メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

日本キリスト教会所属の志免教会
日曜礼拝メッセージ​

担当:金東佑

失敗した者へ

イザヤ書43章18∼19節(旧1131頁) ローマの信徒への手紙8章28節(新285頁) 前置き 聖書には数多くの失敗者の物語が出てきます。アダム、アブラハム、ヤコブ、モーセ、ダビデといった、多くの聖書の人物が主なる神の御心に適わず、失敗を経験してしまいます。また、イスラエル民族そのものも、主なる神への正しい信仰から離れ、失敗し、アッシリアとバビロンといった帝国によって滅ぼされてしまいました。主イエスの弟子たちも、主を見捨てる失敗を経験します。聖書は、数多くの失敗者の姿をありのままに示しています。しかし、聖書は、主なる神が彼らを決して見捨てられなかったことをも教えてくれます。私たちの人生にも失敗が訪れうるでしょう。しかし、主は失敗したご自分の民を再び立ち上がらせ、導いてくださる方です。ですから、主を信じる者には、失敗さえも恵みとなるのです。今日は、失敗した者を慰め、新たに始めさせてくださる主の恵みについて話してみたいと思います。 1.

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命の水が湧き出る

ゼカリヤ書14章6~9節(旧1494頁) ヨハネによる福音書4章3~14節(新169頁) 戦後、堀田(ほった)綾子は思いも寄らない結核にかかり、十数年の長い闘病生活をすることになりました。長い間の病気による虚無主義で、生の理由を失った彼女は死ぬのを願っていました。そんな時、同じ病気を患っていた幼なじみの前川という男の人は献身的に彼女に仕えました。彼はキリスト者でした。堀田は彼の仕えにより、異性との恋を超える真の愛に気づきました。将来、堀田はこのように彼を振り返りました。「わたしはその時、彼の愛が全身を刺しつらぬくのを感じた。そしてその愛が、単なる男と女の恋ではないのを感じた。私はかつて知らなかった光を見たような気がした。彼の背後にある不思議な光は何だろうと思った。」堀田は前川の信仰と生涯を憶え、病床で文章を書きました。困難な人にキリストによる希望と愛を伝えようと誓いました。それが偉大な小説家三浦綾子の始まりでした。 1.疎外者を探しておられる主 戦争直後の日本は、まるで疲弊な病人のような状態でした。この時期、結核にかかっていた三浦綾子も、戦争のため、疲弊となった戦後日本のように、病を経験していたのです。ところが、日本のキリスト教は、こんなにつらい時代、爆発的に成長しました。慰めと癒しがほしい時代に、アメリカから宣教師たちが来日し、また日本の教会によって、多くの人々がキリスト教の信仰を受け入れたのです。三浦綾子もそんな時代に、一人のキリスト者の献身によってキリストに出会い、偉大な小説家となったわけです。そのためか、三浦綾子の病気と戦後の日本が重なって見えてきます。虚しさと悲しみにさらされていた三浦綾子は友人の前川からの愛により、イエスに出会い、主イエスは弱まった彼女に光を照らしてくださいました。戦後の痛みと虚しさに陥った日本でも、福音によって多くの人々がイエスを信じるようになったのです。主イエスの御心は最も低いところにあります。主はそのような御心をもって三浦綾子を訪れ、彼女に信仰をくださったのです。戦争という悲劇の後、日本に多い信仰者が生まれたのも、そのような主の愛と無関係ではないでしょう。今日の本文、ヨハネによる福音書には、疲弊して苦しんでいる女の人が登場します。

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ほかの福音はない

ラテヤの信徒への手紙1章6~10節(新342頁) 前置き 現代は「多様性の時代」です。時代の移り変わりにつれて、かつて絶対的だったものの影響力は薄くなり、新しく多様なものが次々と生まれています。私たちが生きる日本社会にも、かつては日本人だけが共有する絶対的な価値観や感情があったはずです。しかし、現代のグローバル化は、そうした日本特有の価値観や感情とはまた異なる思想や文化をこの社会にもたらしました。その結果、社会には多様性が生まれたのです。新しく生まれた様々な価値観が昔の伝統的な価値観と衝突しながら、世の中は変わっていきます。もちろん、昔の伝統的な価値観が全て正しいとは言えません。多様性によって、悪い仕来りは消え去り、新しくて良い価値観が生まれるべきです。差別がなくなり、他者の存在が認められ、その中でこの世は平和になるべきです。しかし、一方で、決して変わってはならない伝統的な価値観もあります。多様性を認めながらも、必ず守るべきものは守らなければなりません。私はここで、日本だけでなく、世界において決して変わってはならない、最も伝統的で唯一の価値観について話したいと思います。それは、キリストの福音です。 1. 福音に対する一つの見解

