洪水Ⅱ‐世の希望、神の箱舟 。

聖書 創世記7章1-16節 (旧9頁) ローマの信徒への手紙8章19-22節(新284頁) 前置き 神が世界を造られた理由は、被造物に崇められるためでした。神は被造世界を造り、神に象った人間をも造って、その被造世界を支配させ、被造物に対する人間の導きを通して、被造物に礼拝される世界を望んでおられたのです。被造物の中で人間が重要な理由は、まさに、この世界を神に導かれ、崇めさせる祭司の役割を持っていたからです。しかし残念なことに、祭司として創造された、その人間の堕落のため、この世に罪が侵してくるようになり、世界は罪の影響下に置かれることになってしまいました。そのような人間の罪は神の御前に、さらに大きい不義をもたらし、最終的には神を崇めるために造られた、この世界は、罪によって堕落してしまいました。人間の堕落が、この世界の堕落につながったというわけです。結局、ノアの時に至って、神は堕落した、この世を水でお裁きになることを決断なさいました。しかし、神は、そのような堕落した世界の中でも、神に従っていたノアを哀れんでくださり、彼を通して再び機会を許してくださいました。そのために与えられたのが、ノアの箱舟です。今日はこの箱舟が、今の私たちにとって、どのような意味を持つのか、話してみたいと思います。 1.義人を救ってくださる神。 先々週の創世記の説教では、ノアが神にどのような評価を受けたのかを知ることが出来ました。 「ノアは主の好意を得た。」(6:8)私たちは、ノアがどのような人生を送ってきたのか、詳細には知ることが出来ません。彼の仕事、思想、信仰などについて、聖書は詳しく述べていません。しかし、ノアという名前を通して、彼の人生を間接的に推し量ることは出来ると思います。旧約聖書は、多くの場合、登場人物の名前をもって、その人の性格や生き方について説明したりするからです。 「ノア」の語源は、「ヌアフ」というヘブライ語ですが、その意味は「慰める。休ませる。」などの意味を持っています。 「レメクは、主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろうと言って、その子をノア(慰め)と名付けた。」(5:29)ノアの父レメクはノアを儲けた時、ノアが自分の慰めになるだろうと告白しました。また、 6:9では、このノアを義人と称しています。「その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。」日本語の聖書で、「神に従う人」と翻訳されている部分は、原文では「義人」と記録されています。ノアは隣人にだけでなく、人間の罪によって、心を痛めておられた神にも、神に従うことを通して慰めになっていたでしょう。 「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。」(6:22)ノアは、おそらく、自分の名前のように隣人を愛し、慰め、罪に満ちた世に対抗して、神に聞き従う義人だったはずでしょう。 神に従い、隣人を慰めたノアは、すべての生命が滅びる状況にもかかわらず、神に好意を得た唯一の人でした。そして、聖書は、そのような好意を得たノアが義人であり、無垢な人であったと証ししています。私たちは、義人という言葉を頻繁に使います。日本では「義人」という言葉を日常生活で、そのまま使うかどうか分かりませんが、明らかにそれに相応する「善良な人、正義の人」などの単語があるでしょう。聖書でも「義人」について少なからず言及されています。それでは、この義人は一体どんな人なのでしょうか?今日の説教ではっきり分かるのは、聖書で語られる「義人」は、単に「正義の人や、善良な人」だけを意味するものではないということです。聖書が語る「義人」とは、神の御心に従って、従順する人です。ノアは「神を愛し、隣人を愛する。」という、神の御心に完全に従い、神の前で無垢な者でした。そのため、彼は神に義人だと認められて、神の好意を得たのでしょう。とにかく、確かなことは、神に義と認められた彼に与えられた報いは、世界の何ものも避ることが出来ない洪水の裁きから避けられる恵み、つまり箱舟を得たということでした。神は全世界を滅ぼそうと決断なさったにも拘わらず、一人の義人、ノアを大切に扱ってくださり、生き残る手立てをくださいました。