メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

日本キリスト教会所属の志免教会
日曜礼拝メッセージ​

担当:金東佑

わたしたちを助けてください

使徒言行録16章9~10節 (新245 頁) 前置き まず、説教の前に申し訳なく思います。説教題と内容が本文を除いて、そんなに関係なくなってしまったと思います。説教を書きながら、内容が変わってしまいました。皆さんのご理解をお願いします。本日の聖書の本文は、主なる神が小アジア、つまり現在のトルコ北部の地域で福音を伝えようと奮闘していたパウロに幻を見せ、マケドニアへ渡って伝道するよう促される場面です。ユダヤ人でありながら、現在のトルコ東南部で生まれ育ったパウロには、その地での伝道に情熱がありました。宣教学的にも、彼の考えは極めて妥当なものでした。にもかかわらず、主は彼が抱いていた小アジア(トルコ北部)伝道の熱意を拒否され、マケドニア(ヨーロッパ東部)地域での伝道を促されました。パウロは自分の思いとは違う、理解しがたい主のご命令にもかかわらず、自分の計画への固執をやめ、さっそく主の御言葉に従い、マケドニアへ旅立ちました。それによって、ついに公式的なヨーロッパでの伝道が始まることになったのです。そしてその結果、遠い将来、キリスト教がローマ帝国の国教となり、ヨーロッパ世界の精神的な基盤として爆発的に成長するという成果につながりました。今日は、使徒言行録16章9節と10節の聖書の箇所を通して、伝道と宣教について、そして、キリスト者のあり方について考えてみたいと思います。

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信仰の戦い

エフェソの信徒への手紙6章10-20節(新359頁) 前置き エフェソの信徒への手紙のおもなテーマは「教会とは何か」です。「天地創造の前から神にあらかじめ定めされ、キリストによって救われ、その御旨に適って生きるキリストの体なる共同体」これが教会の意義です。したがって、教会は神の御心によってキリストの民となった、キリストと共に歩まなければならない存在です。この世の思想、生き方ではなく、キリストの御心と生き方に聞き従わなければならない存在です。この地にいるが天に属している存在、それがキリストの体なる共同体、教会のあり方なのです。今日の本文は、その教会を成すキリスト者の信仰生活においての「信仰の戦い」について語ります。今日の本文を通じて、教会の生き方について考えてみましょう。 1. 血肉の戦いではなく、霊の戦いを

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御父のまなざし

ルカによる福音書 15章11‐24節(新139頁) 前置き キリスト教会が主とあがめる神という存在はどのようなお方でしょうか。今日は、難しい「三位一体」のような神学の話しではなく、神という存在が私たちの人生においてどのようなお方なのかについて、実存的な話をしてみたいと思います。神という存在を最も直観的に表す言葉は、万物の「父」と言えるでしょう。もちろん、神は人間のような性別がない方であるため、人間の基準で言う生物学的な父とは異なる存在です。すべてを創造し、司る絶対者としての「父」と理解するのが正しいでしょう。古代のヘブライ人は、この神を万物の「父」と理解していました。性別を超えて、すべてのものの創造主と信じていたのです。そして、現代の教会が主とあがめる神のひとり子イエス・キリストも、その神を父と呼ばれました。今日は、この父なる神について、そしてその方が人間をどのように思っておられるのかについて、話してみたいと思います。 1. 放蕩息子のたとえ話

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わたしたちを助けてください

使徒言行録16章9~10節 (新245 頁) 前置き まず、説教の前に申し訳なく思います。説教題と内容が本文を除いて、そんなに関係なくなってしまったと思います。説教を書きながら、内容が変わってしまいました。皆さんのご理解をお願いします。本日の聖書の本文は、主なる神が小アジア、つまり現在のトルコ北部の地域で福音を伝えようと奮闘していたパウロに幻を見せ、マケドニアへ渡って伝道するよう促される場面です。ユダヤ人でありながら、現在のトルコ東南部で生まれ育ったパウロには、その地での伝道に情熱がありました。宣教学的にも、彼の考えは極めて妥当なものでした。にもかかわらず、主は彼が抱いていた小アジア(トルコ北部)伝道の熱意を拒否され、マケドニア(ヨーロッパ東部)地域での伝道を促されました。パウロは自分の思いとは違う、理解しがたい主のご命令にもかかわらず、自分の計画への固執をやめ、さっそく主の御言葉に従い、マケドニアへ旅立ちました。それによって、ついに公式的なヨーロッパでの伝道が始まることになったのです。そしてその結果、遠い将来、キリスト教がローマ帝国の国教となり、ヨーロッパ世界の精神的な基盤として爆発的に成長するという成果につながりました。今日は、使徒言行録16章9節と10節の聖書の箇所を通して、伝道と宣教について、そして、キリスト者のあり方について考えてみたいと思います。

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信仰の戦い

エフェソの信徒への手紙6章10-20節(新359頁) 前置き エフェソの信徒への手紙のおもなテーマは「教会とは何か」です。「天地創造の前から神にあらかじめ定めされ、キリストによって救われ、その御旨に適って生きるキリストの体なる共同体」これが教会の意義です。したがって、教会は神の御心によってキリストの民となった、キリストと共に歩まなければならない存在です。この世の思想、生き方ではなく、キリストの御心と生き方に聞き従わなければならない存在です。この地にいるが天に属している存在、それがキリストの体なる共同体、教会のあり方なのです。今日の本文は、その教会を成すキリスト者の信仰生活においての「信仰の戦い」について語ります。今日の本文を通じて、教会の生き方について考えてみましょう。 1. 血肉の戦いではなく、霊の戦いを

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御父のまなざし

ルカによる福音書 15章11‐24節(新139頁) 前置き キリスト教会が主とあがめる神という存在はどのようなお方でしょうか。今日は、難しい「三位一体」のような神学の話しではなく、神という存在が私たちの人生においてどのようなお方なのかについて、実存的な話をしてみたいと思います。神という存在を最も直観的に表す言葉は、万物の「父」と言えるでしょう。もちろん、神は人間のような性別がない方であるため、人間の基準で言う生物学的な父とは異なる存在です。すべてを創造し、司る絶対者としての「父」と理解するのが正しいでしょう。古代のヘブライ人は、この神を万物の「父」と理解していました。性別を超えて、すべてのものの創造主と信じていたのです。そして、現代の教会が主とあがめる神のひとり子イエス・キリストも、その神を父と呼ばれました。今日は、この父なる神について、そしてその方が人間をどのように思っておられるのかについて、話してみたいと思います。 1. 放蕩息子のたとえ話

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