メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

日本キリスト教会所属の志免教会
日曜礼拝メッセージ​

担当:金東佑

世の国々を生きる神の民

イザヤ書11章6~8節(旧1078頁) テモテへの手紙一2章1~2節(新385頁) 前置き 先日、自民党の高市早苗氏が新総理に選出しました。今後、日本とアジアの平和のために素晴らしい政治活動をするよう祈ります。現代は一見平和に見えますが、決して平和とは言えない時代です。第一次、二次世界大戦が終わり、米ソを中心とした冷戦時代も過ぎ去りました。ソ連崩壊の時、人々は「もう戦争はないだろう」と思ったでしょう。しかし、現実は違いました。大小の戦争が続き、2020年代に入っても、ウクライナとロシアの戦争、中東の紛争、北朝鮮の核問題、米中の貿易対立が続いています。このような時代に総理となった高市氏の肩に重い責務があると感じます。それゆえ、日本の教会は国の指導者が正しい政治とリーダーシップで国政活動ができるよう祈るべきです。また、指導者が正しい道を歩めるよう、聖書の御言葉に基づいて、過ちには抗議を、正義には力添えをするべきです。今日は、世の国と主の民について、話してみたいと思います。 1.

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新たに生まれる

ヨハネによる福音書3章1~5節(新167頁) 前置き 私たちの「信仰」の証拠とは何でしょうか。教会に通うこ、それとも、受洗したこと、正会員となること、あるいは、教会で奉仕することが、私たちの信仰の証拠なのでしょうか。誰かは教会に通い、洗礼を受けることを信仰の証拠と思うかもしれません。また誰かは教会の正会員となり、長老や執事として教会に仕える働きを信仰の証拠だと思うかもしれません。信仰への追求や深さは人それぞれですから、第三者が一方的に良し悪しを判断することは望ましくありません。しかし、私たちが主と崇めるイエス・キリストは、今日の聖書の御言葉を通して、真の信仰者に求められるものについて語られました。それは新たに生まれることです。今日は、この「新に生まれること」という言葉について、一緒に考えてみたいと思います。 1. 真の信仰とは何か

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失敗した者へ

イザヤ書43章18∼19節(旧1131頁) ローマの信徒への手紙8章28節(新285頁) 前置き 聖書には数多くの失敗者の物語が出てきます。アダム、アブラハム、ヤコブ、モーセ、ダビデといった、多くの聖書の人物が主なる神の御心に適わず、失敗を経験してしまいます。また、イスラエル民族そのものも、主なる神への正しい信仰から離れ、失敗し、アッシリアとバビロンといった帝国によって滅ぼされてしまいました。主イエスの弟子たちも、主を見捨てる失敗を経験します。聖書は、数多くの失敗者の姿をありのままに示しています。しかし、聖書は、主なる神が彼らを決して見捨てられなかったことをも教えてくれます。私たちの人生にも失敗が訪れうるでしょう。しかし、主は失敗したご自分の民を再び立ち上がらせ、導いてくださる方です。ですから、主を信じる者には、失敗さえも恵みとなるのです。今日は、失敗した者を慰め、新たに始めさせてくださる主の恵みについて話してみたいと思います。 1.

