主イエスの苦難

イザヤ書53章3~6節 (旧1149頁) ヨハネによる福音書12章23~26節 (新192頁) 前置き 今日は2023年度の四旬節第5週間目の主日です。先週は四旬節の意味について、そして、それにかかわる灰の水曜日、四旬節の日数の意味などについても学びました。今日は私たちが四旬節を通して記念しなければならない、主の苦難について考えてみたいと思います。今日は主の苦難の意味について、そして来週は主の苦難のハイライトである十字架について話したいと思います。なぜ、完全な方であるイエスは苦難をお受けになることになったでしょうか? そして、キリスト者にとって、主の苦難はどういう意味を持つでしょうか? 一緒に考えてみましょう。 1. なぜメシアは苦難のしもべと呼ばれるのか? 旧約のイザヤ書には、4つの「しもべの歌」が記されています。(42:1-9、49:1-7、50:4-9、52:13-53:12)「しもべの歌」には将来、神のしもべ、すなわちメシアが来て行う務めについて、書いてあります。すでに新約を知っている私たちは、このしもべの歌が、メシア、イエスキリストについての預言であることを知っていますが、その昔、キリスト以前の人々は、この神のしもべが誰なのか分からなかったのです。そういうわけで、漠然と誰かが神の偉大なメシアとして来るだろうと推測するだけでした。ところで、人々はこのしもべの歌から、とうてい理解できない点を 1 つ見つけました。それは神のしもべ、メシアが苦難を受けるということでした。メシアとはヘブライ語の「油注がれた者」という意味です。旧約のイスラエルでは「王、祭司、預言者」が油に注がれて任命されましたが、油注がれた者は、この地上で神の手と足のように主の民に仕え導くリーダーのような存在でした。そのため、人々は油注がれた者、つまりメシアを尊敬し、栄光の存在として認識していたのです。それなのに、イザヤ書の神のしもべ、メシアが苦難を受けるようになるなんて、メシアを栄光の存在と認識してきたイスラエル人は大きな衝撃を受けたに間違いないでしょう。「栄光の存在は苦難の存在だ。」という逆説が「しもべの歌」に現れていたからです。 なぜ、栄光を受けてしかるべき存在が苦難を受けなければならないのでしょうか? その理由は律法の贖いの方式のためです。旧約、イスラエルの民は、神殿にて、傷のない獣を贖罪の献げ物とすることで赦されました。民の罪を傷のない獣に渡し、民の代わりに獣を屠ることで、民の罪 民の罪が償われたと見なしたわけです。ここで大事なのが「傷のない」という表現です。すべての獣が、民の贖いのための献げ物として捧げされるわけではありません。傷のないきれいな獣だけが献げ物になれるのです。ところで、神はいつも繰り返される獣によるいけにえの代わりに、一人の主の聖別されたしもべを犠牲にして、ただ一度で罪を取り去る方法を計画されました。(ヘブライ9:26) したがって、ただ一度の贖いのための存在、すなわち神のしもべメシアは、傷のない獣のように、罪から自由な存在でなければなりません。旧約のいけにえのように、主のしもべは、罪なく完全で光栄の存在でなければなりません。なぜなら、この栄光の存在を犠牲にして罪に満ちた民を贖うからです。イザヤ書の「しもべの歌」に登場する神のしもべメシアはそのような存在です。いかなる罪もない、誰よりも光栄で欠点のない存在ですが、神はその栄光のしもべを、ご自分の民への唯一無二の真の贖罪のために、献げ物として苦難の中に投げ入れられたのです。 神のしもべとして来られたイエスは、罪も傷もない完全な栄光のメシアです。しかし、そのような理由で、イエスは苦難を受けるしもべになりました。イエスは罪人の命のために十字架で死に、罪人の赦しのために呪いを受け、罪人の喜びのために悲しみを受けました。イザヤ書の「しもべの歌」は、このような逆説を示しています。今日の旧約本文も「しもべの歌」の一部ですが、読んでみましょう。 「彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(イザヤ53:5) 救いのためには「代わり」という言葉が前提とならなければなりません。主は私の代わりに罰せられ、私の代わりに苦難を受け、私の代わりに呪いを受け、私の代わりに死を経験されました。それらによって、私は主の代わりに平和を得、主の代わりに祝福を受け、主の代わりに命をもらい、主の代わりに光の中にいるようになったのです。主イエスの苦難は私たちの苦難に代わるものです。私たちが受けるべき苦難を代わりに受けてくださった主がいらっしゃるから、私たちは主の代わりに栄光を受けることになったのです。聖書が語る救いには償いが必要なのです。私たちが死を恐れず、生きることが出来る理由も、栄光の主イエスが私たちの代わりに苦難を受け、私たちの救いを固く約束したためです。苦難のしもべイエスは私たちの苦難を代わりに担当してくださるために来られた方です。 そして、私たちはその苦難のしもべイエスによって、主の栄光の中で救われた存在なのです。 2. 一粒の麦のような神のしもべ 「イエスはこうお答えになった。人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12:23-24) 今日の新約本文で、イエスはご自身の苦難と死について「栄光を受ける」と言われました。