だったことを知ることになるでしょう。すべての人間には理不尽があります。罪を持っている人間の宿命です。このような不完全さを見て、私たちはもう一度完全なキリストに頼ることがどれほど大事なことなのかを憶えることになると思います。今日、ヨセフの姿を見て、自分がヨセフだったらどうしたか考えてみたいと思います。私たちは果たして、どのように生きるべきでしょうか? 主の知恵を求めます。 父と子と聖霊の御名によって、アーメン。

互いに愛し合いなさい。

イザヤ書11章1-10節 (旧1078頁) ヨハネによる福音書13章34-35節 (新196頁) 前置き 今日は、韓国釜山の巨堤(ゴゼ)教会の青年の皆さんが志免教会の礼拝にお越しくださいました。志免教会は青年の皆さんを、心から歓迎します。ありがとうございます。巨堤教会は大韓イエス教長老会高神(ゴシン)派に属した教会です。高神派は、日本統治時代の朝鮮教会において、神社参拝の強要を拒み、喜んで殉教し、投獄された、いわば出獄聖徒たちの跡継ぎです。高神派の先輩たちは、日本帝国の宗教弾圧によって、苦難を受けることになってしまいましたが、だからこそ、その跡継ぎである高神の若者たちは、さらに日本のために祈り、日本の教会を愛し協力していく、大事な根拠を持っていると思います。そして、日本キリスト教会は過去の過ちをことごとく悔い改め、神の御前で、正しい教会として立っていくために、力を尽くす教会です。現在、高神派は日本キリスト教会と直接的な協力関係を結んではいませんが、キリストにあって、同じ一つの体なる教会として、日本キリスト教会と一緒に歩んで行かなければならないと思います。日本の教会の状況を正しく知り、特に日本キリスト教会九州中会と志免教会を憶え、祈っていただくこと、そして、キリストにあって深い霊的な交わりを作っていくことを願います。 1.神の愛について キリスト者なら、聖書を通じて、愛という表現をよく耳にしたり、また口にしたりします。愛、実に美しい言葉です。ところで、私たちが頻繁に聞いたり、語ったりする愛とは、果たしてどういうものなのしょうか? ギリシャ語には、4つの愛の概念があると言われます。一つ、自分のエゴに基づいて快楽と官能を追求するエロスがあります。異性間の愛を意味する場合が多いです。二つ、フィロスです。友愛、師弟の間の愛を意味します。ストルゲーもあります。子供への親の愛、親への子供の愛です。もしかしたら、人間の愛の中で、最も神の愛に似たような愛であるかもしれません。最後にアガペーがあります。アガペーは、神の聖なる愛、無条件的な愛、すなわちイエス·キリストの愛の根源であり、三位一体の相互の愛と言えます。このように、ギリシャの世界には、4種類の愛があると言われますが、私たちが追求すべき愛は、断然キリストご自身が実践されたアガペーだと思います。もちろん、人間はアガペーを完全に行うことはできません。ただ、主のみお出来になる完璧な愛だからです。あくまで、追求なのです。私たちは罪を持った人間としての自分の限界を認めなければならないからです。それでは、4つの愛の中で、神の愛であるアガペーについて考えてみましょう。 先日、連合婦人会閉会祈祷会でも、そして3週間前の水曜祈祷会でもお話しましたが、「神は愛です。」という言葉について、今日も、もう一度お話したいと思います。第一ヨハネの手紙の4章16節には「神は愛です」という言葉があります。なぜ、神を愛と言うのでしょうか? ある意味で、愛は神の被造物です。被造物を神と言うのは偶像作りではないでしょうか。しかし、驚くべきことは、神が聖書を通して「神は愛」という言葉を許してくださったということです。神がご自身のことを愛と認めてくださったわけです。しかし、私たちははっきりする必要があります。「神は愛」という言葉は、可能ですが「愛がすなわち神」という言葉は、成立できないということです。つまり、神ご自身が自らを被造物である愛に比喩され、自らを低くされたということです。この世のすべての被造物より、はるかに大きい神が、愛という小さい概念の被造物に合わせて、ご自分について教えてくださったのです。人間は神を感じることも、触れることも、見ることもできない、小さい存在です。それに対し、神は宇宙よりも大きい方です。しかし、主は愛という人間が理解できる言語によって、ご自身を私たちに表してくださいました。人間にとって、不可解な対象である神が、ご自分がすなわち愛という言葉を通して、私たちにご自分のことを表してくださったわけです。つまり、主は愛によって、人間との交わりをお造りになったということです。 その神の愛の最も決定的な出来事は、断然、イエス·キリストのご到来とご奉仕、死、そして復活です。人間が見ることも、知ることもできない神は、キリストという存在を通して、人間を訪れてくださいました。そして、その方の全生涯による犠牲と愛とで、私たちを救ってくださったのです。大きな神が、小さな被造物である人間の姿でおいでになり、主イエスを信じる者たちの救いのために、自らを犠牲にしてくださったのです。まるで、愛という小さな被造物に、ご自分を合わせてくださったように、イエス·キリストという最も完全な人間として来られた神が、キリストの愛によって私たちにご自分のことを見せてくださったのです。また、神はイエス·キリストという最も完全な神によって、私たちの人生の中に来られ、私たちを救いへと導いてくださったのです。したがって、神の愛、アガペーは見捨てられるべき罪人にご自分を与えてくださるための神の自己卑下なのです。あえて、憐れんでくださらなくても、見捨てられても構わない、罪に満ちた存在のために、自らを犠牲になさった愛なのです。神の愛は、このように意味のない存在を意味のある存在に生まれ変わらせる神の救いの原動力なのです。したがって、私たちが追求すべき愛は、この神の限りのない愛、つまりアガペーの愛なのです。 2.お互いに愛しあいなさい。 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」(ヨハネ13:34-35) 今日の本文は、主イエスが逮捕される夜、最後の晩餐と弟子たちの足洗い後、弟子たちにくださった御言葉です。ここの「愛しあいなさい。」は「アガペー」の動詞形である「アガパオ」です。愚かな弟子たちは、互いにアガペーしあうことのできない存在です。しかし、イエスはご自分の体である教会を形成していく、この弟子たちが、自分の力ではなく、キリストによって、互いにアガペーしあうことをお望みになりました。彼らが互いにアガペーしあう時、彼らによって、キリストが表されることになるからです。教会と教会の愛、信徒と信徒の愛がキリストを表し、主の存在を宣べ伝える力になるからです。ですから、私たちは、誰よりも熱く愛しなければなりません。異性との愛、友との愛、親子の愛を超える神の完全な愛を追い求め、私たちの全生涯を通して、愛しあいつつ生きていかなければなりません。したがって、愛は、教会が存在する理由であり、愛のない教会は死んだものと同じなのです。旧約のイザヤ預言者はこう唱えました。 「わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。」(イザヤ11:9) 主のご統治なさる国、神の国では猛獣と草食動物が幼子の手に導かれることになるでしょう。皆が神の愛に満たされ、お互いに大切にしあい、愛し合って生きるようになるでしょう。神の国は、ただ、死後に入る来世のことではありません。主イエスがこの地上に来られ、主なる神のご統治を宣言された時、神の国はすでに、この地上で始まったのです。そして、その地上での神の国を最も明らかに表す存在は、主イエスの教会なのです。ですから、教会は、主のご命令に聴き従い、愛しあって行かなければなりません。キリストの身なる教会の一人一人が主の愛にならって生きていかなければなりません。その愛の中で、神と御国が、この世の人々に明確に現れるからです。日本と韓国は大昔から深い関係を結んできました。時には、良い関係を、時には悪い関係を結んできたのです。昔、朝鮮半島では倭寇(わこう)という海賊に多くの人々が被害を受けました。ところが、朝鮮半島からも、日本の人々を苦しめた新羅寇(しらぎこう)という海賊もいたそうです。モンゴルの日本来襲の際、高麗が攻撃を支えたとの歴史もあり、豊臣秀吉時代には日本が朝鮮を攻撃したこともあります。また、近代になっては日本帝国が朝鮮を侵略し、植民地にした事実もあります。日本と韓国は数多くの遺憾の歴史を作ってきたのです。 だからこそ、日本の教会と韓国の教会の関係はさらに格別です。キリストという一つの頭を崇める一つの教会として、民族と国家とイデオロギーを越え、お互いに愛し合い、協力しあっていくという大事な使命を持っているからです。日本と韓国とを問わず、キリストが私たちを愛によって一つの教会に結んでくださったからです。志免教会の皆さん、巨堤(ゴゼ)教会の青年たちを憶えてください。彼らが政治的に厄介な隣国の人ではなく、キリストにあって私たちの兄弟であり、姉妹であることを忘れないでください。巨堤(ゴゼ)教会の青年の皆さん、志免教会を憶えてください。彼らが歴史的に残念な隣国の人だという政治的な認識から離れ、私たちが愛し、仕えていくべき存在であるという新しい心を持って生きていきましょう。志免教会と巨堤教会が国と民族と言語の溝を乗り越え、キリストにあって愛し合い、一つになる時、この世が私たちを通じて主キリストを知るようになり、神の国が来るのを知るようになるでしょう。今日の礼拝が日本と韓国の教会を一つにする愛の始まりであることを祈ります。私たちの愛の中で、キリストはご自分の栄光を限りなく表してくださることを信じます。 締め括り 「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。」(第一コリント13:1-3) なぜ、使徒パウロがこのように力強く愛を語ったのでしょうか。考えてみたいと思います。愛についての実践的な課題を一つ出させていただきましょうか。教会の中に、いやな人がいれば、その人を愛する心をくださいと祈りましょう。陰口を話したい人はいるならば。心の中に、その人のために「愛しています。」と10回唱えましょう。積極的な愛の実践のために努力しましょう。口先だけではなく、行動によって証明してください。神の国、主の教会の根拠は主の愛から始まります。主の愛が十字架の救いをもたらしたからです。このような主の愛を記憶し、私たちもお互いに愛し合い、主にあって生きていきましょう。ここに集っておられる皆さんの上に神の愛と恵みが豊かでありますよう祈ります。 父と子と聖霊の御名によって。アーメン。

