乗り越える力をくださる。
コリントの信徒への手紙一 10章1~13節(新311頁) ※写真:コリントの遺跡 前置き 本日の本文は、第一コリント10章の言葉です。特に13節の言葉「 あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」は、苦難の中にある人に慰めを与える主なる神の恵みを思い起こさせます。しかし、今日の本文を正しく理解するためには、まず、当時のコリント教会がどのような状況に置かれていたのか、その背景と文脈をしっかりと把握しておく必要があります。今日の説教のタイトルだけを見ると「私たちに力をくださる味方なる主」についてのメッセージとして受け取りやすいです。しかし、本文は盲目的に味方になってくださる主を語っていません。むしろ、キリスト者の生活にあり得る「間違い」を指摘し、その間違いを乗り越えようとする者を主が助けてくださると語っているのです。今日の本文を通じて、主は私たちにどのようなメッセージを届けてくださいますでしょうか。聖書の御言葉を通じて、学びたいと思います。 1. 自由と放縦(わがまま) 本日の本文ではありませんが、第一コリント8章で、パウロはキリスト者の自由について警告しています。「ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。」(一コリント 8:9) パウロが力を入れて警告した理由は、当時のコリント教会の中に、自由と放縦の区別がつかないまま、自分勝手に振る舞う者たちがいたからです。様々な淫らな行為、信徒の間の世の裁判所における争い、そして偶像崇拝など、キリスト者にあってはならない問題が教会員の間で行われていました。おそらく「すべてのことが許されている。」(一コリント 10:23)というパウロの教えを誤解した結果ではないかと思われます。このような放縦は、信仰を始めたばかりの人々にとって大きなつまずきとなりました。キリスト者は主イエスの救いによって真の自由を得たため、もはや迷信や強迫観念に縛られる必要はありません。昔の過ちから解き放たれ、新しい出発ができる真の自由が、キリストによって私たちに与えられました。しかし、この自由が決して「放縦」へと流れてはなりません。真の自由とは、常に信仰の弱い人々や教会全体の秩序に配慮する「愛」の中で実践されるべきものです。自由と放縦の違いとは何でしょうか。フランスの哲学者サルトルは無神論者であったため、信仰的な観点からは多少の距離がありますが、彼が残した「人間は自由という刑に処されている。」という名言は、私たちにも有意義だと思います。 このサルトルの言葉が意味するところは、自由とはわがままにする権利ではなく、自分の選びによる影響までも完全に引き受けなければならない「重荷」であるということです。ここに、自由と放縦の境界線があります。放縦とは、他者を排除したまま自分の欲望のみに溺れる無責任な状態を指しますが、真の自由とは、自らを制御し、自分の選びに伴う重みを耐え忍ぶことなのです。イエス・キリストがキリスト者を罪から救い、永遠の命を与え、自由になれる恵みを与えてくださった理由は、主なる神の民として、主の御心に従い、この地に御国をもたらすことにあります。御国がこの地にもたらされるということは、主の愛と恵みがこの世界に溢れ出るための「窓口」になるということです。そのために、私たちは主に与えられた自由を、御心を成し遂げるための道具として用いなければなりません。もちろん、キリスト者の自由は、サルトルが言うような「刑」とは異なります。主がくださる自由は、真の解放を意味するからです。しかし、もし、その自由が私たちの放縦のための道具へと成り下がるならば、その自由は私たちを縛りつける刑として残った方が、ましなのかもしれません。キリスト者は自由な存在です。しかし、私たちの自由は、主の御心が成し遂げられるために用いられる「責任ある自由」でなければなりません。私たちが自らの自由に責任を持たないならば、その無節制な自由によって、誰かが必ず試練に陥り、傷つき、教会を離れてしまうことになるからです。 2. 放縦ではなく謙遜と節制を パウロは、自由を放縦へと誤用した例として、かつての出エジプト時代のイスラエルの民について言及しています。「しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。」(一コリント 10:5) 出エジプト記の記録によれば、主なる神はモーセを通してイスラエルの民をエジプトの奴隷から救い出し、約束の地カナンへと導かれました。彼らは昼は雲の柱、夜は炎の柱の下で、主の徹底したお守りの中にありました。紅海を分けて彼らを救い出した奇跡、追撃するエジプト軍を退けられた奇跡、天から降るマナと岩から湧き出た水の奇跡、これらはすべて、主のお守りの中でイスラエルが享受した「恵み」でした。