メシアであるイエスご自身が、ご自分の苦難を栄光の行為として認識しておられたということです。 罪に汚された民を救うためのイエスの苦難は、昔から神によって定められた救いの手立てでした。イエスが神に服従してその救いを成し遂げられる時、すなわちイエスが苦難の中で死んで、ご自分の民をお救いになった時、はじめて神のご計画は成就されるからです。イエスは神の計画が成し遂げられること自体が、すなわちご自分の栄光であることを知っておられたでしょう。主イエスの苦難と栄光は、まるでコインの両面のようなものです。世の中の価値観では到底理解できない逆説的な神秘です。死から命を生み出し、苦難から栄光を造り、みすぼらしさから貴さをもたらされる神の逆説的な神秘なのです。したがって、私たちはこの四旬節の期間、主の苦難を憶える時、神の栄光と私たちの栄光のために、苦難をご自分の栄光となさったキリストの崇高なお志を記念しなければならないでしょう。一粒の麦の死のようなキリストの苦難と死は、主を信じるキリスト者という数多くのもう一つの麦を生みだし、神に栄光を帰しました。そして、それはまた主イエスの栄光となったのです。 3. 主の苦難を憶えつつ。 ところで、主の苦難とは具体的にどういう意味なのでしょうか? 十字架にかけられる時の痛みのことなのでしょうか? 数多くのユダヤ人の指導者たちに受けた迫害のことなのでしょうか?枕する所もないほど、貧しかった主の生涯のことなのでしょうか? 寒い冬の飼い葉桶に生まれたことなのでしょうか? 多くの人々が、主イエスの苦難を「十字架刑」や「人々からの迫害」のような肉体的なことだと考える傾向があると思います。しかし、主の苦難は、ただ地上での肉体的な苦難だけを意味するものではありません。最も大きな苦難は、主が「しもべ」になったということです。私たちはイエス·キリストが「御子」であることを知っています。神は御父、御子、聖霊の三位一体ですが、その中の御子の位格が肉となってこられた方が、イエス・キリストです。つまり、イエスは御子なる神です。キリスト教の大事な信仰告白であるニケア・コンスタンチノープル信条には、こういう表現があります。「造られることなく生まれ、父と一体」ここで「生まれ」という言葉は、漢字語では出生を意味しますが、原文では、その意味は違います。それは「御子は御父から派生(この表現も不十分だと思いますが)した。」というふうの意味で、御子が被造物ではなく父と同等の神としての存在であるという表現です。つまり、御父と御子は同一本質の同等な神です。ところが、そのような神である御子が自らしもべになられたわけです。ここから御子の苦難は始まったのです。永遠で無限の存在である子なる神が、自ら制限と有限の世界に、人となって行かれたということです。 単に、「十字架の処刑が痛くて苦しかった。」あるいは、「地上での生涯が貧乏だった。」などのレベルではありません。それを主の苦難だと考えてはなりません。神が人となって、この世に来られるそのものが、主の苦難の始まりだったのです。主イエスは私と皆さんのどうしようもない罪を赦し、救ってくださるために自ら神の特権を捨てられるほど、罪人を愛されたのです。そして無限の存在が、有限の中に入ってこられたのです。したがって、人間の視座から主の苦難を理解してはなりません。私と皆さんのためにイエスはすべてを捨てて、この死の世界に来られたわけです。そして、死によってご自分のすべてを捧げられました。もちろん、父なる神がイエスを復活させ、再び永遠と無限の主として格上げさせてくださいましたが、私たちの救いのためにすべてを捨てられたキリストの救いは永遠に記念するべき御業なのでしょう。主の苦難はただの感動的な愛の物語ではありません。子なる神がご自分の実存をひっくり返された凄絶な霊的な戦いだったのです。そのため、神学ではイエスの苦難と救いの出来事を、特別恩寵と呼んでいるのです。絶対に忘れないようにしましょう。主は私たちを救うためにご自分のすべてを捨てて苦難の真ん中に入っていかれた方です。そしてご自分のすべてを捨てられる苦難によって、私たちを救ってくださったのです。 締め括り ひょっとしたら、私たちは主の苦難を、あまりにも軽んじて話しているかもしれません。毎年、四旬節になると主の苦難を感謝し、讃美しますが、私たちは主の苦難をどれくらいに理解しているでしょうか。もちろん、人間である私たちが主の苦難を理解するなんてとんでもないかもしれませんが、少なくとも主の苦難をもっと知りたいとの熱情は必要なのでしょう。自分の苦難、自分の痛みは大きく考えながらも、主の苦難についてはあんまり興味がなければ困るでしょう。主の苦難がなかったら、私たちの救いもありません。私たちは主の苦難を憶える時、いつも真剣に考えるべきです。そのように、残りの四旬節を過ごしたいと思います。父と子と聖霊の名によって。 アーメン。

レントについて。