香油に注がれたイエス

出エジプト記12章12-13節 (旧111頁) マルコによる福音書14章1-11節 (新90頁) 前置き 前回の説教でお話しましたマルコ福音書13章は、神の御心を離れ、裁きをもたらしたエルサレム神殿とユダヤ社会へのイエスの警告でした。私たちは本文を通じて、私たちにとっての神殿の意味と日常生活に適用できる点について話しました。実は今日も神殿への裁きと世の終末について説教する予定でしたが、似たような内容を2度も繰り返せば、説教する私にも、聞いてくださる皆さんにも、疲れがあるかと思い、今度マタイによる福音書の説教の時に、この部分について、また分かち合いたいと思います。しかし、主が13章で教えてくださった最も大事な教えは言及して次に入りたいと思います。今日の本文ではありませんが「気をつけて、目を覚ましていなさい。」(13:33)という言葉です。13章の最後に、イエスは主の再臨についてお話になりました。それが西暦70年のローマ帝国を用いられ、神殿をお裁きになることを象徴的に示されたことなのか、それとも世の終末の時にあるイエスの実際的な再臨を示されたことなのかは分かりませんが、主はご自分の民たちが「主の再臨に備えて、常に気をつけて、目を覚まして生きる」ことを命じられたのです。主の神殿は、主なる神の御手によって崩壊しました。私たちの教会も、もし当時の神殿やユダヤ社会のように、主の御心と御言葉に適わず、この世の風潮に流されて生きていくなら、私たちの思いがけない時に裁き(戒め)の主の御前に立つことになるかもしれません。私たちは常に自分が目を覚ましているかどうか、主の御心にふさわしく生きているかどうか、深く考え、注意と自覚の中で生きていく必要があります。 1.過越祭と除酵祭 13章の主の厳重な警告の言葉に続く14章では、イエスが本格的に死に向かって進んでいかれる姿が描かれます。マルコ1章で「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」という言葉で地上での公生涯を始められたイエスは、3年の間、ユダヤ人、異邦人を問わず、貧しくて弱い人々を癒し、教えつつ、宣教をされました。そして11章で十字架のいけにえとして、ご自分の命を捧げるためにエルサレムに行かれたイエスは、歪んだ神殿とユダヤの社会を叱られ、裁きを警告されました。以上がマルコの福音書1章から13章までのあらすじです。そして、主は14章で、本格的に十字架の道を進み始められたのです。「さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。彼らは『民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう』と言っていた。」(14:1-2) 現在、説教している創世記が終われば、次は出エジプト記に入る予定ですが、出エジプト記12章には過越祭と除酵祭の起源について記してあります。過越祭は「神の災い(死)が過ぎ越す。」という意味の日で、出エジプトを妨げるエジプトへの主なる神の強力な裁きの日でした。しかし、家の入口の二本の柱と鴨居(以下、入口)に小羊の血を塗ったイスラエルの民は、神の裁きを免れ、生き残ることができました。ユダヤ人が過越祭を記念する理由は、小羊の血を用いられ、イスラエルを死から守ってくださった主の恵の日だからです。 出エジプト記12章には、除酵祭についても記してありますが、最初の過越祭の夕方、イスラエルの民は酵母を入れないパンと苦菜、そして小羊の肉を食べました。この時、神は一週間、酵母を入れないパンを食べることを命じられましたが、それから始まったのが除酵祭だったのです。そのため、過越祭は除酵祭期間の1週間を始める日だったわけです。そして、この期間は出エジプト記のように、神が死からイスラエルを守られ、エジプトの束縛から解放してくださったことを記念する期間でした。ここで大事なのが小羊の血なのです。出エジプト記12章13節を読んでみましょう。「あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。」小羊の血を入口に塗った家は、神の裁きを免れることができました。ユダヤの宗教指導者たちは憎しみでイエスを殺そうとしました。自分たちを戒める主イエスのことを我慢できなかったからです。しかし、彼らの憎しみと復讐心の中でも、神はご自分の御業を着々と準備して行かれました。宗教指導者たちは自分たちがイエスを殺すと思ったでしょうが、実はイエスの死は人間のたくらみではなく、神ご自身が直接ご計画なさったことだったからです。神はまるで出エジプト記の小羊の血のように、神の小羊であるイエスを十字架につけられ、その血潮によって主に選ばれた、ご自分の民を死から救い出してくださったのです。 2.イエスを記念する。 主イエスの十字架での血は、まるで過越祭の小羊の血のようなものでした。入口の小羊の血が、死の災いからイスラエルを守ってくれたように、イエス·キリストの十字架での血は、その方を信じるすべての者たちに、神の裁きと死から主の民を守るしるしになります。私たちがイエス·キリストを信じる理由は、このお方だけが、神の怒りと裁き、そして呪いと死から私たちを守ってくださることが出来るからです。しかし、イエスの弟子たちも、主に従う人々も、このようなイエスの真の使命について、まともに理解していなかったようです。皆が主の癒しだけを願い、政治的なメシアだけを望み、自分の利益のために主を利用することだけを求めていたようです。そのような主の歩みの中に、今日は特別な人が登場します。それはナルドの香油を注ぐ女です。「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。」(14:3) この女が誰なのか、私たちには分かりません。その日も、主はベタニアの重い皮膚病(ハンセン病)の人の家におられました。「11番洞窟神殿文書(11Q Temple Scroll)」という故文書には、神殿の東側3キロ地点にハンセン病人の隔離区域があったと記録されていますが、おそらくベタニア近くではないかと思います。つまり、十字架での死を目の前にしたその日も、主は貧しい病人の世話をしておられたということです。 皆が主の癒しだけを求め、皆が主に憐れみだけを望み、皆が主に必要だけを願った時、高価の香油を持った女は、主に油を注いだわけです。女が主に何かを差しあげたということです。(捧げるという表現より、わざわざ日常用語のあげるという表現を使います。)ナルドという植物はヒマラヤ山脈に育つ草で、非常に貴重なものでした。古代にインドからイスラエルまで来たものですから、どれだけ高かったでしょうか。300デナリオン以上、当時、丈夫な労働者の1年分の労賃以上の価値だったのです。2022年度、日本の平均賃金は400万円前後だったそうです。私たちは果たして400万円以上の油を主の頭に注ぎかけることができるでしょうか?正直、私は自信がないです。そのためか、ある人たちがイエスに油を注いだ女を厳しくとがめる場面も出てきます。新約の学者たちは、イエスに香油を注ぐ行為に 2 つの意味を与えました。第一、油に注がれた者、つまりイエスこそメシアであるという解釈です。イエスは、ただの貧しい者を助ける心優しい青年ではありません。主は香油に注がれた真のメシアとして、ご自分の民のために代わりに死に進んでいかれる方です。第二、イエスのお葬儀の記念という解釈です。イエスがマルコ福音書で3度も予告されたように、まもなく十字架のいけにえになることを記念するということです。古代イスラエルにおいては、遺体に香油を塗る場合もあったと言われますが、そういう意味として、香油を注いだとのことです。とにかく、無名のこの女はイエスを記念しました。 皆がイエスに「ください」と言った時、彼女は名もなく主にすべてを差し上げたのです。 私たちは祈る時、つい「ほしい、ください」とよく言います。神に私たちのものを差し上げるという祈りはあんまりしないと思います。