ほかの福音はない

ラテヤの信徒への手紙1章6~10節(新342頁) 前置き 現代は「多様性の時代」です。時代の移り変わりにつれて、かつて絶対的だったものの影響力は薄くなり、新しく多様なものが次々と生まれています。私たちが生きる日本社会にも、かつては日本人だけが共有する絶対的な価値観や感情があったはずです。しかし、現代のグローバル化は、そうした日本特有の価値観や感情とはまた異なる思想や文化をこの社会にもたらしました。その結果、社会には多様性が生まれたのです。新しく生まれた様々な価値観が昔の伝統的な価値観と衝突しながら、世の中は変わっていきます。もちろん、昔の伝統的な価値観が全て正しいとは言えません。多様性によって、悪い仕来りは消え去り、新しくて良い価値観が生まれるべきです。差別がなくなり、他者の存在が認められ、その中でこの世は平和になるべきです。しかし、一方で、決して変わってはならない伝統的な価値観もあります。多様性を認めながらも、必ず守るべきものは守らなければなりません。私はここで、日本だけでなく、世界において決して変わってはならない、最も伝統的で唯一の価値観について話したいと思います。それは、キリストの福音です。 1. 福音に対する一つの見解 「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。」(ガラテヤ1:6)皆さんは、すでに福音についてある程度、神学的に理解しておられると思います。「キリストによる救い、永遠の命、罪の赦し」など、長年、教会に通いながら福音について知識を蓄えてきました。ところで、今日の本文6節も福音への知識を加えてくれます。「キリストの恵みへ招いてくださった方」私は福音にこの一つも加えたいです。「キリストの恵みによって私たちを招かれた主なる神と共に歩むこと」つまり、キリストを通じた神のお呼び出しによって神と共に歩むようになったこと、それこそ「良い知らせ」である福音の中身であり、救いではないでしょうか。人間の最も根本的な罪は何でしょうか。人をいじめること、人の物を盗むこと、人を傷つけること、これらのことでしょうか。もちろん、それらも罪なのですが、最も根本的な罪は「真の主である神を知らないこと、知ろうともしないこと、その方から離れること」と言えます。上に並べたいくつかの罪は「神を知らない人の霊的状態」から生まれる罪の結果だからです。すなわち、根本的な罪は神を離れ、神無しに、自分自身が人生の主となることです。 初めての人間アダムの堕落は、神がいなくても構わないという発想から始まりました。善悪を知る樹の実を食べて神のようになれという誘惑に負けてしまったからです。それは「神なしで自ら何かをする」という望ましくない意志から始まったのです。この世は「自発的に、自己主導的に人生を開拓していく」ことを強要しています。神の存在を否定する世なので、自らが主人として生きることを勧めるのです。そのため、主なる神を知らない人たちは「自分の努力で救いを得る」という誘惑に陥りやすいです。「多くの善行、莫大な寄付、情熱的な宗教行為、周期的な奉仕、深遠な悟り」などなど、キリスト以外のものを通して救いを得ようとするのです。そして、自分自身が救いの主体となり、一生自分中心的に救いを探してさまようのです。しかし、聖書ははっきり述べています。「キリストの恵みへ招いてくださった方」、人間の行為や努力ではなく、キリストの救いと神の御導きによってのみ、一方的で圧倒的に救いを得ることが出来るということを。これはガラテヤ書を書いたパウロの思想でもありました。「救いは人間の内から生まれない。ひとえに、人間の外からのキリストの恵みによってのみ与えられる。」福音は「キリストの恵みによって私たちを招かれた主なる神と共に歩むこと」です。 そこに真の救いがあります。それ以外はほかの福音は偽りとなってしまいます。 2.ガラテヤでおこったこと 「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。」(ガラテヤ1:6) さて、今日の本文の舞台となるガラテヤ地方の教会で、何が起こっていたのでしょうか。パウロが伝えた「キリストの恵みによる福音」つまり、私たちの行いではなく、キリストへの信仰のみによって救いを得るという教えが、否定されていたのです。当時、イスラエル地方や小アジア(現在のトルコ)を巡回しながら律法を教える教師たちがいました。彼らはユダヤ出身でユダヤ教の影響、つまり「律法の行いを守ることによって義とされる」という教えを強く受けた人々でした。彼らはガラテヤ地方の教会に来て、こう教えたのです。「イエスを信じるだけでは不十分だ。律法の行いも守らないと、真の救いは得られない。」パウロが伝えた福音は、あまりにも明快でした。