混乱の時

ヨシュア記1章6〜8節 (旧340頁) ヨハネによる福音書14章26節〜27節 (新197頁) 前置き 私たちの人生が毎日幸せと喜びであれば最も良いでしょうが、事実、この世での人生には喜びよりは悲しみの方が多いかもしれません。人々の一般的な人生を考えてみると、物心つく頃は祖父母が亡くなります。結婚して子供が育ち、いよいよ大人になったなと思ったら親が亡くなります。その間に知人や友人が先に亡くなる場合もあり、不幸な場合は、まだ若い両親や配偶者、子供が先に亡くなることもあります。そして、最終的には自分も亡くなることになります。悲しみの基準を死にした理由は、人生の最も悲しい経験が身近な人の死だと思うからです。そして一生をかけて、その死の間に数多くの辛いことがクモの巣のように絡み合っているからです。大変で辛い出来事の間にほんの少しの喜び(結婚、出生、成功など)がありますが、もしかしたら、人生の多くの部分は悲しみと苦しみに占められているかもしれません。そんな私たち人間は必然的に混乱と苦しみを経験しながら生きていきます。 1. 混乱の中を生きる人生 「全世界の上位1%の金持ちの財産が、残りの99%より2倍多い」というタイトルの記事を読んだことがあります。「少なくとも17億人の労働者が物価が賃金を超える地域に住んでおり、全世界の人口1割に近い約8億2千万人は飢餓の状態である。」という文章が特に記憶に残ります。この記事は世界の経済的な不条理を告発する記事でした。また、2022年に起きたウクライナ・ロシア戦争は、100万人以上の死者が出ました。イスラエルとイスラム諸国の紛争も数十年にわたって続いてきています。これらの戦争により、今でも大勢の命が失われつつあります。比較的に平和な日本に住んでいる私たちは、ニュースを通じてこのような悲惨な事実に接してはいますが、その悲惨さを直接に経験するわけではないので、気の毒だと一言を言うだけで終わるのがほとんどです。この世界は私たちの思い以上に混乱であるのです。私たちに直接的な被害はありませんが、明らかに世界は混乱の中にあるのです。 飢餓や戦争の混乱の中にいる人々よりは増しかもしれませんが、私たちにも混乱の時があります。家族が重病にかかったり、近所の人が事故に遭ったり、友人が苦境に立たされたり、自分自身にも思わぬ不幸がやってきたりするなど、私たちも日常において混乱を経験し、心配事を抱えることがあり得るでしょう。人生の代表的な幸せの一つである結婚も、今後どうすれば家族を無事に守れるだろうかとの新しい悩みが生まれ、子供が生まれるのは嬉しいが、子供の健康、将来などへの新しい心配が生まれます。信仰においても同じです。初めて主に出会って信仰者となった時は、この上なく幸せだったんですが、その後、信仰への悩み、教会維持への悩み、牧師の不在への悩み、予算への悩み、数多くの悩みに囲まれて生きるようになるでしょう。私たちの人生の一歩一歩が、このように悩みと心配という混乱に満たされていくのです。イエスの時代も同様だったと思います。祖国イスラエルはローマ帝国の植民地になっており、イスラエルのあちこちで反乱が起こりました。しかし、指導者たちは民の安定より、自分の富と権勢と名誉にもっと関心を持っていました。こんな時代にイエスの弟子たちも辛かったでしょう。社会は混乱であり、すべてを捨てて主に従ったのに、主イエスはまもなくご自分が十字架で亡くなると言われ、何一つ平和で安定したもののない思い煩いの多い人生だったでしょう。 2. 主が与える平和。 しかし、このような混乱の世界を生きる弟子たちに主イエスは言われました。「弁護者すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」(ヨハネ福音14章26~27節) ヨハネによる福音書14章は、イエスの遺言のような言葉です。13章で弟子たちと最後の晩餐を分かち合われたイエスは、弟子たち全員の足を洗ってくださいました。裏切者のユダは、このイエスを売るために食事の席を離れました。イエスはまもなくローマの兵隊に逮捕され、苦しみを受けて亡くなられるでしょう。先日からご自分が死ぬことになると言われたイエスの普段と違う行動に弟子たちは尋常でない雰囲気を感じ、さらに不安になったでしょう。もしかしたら、その夜はイエスと弟子たちが出会って以来、最も混乱した時間だったかもしれません。しかし、イエスは決然と言われました。「父から助け主なる聖霊が来られる。あの方があなたたちの人生を導いてくださる。だから、あなたたちは心を騒がせ怯えるな。わたしの平和を与える。わたしの平和は、この世の平和のように揺らぎやすいものではない。」 世界は混乱に満ちています。また、私たちの人生にも混乱があります。しかし、主は言われます。