実は「私たちのような罪人たちが主に何ができるの?」と思ってしまうかもしれません。しかし、私たちにも、神に差し上げることができるものがあります。それは「感謝」です。「主よ、私たちと一緒にいてくださって、ありがとうございます。主よ、私たちを選び、救ってくださって、感謝します。」また、讃美です。「主おひとりだけに栄光あれ。主よ、あなたの御名が高く崇められますように。」そして、献金もあります。もちろん献金の金額は重要ではありません。幼子の100円でも、喜んで捧げる心が大事です。「主よ、わずかなものを主に捧げます。」そして、献身もあります。「主よ、宝物はありませんが、私を主のものとしてください。主の栄光のために私を用いてください。」牧師、長老、執事でなくても、自分のありのままを主に捧げて生きるという人生、それが重要なのです。そして、最も重要なことは、私たちの隣人と兄弟、姉妹への愛、目に見える隣人への愛によって、目に見えない神へ愛を差し上げることです。ですから、私たちも主に差し上げることができます。私たちも主に香油のような感謝、讃美、献金、献身、そして愛を差し上げることができます。ですから、私たちは何を差し上げることが出来るだろうか考えてみましょう。いつもくださいと祈るばかりではなく、捧げの祈りもしましょう。それがまさに今日のその女の心ではないでしょうか。 3.倫理、道徳ではなく、福音としての愛。 最後に「そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。『なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。』そして、彼女を厳しくとがめた。」(14:4-5)の言葉について考えてみたいと思います。一見、憤慨した人々の言葉が、ともて理性的で合理的に聞こえるかもしれません。実際に400万円の香油をいっぺんに使いきるよりは、それを売ったお金でトルコの被害者や日本の欠食児童を助けるのが良いのではないでしょうか? それがまさに隣人愛ではないでしょうか。しかし、私たちの隣人への愛の根拠は、主への愛でなければなりません。 私たちは、隣人への愛を実践する前に、その愛の根拠はどこからなのかを憶える必要があります。私たちはまず主の愛を憶えなければなりません。主の愛、贖い、導きを憶えなければなりません。そして、主の御業を記念して生きなければなりません。もちろん、実際に300デナリオンの大金を使うのは無理かもしれません。しかし、少なくとも私たちは主の功績を忘れずに、常にその方の御業に感謝し、憶えながら生きるべきです。キリスト教は倫理と道徳だけの宗教ではありません。キリスト教はキリストの愛と救いの宗教です。キリストの愛と救いという大前提から倫理と道徳も生まれるのです。ですから、私たちは隣人への愛に先がけて、神への愛をまず心に刻みながら生きていかなければなりません。 締め括り 今日は、主が十字架にかけられる直前の出来事の中で、一番最初にあった香油に注がれたイエスの物語について考えてみました。主イエスは罪人を神の厳重な裁きと、それに伴う永遠の死から救ってくださるために来られたメシアです。主は出エジプト記の小羊の血のように、私たちから呪いと死が過ぎ越すように守ってくださる方です。また、私たちも主に自分のものを差し上げることができます。大金でなくても、大したものでなくても、私たちの小さなもの、私たちのありのままを、主に差し上げることができます。神は何よりも、私たちの献身を喜ばれる方だからです。最後にキリスト教は倫理と道徳だけの宗教ではありません。私たちが大事にする隣人への愛、倫理、道徳の根拠は、キリストの愛と救い、つまり福音から始まります。ですから、父なる神の愛、キリストの救い、聖霊の導きを憶え、感謝し、記念して、私たちの神を何よりも大事な方として生きていきましょう。今週も主に感謝し、私たち自身を捧げて生きる一週間になりますように祈ります。 父と子と聖霊の御名によって。 アーメン。

ヤコブがファラオを祝福する。

創世記47章1-12節 (旧85頁) エフェソの信徒への手紙1章22-23節 (新353頁) 前置き 長い長い創世記の説教の終わりが近づいています。2020年6月に創世記の1章で説教を始めて以来、もう3年近になっています。その間、私たちは創世記の言葉を通して、神の創造と人類の堕落、人類への主の救い(創世記に現れる部分的な救い、完全な救いはイエス·キリストによって成し遂げられる。)について話してきました。創世記は人類への神の祝福の記録です。神は祝福をもって人類を創造されましたが、人類は自らの罪によって神との関係を失い、呪われた存在となってしまいました。しかし、神は人類をあきらめられず、アブラハムという人を召され、神と人類が和解する道を作り始められました。神はアブラハムと息子イサクと孫ヤコブを用いられ、罪に満ちていた人類に、神の救いの道を伝える、主の民、イスラエル民族(ヤコブ部族)を造られました。そして、そのイスラエル民族を空の星と海の砂のように繁栄させるために、ヤコブの息子ヨセフをエジプトの総理として遣わし、彼を通してヤコブの家族をエジプトに移されました。その結果、出エジプト記になっては、数万人の大民族に栄えます。今日はヤコブの家族がエジプトに到着して経験した出来事について話してみたいと思います。 1.ヤコブとヨセフの再会 「ヨセフはファラオのところへ行き、『わたしの父と兄弟たちが、羊や牛をはじめ、すべての財産を携えて、カナン地方からやって来て、今、ゴシェンの地におります』と報告した。」(創世記47:1) 今日の本文が始まると、私たちは一つの地名を聞くことになります。それはゴシェンです。なぜ、ヤコブの家族はゴシェンにいたのでしょうか? まず、今日の本文には含まれていませんが、本文の直前の46章28節から34節にはヤコブとイサクの再会の場面が出てきます。「ヨセフは車を用意させると、父イスラエルに会いにゴシェンへやって来た。ヨセフは父を見るやいなや、父の首に抱きつき、その首にすがったまま、しばらく泣き続けた。」(創世記46:29) 過去、息子たちの元気と羊の群れの無事を確認するために送った最愛の息子が、行方不明になって以来、十数年ぶりにエジプトの総理として帰ってきたました。過ぎ去った歳月、神としては、ヤコブの家族を飢饉から救い、大いなる民として繁栄させるために、ヨセフをエジプトに遣わされたわけでしょうが、前後の事情が分かるすべのないヤコブとしては、実に苛酷な試練の時間だったでしょう。毎日、涙とため息で過ごしてきたはずです。しかし、今この瞬間、ヤコブはこの上ない喜びを感じたのでしょう。 とういうことで、ヤコブは言います。 「わたしはもう死んでもよい。お前がまだ生きていて、お前の顔を見ることができたのだから。」(創世記46:30) 神はヤコブの試練の末に、この上ない喜びを与えたのです。 ヤコブの試練は近くから見ると悲劇ですが、遠くから見ると喜劇です。もし、ヨセフが兄たちに売られずに、そのまま、ヤコブと暮らしたとしたら、大飢饉の中でヤコブの家族はどうなったでしょうか? 現代人にとっての飢饉は、それほど大きな問題にならないかもしれません。スーパーに行くと、変わらず米を買うことができ、水も足りないことがありません。しかし、古代人にとっての飢饉は命がけの問題です。今すぐに飲む水も、食べる穀物もなくなるからです。もし、ヨセフがエジプトに売られなかったら、ヤコブはしばらくの幸せだけで、後には飢饉によって滅びてしまったかもしれません。ヨセフがいなくなってから、ヤコブは長い間、悲しみで過ごさなければならなかったが、皮肉なことに、その結果は大飢饉からヤコブの家族が皆救われ、以後、神の御言葉通りに大いなる民族となることでした。私たちの人生の中に到底理解できない試練が近づいてくる場合があります。あまりにも、つらくて神が恨めしい時もあるかもしれません。しかし、私たちは憶えなければなりません。キリスト者の人生において、意味のない苦難はありません。今の苦難は私たちを養われる神の計画の一部です。もちろん自分の過ちによってやって来る苦難は自業自得でしょうが、自分の過ちなしにやって来る苦難は、神の祝福のための準備段階である可能性が高いです。ヤコブとヨセフの再会を目の前にして、私たちはこのような信仰を持つべきではないかと思います。 2.流浪のヤコブ、ゴシェンに住む。 父親との涙ぐましい再会の後、ヨセフは兄たちに、このように頼みます。「ファラオがあなたたちをお召しになって、『仕事は何か』と言われたら『あなたの僕であるわたしどもは、先祖代々、幼い時から今日まで家畜の群れを飼う者でございます』と答えてください。そうすれば、あなたたちはゴシェンの地域に住むことができるでしょう。羊飼いはすべて、エジプト人のいとうものであったのである。」(創世記46:33-34)ゴシェンはナイル川河口の東側にある草原地帯と推測されます。今でもグーグルマップを見ると、他の地域は砂漠であるに対し、そこは緑の地域であることが分かります。47章では、ヨセフの頼みのように、兄弟たちがファラオに自分たちは牧畜をする者と言いました。「ファラオはヨセフの兄弟たちに言った。『お前たちの仕事は何か。』兄弟たちが『あなたの僕であるわたしどもは、先祖代々、羊飼いでございます』と答え」(47:3) 彼らの答えに対し、ファラオは彼らがゴシェンに住むことを許可します。