メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

日本キリスト教会所属の志免教会
日曜礼拝メッセージ​

担当:金東佑

わたしがあなたと共にいる。

イザヤ書41章10節(旧1126頁) マタイによる福音書28章20節(新60頁) 前置き 歴史の中で人類は、偉大な業績を成し遂げてきました。文明を築き、文字を造り、哲学を発展させ、科学を進歩させてきました。文明の発展に伴い、巨大な鉄の塊を海に浮かべ、空に飛ばして船と飛行機を発明し、今では宇宙にまで進出できる技術を持つようになりました。医学の発展は、人間の寿命を飛躍的に延ばしました。地球上のすべての生命体の中で、人間だけがこのような目覚ましい発展を成し遂げたゆえに、人間は本当に偉大な存在ではないかと思います。しかし、同時に人間はあまりにも悲惨な存在でもあります。文明や科学が発展しても、依然として未来への不安を拭い去ることができず、寿命は延びましたが、依然として憎み合い、対立しあい、傷つけ合います。富んだ者は富んだ者としての不安の中で生き、貧しい者は貧しい者としての不安の中で生きています。そして結局、両者とも死をもって終わりを迎えます。人間は偉大な存在ですが、その終わりが必ず訪れるため、結局は滅びるしかない悲惨な存在なのです。これが、偉大であるにもかかわらず完全ではあり得ない人間の限界です。このような人間の限界をご存知である主なる神は、聖書全体の御言葉を通して「人間よ、あなたたちは不完全である。しかし、私は完全である。完全な私が、あなたたちを助け、永遠に共に歩んでいく」と絶えず語りかけておられます。今日の本文の言葉も、人間と永遠に共に歩むことを望んでおられる主なる神の御言葉であります。 1.

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イエスだけが一緒におられた。

マラキ書3章22-23節(旧1501頁) マルコによる福音書9章2-13節(新78頁) 前置き マルコによる福音書8章、主イエスは「あなたがたは私を何者だと言うのか。」と弟子たちに尋ねられました。世の人々は主を「洗礼者ヨハネ、エリヤ、預言者の一人」と言っていましたが、主は弟子たちの認識を確かめるために質問されたのです。その時、ペトロが答えました。「あなたはメシアです。」彼の答えは正解でした。弟子たちの認識を確かめられた主は、メシアであるご自身が苦難を受けて死ぬことになると予告されました。するとペトロが激しくいさめ、主はそんなペトロに「サタン、引き下がれ。」と厳しく叱られました。なぜ、主の死を止めようとしたペトロは叱られたのでしょうか。信仰告白は宗教的な知識だけの告白ではありません。知識としてのペトロの告白は正しかったですが、信仰としてのペトロの告白は不完全でした。主の御心ではなく、自分の思いを押し立てたからです。真の信仰告白は知識だけで完成するものではありません。知ることと信じることがひとつになり、知識に実践が伴う時、信仰告白は本当の信仰告白として働くようになるのです。 1.高い山の上で変容された主。

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わたしたちを助けてください

使徒言行録16章9~10節 (新245 頁) 前置き まず、説教の前に申し訳なく思います。説教題と内容が本文を除いて、そんなに関係なくなってしまったと思います。説教を書きながら、内容が変わってしまいました。皆さんのご理解をお願いします。本日の聖書の本文は、主なる神が小アジア、つまり現在のトルコ北部の地域で福音を伝えようと奮闘していたパウロに幻を見せ、マケドニアへ渡って伝道するよう促される場面です。ユダヤ人でありながら、現在のトルコ東南部で生まれ育ったパウロには、その地での伝道に情熱がありました。宣教学的にも、彼の考えは極めて妥当なものでした。にもかかわらず、主は彼が抱いていた小アジア(トルコ北部)伝道の熱意を拒否され、マケドニア(ヨーロッパ東部)地域での伝道を促されました。パウロは自分の思いとは違う、理解しがたい主のご命令にもかかわらず、自分の計画への固執をやめ、さっそく主の御言葉に従い、マケドニアへ旅立ちました。それによって、ついに公式的なヨーロッパでの伝道が始まることになったのです。そしてその結果、遠い将来、キリスト教がローマ帝国の国教となり、ヨーロッパ世界の精神的な基盤として爆発的に成長するという成果につながりました。今日は、使徒言行録16章9節と10節の聖書の箇所を通して、伝道と宣教について、そして、キリスト者のあり方について考えてみたいと思います。

