しばらく休むがよい
創世記2章1~3節 (旧2頁) マルコによる福音書 6章30~44節(新72頁) 前置き 人間は忙しい日常を過ごしながらも、適切に休むことを通して生きる力を得る存在です。なぜなら、休みとは単なる余暇活動ではなく、世界を造られた主なる神の摂理の一部であり、主ご自身が被造物に与えてくださった聖なる権利だからです。今日は、聖書の御言葉を通して、キリスト者の人生における「休み」という賜物が、どれほど深く、豊かな意味を持っているのかを話してみたいと思います。 1. 日曜日は教会へ 「日曜日は教会へ」という言葉があります。これは休日である日曜日は教会に来て主なる神に礼拝しょうという教会からの呼びかけです。日曜日が法定祝日ではない日本では会社に出勤する会社員や部活のために登校する生徒をよく見かけます。日曜日が法定祝日ではない国は、イスラム圏や中国の他、いくつかあります。(もちろん、法定祝日ではないが、日本では休日と認識されています。)一方、欧米の諸国では、日曜日を法定祝日としています。日曜日が休日に定められた歴史は遠くローマ帝国時代にまで遡ります。ローマ帝国で日曜日が正式な休日として定着したことには、ローマ帝国の第44代皇帝コンスタンティヌス1世の影響が大きかったです。彼はキリスト教を公認した何年後の西暦321年に「尊厳なる太陽の日を公休日とする」と勅令を出しました。それは当時ローマに存在した太陽神崇拝の日と、その日を礼拝日としていたキリスト者の状況を考慮した政治的な措置でした。皇帝はキリスト教と太陽神崇拝者の要求を政治的に合わせるために太陽の日を公休日にし、そこから日曜日に休む文化がローマ全域に広まったのです。そのため、人々は、その日を「日曜日」と呼ぶようになったのです。 では、この日曜日に礼拝を行うという初代教会の伝統は、どこに由来したのでしょうか?それは、ユダヤ教の「安息日」でした。旧約聖書「創世記」によれば、神は6日間で天地を創造され、7日目に安息されたと書いてあります。それで、ユダヤ教は、この7日目にあたる土曜日を安息日と定め、すべての労働を止め、安息日として守り続けてきました。ユダヤ教の影響を受けたキリスト教はイエス・キリストが復活された安息日の翌日(日曜日)を記念し、その日曜日を「主の日」すなわち「主日」と呼びました。初代のキリスト者たちは、ユダヤ教からの迫害を避け、またユダヤ教との区別のために、次第に日曜日に集まって礼拝を捧げるようになったのです。そして、西暦313年、コンスタンティヌス1世が発布した「ミラノ勅令」により、キリスト教はローマ帝国で公認されました。このような経緯から、コンスタンティヌス1世が太陽神を崇拝する日をキリスト教が礼拝する主日と重ね合わせ、キリスト教の影響により、休日となったのです。したがって「日曜日」は、主なる神に礼拝する日です。ローマ帝国の太陽神「ソル・インヴィクトゥス(無敵の太陽)」を祀る日だったものが、福音によって唯一の主なる神を礼拝する日として新たに生まれ変わったのです。日曜日が「休みの日だから」教会の礼拝に行くわけではありません。「神に礼拝する日だから」休むのです。「日曜日は教会へ」という言葉は、単に休みの日だから教会に来なさいという意味を遥かに超えています。もともと、日曜日が主に礼拝する日であるからこそ、その礼拝のために休み、教会へ来るべきという深い意味が込められているのです。 2.休みの神学 休みにも神学があります。多くの人は、休みをただ働かずにいること、あるいは遊ぶ行為だと考えがちです。特に、労働を重んじる東アジアでは、休みを否定的に考えることも少なからずあるでしょう。現代では休みへの認識が高まったため、十分な休日が確保されていますが、かつて日本が高度成長期を迎え、発展を遂げていた時代には、1ヵ月に一度、二度しか休まずに働き続ける人々もいたと言われます。その結果、過労死で亡くなる人も多かったでしょう。ひょっとすると、この時代の富みは、十分に休むこともなく働き続き、疲れに倒れていった世代の苦労の対価であるかもしれません。私たちはこの発展の実を享受していますが、その裏で犠牲になった方々の苦労を、忘れないで生きるべきでしょう。休みがなければ、労働の価値も光を失います。休みは人間の生において最も重要な価値の一つであり、必ず守るべき人間尊厳の物差しでもあるのです。「第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。」(創世記2章2節) 休み(安息)の神学は、神ご自身の安息から始まります。創造の御業を6日間で完成された神は、第七日に安息されました。