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私たちのいるべき場所

出エジプト記 2章11~25節(旧95頁) ローマの信徒への手紙14章8~9節(新294頁) 前置き イスラエルの先祖であるヤコブとその一族は、主なる神の御導きにより、ひどい飢饉を避けてエジプトに移住しました。ヤコブの子孫はエジプトで栄え続け、数十万人の民族に成長しました。しかし、ヤコブの時代の友好的なエジプトの王朝が滅び、他の王朝が復権して、ヤコブの子孫イスラエルに大きな試練が迫ってきました。しかし、それはイスラエルを滅ぼすための試練ではなく、それによって目を覚まし、主と先祖の約束の地、イスラエル民族のいるべき場所であるカナンに導かれる主なる神のご計画でした。主の民にはいるべき場所があります。いくら満足し、安らかなところにいるといっても、主のみ旨に適わない場所なら、そこはキリスト者のいるべき場所ではありません。主の民のいるべき場所ではなく、主と関係のない自分の罪の本性が願う場所にいる時、主は試練と苦難を装った御導きによって、ご自分の民の目を覚まさせ、主が備えてくださる場所に立ち戻る準備をさせてくださいます。出エジプト記は「主の民のいるべき場所」についての物語なのです。

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失敗した者へ

イザヤ書43章18∼19節(旧1131頁) ローマの信徒への手紙8章28節(新285頁) 前置き 聖書には数多くの失敗者の物語が出てきます。アダム、アブラハム、ヤコブ、モーセ、ダビデといった、多くの聖書の人物が主なる神の御心に適わず、失敗を経験してしまいます。また、イスラエル民族そのものも、主なる神への正しい信仰から離れ、失敗し、アッシリアとバビロンといった帝国によって滅ぼされてしまいました。主イエスの弟子たちも、主を見捨てる失敗を経験します。聖書は、数多くの失敗者の姿をありのままに示しています。しかし、聖書は、主なる神が彼らを決して見捨てられなかったことをも教えてくれます。私たちの人生にも失敗が訪れうるでしょう。しかし、主は失敗したご自分の民を再び立ち上がらせ、導いてくださる方です。ですから、主を信じる者には、失敗さえも恵みとなるのです。今日は、失敗した者を慰め、新たに始めさせてくださる主の恵みについて話してみたいと思います。 1.

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命の水が湧き出る

ゼカリヤ書14章6~9節(旧1494頁) ヨハネによる福音書4章3~14節(新169頁) 戦後、堀田(ほった)綾子は思いも寄らない結核にかかり、十数年の長い闘病生活をすることになりました。長い間の病気による虚無主義で、生の理由を失った彼女は死ぬのを願っていました。そんな時、同じ病気を患っていた幼なじみの前川という男の人は献身的に彼女に仕えました。彼はキリスト者でした。堀田は彼の仕えにより、異性との恋を超える真の愛に気づきました。将来、堀田はこのように彼を振り返りました。「わたしはその時、彼の愛が全身を刺しつらぬくのを感じた。そしてその愛が、単なる男と女の恋ではないのを感じた。私はかつて知らなかった光を見たような気がした。彼の背後にある不思議な光は何だろうと思った。」堀田は前川の信仰と生涯を憶え、病床で文章を書きました。困難な人にキリストによる希望と愛を伝えようと誓いました。それが偉大な小説家三浦綾子の始まりでした。 1.疎外者を探しておられる主 戦争直後の日本は、まるで疲弊な病人のような状態でした。この時期、結核にかかっていた三浦綾子も、戦争のため、疲弊となった戦後日本のように、病を経験していたのです。ところが、日本のキリスト教は、こんなにつらい時代、爆発的に成長しました。慰めと癒しがほしい時代に、アメリカから宣教師たちが来日し、また日本の教会によって、多くの人々がキリスト教の信仰を受け入れたのです。三浦綾子もそんな時代に、一人のキリスト者の献身によってキリストに出会い、偉大な小説家となったわけです。そのためか、三浦綾子の病気と戦後の日本が重なって見えてきます。虚しさと悲しみにさらされていた三浦綾子は友人の前川からの愛により、イエスに出会い、主イエスは弱まった彼女に光を照らしてくださいました。戦後の痛みと虚しさに陥った日本でも、福音によって多くの人々がイエスを信じるようになったのです。主イエスの御心は最も低いところにあります。主はそのような御心をもって三浦綾子を訪れ、彼女に信仰をくださったのです。戦争という悲劇の後、日本に多い信仰者が生まれたのも、そのような主の愛と無関係ではないでしょう。今日の本文、ヨハネによる福音書には、疲弊して苦しんでいる女の人が登場します。

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ほかの福音はない

ラテヤの信徒への手紙1章6~10節(新342頁) 前置き 現代は「多様性の時代」です。時代の移り変わりにつれて、かつて絶対的だったものの影響力は薄くなり、新しく多様なものが次々と生まれています。私たちが生きる日本社会にも、かつては日本人だけが共有する絶対的な価値観や感情があったはずです。しかし、現代のグローバル化は、そうした日本特有の価値観や感情とはまた異なる思想や文化をこの社会にもたらしました。その結果、社会には多様性が生まれたのです。新しく生まれた様々な価値観が昔の伝統的な価値観と衝突しながら、世の中は変わっていきます。もちろん、昔の伝統的な価値観が全て正しいとは言えません。多様性によって、悪い仕来りは消え去り、新しくて良い価値観が生まれるべきです。差別がなくなり、他者の存在が認められ、その中でこの世は平和になるべきです。しかし、一方で、決して変わってはならない伝統的な価値観もあります。多様性を認めながらも、必ず守るべきものは守らなければなりません。私はここで、日本だけでなく、世界において決して変わってはならない、最も伝統的で唯一の価値観について話したいと思います。それは、キリストの福音です。 1. 福音に対する一つの見解

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