「世の中にはない真の平和をあなたに与える。だから不安に囲まれずに、聖霊の導きにあって、わたしに信頼して生きなさい。」罪によって乱れたこの世は不完全による混乱の世界です。こんな世界において、お金でも、権力でも、名誉でも真の平和を買うことはできません。自ら、自分が平和だとマインドコントロールしても、本当の平和にはなりません。だから、この世が言う平和、自分が作る平和は、偽りの平和なのです。しかし、主が与えてくださる平和は違います。真の平和の持ち主である主がくださる平和、混乱と不安があっても、その中でさえ輝く平和、主なる神が生きておられる限り、絶対に変わらない完全な平和です。その平和はイエスの約束によって私たちに与えられる保証された平和です。不完全な世界を生きる私たちは、しばしば混乱と苦しみと不安を経験しやすい存在です。その度、思い煩いに囲まれて悩むが、それでも混乱と苦しみと不安は簡単に立ち去りません。しかし、私たちは主の約束を信じなければなりません。まだ、起きていない未来の心配をやめて、平和の主が約束された真の平和を思い起こさなければなりません。 3. 主の御言葉を基準にする。 そんな人生を生きるためには、御言葉を私たちの人生の基準にしなければなりません。今日の旧約本文をお読みします。「強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。」(ヨホスア1:6∼8)長い間エジプトの奴隷だったイスラエルは、モーセを用いられた主なる神のお導きにより、無事に脱出しました。しかし、彼らの不信心のため、すぐに乳と蜜の流れるカナンの地に入ることはできず、40年間荒れ野をさまようことになりました。モーセは40年間、彼らの指導者としてイスラエルの民と苦楽を共にしました。そして、ついに主なる神の許可をいただき、イスラエルはカナンに入ることになります。しかし、主は指導者モーセをカナンに入る直前に召されました。そして、その代わりにヨシュアをイスラエルの新しい指導者として立ててくださいました。40 年間、モーセの指導を受けてきたヨシュアとイスラエルは驚き混乱していたでしょう。一寸先も見えない真っ暗な状況に非常に戸惑っていたはずです。 今日の本文は、そんなイスラエル民族にくださった主なる神の御言葉です。それは3つに約めて考えることが出来ます。一、強く雄々しくあれ。 二、神の約束に信頼せよ。 三、神の御言葉に従って生きよ。モーセという柱のような指導者が亡くなったにもかかわらず、彼らには変わりなく主なる神が共に歩んでおられるので、その主のお導きに信頼して混乱に陥らずに、たくましく生きていけということでした。そして、この言葉は現在を生きるキリスト者にも大きな意味を示していると思います。どうせ、私たちが生きる、この世は罪によって歪んでいる世界です。主イエスが再臨され、終わりの日が来て、新しい世界にならない限り、人間は、仕方なく、この罪だらけの世を生きていかなければなりません。というのは、混乱と苦しみと悲しみは、世界が終わるまで常に人類を追いかけてくるということです。重要なのは、この混乱と苦しみと悲しみの世界を生きる私たちを、主なる神が選び救われ、今でも私たちと共に歩んでおられるということです。こんな私たちに向かって主は「強く雄々しくあれ。 神の約束に信頼せよ。神の御言葉に従って生きよ。」と語っておられるのです。世の混乱は依然として存在しますが、私たちにはその混乱した世を支配しておられる唯一の神が休まずたゆまず共におられます。それこそが私たちにとって人生の基準になるのです。移り変わりのない主、揺るがな主、永遠に共におられる主、その主なる神の御言葉こそが私たちの人生の基準であるのです。 締め括り 私は2012年に伝道師として働きはじめて以来、一瞬も気楽だったことがありません。いや、もしかしたら回心した瞬間から、未信者なら、しなくても構わない、心配と悩みを抱えて生きてきたかもしれません。しかし、心の中には根源的な平和があります。その理由は混乱したこの人生は短いものであり、そして、この人生の道をいつも共に歩んでくださる主との時間は永遠であることを知っているからです。どんなに難しいことが迫ってきても、戸惑うより主を拠り所とし「強く雄々しくおり、主の約束に信頼し、その方の御言葉に従って生きる」私たちであることを願います。混乱の中でも主なる神は変わらずに私たちと共におられるます。そして、私たちを応援してくださいます。私たちが主に信頼して生き、人生の終わりの日に主の御前に立つ時、主なる神は混乱の中でも忍耐しつつ生きてきた私たちに「よくやった。 私の子よ。」と褒めてくださるでしょう。そんな主の御言葉を基準にして混乱の世を克服して生きていきたいです。そのような志免教会でありますよう祈り願います。