ここで気になる表現があります。46節34節の「羊飼いは、いとうもの」という表現です。ここで、羊飼いとは流浪民のことだと思われます。中世ヨーロッパのジプシー、現代アメリカのヒッピーなど、人々には定着せず、さまよい続ける人々を避ける傾向があります。歴史上、流浪民族が周辺民族を略奪したという記録が残っていますが、おそらく、その影響もあったと思います。詳しい理由はわかりませんが、流浪民族は定着民族に嫌われる傾向がありました。 最初から、ヤコブの家族はカナンの定着民族ではなく、流浪民族でした。その流浪民族がエジプトに入ったわけです。エジプトの人々は、彼らが、もしかすると自分たちに被害を及ぼすのではないかと警戒していたかもしれません。ですから、牧畜に適していて、エジプト人と離れたゴシェンの草原地帯にヤコブ一家がいることが良いと思ったでしょう。流浪民としてエジプトに来たヤコブの家族は、ゴシェンの地でエジプト人と区別されて暮らしていましたが、400年後に再び流浪民として、エジプトから脱出することになります。ここで、私たちはキリスト者のあり方について考えさせられます。キリスト者は昔の流浪民族のように人々に被害を及ぼす存在ではありませんが、しかし、流浪民族のように、この世に定着することもない存在です。なぜなら、エジプトのような、この世はキリスト者の目的地ではないからです。キリスト者は、世の中とは区別されたゴシェンのような存在である教会として生きながら、いつか帰るべき、神の国を待ち望みつつ、人生を歩んでいく存在です。ですから、私たちはこの世に属した存在ではありません。私たちはこの世ではなく、神に属した主の民です。 つまり、私たちの故郷は神のふところなのです。キリスト者はこの世と区別された、この世の人々にいとうものとされる(彼らと違う)存在です。でも大丈夫です。私たちは主に従って神の国に入る、世の中とは区別されたゴシェンのイスラエルの民のような存在だからです。 3.ヤコブがファラオを祝福する。 「それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオに祝福の言葉を述べた。ファラオが『あなたは何歳におなりですか』とヤコブに語りかけると、ヤコブはファラオに答えた。『わたしの旅路の年月は百三十年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。』ヤコブは、別れの挨拶をして、ファラオの前から退出した。」(創世記47:7-10)以後、ヤコブはファラオを謁見しに、彼の前に立ちます。その時、ヤコブはファラオに祝福の言葉を述べます。私たちは、この世とは区別された存在ですが、この世へ神の祝福を宣べ伝える存在です。祝福は目上の人が目下の人にすることです。神がこの世を祝福なさるのです。ヤコブがファラオを祝福したのは、ヤコブという人間ではなく、神の代理人として、ファラオに治められるこの世に祝福したのです。しかし、ここで、この世とは罪に染まり、悪があふれる世の中を意味するものではありません。罪がより大きくなり、悪がより隆盛するよう祝福するわけではありません。神の創造の摂理によって、この世が神に立ち戻り、神の御心が、この地上で成し遂げられるように祝福するということです。おそらく、ヤコブはファラオがこの世をうまく治め、神の御心にふさわしく生きることを祝福したのではないかと思います。 ヤコブは、今まで生きてきながら、多くの苦難を経験しました。130年という年月、人生の疲れをしみじみと感じてきたでしょう。しかし、その歳月が積もれば積もるほど、ヤコブは神が共におられること、神の恵みを切実に経験してきたでしょう。キリスト者としてこの世を生きるということは、本当に大変なことです。とりわけ、キリスト教が大衆的でない日本ではなおさらでしょう。しかし、主の祝福は大きな教会、小さな教会を問わず、平等に与えられます。そして、私たちはその神の祝福を世の中と分かち合いながら生きていくべきなのです。私たちは罪に満ちた世の中で、神の祝福を所有している存在です。キリストの愛を私たちが伝えなければならないということです。創造主の祝福が教会に託されているということです。「神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」(エヴェソ書1:22-23) 教会は万物を満たしている方が、満ちておられる所だからです。つまり、教会の使命は、主の祝福をこの世に伝えることです。私たちの人生において、主の恵みとお導きを通じていただいた、すべての物事を用いて、私たちは世の中に主なる神の祝福を伝える祝福の通り道にならなければなりません。私たちのそのような生き方は、神がアブラハムに約束された「君は祝福の源となる。」という言葉の継承になるでしょう。 締め括り 今日の話しをまとめます。第一、キリスト者の人生に理由のない苦難はありません。苦難は私たちを成長させる神の計画の一部です。私たちはいつか苦難さえも主による祝福の道具だったと感謝することになるでしょう。第二、私たちは世の中と区別された神に属する存在です。私たちの居場所はこの世ではなく、神の国であることを憶え、世の中の価値観に心を奪われないように気をつけて行きましょう。第三、教会は、この世に神の祝福を宣べ伝える祝福の通り道です。世の中と区別されるものの、世の中に絶えず祝福の主を伝える共同体として生きていきましょう。私たちは神に呼び出されたキリストの教会です。私たちのあり方が世の中のそれとは違うということを心に留め、主の御心と御言葉に従順に聞き従う群れとなりますように祈ります。 父と子と聖霊の名のもとに。 アーメン。

エルサレム神殿の崩壊。

アモス書 9章1-4節 (旧1440頁) マルコによる福音書13章1-13節 (新88頁) 前置き 今日の本文で、主は神殿の崩壊を予告されます。これまで、数回の説教を通して、主が神殿で経験された様々なエピソードをお話しましたが、結局、主はエルサレム神殿が本来の機能を失い、ただ、人の欲望だけを満たす有名無実の場所になっているのをご覧になり、裁きと滅びを予告されたわけです。神はなぜ、神殿をくださったのでしょうか。神殿は地上の民が、天の神と会う礼拝の場です。神は神殿の至聖所で大祭司を通して民と会ってくださいました。イザヤ書は、この神殿を祈りの家と呼びました。しかし、実状はどうだったでしょうか。 メシアを歓迎することも、貧しい隣人を愛することもない場所になっていました。そこには宗教的な見掛けが残っているだけで、神への真の信仰と隣人への奉仕が欠けていました。神殿は人間の欲望だけが沸き立つ強盗の巣になっていました。そういうわけで、主は神殿の滅びを予告されたのです。「わたしは祭壇の傍らに立っておられる主を見た。主は言われた。柱頭を打ち、敷石を揺り動かせ。すべての者の頭上で砕け。生き残った者は、わたしが剣で殺す。彼らのうちに逃れうる者はない。逃れて、生き延びる者はひとりもない。」(アモス9:1) 主は新約の神殿である教会を甘やかされません。教会の罪を見逃されません。ですから、私たちは常に自分のことを弁え、主の御心に適う教会として建てられていくべきです。 とういうことで、今日は神殿について考えてみたいと思います。 1.神殿の崩壊を予告される主。 まず、エルサレム神殿について話してみましょう。歴史上、社殿は3つの形であったと言われます。一番目は、ソロモン王が父ダビデの遺志を継ぎ、神のお許しをいただいて建てたソロモン神殿で、バビロンの侵略によって崩れました。二番目は偶像崇拝と多くの罪によってバビロンの捕囚となったイスラエルが、以後、ペルシャ帝国の許可を得てユダヤに戻り、再建したゼルバベル(当時総督ユダヤ王族)神殿です。そして、3番目は、ゼルバベル神殿を増築したと言われるイエス時代のヘロデ神殿です。このヘロデ神殿は西暦70年にローマ帝国とユダヤ人の戦争で粉々に崩れてしまいます。先ほど、申し上げたように、神は民との会いの場所として神殿をくださいました。この神殿は祈りと礼拝を通して神に会う聖なるべき場所でした。なのに、ユダヤの指導者たちはローマ帝国、そして商人たちと結託して神殿を商売の場にしてしまいました。また、彼らは神に遣わされたメシアイエスを見分けられず、むしろ迫害し、憎み、結局は殺そうとしたのです。主さえも見違えるほど、暗くなっていた彼らが隣人愛なんてしていたものでしょうか。 つまり、礼拝の場所が裏切りの場所になってしまったということです。だから、主は神殿の必要性がなくなったと判断され、その結果として神殿の崩壊を予告されたわけです。今日の本文1節で弟子たちはエルサレム神殿を見て感心します。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」 弟子たちは愚かにも、神殿の問題点を見抜くことができず、ただ素敵なうわべだけに圧倒されていたのです。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」しかし、主は弟子たちの考えとは裏腹に、決然と神殿の崩壊を予告されます。以後、神殿の反対側のオリーブ山に登った時、弟子たちはきまり悪く尋ねます。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」(13:4) 興奮してエルサレム神殿の威容を称えていた弟子たちは、主の御言葉に驚いたわけか、いつ神殿が崩れるのか、その時にどんな徴があるのか尋ねます。