女性、教会を支える柱

創世記1章27節 (旧2 頁) 使徒言行録16章14-15節(新245頁) 前置き 本日、婦人会総会があります。婦人会総会に際し、教会における女性の使命について聖書の御言葉から聞きたいと思います。女性はとても重要な存在です。今日の旧約本文である創世記1章27節はこう述べています。「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」この言葉は女性に対する偏見を破る宣言です。主なる神は男性だけでなく、女性をも、男性と同様にご自分の似姿に創造されました。これは男性と女性が、いずれも存在論的に同等であり、神の形を反映する大事な存在であるという意味します。 創世記2章によると、主は女性を男性の「助ける者」として創造されたとあります。ここで「助ける」というヘブライ語の「エゼル」は、劣等な存在が優越な存在を補助するという意味ではありません。この言葉は、主が苦しんでいるご自分の民を助けてくださる時にも使われる表現です。つまり、女性は男性には見えてこない共同体の欠点を発見し、満たし、完全にする「決定的な助力者」として造られた存在なのです。教会においても初代教会の設立以来、女性は教会共同体の基盤を磨き、教会を支える心強い柱として仕えてきたのです。 1. 女性の霊的な敏感さ 今日、新約聖書の本文に登場するリディアという人物を通じて、主が女性をどのように用いて、御国を広げていかれたかを考えてみましょう。使徒言行録16章で、使徒パウロがアジアを離れ、福音伝道のためにマケドニア(ヨーロッパ)のフィリピに到着した際、真っ先に出会ったのは、川岸にいる婦人たちでした。その中に「リディア」という女性もいましたが、使徒言行録16章14節は、彼女をこのように紹介しています。「ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。」リディアは成功したビジネスウーマンでした。当時、紫色の布地は王族や貴族だけが身に着けることができる非常に高価な贅沢品でしたが、彼女はその紫布の商売をしていたのです。そのような事業を営んでいたということは、彼女が社会的な能力を備えた人であった証拠となります。しかし、聖書が強調するリディアの偉さは、彼女の財力や能力によるものではありませんでした。まさに、彼女の「傾聴する姿勢と霊的な敏感さ」にありました。 主なる神は、パウロがフィリピに到着するやいなや、彼を通してリディアに御言葉を伝えられました。そして、彼女はパウロが宣べ伝えた神の福音を注意深く聞き、即座に反応したのです。これこそが、教会を支える女性たちの第一の特徴である「傾聴する姿勢と霊的な敏感さ」です。歴史的に、教会の女性たちは、主の御言葉に対し、男性より敏感に反応してきました。祈りの場に積極的に加わり、御言葉の説教を傾聴し、その御言葉に反応して、生活の場に適用するのに、女性は常に先頭に立ってきました。婦人会員が持つこの「傾聴する姿勢と霊的な敏感さ」は、教会共同体の生命力を保たせる柱となります。神学の理論よりも強力なものは、御言葉を純粋に受け入れ、生活の中で実践しようとする熱い信仰の心なのです。リディアという一人の女性が、マケドニアのフィリピ教会という「ヨーロッパ宣教の幕開け」を助けたように、今日、我が教会を支えている目に見えない力は、主の御言葉を聞いて従順に聞き従う婦人会員の深い信仰から始まっていると言っても過言ではないでしょう。 2. 女性の歓待と仕え リディアの信仰は、御言葉を聞くだけにとどまりませんでした。彼女はすぐに行動をもって、自らの信仰を証明しました。15節を見ると、彼女は自分だけでなく家族全員が洗礼を受けるように勧め、家族が洗礼を受けた後、パウロ一行にこう申し出ています。「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください。」そして聖書は、彼女が「招待し、無理に承知させた。」と語っています。ここに教会を支える女性の第二の特徴である「歓待と仕え」を見出すことができます。リディアは、自身のプライベートな空間である家を、宣教の拠点として喜んで提供しました。彼女のような献身があったからこそ、フィリピ教会というヨーロッパ最初の信仰共同体が誕生したでしょう。彼女の家は、単なる宿泊所ではなく、礼拝の場所であり、信徒たちが交わりする「歓待と仕えの場」となったのです。