まさに今日の箱舟のことです。 2.義人に委ねられた被造物の救い。 ところで、今日の本文によると、神に義と認められた人が、たった、ノア一人であったにも拘わらず、神はノアだけでなく、他の存在をも救ってくださったということが分かります。 「雨が四十日四十夜地上に降り続いたが、 まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。 彼らと共にそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うもの、それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、 命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。 」(12-15)神はノアだけでなく、ノアの家族、また、すべての動物をも、それぞれに救ってくださいました。特に動物に関しては清い動物も清くない動物も連れ、彼らさえも救ってくださいました。神に義と認められた1人によって、彼の家族だけでなく、聖俗を問わず、すべての肉なるものが、神から与えられた箱舟に乗られたのです。何年前か、「ノア – 約束の舟」というハリウッド映画がありました。内容は聖書に基づきましたが、 世俗映画だったので、神学的な価値は非常に低いと思いますが、それでも、記憶に残る場面がありました。蛇たちが集まってきて、箱舟に乗る場面でした。聖書の代表的な清くない動物である蛇さえ、箱舟に乗る場面は、かなり深い印象を残しました。ノアという義人のために、不正な動物さえ、救いを得ることを見て、私たちは、この義人という存在が持っている重要性が、どれだけ大きなものか再び感じることが出来るでしょう。 義人は自分一人だけ、幸せに生きる者ではありません。義人は、自分だけでなく、他者にも、神の救いの影響を与える大事な存在です。創世記の他の箇所で、神に義と認められたアブラハムに神はこう言われました。 「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し…地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」(12:2-3)神はアブラハムと契約を結ばれ、イサク、ヤコブ、ダビデなどを通じて義人の系図を引き継がせてくださり、最も完全な義人であるイエス・キリストをお許しくださいました。そして、そのイエス・キリストを通して、罪の影響を断ち切られる大いなる御業を行なってくださいました。このように、神は義人を通して、呪いに満ちた、この世に祝福を与えてくださる方です。義人が特別だからではなく、神が、その義人を特別に用いられるからです。(イエスはただの義人ではなく、神そのもの。)神は初めにアダムと結ばれた、被造物の支配という失敗した契約を、別の義人を通して継続なさる方です。神はアダムの失敗のため、罪で汚された世界を裁かれつつ、別の義人であるノアに新しい世界を任せ、御自分の御業を成し遂げられました。私たちが生きている、今の時代にも、神は義人を通して御自分の業を続けていかれる方です。したがって、義人として召されたキリスト者は、常に自分を用いて御働きになる神への信仰を持って、常に神の御心を弁え、へりくだって生きるべきでしょう。ノアを通して、家族と動物たちが救われたように、キリストを通して義人に認められた私たちは、私たちの家族や隣人、この世界の被造物に仕えていくべきでしょう。神は義人を通して被造世界の救いを果たしていかれる方だからです。 3.世の希望、神の箱舟。 改革派教会では、この箱舟を教会のモデルとして扱ったりします。改革派神学によれば、神は義人ノアをお召しになったように、完全な義人であるキリストをお立てになり、彼を通して、この世の新しい箱舟である教会を造られました。イエス・キリストだけが、真の義人であり、彼を信じる人々は、罪の赦しを受け、義と認められ、神の箱舟である教会に属されます。いつか神が世をお裁きになる終わりの日が来るまで、新しい箱舟である教会は、キリストを中心として、世に神の祝福を伝えていくのです。キリスト者は、この教会に属する救われた者です。