それに対して主は5-13節のことばで、神殿の崩壊の徴を言われます。何度も申し上げましたが、新約時代においての神殿とは、教会堂のような建物ではなく、主を頭とする教会共同体を成している私たちです。旧約の神殿が神殿としての機能を果たしていなかった時、主は惜しげもなく神殿の崩壊を宣言されました。主はまた、新約の神殿である教会が教会らしくない時「一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」と警告される方なのです。人が多くなり、建て替えするからといって素晴らしい教会になるわけではありません。どんなに素晴らしい教会だと言っても、主の御心に適わなければ、その教会はまるで粉々に崩れてしまった旧約の神殿のように主の裁きを受けることになるでしょう。 2.霊的な神殿を崩す惑わす者 文脈を考えずに13章を読むと、その内容がまるで、この世の終末を示しているようです。もしかしたら、ヨハネの黙示録が思い出されるかもしれません。実際、13章の一部である14節以降の言葉は、世の中の終末の時を想定して読んでも構わないと言う学者もいます。しかし、私たちは今日、1節から13節の言葉について話しています。また冒頭に神殿の崩壊という表現もありますので、神殿の崩壊という脈絡で、この言葉を考える必要があります。「イエスは話し始められた。人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。」(5-6) 主は神殿の崩れの時について明確には言われませんでした。しかし、主の御名を名乗る者が現れる時について言われました。実際、当時のユダヤには、自称メシアが何人かいたと言われます。しかし、最大の自称メシア(キリスト、救い主)は、ローマ帝国の皇帝でした。ユダヤの指導者たちは、自分らの安寧のためにローマ帝国に屈服し、神より人の権力をさらに恐れていました。世の中には、すでに自称キリストが存在し、神殿は崩れる一歩手前の状況だったのです。私たちも、いつも惑わす者に注意しなければなりません。キリスト以外に他の救い主を強要するカルトなどに注意しなければなりません。しかし、最も注意すべきのは、私たち自身の心です。主の言葉より先立つ自己信念、教会の和合を乱す自己欲望に注意しなければなりません。 主イエスの福音ではなく、自分の思想を強要する牧師に注意しなければなりません。互いに対立して教会を分裂させる人にならないように注意しなければなりません。これら、すべてはキリストの御言葉より自分自身の思いを押し立てることによって生じるものです。「惑わす者」とはキリストのみ言葉に逆らい、それを広める者です。英語で「アンチ·キリスト」です。自分自身もアンチ・キリストになりうるということを用心して、常に信仰と生活を顧みて生きるべきです。自分の間違いによって新約の神殿である教会が崩れうるということをいつも心に留めて生きましょう。かつて日本帝国では、今とは比べ物にならないほど民族主義の勢いが強かったです。信徒たちの中にも自分の信念に陥ってしまい、キリストの上に天皇を置くというおかしい状況が起きました。その結果、教会はキリストを礼拝する共同体ではなく、日本帝国のための教会になってしまいました。礼拝の前に宮城遥拝がありました。日本の教会だけではありません。植民地の教会も同じだったのです。教会の指導者たちが教会を守るという名目で教会の頭であるキリストを裏切りました。御言葉の先に人が立ってしまったのです。その結果、主の教会はまるで旧約の神殿のように機能を失ってしまいました。これこそが教会の崩壊なのです。霊的な神殿の崩壊なのです。私たちは過去の先達が犯した間違いを二度と繰り返してはなりません。惑わす者を拒み、キリストのみに服従する教会になることこそ、霊的な神殿である教会を丈夫に建てていく一本道なのです。 3。 「自分」という古い神殿を崩せ。 今までは、神殿を教会のモデルとして適用して話していましたが、これからは見方を変えて、古い自分の信仰という見方から考えてみたいと思います。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」(第一コリント3:16) 第一コリントは、信徒が神の霊の住い、神殿であると表現しています。キリストのからだとなった教会を成す私たち一人一人が神が住んでおられる神殿なのです。ところで、新約の神殿の一部となった私たちも、習慣的になった信仰のゆえに、まるでイエス時代のエルサレム神殿のように生気を失った習慣的な信仰者になっているのかもしれません。私が最も懸念している信仰の姿。それは定型化された宗教生活を信仰だと思い違える姿です。もし、私たちにそのような姿があるとすれば、私たちは「自分」という古い神殿を崩さなければなりません。 そして、主の恵みによって新たになった神殿として建てられなければなりません。その時に必要なのが、私たちに与えられる苦難なのです。神は信徒の苦難を用いられ、信徒を新たにしていかれる方からです。「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。」(7-8) 戦争の騒ぎは、戦争そのもの、戦争のうわさは社会的な不安のことでしょう。 地震と飢饉は自然災害のことでしょう。このような恐ろしいことが神殿の崩壊の時に起きると、主は予言されました。実際にエルサレムの神殿が崩れた時の、ユダヤの状況は修羅場だったと言われます。ユダヤとローマの戦争があり、パレスチナの情勢は非常に不安定だったようです。また、地震や飢饉もあったと言われます。これは歴史的な背景です。しかし、 個人の信仰として「自分」という古い神殿が崩れる時も、心の中で、このようなことが起こることもあります。思い煩いと人間関係の試練、生活の困難による心細さ。しかし、このようなことがある時に漠然と恐れるより、自分の信仰を振り返り、神に目を向けるきっかけになれば幸いです。このようなすべての苦難は古い神殿のような私たちの信仰を崩し、新しく建てれた神殿、すなわち神の御前に健全な信仰者として生まれ変わる産みの苦しみ(産痛)の始まりだからです。旧約の神殿の没落は、主の教会を世界中に広める促進剤となりました。宗教の中心がもはやエルサレムではなくイエス·キリストに替わりました。そうして、教会は古い神殿を離れ、新しい神殿に生まれ変わったのです。このように私たちの信仰にも古い神殿の崩壊が必要です。そうしてこそ、主のからだと認められる教会の一員として新しい神殿として建てられるからです。 締め括り 今日は、時間の関係で、本文全体を説教することはできませんでした。残りの箇所は次の説教でまた話しましょう。今日の説教は多少抽象的な説教だったと思います。実際、13章自体が説教するに難しい本文です。しかし、その中でも、私たちの信仰生活に適用できる部分があったと思います。今日の説教で話した内容を、もう一度整理してみましょう。第一、神殿が神殿らしくない時、主は神殿を滅ぼされました。教会が教会らしくない時、教会も裁かれるでしょう。第二、霊的な神殿である教会は、キリストの御言葉より人間の思いを先立てる時に崩れるでしょう。第三、「自分」という古い神殿が崩れてこそ、キリストのからだという新しい神殿、真の教会に生まれ変わることができるでしょう。だから、苦難は私自身を新たにする産みの苦しみの始まりでしょう。私たちは、主のからだ、新約の神殿としてどう生きているでしょうか。今週も私たち自身が神の住い、神殿であることを憶え、神の神殿として正しく生きているかどうか振り返って生きていきたいと思います。主の恵みが志免教会をなす皆さんの上に豊か注がれますように。 父と子と聖霊の名によって。アーメン。

神の教会

出エジプト記19章3-6節 (旧124頁) ペトロの手紙一2章9節 (新429頁) 前置き 今日は、2023年度の志免教会の総会の日です。私たちは今日の総会を通して、昨年の歩みを顧み、また今年の歩みを準備して、主の共同体である教会にうまく仕えていくために一緒に話し合います。そして、今年の志免教会の主題聖句は「キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」(エフェソ書2:22)であります。主が打ち立ててくださった神の住まいである志免教会が、どういう存在なのかを学んでいく一年でありますように祈ります。そういう意味として、今日は「教会」という共同体について考えてみたいと思います。今年のテーマが「教会について学ぶ。」ですので、今年は時々、特に第5週目の日曜日には教会についての説教をしていきたいと思います。私たちは、なぜここに集って志免教会を成し、教会を私たちの人生の最も大事なものとして生きるのでしょうか? 今日の説教を通して教会の意味について聖霊なる神が教えてくださることを祈ります。 1.教会の原型 – 神に選ばれた祭司の王国。 教会はいつから存在してきたのでしょうか。まず、日本で呼ばれる教会という表現はあくまでも「漢字語」的な表現です。おそらく中国にキリスト教が伝えられた時に名付けられ、日本にも伝わったわけではないでしょうか? 私たちは「教会」という漢字語のゆえ、つい教会を「聖書を教えるところ、説教を聞くところ」という、何かを教え、学ぶところというイメージで認識しているかもしれません。