ヨブ記42章1~6節 (旧832頁) マタイによる福音書6章16~18節 (新10頁) 前置き 今週は、レントの4週間目です。私たちは毎年レントの期間を過ごしつつ、週報でレント何週間目という表現をよく目にします。しかし、私たちはレントの真の意味について、どれほど知っているでしょうか? もしかしたら、レントという言葉にどういう意味が含まれているのかも分からずに使っているかもしれません。しかし、昔の教会はレントの期間を通してイエス·キリストの苦難と復活を黙想し、祈り、断食し、記念したと言われます。今日は、果たしてレントとは何か、現代を生きる私たちは、この期間をどう過ごすべきかについて考えてみたいと思います。 1.レントの由来と意味 毎年、春になると、私たちはレントという名の四旬節の期間を過ごすことになります。四旬節は漢字語で40日という意味で、イエス·キリストの復活を記念するイースター前の40日間を意味します。それでは、レントとはどういう意味でしょうか? 私は、この四旬節を意味するレントという表現を日本に来て初めて使うようになりました。本国では四旬節と呼んでいたからです。そこで、四旬節の原文を探ってみたら、ギリシャ語では「テサラコステ」、ラテン語では「クアドラゲシマ」でした。いずれも40日という意味です。どこにも「レント」と「40日」の関わりが見つかりませんでした。それで、インターネットを検索してみたら、この表現の由来が古代アングロサクソン語の春を意味する「レンテン」から来たことがわかりました。なぜ、突然アングロサクソン語が登場するのでしょうか? 初代教会時代、キリスト教は迫害を乗り越え、ローマ帝国の国教として認められ、非常に大きな影響力を持つようになりました。その時期、ヨーロッパの辺境には依然として数多くの迷信とシャーマニズムが存在していました。しかし、その地域の異教徒が徐々にキリスト教信仰を受け入れ、これまで行ってきた迷信とシャーマニズムの祭りにキリスト教的な意味を与えるようになりました。わたし個人の推測ですが、おそらくこのようなローマ帝国の辺境の異教徒たちの改宗によって迷信とシャーマニズムの祭りがキリスト教的に変わっていき、キリスト教の四旬節の期間に、辺境部族の春の祭りの名称「レンテン」に由来するレントが名付けられたのではないかと思います。 ローマ帝国当時、辺境の言葉だったアングロサクソン語が使われる可能性は、これが唯一だからです。これは私の仮説ですので、定説だとは言い切れません。しかし、キリスト教の他の記念日の場合、こういう経緯によって名付けられたことが多いですので、ある程度の可能性はあると思います。先ほど、レントは春を意味する古代アングロサクソン語のレンテンに由来したとお話しました。イエス·キリストの死は、主を信じるすべての者に真の命を与える、冬が来る前に命の種を蒔くことのような聖なる出来事でした。ひょっとしたら、四旬節にレントという名称を与えた昔の教会の人々は、イエス·キリストの復活から真の命の春を見つけたわけではないでしょうか。しかし、私たちは意味の分かりにくい、この「レント」という表現に伝統という名目でこだわる必要はありません。四旬節という漢字語で呼んでもいいし、テサラコステやクアドラゲシマのような古代語で呼んでもいいです。もちろんレントという名称も構いません。しかし、最も重要なことは、主イエス·キリストが私たちの真の救いと命のために、苦難を受けられたこと、私たちの代わりに死んでくださったこと、そして復活によって死の権能に勝利されたこと、これらを憶えることです。名称が何であっても構いません。大事なのは名称でなく、その意味だからです。 2.なぜ40日なのか? そして灰の水曜日とは。 ところで、レントの期間は、なぜ40日なのでしょうか? 正確に言えば、レントは、イースターから7週間前の水曜日、いわゆる灰の水曜日から、6つの日曜日の日数を抜いた、イースターの直前の土曜日までの期間を意味します。(画像参照) 例えば、2023年のレントは2月22日の灰の水曜日に始まり、2月26日、3月5日、12日、19日、26日、4月2日の6つの主日を抜いた、4月8日までの40日間を意味するのです。ですので、正確に言えば、日曜日を含めたレントの期間は46日となります。なぜ、レント期間を40日として守ったのかについては、様々な仮説がありますが、「聖書に現れる40という数字に深い意味があるから」という説が有力だと思います。「ノアの洪水の時、40昼夜雨が降ったこと(創世記6:5-7)」「出エジプトの時代、イスラエルが荒野で40年間生活したこと(申命記29:4)」「モーセが神に十戒をいただくとき40昼夜断食したこと(申命記9:18)」「予言者エリヤが神の山に行くために40昼夜を過ごしたこと(列王期上19:7-8)」「イエスが公生涯を始められる前に40昼夜試練をお受けになったたこと」(マタイ4:1-11)「イエスが昇天される前に40日間地上におられたこと。(使徒言行録1:3)」など。すなわち40日という日数は断食と悔い改め、贖罪によって、自分の罪を顧み、神の御前に進んでいくための清めの時間という意味が強かったためです。とういうことで、レントの期間も40日になったと思います。 それでは、レントの初日である「灰の水曜日」には、どんな意味がありますでしょうか? 灰は非常に古い象徴です。今日の旧約本文を読んでみましょう。「わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます。」(ヨブ記42:6)学者たちはヨブ記の時代が、アブラハムの時代と近いと推測しています。創世記を読むとイスラエル民族が打ち立てられる前にも、神を崇める存在はいましたので、可能性がないとは言えないでしょう。