
王のためか、パンのためか。
申命記 8章3節(旧294頁) ヨハネによる福音書 6章1-15節(新174頁) 前置き 「どう生きるべきか」この問いは、古今東西を問わず、人間なら誰もが一度考えたことのある問いだと思います。みんな同じ方向に向かって駆けつけながらも、自分の人生について自ら真剣に問い掛けるべき質問。「私は何のために生きるのか。」皆さんは、この質問にどう答えておられますでしょうか。アメリカの16代大統領であるアブラハム・リンカーンは「40歳を過ぎると、人は自分の顔に責任を持つべき」と言いました。おそらく、リンカーンは「人は40年を生きると、自分が何のために生きているかをわきまえつつ生きるべき」という意味として、この言葉を残したでしょう。もちろん、個人差があるので、早めに気付く人も、遅く気付く人もいると思います。聖書は人の生きる理由についてこう語っています。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」今日は「キリスト者である私たちはなぜ、生まれてどう生きるべきか。」について話してみたいと思います。