しかし、「教会」と訳された本来の単語であるギリシャ語「エクレシア」は教えるところという意味ではなく「外に呼び出された者たち」という意味です。もともとエクレシアは、ヘレニズム文化圏での市民の集まりである世俗的な民会を意味する表現だったと言われますが、キリスト教が打ち立てられた後、キリスト者だちはエクレシアを教会を意味する表現として使い始めました。ところで、面白いことに、 旧約にも「エクレシア」とそっくりの表現があります。それは「カハル」です。このカハルも「呼ばれて集まった者たち」という表現ですが、旧約のイスラエル人の集まりを指す単語(集会)で、旧約聖書ギリシャ語訳ではカハルをエクレシアと訳しています。つまり、教会を意味する「エクレシア」という表現が使われたのはイエス以来ですが、旧約のヘブライ語にも教会(エクレシア)に相当する表現があったということです。とういうことで、教会の原型はイエスのご到来前にも、すでにあり、イスラエルの神の名のもとで、その民が集まったところは神の共同体(教会)として認識されていたことが推測できると思います。 ここで重要なのが「呼び出された者たち」という表現です。「今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。」(出エジプト記19:5) 19章はエジプトから脱出し、神のご臨在の場所であるシナイ山に着いたイスラエルの民に、神が主の御言葉を与えてくださる場面です。5節で「私の宝となる」という表現は直訳です。意訳で表現すると「あなたたちはすべての民の中で、わたしだけの所有となる。」と言えます。つまり、主の宝物とは、神に呼び出され、選ばれた、神だけのものであるということです。神はなぜイスラエルをエジプトから脱出させ、主の所有として呼び出してくださったのでしょうか? その答えは次の節に出てきます。「あなたたちは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。」つまり、主は罪によって汚された、この世を意味するエジプトから主の民であるイスラエルを呼び出して、神を崇める祭司のような国(神に礼拝する存在)、この世から聖別された存在にするために、主の民を召されたのです。したがって、私たちは教会の原型を旧約聖書の出エジプト記から見つけることが出来ると思います。私たちはそれぞれ、違う国と民族に生まれ、互いに異なる文化と仕来りの中で生きてきましたが、神の民という同じアイデンティティをいただき、神の民となった共同体、すなわち教会として集いました。私たちが集まるようになった理由は、神に礼拝を捧げる祭司のような共同体、世の中から聖別された神の民の共同体として神に呼び出されたからです。 2.教会の存在理由 – 主の福音を宣べ伝える存在。 そのため、使徒言行録7章37、38節で、執事ステファノはこう述べているのではないかと思います。「このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。』この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。」ここで荒れ野の集会という表現の中で「集会」が、まさにギリシャ語で教会を意味する「エクレシア」と表現されます。もちろん、エクレアには民会という非宗教的なニュアンスもありますが、使徒言行録の著者の神学に基づくと、旧約の教会という認識が込められて書いてあるわけではないでしょうか。さて、主の教会は、ただ神への礼拝だけのために呼ばれた共同体なのでしょうか? 神は宗教儀式としての礼拝だけのために教会を打ち立ててくださったでしょうか。つまり、私たちは教会という共同体の存在理由について考える必要があるということです。使徒ペトロは上記の出エジプト記19章5節、6節の言葉を引用して、自分の手紙にこのように書きました。「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」(第一ペトロ2:9) ペトロは、前の出エジプト記19章5-6節の言葉のように、新約時代の教会が主に選ばれた王のような祭司であり、聖なる国民であり、主のものとなった民であると言いながら、その存在理由も一緒に述べました。それは「あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるため」だったのです。 「あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」という、この言葉はどういう意味なのでしょうか?複雑に解説書を参考にしたり、原文を分析したりしなくても、読むだけで「暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れ」という表現が、罪によって堕落した罪人を救うという意味であることはお分かりだと思います。また、ヨハネによる福音書に、こんな言葉がありますが、「初めに言があった。…言は神であった。…言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」(ヨハネ福音書1:1-4一部)これを参考にして光とは何かについて推し量ることが出来ると思います。つまり、真の光であるイエス·キリストへの「導き入れ」すなわち、その方に属するように神が導いてくださったという意味ではないでしょうか? ペトロはそれが、まさに神の力ある御業であり、教会にはそれを宣べ伝える務めがあるということを語ったわけです。光であるイエスによって罪人を救い、主イエスのものとしてくださったのが、まさに神の力ある御業であるということであり、それを宣べ伝えるのが教会の務めであるということでしょう。とういうことで、この言葉は福音伝道を示す言葉だと思います。それでは説教の始めに語った話と、この話を合わせるとどうなるでしょうか。「第一、教会は神に礼拝するために呼び出された共同体である。 第二、神に呼び出された教会はイエス·キリストの福音を宣べ伝える共同体である。」のようにまとめることができると思います。 締め括り 神学校の科目の中に、組織神学という学問があります。キリスト教の信仰内容を現代の文脈に即して捉え直し、理解を深めて行く学問です。そして、その中には教会論という分野もあります。それだけにキリスト教は教会を大事なものとして扱っています。教会論の全体を話すと、おそらく何日もかかるかもしれませんので、今日はすべての話をすることができません。ただ、今日は教会という共同体が 如何なる経緯で存在するようになったのか、また何のために存在するのかについてお話しました。教会は神に礼拝する共同体です。つまり、神への愛を主日の礼拝において表し、その礼拝を始めにして、一週間の日常そのものを礼拝にしていくことで神への愛を再び表します。また、教会は教会の外の存在にキリストの愛と救いの福音を宣べ伝える存在です。「イエスを信じなさい。」という言葉だけを伝えるわけではなく、イエスに属した主のものとして、主の愛を私たちの生活の中で実践し、隣人にキリストの福音を伝えることです。ですから、教会は、この会堂を指すわけではなく、ここに集い、神と隣人を愛する私たち自身のことなのです。今日、私たちは人の価値基準と考えではなく、神への礼拝によって愛を示し、隣人への愛によって、主の福音を宣べ伝えるという、教会のアイデンティティに基づいて、総会に臨みたいと思います。今日の説教は短いですが、教会の存在理由と務めについて、顧みる機会となれば幸いです。主に礼拝する共同体、福音と愛をもって隣人に仕える共同体、志免教会が追い求めるべきあり方ではないでしょうか。そのような志免教会として歩んでいくことを心より祈り願います。 父と子と聖霊の名によって。アーメン。

神の変わらない約束。

創世記46章1-7節 (旧83頁) ローマの信徒への手紙8章33-35節 (新285頁) 前置き ヤコブの最愛の息子ヨセフは、兄たちに憎まれ、エジプトに売られてしまいました。しかし、神のお導きによって祝福され、あらゆる困難を乗り越えて、最終的にエジプトの総理になりました。また、彼は神からの知恵により、ひどい大飢饉を見抜き、あらかじめ徹底して備えました。彼が治めるエジプトは大飢饉でも、食糧を売ることが出来るほど、豊かになりました。そんなある日、皮肉なことに、そのひどい大飢饉によってヨセフは家族と再会することになります。食糧が底をついたヤコブの家族が穀物を買うためにエジプトに来たからです。神と長い間、歩んできたヨセフは、信仰によって兄たちへの恨みを振り払い、自分は兄たちに売られたわけではなく、イスラエルを救うために神に先立って遣わされたと告白しつつ彼らを赦しました。そして、父と家族全員をエジプトに呼び入れました。神はヤコブの家族の悲劇を用いられ、むしろヤコブの家族に生きる道を備えてくださったのです。近くから見ると悲劇だったことが、遠くから見ると恵みであったわけです。人知を超える神のお導きがヤコブの家族を大飢饉から救ったのです。 1.エジプトへ呼び入れ、しかし、先にベエル・シェバへ。 キリスト者は、主のお導きの恵みを信じて生きる存在です。