つまり、イスラエルが成立する前から、灰は悔い改めと反省の象徴を持っていたようです。創世記には神が塵で人間を創造されたと記してあります。(創2:7) エデンの園から追い出された最初の人間たちは、神に「塵にすぎないお前は塵に返る。」(創世記3:19)と言われました。ヘブライ語の塵は、時には灰と翻訳される場合もあります。つまり、灰には「私は塵のようになにものでもない」という意味が含まれています。聖書全体的に灰は罪人たちが神の赦しを求める時、自分の罪を悲しむ時に使われる表現でした。古代の教会は額に灰を塗り、悔い改めの祈りによって、四旬節を始めたと言われます。灰を塗って悔い改めつつ、四旬節を始める水曜日という意味として灰の水曜日と呼ばれはじめたわけです。 したがって、初代教会の信仰者たちは、この灰を自分の額に塗る象徴的な行為を通して、40日というレントの間、神の御前で悔い改めと断食をしつつ、自分の罪を顧みようとしたのです。現代のプロテスタント教会では、灰を額に塗る行為はほとんどしていないと思います。象徴的な行為(外面の象徴)より、実質的な悔い改めと生き方の革新(内面の変化)がさらに大事だと思うからです。今年のレントの間、私は普段とそんなに変わりなく過ごしています。涙を流して悔い改めたり、祈りの時間を増やしたり、断食をしたりしてはいません。いつものどおりに生活しています。レントだから悔い改めを増やし、レントじゃないから悔い改めを減らすということではないからです。私たちはレントだけでなく、常にキリストの苦難と死と復活、そして私たちが罪人であることを憶え、主にあって生きていかなければならないからです。ある意味で、レントのような記念日がなくても問題ないかもしれません。もちろん伝統を無視してもいいという意味ではありません。伝統は尊重するものの、その時だけでなく、私たちの毎日が、主のご誕生を記念するクリスマスであり、主の受難を憶えるレントであり、主の復活をほめたたえるイースターのような日であることを心にして生きるのが望ましくないでしょうか。特定の記念日を守るというより、毎日、主の御業を憶えつつ生きること。それが四旬節の真の精神ではないかと思います。 3.レントを過ごしながら プロテスタント教会の歴史の中に、1522年、スイスのチューリッヒで起こった「ソーセージ事件」という面白い名称の出来事がありました。中世カトリック教会には、数多くの宗教的な慣行があったと言われますが、その中、聖書の教えとは関係ない強制的な断食、免罪符などの宗教儀式が多かったと言われます。中にはレントの期間に肉食禁止という聖書に基づいていない制限もありました。(現代カトリック教会はだいぶ改革していると言われました。)ところで、チューリッヒの印刷業者のフローシャウアーと何人かは、レントの慣行である肉食禁止は聖書に基づいた慣行ではないと批判し、食事の時、小さいお肉一枚とソーセージ2個を食べました。(レントにも肉食したいという意味ではなく、聖書による根拠のない慣行に反抗するという意味として。)これが問題となり、彼らは大罪を犯したと教会の糾弾を受けることになりました。その時、彼らを弁護した宗教改革者が、あの有名な「ツヴィングリ」でした。ツヴィングリは主の教会は虚礼虚飾の慣行から脱し、ひとえに主の御言葉に基づいて生きなければならないという説教をしつづけました。教会は反発しましたが、宗教改革を支持する民衆は大声で歓呼しました。この面白い名称の出来事を皮切りとして、チューリッヒでは宗教改革の炎が燃え上がるようになり、最終的にスイスはプロテスタントの盛んな国になったのです。私はレントの期間を、このような心で過ごしたいと思います。断食のような宗教的な行為も良いですが、さらに聖書が語る主の苦難、死、復活、愛を憶える期間であることを願います。 締め括り 最後に、今日の新約本文を読んで説教を終わりたいと思います。「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(マタイ6:16-18)レントの期間に、主が望んでおられるのは、他人に長い断食や立派な祈りのような行為を見せるのではなく、ひたすら主なる神だけに自分の信仰と愛を表すことだと思います。レントを通して、信仰の虚礼を捨て、謙虚に苦難の主だけを黙想し、記念する志免教会であることを祈ります。レントだからではなく、毎日がレントのような人生でありますように。父と子と聖霊の名によってアーメン。

最後の晩餐

出エジプト記24章3~8節 (旧134頁) マルコによる福音書14章12~26節 (新91頁) 前置き イタリアのミラノに「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ(意味は聖マリアの恩寵)天主堂」というカトリック教会があります。そこの壁面には、あの有名なレオナルド·ダ·ヴィンチの作品「最後の晩餐」が描いてあります。今日の週報にも掲載した絵です。おそらく、この絵を知らない方はおられないと思います。今日の本文では、このイエスと12人の弟子の最後の晩餐が描かれます。今日の本文を通して、主が弟子たちにお与えになった晩餐、すなわち聖晩餐について話し、いくつかの教訓を学びたいと思います。少しずつ、マルコによる福音書に現れる主イエスの十字架での出来事が近づいています。