神には休みが要りません、被造物に休みの模範を見せてくださったのです。この休みは、創造摂理の大事な要素であり、すべての被造物に与えられた主による権利なのです。 休み(安息)の神学には、三つの重要な教えがあります。①創造秩序の回復:主なる神が創造の時になさったように、労働と安息のバランスを取り、主の創造摂理に従うことです。主は天地創造を終えられた後、安息を通して「わたしが休んだように、あなたがたも休むように」と無言の啓示をくださったのです。②主なる神への信頼:休息は「一日働かなくても主が私を養ってくださる」という信仰告白です。絶え間ない生産性と効率性を追求するこの世で、休息を守ることは、自分の人生の主権が自分ではなく、主なる神にあるということを認める行為なのです。人間は必然的に経済に依存して生きざるを得ません。お金は常に足りなく、お金稼ぎためには絶えず何かをしなければなりません。しかし、一週間のうち一日を完全に休んでも、主が自分の人生を守ってくださるという信頼を通して、主が自分の主人であることを休息によって証明するのです。③社会的な正義と平等:旧約聖書の安息日の戒めは、奴隷、家畜、さらには土地まで休ませることで、すべての被造物が労働から解放されて安息する権利があることを教えています。これは、弱者や貧しい人々を大切にする社会的な正義の基礎となるものです。 3.キリストは休みをくださる方 新約の本文を読んでみましょう。「さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。」(マルコ6:30〜31)6章7節では、主イエスが弟子たちを二人ずつ組して、伝道の旅に立つことを命じられました。どれくらいの期間だったかは分かりませんが、8節から9節で「旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。」とあるように、弟子たちはかなり過酷な旅路を経験したに違いありません。30節で、彼らは戻ってきて、主イエスに事の次第を報告しました。その時、イエスは彼らを休ませられたのです。主ご自身は多用の中、苦しむ人々を助けておられましたが、旅から戻った弟子たちには休息を取るようにと勧められたのです。この箇所に直接つながっているのが今日の新約本文の後半に出てくる五つのパンと二匹の魚の奇跡です。弟子たちの休みと、その奇跡が直結していることに深い意味を感じます。主から休みをいただいた弟子たちは、その後、主と共に、この世から傷つき、苦しんでいる大勢の人々のための偉大な奇跡に加わることになったのです。 そして、その結果、成人男性だけで5,000人(女性、高齢者、子供まで含めると3万人以上と推定)が食べ、なお12のかごが残ったのです。この奇跡は、旧約聖書の出エジプト記に出てくるマナの奇跡を思い起こさせるしるしです。主なる神は、出エジプト後にイスラエル民族を荒野の険しい道へと導かれながらも、彼らにマナという日用の糧をくださいました。それはイスラエル民族がエジプトの奴隷として生きていた時の「働かなければ死ぬ」という奴隷の考え方から脱し、彼らの真の主である神が命と死を支配しておられる絶対者であることを悟らせてくだあるためでした。そのため、主は6日間は、毎朝マナを集めるように働かせましたが、安息日には6日目に二倍のマナを与え、彼らを休ませてくださいました。このように、主イエスもまた疲れ、重荷を負った人々を呼び集められ、食べ物を与えてくださることで、旧約における神の御業を思い起こさせ、彼らに安息をくださったのです。そして、先に休みを得た弟子たちは、群衆への主イエスの「休ませる」という御業に直接かかわり、主の証人となりました。主イエスは人々を休ませてくださる方です。休みを通して神の御業に気付かさせ、ご自分の民のために、最後まで責任を持って導かれるお方であることを教えてくださるのです。 締め括り 休みは、単なる肉体のリラックスや遊びではありません。それは、日々の忙しさから離れ、自分自身を顧み直し、心身共に回復するための霊的な行為です。肉体的な疲れがなくても、人生の重荷が精神的な疲れとなって私たちを苦しめることがあります。そのような時こそ、私たちは意識的に休み、心の安らぎを求める必要があります。休みの間、祈りと黙想によって分自身を顧み、健全な信仰において人生を満たしていくべきです。休みは、主なる神の摂理の一つです。適切な休みは、私たちが健全に、そして豊かに人生を過ごせるために不可欠です。私たちは皆、神が与えられた休みという恵みに感謝し、適切に休みつつ生きるべきです。