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命の水が湧き出る

ゼカリヤ書14章6~9節(旧1494頁) ヨハネによる福音書4章3~14節(新169頁) 戦後、堀田(ほった)綾子は思いも寄らない結核にかかり、十数年の長い闘病生活をすることになりました。長い間の病気による虚無主義で、生の理由を失った彼女は死ぬのを願っていました。そんな時、同じ病気を患っていた幼なじみの前川という男の人は献身的に彼女に仕えました。彼はキリスト者でした。堀田は彼の仕えにより、異性との恋を超える真の愛に気づきました。将来、堀田はこのように彼を振り返りました。「わたしはその時、彼の愛が全身を刺しつらぬくのを感じた。そしてその愛が、単なる男と女の恋ではないのを感じた。私はかつて知らなかった光を見たような気がした。彼の背後にある不思議な光は何だろうと思った。」堀田は前川の信仰と生涯を憶え、病床で文章を書きました。困難な人にキリストによる希望と愛を伝えようと誓いました。それが偉大な小説家三浦綾子の始まりでした。 1.疎外者を探しておられる主 戦争直後の日本は、まるで疲弊な病人のような状態でした。この時期、結核にかかっていた三浦綾子も、戦争のため、疲弊となった戦後日本のように、病を経験していたのです。ところが、日本のキリスト教は、こんなにつらい時代、爆発的に成長しました。慰めと癒しがほしい時代に、アメリカから宣教師たちが来日し、また日本の教会によって、多くの人々がキリスト教の信仰を受け入れたのです。三浦綾子もそんな時代に、一人のキリスト者の献身によってキリストに出会い、偉大な小説家となったわけです。そのためか、三浦綾子の病気と戦後の日本が重なって見えてきます。虚しさと悲しみにさらされていた三浦綾子は友人の前川からの愛により、イエスに出会い、主イエスは弱まった彼女に光を照らしてくださいました。戦後の痛みと虚しさに陥った日本でも、福音によって多くの人々がイエスを信じるようになったのです。主イエスの御心は最も低いところにあります。主はそのような御心をもって三浦綾子を訪れ、彼女に信仰をくださったのです。戦争という悲劇の後、日本に多い信仰者が生まれたのも、そのような主の愛と無関係ではないでしょう。今日の本文、ヨハネによる福音書には、疲弊して苦しんでいる女の人が登場します。

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世の国々を生きる神の民

イザヤ書11章6~8節(旧1078頁) テモテへの手紙一2章1~2節(新385頁) 前置き 先日、自民党の高市早苗氏が新総理に選出しました。今後、日本とアジアの平和のために素晴らしい政治活動をするよう祈ります。現代は一見平和に見えますが、決して平和とは言えない時代です。第一次、二次世界大戦が終わり、米ソを中心とした冷戦時代も過ぎ去りました。ソ連崩壊の時、人々は「もう戦争はないだろう」と思ったでしょう。しかし、現実は違いました。大小の戦争が続き、2020年代に入っても、ウクライナとロシアの戦争、中東の紛争、北朝鮮の核問題、米中の貿易対立が続いています。このような時代に総理となった高市氏の肩に重い責務があると感じます。それゆえ、日本の教会は国の指導者が正しい政治とリーダーシップで国政活動ができるよう祈るべきです。また、指導者が正しい道を歩めるよう、聖書の御言葉に基づいて、過ちには抗議を、正義には力添えをするべきです。今日は、世の国と主の民について、話してみたいと思います。 1.

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新たに生まれる

ヨハネによる福音書3章1~5節(新167頁) 前置き 私たちの「信仰」の証拠とは何でしょうか。教会に通うこ、それとも、受洗したこと、正会員となること、あるいは、教会で奉仕することが、私たちの信仰の証拠なのでしょうか。誰かは教会に通い、洗礼を受けることを信仰の証拠と思うかもしれません。また誰かは教会の正会員となり、長老や執事として教会に仕える働きを信仰の証拠だと思うかもしれません。信仰への追求や深さは人それぞれですから、第三者が一方的に良し悪しを判断することは望ましくありません。しかし、私たちが主と崇めるイエス・キリストは、今日の聖書の御言葉を通して、真の信仰者に求められるものについて語られました。それは新たに生まれることです。今日は、この「新に生まれること」という言葉について、一緒に考えてみたいと思います。 1. 真の信仰とは何か

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失敗した者へ

イザヤ書43章18∼19節(旧1131頁) ローマの信徒への手紙8章28節(新285頁) 前置き 聖書には数多くの失敗者の物語が出てきます。アダム、アブラハム、ヤコブ、モーセ、ダビデといった、多くの聖書の人物が主なる神の御心に適わず、失敗を経験してしまいます。また、イスラエル民族そのものも、主なる神への正しい信仰から離れ、失敗し、アッシリアとバビロンといった帝国によって滅ぼされてしまいました。主イエスの弟子たちも、主を見捨てる失敗を経験します。聖書は、数多くの失敗者の姿をありのままに示しています。しかし、聖書は、主なる神が彼らを決して見捨てられなかったことをも教えてくれます。私たちの人生にも失敗が訪れうるでしょう。しかし、主は失敗したご自分の民を再び立ち上がらせ、導いてくださる方です。ですから、主を信じる者には、失敗さえも恵みとなるのです。今日は、失敗した者を慰め、新たに始めさせてくださる主の恵みについて話してみたいと思います。 1.

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