「神が与えてくださった唯一の救い主イエスを信じる信仰によってのみ、救いを得る」これこそが、真の福音です。しかし、当時の哲学や神学の影響を受け、複雑で深遠な教えを求めていた巡回教師たちは「キリストを信じるだけで救われる」という明快すぎる教えに満足できませんでした。そこで、彼らは「別の教え」を付け加えようとしたのです。その結果が、「イエスを信じるだけでは不十分だ。律法の行いも守らなければ救いは得られない」という教えになったのです。これはキリストの一方的で圧倒的な救いの御業を否定し、人間の努力や行いが必要だという考え方でした。それは、福音の核心そのものを否定する偽りでした。 「ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです。しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。」(ガラテヤ1:7∼9)パウロは、このガラテヤの教会に送った手紙を通して「神がくださった、たったお一人の救い主イエスを信じることによってのみ救われる」という真の福音、これ以外のいかなるものも偽りの教えであると、繰り返し「呪い」という厳しい表現をあげて、断固として警告しました。キリストのみによる救いを否定するいかなる教えも(それが、どんなに美辞麗句であり、もっともらしく聞こえる教えであっても)明確な偽りであり、正しくないものであると警告したのです。例えば、日本においても、キリスト教系の異端があります。九州地方では「原始福音・キリストの幕屋」がよく知られています。彼らは旧約聖書の「幕屋」の構造や祭儀を、人間の「魂」と「救いのプロセス」にたとえて、キリスト教の根源に立ち返るべきと主張し、自分らの福音を「原始福音」と呼んでいます。しかしながら、彼らの教えは、この「幕屋」に偏りすぎてしまい、イエス・キリストの十字架と復活による救いというキリスト教の最も核心となる教えから逸れているのです。それが問題です。 3.福音には多様性がない その外にも、韓国からの統一教会や新天地なども、主イエスの福音を歪めて悪質な教えを伝え、人々を惑わしています。先ほど、現代は多様性の時代だと申し上げました。数々の外国人が来日して暮らしており、様々な外からの文化が入っています。伝統的な価値観と新しく多様な価値観が衝突し、新しい価値観が生まれる時代です。しかし、そんな時代にあっても、私たちは昔から受け継いできた守るべき伝統を、必ず守っていきなければなりません。特にキリスト者にとっては、変わらない福音「キリストの恵みによって私たちを招かれた主なる神と共に歩むこと」を、この多様性の時代にあっても、必ず堅く守って生きるべきです。キリスト以外のいかなる存在にも救いの権限を許されなかった主なる神の御心を憶え、他の存在、行い、熱心、献金、活動などによるのではなく、ひとえにキリスト・イエスへの信仰と、その方のお赦しによってのみ、私たちの救いが成し遂げられるということを忘れてはなりません。少なくとも、福音には多様性がないということを心に刻み、信仰生活を続けていきたいと思います。時々、異端の人々が、家に訪問して、声をかけることがあります。そんな時、戸惑ったり、冷たく対応したりするのではなく「私はおひとりイエス・キリストによってのみ救われることを確信する日本のキリスト教会の教会員として神さまと共に歩んでいます。」と、私たちの信仰をはっきり示してはいかがでしょうか。今日、パウロが自分の福音への思いをはっきり語ったように、私たちも偽りを恐れず、真の福音を大胆に伝える勇気をもっていきたいと思います。 締め括り 最近、日本と韓国の社会で大きく物議を醸した統一教会の教祖、韓鶴子(ハン・ハクチャ)さんが韓国で逮捕されました。理由は政治と宗教の癒着による不正のためです。 2022年7月にも統一教会問題によって安倍晋三元首相が銃撃で亡くなる事件がありました。韓鶴子さんは裁判を受けながら、自分が「平和の母」だと主張しました。そして、神の一人娘だとも主張しました。世界中の数十数百万の人々が統一教会の偽りの教えにだまされ、金銭と時間と健康を無駄遣いにしてしまいました。私たちは絶対に、そのような偽りにだまされてはなりません。私たちに許された唯一の救い主、唯一の頭は、主なる神から遣わされたイエス·キリストおひとりだけであり、日本キリスト教会志免教会はひたすらその方だけを私たちの頭として信じているのです。その他に福音はありません。福音は唯一です。「キリストの恵みによって私たちを招かれた主なる神と共に歩むこと」「神が与えてくださった、たったお一人の救い主イエスを信じることによってのみ救われる」という変わらない福音を堅くつかみ、正しい信仰生活を営んでいく志免教会の兄弟姉妹でありますよう祈り願います。