そして、まもなく受難週が始まり、私たちは復活節の礼拝を迎えることになります。今日から復活節まで、主の受難と死と復活を記念し、黙想する時間になることを願います。 1.聖餐 – 主が与えてくださった晩餐。 聖餐はプロテスタント教会を表す二つの聖礼典の中の一つです。(ちなみにカトリックは7つ)一つは洗礼、もう一つは聖餐です。しかし、私たちは割と洗礼より聖餐のほうを軽んじているかもしれません。若い頃からの月一度の聖餐式に慣れており、その大事さを忘れがちだからです。しかし、聖餐にはとても深い意味が含まれています。果たして聖餐は私たちの信仰において、どんな意味を持っているのでしょうか? 今日の本文からも分かるように、もともと最後の晩餐は、主の死を記念する特別な食事ではありませんでした。ユダヤ人の祭りである過越祭と除酵祭の慣習的な食事だったからです。元旦やお盆に家族が集まってする食事が誰かを記念する儀式ではなく、家族同士の楽しい時間であることと似ているでしょう。このように古い仕来りである過越祭の食事が、弟子たちにとって主の死を記念する壮絶な食事までではかなかったはずです。「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに『過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか』と言った。」(12)つまり、イエスがこの食事に意味を与えられるまでは、最後の晩餐は最後の晩餐ではなかったということです。ただ毎年行われる慣習的な祝日の食事だったでしょう。しかし、主がこの食事にみ言葉を与えられた時、慣習的な祝日の食事は、この世で最も特別な食事、聖晩餐になりました。 「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取りなさい。これはわたしの体である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。『これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。』」(22-24) 昔の出エジプト時代、神はイスラエルをエジプトから脱出させるために、エジプト全土に10の災いを下されました。そして最後の災いとして死の天使を遣わされます。その時、主はイスラエルを死から守ってくださるために子羊を屠り、その肉を食べ、その血を家の入口に塗るように命じられました。イスラエルの民はその言葉に従い、死の天使の過越しを待ちながら、子羊の肉を食べ、その血は入口に塗りました。以後、その行為は過越祭の大事な仕来りとなり、夕食のかたちになりました。おそらく、今日の本文の晩餐は、このような過越祭を記念する食事だったと思われます。ところが、そんな食事の席で主は不思議なことを言われます。「このパンを取りなさい。これは私の体だ。 この杯を飲みなさい、これは私の血、すなわち契約の血だ。」過越祭の食事は、大昔の出エジプトを記念して飲み食いする慣習的な食事であるだけなのに、主はまるでご自身が子羊にでもなったかのようにパンと葡萄酒に意味を与えられたわけです。 ここで、私たちは最後の晩餐の意味について、思わされるようになります。出エジプトを目の前にしたイスラエルの民を神の死の裁きから救うためにいけにえとされた子羊。イスラエルはその羊の肉を食べ、その羊の血を入口に塗って、主の裁きから救われました。子羊は神のご計画に従い、自分のすべてを惜しみなく捧げ、イスラエルの民を神の裁きから守ったのです。その子羊の肉は神の民だけに許された食物であり、その血は神の民だけを救う、神との契約の血でした。最後の晩餐でイエスがパンと杯とをあずからせてくださったのは、そして、そのパンと杯の意味について教えてくださったは、そのパンによって、パンを取った者たちが神の民であることを、その杯によって、杯を飲んだ者たちが神の死の裁きから救われる契約の血の下にあることを思い起させるためでした。つまり、イエスはご自身がその過越祭の子羊のような存在であり、ご自分のすべてを捧げ、晩餐に参加した主の弟子(民)たちを救われることを教えてくださったわけです。したがって、過越祭の最後の晩餐は、その昔の過越祭の子羊のように、主イエスがご自分のすべてを与えてくださるという契約と救いの場だったのです。そして、聖餐は主がご自分の民に与えてくださる救いと契約の最後の晩餐の再現なのです。 2.主の救いと契約にいなさい。 「彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物をささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。」(出24:5)「モーセは血を取り、民に振りかけて言った。見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」(出24:8)いけにえの肉と血への言及は、出エジプト記24章にも現れます。旧約において、神に捧げられた献げ物は、神だけのものとされ、その肉を完全に焼き尽くすかたちで、人が食べてはならないものでした。ところが、唯一、和解の献げ物だけは捧げた者が、祭司からその肉を分けてもらい、食べても良いものでした。