今、自分の人生が、たとえ自分の予想とはまったく違うようになってしまっても、その中に主の御心が必ずあるということを信じ、主のお導きを待ち望んで生きるということです。そのお導きを待ち望むのが、まさに信仰なのです。時には、自分が乗り切れないほどの、悲しみと苦しみが襲ってくる場合もあります。そのような時、私たちは絶対に信仰を諦めてはなりません。神が必ず導いておられ、最も善い道を備えておられることを信じるべきです。私たちの人生のすべての経験が、結局、神のご計画によって最も善いものとして戻ってくると信じたいです。神のお導きの恵みへの信仰で生きていくことを願います。キリスト者の喜怒哀楽が一つになって、結局は神の祝福として戻ってくるということ、それがヨセフの物語から学ぶ大事な教訓ではないでしょうか。さて、すでに死んだはずの最愛の息子ヨセフが生きているという知らせを聞いたヤコブは驚きました。おそらく彼は夢を見ている気持ちだったでしょう。一日も早くエジプトに行って出世した息子との再会を願望していたはずです。 いや、ヤコブが出世できず、依然として奴隷だったとしても、ヤコブは一息にエジプトに駆けつけて、全財産を払ってでも息子を救おうとしたでしょう。それが父の愛だからです。なのに、その息子が大帝国の総理だなんて、信じられなかったでしょう。「イスラエルは、一家を挙げて旅立った。そして、ベエル・シェバに着くと、父イサクの神にいけにえをささげた。」(創世記46:1) しかし、ヤコブはすぐにエジプトへ足を運びませんでした。彼はまずベエル・シェバに着き、アブラハムとイサクの神にいけにえを捧げました。ベエル・シェバはアブラハムとイサクの信仰の場所でした。かつてアブラハムとイサクがそこで神の名を呼び、いけにえを捧げると、神は彼らに現れて言われました。ヤコブもエジプトに向かう前にいけにえを捧げ、神はヤコブにも現れて主の御言葉をくださいました。新約聖書マタイによる福音書6章33節でイエスはこう言われました。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」 神の国を求めるというのは、神の御心によって治められる神の国の国民として、神に従順に聞き従いなさいという意味であり、義を求めるというのは、キリストによって神の義をいただいた者として、民らしく生きなさいという意味です。そうすれば、神がご自分の民のすべてのことを導かれるということです。昔、かかとをつかむ者、すなわち、だます者というあだ名で呼ばれたヤコブでしたが、その人生の中に共におられた神は、ヤコブを信仰へと導き、生まれ変わらせてくださいました。若き日のヤコブだったら、おそらく権力者になった息子を通して、利益を得ようと神の御心とは関係なく、自分勝手に動いたでしょうが、一生の間、数多くの苦しみと思い煩いを信仰によって乗り越えてきたヤコブは、もはや、神の民としてのアイデンティティを身につけ、自分の思いではなく、神の御心を問うようになっていたのです。 「その夜、幻の中で神がイスラエルに、ヤコブ、ヤコブと呼びかけた。」(創世記46:2) キリスト者である私たちも、自分の思いのまま、動く前に神の御心とは何か、主に問うて生きべきなのです。自分の思いの前に神の御心を先に聞こうとすること、キリスト者の信仰生活の基本なのです。 2。 神がエジプト行きをお許しになった理由。 「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする。」(創世記46:3) ここでしばらくエジプトについて考えてみたいと思います。創世記の説教の序盤、アブラハムについて取り上げた時、私たちはアブラハムが神の御心を問わずに、勝手にエジプトへ下った出来事について話しました。 当時、神はアブラハムのエジプト行きを喜ばれませんでした。また、出エジプト記でも、エジプトをイスラエルを迫害する絶対的な悪のように描いています。旧約聖書では、時々エジプトを「罪」の象徴として描く場合があります。なのに、なぜ神はヤコブの家族のエジプト行きを許されたでしょうか? ある神学者は、ヤコブの息子たちのカナンでの偶像信仰を根絶するために、神がヤコブ家をエジプトに行かしたとも言いました。しかし、エジプトも代表的な罪の象徴なので、説得力が弱いと思います。それで、私はこう解釈したいと思います。エジプトがたとえ「罪」を象徴する場所だったとしても、神にはその罪を圧倒する力があったからではないでしょうか。 たとえば、ある意味で、私たちは「世の中」という霊的なエジプトに住んでいる存在であるかもしれません。この世は罪に支配される汚された場所だからです。しかし、神はそのような世の中でも、イエス•キリストを通してご自分の民を選び、呼び出して、主の共同体である教会にしてくださいました。 主イエスの血によって清められ、神の民というアイデンティティを持って生きるようにしてくださったのです。世の中がいくら罪によって汚されたといっても、神は全くお気になさらず、この世にこられ、民を救ってくださったのです。神には罪に勝利する力があり、罪によって汚されない至高の神聖さがあるからです。神であるイエス•キリストが人になり、罪人の代わりに死に、復活されたのも、まさにこの罪に勝利する主の力のためではないでしょうか。神は罪の象徴として描かれるエジプトでも、ご自分の民を育てられ、御心によって呼び出すことが出来るお方です。いかなる罪にも妨げられず、私たちを清め守ってくださる神、私たちは、そのような偉大な神を信じているのです。 3。 変わらない神の約束。 「わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう。」(創世記46:4) このように神は罪を象徴するエジプトでも、常にイスラエルと共におられ、時がくれば必ず連れ戻すと予言されました。実際、神はアブラハムにも、似たようなことを言われました。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。」(創世記15:13-14)、神がヤコブのエジプト行きをご自身で命じた理由は、アブラハムとの約束を成し遂げられるためでした。彼らがエジプトに行っても、神は必ず彼らを無事に戻すと約束されたからです。神にはそのような力があるからです。神の約束は絶対に変わりません。主の約束は必ず成就します。その約束は神の存在のように永遠に変わらないのです。 締め括り このアブラハムとヤコブへの神の約束は出エジプト記で一部成就します。そして、主の御言葉通りに、アブラハムとイサクとヤコブの子孫は空の星のように、海の砂のように繁盛します。また、新約時代になってはイエス•キリストを通じてもう一度その約束が完全に成就します。罪に支配される霊的なエジプトである、この世の中で、神はまるで出エジプト記のモーセのようなイエス•キリストを通して罪の支配下で、奴隷のようになった私たちを救ってくださいました。そして、乳と蜜の流れるカナンのような神の国の国民として私たちを召されたのです。私たちの教会は、その神の国の影のようなものです。今後とも、その神の約束は変わりません。これに対して使徒パウロはローマ書で、こう言いました。「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」(ローマ書8:35) 神がアブラハムとイサクとヤコブになさった、いつまでも共におられるという約束は、イエス•キリストによって私たちにも適用されます。今日、ヤコブは罪を象徴するエジプトに入ります。私たちも罪が支配するこの世に生きています。しかし、主はその約束に基づいてヤコブとその子孫を守り、また、その霊的な子孫である私たちも守ってくださるでしょう。それを信じる私たち志免教会であることを祈り願います。

まことの信仰。

サムエル記上15章22節 (旧452頁) マルコによる福音書12章35-44節 (新87頁) 前置き 久しぶりにマルコによる福音書を説教することになりました。約1ヶ月半ぶりです。それで、説教を始める前に前回の説教について手短に触れてから、今日の本文に入りたいと思います。11章12章の本文の主な内容はユダヤの宗教指導者たちの挑発的な質問に対する主イエスのお答えでした。権威についての論争、ローマ皇帝に税金を払うべきかどうかについての論争、復活についての論争、最も重要な掟は何かについての質問など。当時のユダヤの宗教指導者たちがどれほど聖書と信仰を誤解していたのか、現実を赤裸々に明かす内容でした。今日の本文も、そのような宗教指導者の間違いを告発する内容です。今日の本文を通して、主は私たちに何を教えてくださるでしょうか? 一緒に考えてみましょう。 1.主の御言葉への理解 今日の本文に入る前に、まず知っておくべきことは、35から44節までの言葉が互いにつながっているということです。一見、ダビデとメシアについての話、律法学者の間違いへの糾弾、貧しいやもめの献金へのイエスの好評など、別々に分けられた関係のない話のように見えるかもしれませんが、それらは一つの主題のためにつながる話で、当時の宗教指導者たちの間違った信仰が、ユダヤ社会にどのような悪い影響を及ぼしたのかを示す、いわば告発なのです。11章で主イエスが十字架のためにエルサレムに到着し、一番最初になさったのは、ユダヤ社会の中心地である神殿への訪問でした。主が神殿に訪問された理由は、イエスの時代のユダヤが果たして神の御言葉に従順に従い、主の民らしく生きているのかをお確かめになるためでした。