メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

日本キリスト教会所属の志免教会
日曜礼拝メッセージ​

担当:金東佑

喜びと祈りと感謝の生活。

イザヤ書41章10節(旧1126頁) テサロニケの信徒への手紙一5章16~18節(新379頁) 前置き 今年、志免教会は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそキリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」 (1テサロニケ5:16-18)を主題聖句としました。主のもとで、いつも喜び、祈り、感謝する日々を生きる志免教会であったらとの思いで、この言葉を決めたのですが、むしろ今年は喜びと感謝で生きづらい、さまざまなことがありました。そこで、今年の主題聖句を、これにしたため「主に試みられているだろうか、私のミスだろうか」と後悔する時もありました。ところが、改めて考えてみると、喜ぶことも、感謝することも難しい一年ではあったが、それによって祈るようになったと気づくことになりました。私たちのことがうまくいけばいくほど、喜びと感謝はしやすいが、切な祈りは減っていくと思います。しかし、つらければつらいほど、祈りにもっと力を注ぐようになります。そんな理由で、今年いろいろ大変なことがありましたが、私たちは祈りに力を注ぎながら今まで歩んできました。もしかしたら、今年の主題聖句の喜びと感謝を実践しつつ生きることは難しかったもしれませんが、少なくとも、神への祈りという大事な一つは教えていただいたのかもしれません。

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天には栄光、地には平和。

ルカによる福音書2章8~14節(新103 頁) 前置き 今年も無事に今まで過ごし、クリスマスを迎えています。今日は主イエスのご誕生と再臨を待ち望むアドベント(待降節)の第4主日であり、主イエスのご誕生をお祝いするクリスマス記念主礼拝の日でもあります。クリスマスが近づいてくると、近場のイオンモールや博多駅、天神の街には、華やかな飾り付けがいっぱいになります。日本ではクリスマスが祝日ではありませんが、多くの人々がクリスマス気分を満喫するために家族、恋人、友人と一緒に時間を過ごします。コンビニではクリスマスケーキの注文を受け付けており、あるチキン専門店では「クリスマスはフライドチキンを食べる日」と宣伝しています。しかし、キリスト者である私たちは、クリスマスがただ人々の楽しみのための日ではなく、人類の罪を赦し、永遠の死から救うためにこの地上に来られたイエス・キリストのご誕生を記念する日であるということを忘れてはなりません。今日はルカによる福音書の御言葉「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」を通じてクリスマスの意味について考えてみたいと思います。 1.

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良い実を結ぶ木。

イザヤ書5章1~7節(旧1067頁) ルカによる福音書3章7~18節(新105 頁) 前置き 今日は、アドベントの第3主日です。そして、次の週は、アドベントの第4主日で、クリスマス記念礼拝の日です。志免教会では、アドベントが始まると、各主日に一本ずつろうそくを灯します。この伝統は初代教会から始まったわけではなく、中世時代のヨーロッパの一部の地域で家庭礼拝や夕食、夕方の祈りの際にろうそくに火をつけたことに由来すると言われます。このように4本のろうそくにそれぞれ火をつける行為によって、希望、愛、喜び、平和を祈ったそうです。そういう意味として、1本目のろうそくは希望を、2本目のろうそくは愛を、3本目のろうそくは喜びを、4本目のろうそくは平和を象徴すると言われます。したがって、今日、灯したこの3本目のろうそくは、キリストによる真の喜びを祈るろうそくであります。喜び、本当の喜びとは何でしょうか?