もちろん、すべての女性が自分の家を教会のために開放し、共有すべきという意味ではないありません。聖書が記された古代中東と、現代の日本における「家」への考え方は異なっているからです。しかし、リディアが追い求めた精神、すなわち「自分が持っているものを最大限に用いて教会に仕える」というその心は、この時代を生きる婦人の皆さんにとっても、意義深い模範となるのではないかと思います。 伝統的に、女性は「歓待」と「仕え」において優れた賜物を持っています。教会の中で行われる数多くの奉仕、新しい方を歓迎し、病んでいる信徒を見舞い、共同体の食事を用意し、次世代を養育する働きの中心には、常に女性たちがいました。このような仕えは、決して些細なことではありません。それは建物の土台を築くことと同じです。講壇でかっこよく説教する牧師や、指導者として小会を成り立つ長老、行政や財務を担当する執事、そのような人々だけが教会に仕えているわけではありません。最も重要なことは、いかなる務めがあってもなくても、自らの心から湧き上がる歓待と仕えの心から教会は成長していくということです。リディアの「歓待と仕え」は、パウロの働きにとって大きな慰めと力になりました。このように、他者を温かく受け入れ、立てていく女性たちの母性的な奉仕は、冷ややかなこの世を変える強力な道具となりました。教会が単なる建物としての組織を超えて、真の「霊的な家族」になれる理由は、リディアのように自らの人生と心を開き、隣人を抱く女性たちの献身があるからに他なりません。 3. 忍耐と忠実さ 聖書全体に流れる女性のもう一つの特徴は、危機の瞬間に見せる「揺るぎない忠実さ」です。建物を支える柱は、普段はその姿を見えませんが、嵐が吹き荒れるときにはその価値が明らかになります。主イエスの公生涯の間にも、数多くの女性たちが自分の持ち物をもって主に仕えました。しかし、彼女たちの真価が発揮されたのは、ゴルゴダの丘においてでした。主イエスが捕らえられ、十字架にかけられたとき、勇ましく「死んでも主を身捨てはしません」と豪語していた男性の弟子たちのほとんどは、恐怖にかられて逃げ出してしまいました。しかし、十字架の下を最後まで守り抜いたのは、女性たちでした。彼女たちは、武装した兵士たちの脅威よりも、主への愛の方が大きかったために、その場を離れなかったのです。また、復活の朝、空になった墓を真っ先に訪ね、復活の最初の証人となったのも女性でした。彼女たちはまだ夜も明けきらぬ早朝、深い悲しみの中でも、主の体に香油を塗るために歩み出しました。その愛の足どりが、人類史上、最も喜ばしい知らせを一番に受け取るという祝福へとつながったのです。 リディアが中心となって立てたフィリピ教会もまた、同様でした。パウロがフィリピの牢獄に閉じ込められたとき、フィリピ教会の信徒たちは、最後までパウロを助け、祈りと金銭的な支えをもってパウロと共に歩みました。このような忍耐と忠実さは、今日の我が教会の中でも変わることなく流れています。教会に試練がやってくる時、共同体が分裂の危機に瀕するとき、真っ先にひざまずき、切に祈る人々の大多数が女性信徒たちです。雨風の中でも黙々とその場を守り、その重さを耐え抜く柱のように、女性の変わることのない忍耐と愛、そして忠実さと祈りは、教会を崩れさせないための「最後の砦」となります。主なる神は、このような女性の強さをすでにご存じであり、この教会を、男性だけの教会ではなく、男女を網羅する主の民のための「キリストの体なる教会」としてお立てになったのです。 締めくくり 私たちは、創世記の創造の原理とリディアの生涯を通して、女性が教会にとっていかに重要な存在であるかについて話しました。今日の説教のタイトル通り、女性は教会を支える重要な「柱」です。主なる神は女性を、男性に従属する存在としてではなく、神の形を共有するパートナーとして召してくださいました。そして、リディアのような女性を通して、ヨーロッパ伝道の第一歩を踏み出させてくださったのです。かつての志免教会の女性先達たちも、志免の地での伝道のために、心と身を尽くして仕えてこられたことでしょう。婦人会の皆さんは単なる教会の補助役ではありません。皆さんは、この教会を支える「霊的な柱」そのものなのです。ですから、誇りを持って信仰生活に励みましょう。志免教会の兄弟の皆さんも、常に婦人たちを尊重し、共に歩んでいきましょう。そのような歩みの上に、主なる神が豊かに祝福してくださると信じます。