5節には、和解の献げ物について書いてありますが、これが和解のいけにえとなった主の体、つまり聖晩餐のパンの根拠ではないかと思います。そして、8節の契約の血は、主の血、つまり主が与えてくださった杯の根拠ではないかと思います。そのため、聖餐は旧約のいけにえの献げ物と深い関係を結んでいると思います。最後の晩餐が単なる仕来りによる食事ではない理由は、まさにこの旧約の律法と関係を持っているからです。この晩餐を通して、主イエスは、ご自分の民を罪から救われるための旧約のいけにえの席に自分自身を置かれたからです。それについて、新約のヘブライ書は次のように述べています。「キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブライ9:11-12) したがって、最後の晩餐は主が、ご自分で計画なさった真の律法の行為であり、しかも繰り返して行わなければならない昔の律法の行為そのままではなく、完全な大祭司であり、完全な贖いの献げ物であるキリストが、ご自身を捧げられた新しい律法の行為なのでした。そして、その新しい律法の行為は、今やキリストの福音という新しい約束の中に成し遂げられ、私たちに与えられているのです。ですから、私たちの聖餐は、昔の律法の献げ物にある真の意味を現す行為であり、さらに新しい福音の中で成し遂げられた、主の救いを現す私たちの福音の行為なのです。私たちは聖餐を行うたびに、パンを通して今現在私たちがキリストの民であることを憶え、杯を通して今現在私たちがキリストの救いと約束のもとにいることを憶えるようになるのです。ある学者はこう言いました。 「聖餐はパンと杯を用いて、主の肉と血を象徴する単純な象徴行為ではありません。聖餐は今現在私たちが主の民であり、主の救いの中にいることを再確認する地上から天上に引き上げられる実質的な約束の行為なのです。」したがって、聖餐はキリストへの私たちの信仰を飲み食いによって公に告白する聖なる行為なのです。そのため、洗礼を受けず、信仰告白をしていない者は聖餐にあずかることが出来ないのです。このような聖餐の意味を憶え、私たちは主に与えられた晩餐すなわち聖餐にあずかるべきなのです。 3.「二つ考えたいこと」 最後に気になる人物がいるので、手短に言及して説教を終えたいと思います。それはイスカリオテのユダです。「一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。』」(18)前回の説教の本文にも、イスカリオテのユダがイエスを裏切る場面が出てきていましたが、説教の分量の関係で話しませんでした。主はユダがご自分を裏切ることをすでに知っておられたにもかかわらず、彼を聖晩餐の席に招かれました。ここで、私たちは2つのことを考えるようになります。一つ、主はご自分を裏切る人さえも差別なく、主の恵みの場に読んでくださるということです。考えてみたら、本文の晩餐に参加したすべての弟子たちが、主の十字架の苦難の時、主を見捨てて逃げてしまいます。とういうのは、皆が裏切り者だったということです。しかし、最後まで立ち返ってこないのはユダ一人だけでした。愛の主は主を裏切る人さえもお赦しになる方です。そのような主の呼び声の前で、すべての罪人は裏切りと立ち返りという分かれ道の前に立っているのです。二つ、主の晩餐の席にいる私たちも裏切り者になり得るということです。日曜礼拝、水曜祈祷会を欠かさず出席し、牧師、長老、執事の務めを尽くしているからといって、自分の信仰には異常なしと考えてはなりません。私たちはいつでも主を裏切ることができる罪ある存在だからです。自分自身を信じてはなりません。民を諦めず最後まで導いてくださる主を信じて生きるだけなのです。 締め括り 今日は聖餐の意味について、そして、短くともイスカリオテのユダについてお話しました。私たちは主の晩餐に招かれ、主によってパンと杯をいただいた主のものです。しかし、私たちには、イスカリオテのユダのような罪の本性があります。いつも自分が主に属しているという信仰と、自分も主を裏切ることができるという反省の間で、自らをわきまえつつ生きていきたいと思います。しかし、私たちの信仰は自分の力によって与えられ、保たれるものではなりません。すべてが主のお導きによって成り立つものです。したがって、私たちを聖晩餐、すなわち信仰の道に導いてくださった主を信じ、自分の信仰が折れないように絶えず祈っていきましょう。主が私たちの人生を導き、終りの日に主の御前に立つときまで共に歩んでくださることを信じていきましょう。そのような志免教会でありますように祈り願います。 父と子と聖霊の御名によって、アーメン。

人間の理不尽。