教会という箱舟に乗り込んだキリスト者は主の福音を宣べ伝え、祈りと御言葉に努め、神の御裁きとキリストの再臨を待ち望んで生きる存在です。しかし、我々はこのような伝統的な改革派神学のみに留まって満足すべきでしょうか。私たちは、ノアの家族だけが船に乗られたわけではないということを確かめる必要があります。神は聖俗を問わず、動物、つまりノアの家族以外の存在をも箱舟に乗らせてくださいました。そして、ノアと一緒に再び世界で生きていくことを許されました。この話は、現代を生きている私たちにどのような教えを与えてるのでしょうか?神の箱舟はノアだけでなく、全ての被造物のためにも与えられたということでしょう。 箱舟の話はこのようにも適用できると思います。まずは、環境的な側面からです。今年、全世界はコロナをはじめ、様々な災いを経験しました。特にその中に産業化による災いが多かったそうです。今年の地球の温度は18世紀より1.1度も上がったそうです。そのため豪雨、猛暑、山火事などが起こったりしました。それは過去のキリスト教の間違った認識によって自然を征服の対象だと思っていた欧米諸国の誤った自然認識が、世界中に広がった結果ではないかと思います。こんな状況下で、我が教会は、自然と環境を愛し、面倒を見、守るべきです。次は、社会的な側面からですが、産業革命を通して、素早く発展した国々は、自国の利益のために他国を侵略しました。また、各国内でも、富裕層が貧困層を苦しめる理不尽が生じ始めました。そのような過去の歴史が国々や人々同師の隔たりをもたらし、依然として世界のあちこちでは、国々と人々の間の傷が残っています。教会は、このような傷を癒し、平和に満ちた世界を作っていく義務を持っています。比喩的な話ですが、自分だけが箱舟に乗っていると思っていた欧米キリスト教の誤った教えのため、「他者は箱舟に乗れなかったと見なし、他者を征服し、弾圧しようとする傾向」が蔓延るようになったのではないでしょうか。ノアだけでなく、他の被造物にも該当される神の救いと箱舟の意味を誤って理解し、教えた教会の過ちの結果が、こんなに大きな問題点をもたらしたのではないかと思います。 箱舟はノアだけのために与えられたものではありません。義人ノアは神の祝福を他の被造物とも分け持つ義務を持っていました。自分の大切な家族だけでなく、他の被造物をも神の救いに招く義務を持っていたわけです。人間を含む、世界のすべての被造物は、神の所有です。神は義人を愛しておられますが、他の被造物をも大切になさる方です。キリストを通して義人として召されたキリスト者は、そのような神の御心に倣い、神と隣人はもちろん、被造世界にも仕える使命を持っています。神がノアに与えてくださった箱舟は義人を通して世界を祝福なさる、神の愛を象徴するものです。新しい箱舟と呼ばれる教会も同様です。教会は自分の利益だけを企んではいけません。隣人、自然、社会等、あらゆる場で、神の救いが伝わるように、仕え、愛して生きるのが教会の在り方ではないでしょうか。洪水によって、すべての肉なるものが裁きを受けましたが、箱舟の中にあった被造物は再び命を続けることが出来ました。キリストの体なる教会は、この時代の箱舟として、被造物を神の御救いへ導く希望にならなければなりません。神はすべての被造物に祝福を与えるために、神の箱舟、つまり教会を許されたのです。 締め括り 「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。」(8:19,21)人間の罪のゆえに、被造物も罪の支配に置かれています。被造物の待ち望むことは、神の子たち、すなわち主の教会を通して、神の子らの栄光に輝く自由を得ることです。神は、この時代の箱舟である教会に天地万物を罪の影響から解放させる使命を与えてくださいました。ノアだけのための箱舟ではなく、他者と被造世界のための箱舟でもあることを覚え、この時代の箱舟である教会の役割をもう一度考えてみる機会になることを願います。私たちは、キリストによって義と認められた義人の集まりです。私たちには義人としての役割が託されています。隣人を愛すると共に、自然と社会の隅々まで関心を持って祈り、仕える志免教会になることを願います。私たち志免教会を通して、志免と須恵そして、福岡に神の祝福が臨まれるように祈ります。神の恵みに満ちる一週間になることをお祈りします。