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信仰の戦い

エフェソの信徒への手紙6章10-20節(新359頁) 前置き エフェソの信徒への手紙のおもなテーマは「教会とは何か」です。「天地創造の前から神にあらかじめ定めされ、キリストによって救われ、その御旨に適って生きるキリストの体なる共同体」これが教会の意義です。したがって、教会は神の御心によってキリストの民となった、キリストと共に歩まなければならない存在です。この世の思想、生き方ではなく、キリストの御心と生き方に聞き従わなければならない存在です。この地にいるが天に属している存在、それがキリストの体なる共同体、教会のあり方なのです。今日の本文は、その教会を成すキリスト者の信仰生活においての「信仰の戦い」について語ります。今日の本文を通じて、教会の生き方について考えてみましょう。 1. 血肉の戦いではなく、霊の戦いを

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わたしがあなたと共にいる。

イザヤ書41章10節(旧1126頁) マタイによる福音書28章20節(新60頁) 前置き 歴史の中で人類は、偉大な業績を成し遂げてきました。文明を築き、文字を造り、哲学を発展させ、科学を進歩させてきました。文明の発展に伴い、巨大な鉄の塊を海に浮かべ、空に飛ばして船と飛行機を発明し、今では宇宙にまで進出できる技術を持つようになりました。医学の発展は、人間の寿命を飛躍的に延ばしました。地球上のすべての生命体の中で、人間だけがこのような目覚ましい発展を成し遂げたゆえに、人間は本当に偉大な存在ではないかと思います。しかし、同時に人間はあまりにも悲惨な存在でもあります。文明や科学が発展しても、依然として未来への不安を拭い去ることができず、寿命は延びましたが、依然として憎み合い、対立しあい、傷つけ合います。富んだ者は富んだ者としての不安の中で生き、貧しい者は貧しい者としての不安の中で生きています。そして結局、両者とも死をもって終わりを迎えます。人間は偉大な存在ですが、その終わりが必ず訪れるため、結局は滅びるしかない悲惨な存在なのです。これが、偉大であるにもかかわらず完全ではあり得ない人間の限界です。このような人間の限界をご存知である主なる神は、聖書全体の御言葉を通して「人間よ、あなたたちは不完全である。しかし、私は完全である。完全な私が、あなたたちを助け、永遠に共に歩んでいく」と絶えず語りかけておられます。今日の本文の言葉も、人間と永遠に共に歩むことを望んでおられる主なる神の御言葉であります。 1.

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イエスだけが一緒におられた。

マラキ書3章22-23節(旧1501頁) マルコによる福音書9章2-13節(新78頁) 前置き マルコによる福音書8章、主イエスは「あなたがたは私を何者だと言うのか。」と弟子たちに尋ねられました。世の人々は主を「洗礼者ヨハネ、エリヤ、預言者の一人」と言っていましたが、主は弟子たちの認識を確かめるために質問されたのです。その時、ペトロが答えました。「あなたはメシアです。」彼の答えは正解でした。弟子たちの認識を確かめられた主は、メシアであるご自身が苦難を受けて死ぬことになると予告されました。するとペトロが激しくいさめ、主はそんなペトロに「サタン、引き下がれ。」と厳しく叱られました。なぜ、主の死を止めようとしたペトロは叱られたのでしょうか。信仰告白は宗教的な知識だけの告白ではありません。知識としてのペトロの告白は正しかったですが、信仰としてのペトロの告白は不完全でした。主の御心ではなく、自分の思いを押し立てたからです。真の信仰告白は知識だけで完成するものではありません。知ることと信じることがひとつになり、知識に実践が伴う時、信仰告白は本当の信仰告白として働くようになるのです。 1.高い山の上で変容された主。

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わたしたちを助けてください

使徒言行録16章9~10節 (新245 頁) 前置き まず、説教の前に申し訳なく思います。説教題と内容が本文を除いて、そんなに関係なくなってしまったと思います。説教を書きながら、内容が変わってしまいました。皆さんのご理解をお願いします。本日の聖書の本文は、主なる神が小アジア、つまり現在のトルコ北部の地域で福音を伝えようと奮闘していたパウロに幻を見せ、マケドニアへ渡って伝道するよう促される場面です。ユダヤ人でありながら、現在のトルコ東南部で生まれ育ったパウロには、その地での伝道に情熱がありました。宣教学的にも、彼の考えは極めて妥当なものでした。にもかかわらず、主は彼が抱いていた小アジア(トルコ北部)伝道の熱意を拒否され、マケドニア(ヨーロッパ東部)地域での伝道を促されました。パウロは自分の思いとは違う、理解しがたい主のご命令にもかかわらず、自分の計画への固執をやめ、さっそく主の御言葉に従い、マケドニアへ旅立ちました。それによって、ついに公式的なヨーロッパでの伝道が始まることになったのです。そしてその結果、遠い将来、キリスト教がローマ帝国の国教となり、ヨーロッパ世界の精神的な基盤として爆発的に成長するという成果につながりました。今日は、使徒言行録16章9節と10節の聖書の箇所を通して、伝道と宣教について、そして、キリスト者のあり方について考えてみたいと思います。

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