創世記47章13~26節 (旧86頁) エフェソの信徒への手紙4章13節 (新356頁) 前置き 今まで私たちは、主にヨセフという人物の明るい面について話してきました。若い頃、自分の夢を話しつつ、父親と兄たちに分別のない言動をしたこと以外に、ヨセフはいつも信仰の人物、主と共に歩み、逆境を乗り越えた人物のように描かれました。しかし、今日はヨセフという人物の理不尽について語り合い、彼の暗い面について話してみたいと思います。これを通して、ヨセフを信仰的に勝利した人物と理解している私たちの認識に変化を与え、ひとえにイエス·キリスト以外に完全な者はいないということを分かち合いたいと思います。多くの聖書の学者たちが、ヨセフを旧約に現れるキリストのモデルとして理解してきました。しかし、ヨセフも結局は罪人の中の一人に過ぎない存在です。 実に私たちにとって、イエス·キリスト以外に希望になれる者は一人もいません。 主お一人以外に頼れる者は一人もいません。 すべての人間は不完全で、罪を持っている存在だからです。 1.ヨセフの行動は、すべて正しかっただろうか。 ヨセフが、エジプトの総理になった時代のファラオとエジプトの支配層は純粋なエジプト人ではありませんでした。ヒクソス人というセム族系統の民族で、紀元前17世紀頃に勢力を伸ばし、馬に乗って戦争する騎馬術や鉄器武器と鎧などを武装して、北側からエジプトまで進撃し、ナイル川の三角州地域を征服、その後エジプトの北部地域の一部を占領したと言われます。当時、騎馬術に慣れていなかったエジプトは、簡単に征服されたそうです。このヒクソス人はエジプトの王朝の中で、第15王朝として知られています。 ヨセフの曾祖父アブラハムもセム族系統だったので、ヨセフは割と難なく総理になったと思われます。つまり、ヨセフはヒクソス人ではありませんでしたが、同じセム族系統で、有能だったため、エジプトの最高権力者になることができたのです。ということで、ヒクソス人ではなかった彼は、自分の政治的な基盤のために、彼らに自分の忠誠心を見せる必要があったと思います。 「飢饉が極めて激しく、世界中に食糧がなくなった。エジプトの国でも、カナン地方でも、人々は飢饉のために苦しみあえいだ。 ヨセフは、エジプトの国とカナン地方の人々が穀物の代金として支払った銀をすべて集め、それをファラオの宮廷に納めた。 」(創世記47:13-14) そのため、ヨセフはエジプトと周辺民族を助ける良い政策を出したにもかかわらず、結局、それを用いてエジプトの被支配層と周辺の民族に穀物を売って、彼らのお金と家畜、そして土地を手に入れ、ファラオに捧げたのです。 「ヨセフは、エジプト中のすべての農地をファラオのために買い上げた。飢饉が激しくなったので、エジプト人は皆自分の畑を売ったからである。土地はこうして、ファラオのものとなった。」(創世記47:20)もし、私たちに馴染みのあるヨセフという人物ではなく、他の人がこのような政策を広げたとしたら、私たちは非常に抑圧的だと批判したかもしれません。しかし、彼が親しみのあるヨセフだから、私たちは自分も知らないうちに、ヨセフの行動に疑いを挟まないのではないでしょうか。創世記はヨセフをまるで主人公のように描写しているからです。 「ヨセフはこのように、収穫の五分の一をファラオに納めることを、エジプトの農業の定めとした。それは今日まで続いている。ただし、祭司の農地だけはファラオのものにならなかった。」(創世記47:26) このようにヨセフはエジプトの民の土地と、その高い税金までファラオに捧げることで、実は普通の民ではなく権力者に合わせた政策を広げてしまいました。イザヤ書では、神のメシアがどんな人物なのか、非常に詩的な言語で表現しています。「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。」(イザヤ42:3) 果たして、私たちはヨセフをメシアのモデルと考えても良いのでしょうか? いくら有能な神の民だと言っても、人間は不完全は存在です。偉大な信仰の人物たちも神の御前では、不完全そのものでした。モーゼが、アブラハムが、ダビデが、そして、ヨセフも不完全な弱い人間でした。どんなに偉大な存在でも、彼が人間なら不完全から自由ではなりません。それが罪を持っている人間の限界なのです。 2.聖書を読む時に注意したいこと。 私たちは、最初、聖書を学び始めた時から、聖書が神の御言葉だと聞いてきました。実に聖書は神の御言葉が記録されている書です。しかし、この聖書の文字一つ一つが100パーセント神の御言葉であると言えるでしょうか? それでは、旧約でイスラエルが盲目的に異邦人を差別したり、憎んだりしたのも神の御言葉によるものであり、新約で女性は教会で教えてはならないという言葉も神の御言葉によるものなのでしょうか? 現代のイスラエル人がパレスチナ人を迫害したり、いくつかの教派で女性に牧師や長老の按手を授けないことも、神の御言葉に従っているためでしょうか? これからの話は、今まで聖書と神学を研究しながら私なりに整理した、多少個人的な意見です。そのため、皆さんの聖書観と少し違う点があるかもしれません。神は不思議な力で、直接ペンを動かして聖書を書かれたわけではありません。各時代の預言者のような神を信じる、しかし、不完全な「人間」をお呼びになり、聖書を記録させられたのです。そのため、聖書には記録した人の民族的な特徴や歴史的な限界が現れる場合もあります。確かに聖書には神の御言葉が記録されていますが、神に用いられた著者たちの歴史的、社会的、民族的な思想も、一緒に記録された場合が少なからずあるということです。 改革教会では、モーセ五書のほとんどがイスラエルの指導者であったモーセの記録だと見なしています。つまり、モーセ五書には、彼の神学、民族、性向が、ある程度投影されている可能性が高いということです。 というわけで、モーセ五書の一部である、創世記47章で、ヨセフはヒクソス人のファラオと、その宗教指導者たち、そして自分の家族には、とても優しく接しているのではないでしょうか? 