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我が民を慰めよ。

イザヤ書40章1~11節(旧1123頁) マルコによる福音書1章1~8節(新61頁) 前置き この世は病んでいます。こんにちにも世の中には戦争が絶えず、人と人の間の憎みあいが絶えず、社会には不条理がはびこっています。この世の多くの人々が苦しみと不安の中に生きています。なぜ、この世はこんなに良くないもので満ちているのでしょうか? 聖書は、これらすべての不幸が人間の罪から生まれたと語っています。そして、その罪の解決から真の回復と慰めが与えられると語ります。このような世の中を見守っておられる主なる神は、今日もこの世の罪を赦し、すべての人々が神の救いをいただき、真の平和と慰めのある人生を生きることを望んでおられます。私たちが主とあがめるイエス•キリストは、この世を傷つける罪の問題を解決し、神の真の赦しと慰めの成就のために、この世においでになりました。キリストによる罪の赦しと回復。神は自分の力で罪の問題を解決できない、病んでいるこの世を慰め、回復させてくださるために、ご自分のひとり子を遣わしてくださったのです。

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喜びと祈りと感謝の生活。

イザヤ書41章10節(旧1126頁) テサロニケの信徒への手紙一5章16~18節(新379頁) 前置き 今年、志免教会は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそキリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」 (1テサロニケ5:16-18)を主題聖句としました。主のもとで、いつも喜び、祈り、感謝する日々を生きる志免教会であったらとの思いで、この言葉を決めたのですが、むしろ今年は喜びと感謝で生きづらい、さまざまなことがありました。そこで、今年の主題聖句を、これにしたため「主に試みられているだろうか、私のミスだろうか」と後悔する時もありました。ところが、改めて考えてみると、喜ぶことも、感謝することも難しい一年ではあったが、それによって祈るようになったと気づくことになりました。私たちのことがうまくいけばいくほど、喜びと感謝はしやすいが、切な祈りは減っていくと思います。しかし、つらければつらいほど、祈りにもっと力を注ぐようになります。そんな理由で、今年いろいろ大変なことがありましたが、私たちは祈りに力を注ぎながら今まで歩んできました。もしかしたら、今年の主題聖句の喜びと感謝を実践しつつ生きることは難しかったもしれませんが、少なくとも、神への祈りという大事な一つは教えていただいたのかもしれません。

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天には栄光、地には平和。

ルカによる福音書2章8~14節(新103 頁) 前置き 今年も無事に今まで過ごし、クリスマスを迎えています。今日は主イエスのご誕生と再臨を待ち望むアドベント(待降節)の第4主日であり、主イエスのご誕生をお祝いするクリスマス記念主礼拝の日でもあります。クリスマスが近づいてくると、近場のイオンモールや博多駅、天神の街には、華やかな飾り付けがいっぱいになります。日本ではクリスマスが祝日ではありませんが、多くの人々がクリスマス気分を満喫するために家族、恋人、友人と一緒に時間を過ごします。コンビニではクリスマスケーキの注文を受け付けており、あるチキン専門店では「クリスマスはフライドチキンを食べる日」と宣伝しています。しかし、キリスト者である私たちは、クリスマスがただ人々の楽しみのための日ではなく、人類の罪を赦し、永遠の死から救うためにこの地上に来られたイエス・キリストのご誕生を記念する日であるということを忘れてはなりません。今日はルカによる福音書の御言葉「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」を通じてクリスマスの意味について考えてみたいと思います。 1.

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良い実を結ぶ木。

イザヤ書5章1~7節(旧1067頁) ルカによる福音書3章7~18節(新105 頁) 前置き 今日は、アドベントの第3主日です。そして、次の週は、アドベントの第4主日で、クリスマス記念礼拝の日です。志免教会では、アドベントが始まると、各主日に一本ずつろうそくを灯します。この伝統は初代教会から始まったわけではなく、中世時代のヨーロッパの一部の地域で家庭礼拝や夕食、夕方の祈りの際にろうそくに火をつけたことに由来すると言われます。このように4本のろうそくにそれぞれ火をつける行為によって、希望、愛、喜び、平和を祈ったそうです。そういう意味として、1本目のろうそくは希望を、2本目のろうそくは愛を、3本目のろうそくは喜びを、4本目のろうそくは平和を象徴すると言われます。したがって、今日、灯したこの3本目のろうそくは、キリストによる真の喜びを祈るろうそくであります。喜び、本当の喜びとは何でしょうか?

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