ベトザタの奇跡

イザヤ書 49章10節(旧1143頁) ヨハネによる福音書 5章1-18節(新171頁) 1.慈しみの家 – ベトザタ。 ベトザタとはイエスの時代、当時のユダヤ人たちが使っていた大規模の貯水槽で、このベトザタには、病院のような施設がありました。その意味は「慈しみの家」でした。病人の治療にきれいな水が必要だったので、大きい貯水槽があったわけです。そのベトザタには不思議な噂がありました。今日の本文を読むと3節の次に4節がありません。ヨハネの福音書の最後に、その4節の言葉があります。『彼らは、水が動くのを待っていた。それは主の使いが時々、池に降りてきて、水が動くことがあり、水が動いた時、真っ先に水に入る者はどんな病気にかかっていても、癒されたからである。』これは、最初に記されたヨハネによる福音書には無かったのですが、後で加えられたと知られています。「後で」といっても、大昔のことですので、聖書としての権威はあります。 ベトザタには主の御使いが、時々水を動かすという噂があり、その水が動いた直後に入る人には、どのような病気でも癒される奇跡があったようです。これが本当か噂かは分かりませんが、大勢の人々が自分の病気を癒すために、そこに集まっていたのは事実でした。その中には、今日の本文の38年間の病人もいました。この話を聞くと、欠けた箇所の 『主の使い』という表現が気になります。愛の主がなぜ、こんなにけちをしていたでしょうか。ベトザタは「慈しみの家」なのに、なぜ皆を治してくれず、一番だけを治したのでしょうか、人々に虚しい希望を与える主なんて、本当に神だったでしょうか。それでギリシャ語聖書5冊、英語聖書3冊を比べてみました。ギリシャ語の聖書では『主の』の部分が一冊も無く、英語聖書ではあるのもあり、ないものもありました。おそらく、『主の』という表現は原文を翻訳する時の誤解によるものだったかもしれません。 イエスの時代のエルサレムはローマ帝国の植民地としてギリシャ、ローマの宗教と文化も混ざっている場所でした。イエスの当時のミシュナーというユダヤの文献によると、このべトザタはローマの神々のための場所だったと言われます。古代のアスクレピオスという神はギリシャ、ローマの医術の神でした。ところで、近代の考古学者たちによって、このアスクレピオスと思われる像が、べトザタの跡で見つけられたのです。べトザタは慈しみの家でしたが、その慈しみは、私たちが信じる三位一体の神の慈しみではなく、ローマの神々の慈しみだったかもしれません。病人たちは、この異邦の神の使いが、水を動かしてくれると信じていたわけです。慈しみの家という名の場所で、わずか一人のみに施されるケチな慈しみを待ち望みつつ、一生を過ごした病人たち。実際にローマの神の使いが来て、水を動かしたかどうかは分かりませんが、人々は病気からの自由を望んで、一生偽りの神を待っていました。その偽りの神による自由は、非常に限定的で、競争的だったのです。それは一番だけへの慈しみでした。 2.ベトザタの束縛された者。 ベトザタの病人たちは、イエスの時代の最もどん底に束縛されている弱者でした。その時、イスラエルの政治は純粋ではありませんでした。ダビデの子孫、ユダ系列の人ではなく、異民族出身のヘロデ王家に支配されており、彼らの権力でさえも、ローマ帝国によるものでした。宗教も純粋さを失っていました。イスラエルの神からの託宣は現れず、ユダヤ教の宗教指導者たちの富と力と誉れのための宗教でした。社会も、純粋ではなかったのです。お金持ちはさらに富み、貧乏者はますます貧しくなりました。イスラエルは孤児や寡婦のようになっていました。それだけに病人や障害者は、さらに疎外され、呪われたと蔑視されていました。そんな彼らには真の慰めと自由と慈しみが必要でした。権力者が彼らに興味がなかったことは言うまでもありません。極めて弱い彼らに何の助けもありませんでした。彼らは死ぬまで病人、弱者として生きるに決まっていました。 彼らは二つの束縛に置かれていました。一つは一番でない限り、抜け出せない社会的な束縛でした。病気によって苦しんでいる者が治るためには、まず水に入らなければならないという前提がありました。スリを働く途中、けがをした人が足早に水に入ると治されたということです。暴力を振ってけがをした人も、先に入ると癒されたということです。しかし、生まれつき足が不自由な人、気の毒な事故によって盲人になった本当の弱い者は治されなかったということです。いくら悪人でも一番なら、治されるシステムでした。社会は本当の弱者のために何もしてくれませんでした。ただ噂を信じろという傍観と、偽りの神への信仰の強要だけで、何の希望も与えなかったのです。 