創世記を記録したモーセの見方(ヒクソスの次の王朝の弾圧を経験した)がある程度適用されたと思うからです。そのためか、その他の人たちには非常に厳しい姿を見せます。そして、まるでヨセフが賢く政策を広げたかのように描いています。エジプトとカナンの普通の民が一文無しになったという描写はありません。私たちは聖書を読む時、これに注意する必要があります。「聖書は神の御言葉」という名目で、暴力的で不条理な記録さえ、神に許されたと考えてはならないということです。聖書に記録された文字一つ一つが神の御言葉そのものだと受け止めるより、聖書を貫く大きな脈絡に神の御言葉が込められていると理解するのが正しくないでしょうか。そうでなければ、私たちは旧約聖書に現れる暴力までも、神の御言葉によるものと誤解してしまう恐れがあるからです。 何の疑いもなく聖書の記録を盲目的に神の御言葉として理解するよりは、聖書の著者たちも私たちのような人間だったこと、にもかかわらず、主は彼らを用いて聖書をくださったとの理解を持って、聖書への正しい理解のために神に祈り、きちょうめんに勉強しつつ読まなければならないと思います。 3.ヨセフという人間の理不尽 また、本文の内容に戻り、ヨセフは果たして正しい人だったでしょうか? 例えてみましょうか。太平洋戦争の時、原爆で日本は無条件に降伏します。当時、アメリカのマッカーサーは日本を占領し、天皇の上の支配者のようになりました。ところで、この時、日本の捕虜だったスミスというイギリス人がおり、戦後、賢い政策をアドバイスして、いきなり、マッカーサーの補佐官になったと仮定してみましょう。自分の家族を日本の最高の地域に呼び込み、足りない物資を利用して、日本の産業とお金と土地をすべて没収してアメリカに渡し、日本人をマッカーサーの奴隷にしたとしたら、皆さんのお気持ちはどうなるでしょうか。これがまさにヨセフがエジプト人と周辺民族に行った政策だったということです。私たちは、常にヨセフの側から創世記を読むので、これが悪いという認識が薄くなる場合が多いです。しかし、エジプト人やカナン人の目から見ると、これ以上の暴政があるでしょうか? 神はすべての人類を愛される方です。キリストをお遣わしになった理由も、イスラエルだけでなく、この世のすべての人類を救ってくださるための普遍的な恩寵だったのです。もちろん、その中でご自分の民をお選びになるのは、神の主権によることですが、少なくともすべての人類にイエスを信じる機会は与えてくださったのです。つまり、神は皆に公平な方であるということです。 だからこそ、イエス·キリストの愛もすべての人類に公平に与えられるものなのです。とういうことは、イエスの体なる私たち教会の、この世への愛も公平な愛でなければならないということです。信徒同士だけが愛し合い、教会の外の人には愛しなくて良いというわけではありません。キリストの愛が、この世のすべての人類に許されたように、私たちの愛も教会と社会にあって、皆に普遍的に伝えられるべきです。そんな意味で、ヨセフはエジプトの指導者だけのための政策を広げてはなりませんでした。ファラオがヨセフに無理やりにさせたことではありません。ヨセフ自身がそのように行ったわけです。他の人々はファラオの奴隷のようになろうがなかろうが、自分の上司であるファラオ、自分の家族であるエジプトの宗教指導者たち(ヨセフの妻アセナトは、エジプト祭司のポティ・フェラの娘でした。)そして自分の父親であるヤコブとその家族だけに特権が与えられる政策でした。皆さん、ヒキソス人のエジプト支配が何年間続いたかご存知でしょうか? わずか100年過ぎの短い期間でした。その後、再び政権を奪還した純粋なエジプト王朝がヒキソス王朝を追い出し、エジプトを掌握したのです。出エジプト記の苦しむイスラエルの姿は、もしかしたら、ヨセフが行った政策の結果だったかもしれません。ヨセフという人間の理不尽が子孫を苦しめる悪を作り出したわけです。 締め括り 最後に、今日の新約の本文を読んでみましょう。「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」(エフェソ4:13) 聖書が語る「知識」とは、行いと体験を伴うものです。頭だけで知るわけではなく、実践が伴う知識という意味です。私たちが聖書に現れる神の御言葉を信じ、知るということは、主の御言葉の意図通りに生きるという意味です。かつてヨセフは神と共に歩んだ者と呼ばれました。しかし、総理になった彼の歩みはどうだったでしょうか? 神と共に歩む者なら、賢い政策という名目で他人の財産と労働力を一方的にファラオのものにしてはならなかったでしょう。ヨセフが正しいかどうか、聖書ははっきり評価していません。しかし、少なくとも、ヨセフの行為を、私たち自らが一度考えてみる必要はあると思います。それによって、私たちはヨセフも、結局、不完全な罪人だったことを知ることになるでしょう。すべての人間には理不尽があります。罪を持っている人間の宿命です。このような不完全さを見て、私たちはもう一度完全なキリストに頼ることがどれほど大事なことなのかを憶えることになると思います。今日、ヨセフの姿を見て、自分がヨセフだったらどうしたか考えてみたいと思います。私たちは果たして、どのように生きるべきでしょうか? 主の知恵を求めます。 父と子と聖霊の御名によって、アーメン。