つまり、神殿はユダヤの信仰状態を現す象徴だったのです。しかし、皆さんもご存知のように当時の神殿は本来の機能を失い、まるで「強盗の巣」のように、宗教指導者の懐を満たす所になっていました。そういうわけで、主は神殿から商人たちを追い出されたのです。(マルコ11:15-17) 堕落した宗教指導者たちが治めるユダヤは、神の御言葉を正しく理解していませんでした。宗教指導者たちは熱心に宗教行為を行っていましたが、それは主の御心とは関係ない虚しい熱心でした。今日の本文35-37節も宗教指導者たちが、いかに旧約の言葉に無知だったのかを示す主の指摘だと言えます。 「どうして律法学者たちは、メシアはダビデの子だと言うのか。ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。主は、わたしの主にお告げになった。わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足もとに屈服させるときまでと。このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」(マルコ12:35-37)当時のユダヤには「昔の人の言伝」と呼ばれる伝統が旧約聖書に次ぐほど、大事にされたと言われます。これは旧約聖書を解釈した「タルムード」の中で「ミシュナ」という解釈集であると推定されます。人による聖書の解釈が聖書と同じくらいに大事にされたということです。ところが、「ミシュナ」を現代神学の観点から見ると、とんでもないでたらめのような場合が多いです。例えば、「安息日に働いてはならないから、くぼみに落ちた隣人の牛を救ってはならない。」「妻が(隣の妻よりきれいでない、料理がおいしくない)気に入らなかったら離婚状を書いて離婚しろ。」といった、愚にも付かぬことが聖書くらいに大事にされたということです。ユダヤ人が、この「昔の人の言伝」を大事にすることによって生まれた最も大きな問題は、聖書を本来の意味と全く違うように理解してしまうことでした。というわけで、今日の本文に書いてあるように、ダビデの子、つまり、かつて隆盛したユダヤ王朝の子孫ということで、メシアをダビデ王を受け継ぐ政治的、あるいは世俗的な人物として認識する風潮がユダヤに広がっていたようです。 したがって、今日の本文を通して、当時のユダヤ社会がどれほど主の御言葉に無理解だったのかが分かります。「メシアはダビデ王の子孫なので、政治的な自由をもたらす軍事的な指導者として来るだろう。だから、ダビデの時、征服した昔のイスラエルを再建し、ローマ帝国から解放し、ユダヤ民族に富と力を与えるだろう。」と誤解していたわけです。聖書が語るメシアのあり方は、主の民を罪から救い、神と和解させ、全人類を束縛から解放する、使命を持っている救い主です。しかし、ユダヤの指導者たちは聖書への無理解で、メシアをダビデ王の子孫、ユダヤ民族だけのための救い主という、小さな箱の中に閉じ込めてしまったのです。35-37節はダビデのメシア詩である、詩篇110編の言葉を引用した言葉です。メシアの先祖であるダビデ王自らがメシアを主として崇めているのです。主がこのダビデの詩篇を引用してメシアがダビデ王より優れた存在だと教えてくださった理由は、ユダヤの宗教指導者たちから始まったメシアへの無理解を、御言葉に基づいて正されたものと思われます。現代の教会にも御言葉の本来の意味とは関係ない、人の価値基準が、御言葉の座を脅かしているかもしれません。教会の伝統という名目に落ち込まれて、御言葉と関係ない基準で教会を運営している場合があるかもしれません。御言葉の本来の意味を正しく学び、まともに従っているかどうか、常に御言葉を通して顧みるべきだと思います。 2.御言葉による正しい信仰のために。 私たちは以上の35-37節の理解をもとにして後に出てくる38-44節の言葉を理解しなければなりません。主は前の言葉を通してユダヤ社会、特に宗教指導者たちが御言葉に無理解であることを指摘されました。続いて、主は具体的な二つの出来事でそれを教えてくださいます。「イエスは教えの中でこう言われた。律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」(38-40) 主はまず、最も代表的なユダヤの宗教指導者である律法学者について指摘されます。律法学者は文字通りに、旧約の律法、つまりモーセ五書を研究し、教える務めを持っています。彼らは聖書への優れた知識を備え、民に御言葉を正しく教えなければならない人々でした。しかし、誰よりも優れた信仰を持つべきだった彼らの生き方はどうだったでしょうか? 「長い衣」は宗教指導者が着ていた、普通の人には許されなかった高価な服だったと言われます。自分は他人とは違うと威張り、虚栄心が強かったと解釈できるでしょう。「歩き回る」は他の人々に注目され、特権層と付き合うためだったと解釈できるでしょう。「広場で挨拶されること、会堂で上席、宴会で上座」は宗教を利用して自らを高めることと解釈できるでしょう。 つまり、旧約聖書を研究する使命を持っていた、当時の宗教指導者たちが、民の魂には興味がなく、自分の名誉と富のために動いていたことを証言するのです。「やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。」律法によると、寄留者、孤児、寡婦はユダヤ社会において積極的に守られるべき存在でした。律法学者は、それを民に教え、民が寄留者、孤児、寡婦を守る社会を作っていくように導かなければならない者だったのです。そんな彼らがやもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをして、律法を悪用していたということです。これが当時のユダヤ社会の宗教指導者たちの現実だったのです。それらは正しい信仰のあり方ではありません。神の御言葉を間違って理解した程度ではなく、御言葉を悪用して神の民を貶める積極的な悪だったのです。次は寡婦についての主の御言葉です。「イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。」(41-42) 時々、この本文を、「乏しい中から自分の持っている物のすべてを献金した寡婦の信仰」と説教する場合があります。この本文だけを別に置いて見たら、そのような解釈も問題ないかもしれません。しかし、文脈的に考えれば、この本文は献金についての教えではありません。 なぜ、貧しい寡婦が自分のすべてを持って、辛うじて献金が出来たのかを、私たちは考えてみる必要があります。ここでクァドランスとは、ローマ帝国の貨幣の最小単位で、現在でいうと「100円」程度の価値でした。レプトン銅貨はギリシャの貨幣だったと言われます。「イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」(43-44)つまり、どれだけ、ユダヤの社会がこの寡婦の世話をしていなかったのか、わずか100円だけが彼女のすべての所有だったのか、考えてみるべきです。人々は有り余りの中で宗教行為として神殿に献金しましたが、100円しかない寡婦のために何をしていたのでしょうか? ユダヤの律法学者たちは、神の御言葉を教え、ユダヤ社会が寡婦のために救済させなければならなかったにもかかわらず、むしろ彼らは寡婦のへの世話を教えるより、自分の名誉と富だけに気を遣い、彼らに指導されるべきだったユダヤの社会は無知によって堕落し、100円が全財産であった寡婦を傍観していたわけです。イエスは、彼女が乏しい中で献金をしたことをお褒めになったわけではなく、その困難の中でも主への信仰をあきらめなかった寡婦を慰められたわけではないでしょうか。 締め括り 皆さん、一体、まことの信仰とは何でしょうか? 教会に出席して、礼拝に参加し、説教を週一度聴くのが信仰なのでしょうか? 教会で行う徹底した宗教儀式が私たちの信仰なのでしょうか。真の信仰について私はこう言いたいと思います。「神の御言葉を正しく学び、それを信じ、聞き従い、実践して生きること。」旧約の預言者サムエルは、こう言いました。「主が喜ばれるのは焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。」(サムエル上15:22) 預言者ホセアはこう言いました。「わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない。」(ホセア6:6) 間違った信仰の理解によって汚されたユダヤの社会、そして御言葉に背いた民たち。それらがまさにイエスの時代のユダヤの現実でした。私たちは今日の本文を通して自分自身を顧みる必要があると思います。私たちは御言葉を正しく学んでいるでしょうか? そのような意味として、今日の説教は皆さんより、牧師にさらに厳重な教訓ではないかと思います。志免教会が真の信仰の共同体であることを祈ります。主の御言葉を正しく学び、従順に聞き従い、実践しつつ生きていきたいと思います。主がユダヤの社会と宗教指導者たちに言われた警告の言葉を、今の私たちは自分自身に適用し、常に心に留めていくべきだと思います。主なる神のお導きを求めます。 父と子と聖霊の御名によって。 アーメン。