(一コリント 10:1-4) しかし、これほどの恵みをいただきながらも、彼らは主の御前で偶像崇拝、不平不満、淫行といった深刻な罪を犯してしまいました。エジプトの奴隷という身分から脱し、主の民という「自由人」の身分に新たに生まれたにもかかわらず、主が与えてくださった真の自由の意味を悟らぬまま、肉体と罪の欲望に従う「放縦」に陥ってしまったのです。結局、彼らの荒れ野での歩みには、主の救いだけでなく、懲らしめと苦難の歴史も刻まれることとなりました。ある意味で、罪は「放縦」から生まれるものであるかもしれません。創世記において、主は最初の人間に「禁断の木の実」以外のすべての果実を食べる自由を与えられました。しかし、最初の人間はそれ以上のものを求めたあまり、放縦となり、ついには主が禁じられた「禁断の木の実」にまで手を伸ばしてしまったのです。 「彼らの中のある者がしたように、偶像を礼拝してはいけない。… 彼らの中のある者がしたように、みだらなことをしないようにしよう。みだらなことをした者は、一日で二万三千人倒れて死にました。また、彼らの中のある者がしたように、キリストを試みないようにしよう。試みた者は、蛇にかまれて滅びました。彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。… これらのことは前例として彼らに起こったのです。… だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。」(一コリント 10:7-12) 今日の本文は、かつてのイスラエルの民の例をあげ、現代を生きる私たちも、自由と放縦を混同し、主の御前で罪を犯してはならないと訴えています。ここにおられる皆さんは、清い心で真実な信仰の歩みを切望しておられることと信じます。しかし、私たちの日常にも、このような放縦な心が芽生えることがあります。キリストに出会い、信仰者として生きていても、知らず知らずのうちに放縦に流れ、主の御前で罪を犯し得るのだということを、常に念頭に置いて生きなければなりません。「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。」聖書がこのように警告しているのも、そのためです。幸いなことに、私たちは主の御言葉によって、自分が自由と放縦を取り違えていないか、罪を犯していないか、いつでも自らを省みる機会を与えられています。謙遜と節制を伴う自由を持ち、日々悔い改め、慎み深く自らの歩みを振り返りながら生きていきましょう。謙遜と節制の信仰によって、放縦ではなく、真の自由を享受しながら歩んでいきましょう。 3. 主が助けてくださる人 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(一コリント 10:13)自由と放縦をわきまえ、謙遜と節制の生活を営む人に対し、主は「耐えられる試練」すなわち試練を乗り越える力を与えてくださいます。主は何もしようとせず、何の努力もせず、ただ受け身に生きる人を盲目的に助ける方ではありません。もちろん、私たちの「救い」に限られては、人間の努力は無用です。私たちの救いは、ただキリストによってのみ成し遂げられるからです。聖書は、自力で自分を救うことのできない弱き民を助ける主について証していますが、それはあくまで「救い」についてです。日常生活において何もしないまま、ただ天を仰いで祝福だけを願い、無気力に生きる人を正当化する言葉ではありません。私たちは、自分の人生において、自由が放縦へと流れないように、善い行いのために努力し、励むべきです。主はそのような人に、さらに成長できる恵みと力を与えてくださるでしょう。古代ギリシャの諺に「天は自ら助くる者を助く」という言葉があります。これは聖書の言葉ではありませんが、信仰生活においても有意義な格言だと思います。私たちの救いを除くあらゆる事柄において、主は自ら助けようとする者を助けてくださるということを忘れないようにしましょう。 締めくくり 2月も半ばを過ぎようとしています。今年が始まってから、すでに50日近くが経ちました。年のはじめに決心した思いが、少しずつ薄れ始めている頃ではないかと、自省させられます。このような時こそ、私たちはもう一度自らの信仰を振り返り、生き方を見つめ直しながら、より良い明日のために自らを顧みるべきだと思います。自由と放縦をわきまえ、謙遜と節制の生き方をもって日常の信仰に励みましょう。私たちの信仰は、特別な瞬間だけでなく、何の変化もない日常の暮らしの中でこそ、より一層輝くべきものです。そのような生を歩む私たちに、主なる神は、祝福を与えてくださるでしょう。