また、宗教的、文化的な束縛もありました。38年もなった病人が、イエスに癒されても、ユダヤ人たちは祝いませんでした。神に感謝もしなかったのです。彼らは自分たちの教理を突きつけ、『今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。』と無慈悲な対応だけでした。彼らにとっては、病人の回復、希望、幸せは何の意味もなかったのです。苦しむ病人の回復なんて大事ではなく、ただ彼らに重要なのは、自分たちの既得権だけでした。彼らはむしろ、弱者を助け、治されたイエスを迫害しました。正しくない世で、何の慰めも得られなかった弱者の命を、誰も大切に扱っていなかったということです。ベトザタの束縛は、ただの個人の問題ではなく、社会の問題であり、束縛でありました。ベトザタの病人は、そのような束縛から絶対に逃れない存在でした。 3.ベトザタの解放者。 そんなに地獄のような現実、一番だけに機会が与えられるベトザタの池、そして、そのべトザタの池の不条理から目をそらした指導者たち、そこから抜け出しても、情けの無い基準をあげて判断し、非難した宗教人たち。もはやベトザタは慈しみの家ではなく、イスラエルの政治、社会、宗教、文化の地獄のような所だったかも知れません。誰にも歓迎されない弱者をゴミのように見捨て、神話みたいな噂を希望とさせ、死ぬまで閉じ込めておくゴミ箱だったかも知れません。そこは慈しみも、公平さも、希望も無い墓のような所でした。しかし、そこに神の御子が臨まれました。皆が高い所、明るい所に憧れたとき、主イエスは、誰も注目しない最も低い所、暗い所、ベトザタおられたのです。 そして、どうしても一番になれない38年の病人に手を差し出されました。『イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、良くなりたいかと言われた。』(ヨハネ5:6)イスラエルのゴミ箱のような低いところに臨まれたイエスは、その中でも一番弱い者に注目されたのです。そして言われました。「あなたは良くなりたいですか?」その時、病人は治されることを求めませんでした。ただ、自分の惨めさを告白するだけでした。誰も自分を助けてくれなかったことを話しています。すると、イエスは彼の話をお聞きになり、最も低いところで苦しんでいた彼を治してくださいました。その時、彼は38年の長くて苦い病気から自由、ベトザタという一番だけを覚える地獄から解放されました。政治、社会、宗教、文化から見捨てられた人が、イエス・キリストの慈しみによって新しい人生を始めるようになったのです。  しかし、彼の回復を、人々は喜んでくれなかったのです。むしろ安息日に律法を犯したと叱りました。誰が安息日にそのようにしたのかと問いただしてイエスを迫害し、殺そうとします。しかし、イエスは言われました。『わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。』(ヨハネ5:17)いくら世の不条理と悪が暴れても、イエスは堂々と言われました。「君たちがいくら暴れても、私は私の父が今もなお働かれるように働く。」イエス・キリストは、束縛と抑圧の下で苦しんでいる人を、ご自分の名誉、権力、富とは関係なく、ただ治してくださいました。そして、ご自分の命までも投げ出されました。偽りの慈しみに束縛されている者を、喜んで回復させたイエス・キリストを通して、神の真の慈しみが、その日、ベトザタに臨んだのです。最も低いところで、いつも働いておられた神の豊かな恵みが主イエスを通して、その地に臨んだのです。 締め括り 今日の旧約本文はメシアの働きを示す箇所です。国を失って束縛の中で苦難を受けたイスラエルに神は言われました。『彼らは飢えることなく、渇くこともない。太陽も熱風も彼らを打つことはない。憐れみ深い方が彼らを導き、湧き出る水のほとりに彼らを伴って行かれる。』(イザヤ49:10)神のメシアが臨まれれば、ご自分の民を正しい道、湧き出る水のほとりのような自由へ導かれるということです。そういう意味で、メシアとして来られるイエス・キリストは解放者です。イエスは、罪による差別と偏見と嫌悪に満ちている束縛の世界に自由を与えてくださる、真の解放者です。ですから、イエス・キリストのおられるところには自由があります。その自由は差別、偏見、嫌悪からの自由であり、誰もが人間らしく生きることが出来る真の自由です。そのような人間らしい生活を施すために、イエス・キリストは遣わされたのです。このイエスを信じる私たちの在り方について、どう生きるべきなのかについて今日の本文は問うているのです。