メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

日本キリスト教会所属の志免教会
日曜礼拝メッセージ​

担当:金東佑

アドベントの意味

イザヤ書65章17-25節(旧1168頁) ペトロの手紙二3章8-13節(新439頁) 前置き アドベント即ち待降節の時になると、多くの教会がクリスマス飾り、4本のロウソクなどを用意し、主イエスのご降誕を祝います。また、クリスマスまでの約1ヶ月間、天の玉座から低い地上の飼い葉桶までおいでになった赤ん坊イエスを待ち望みつつ、聖書の黙想と祈り、教派によっては断食などを通して、 イエスのご誕生を記念します。それゆえに、多くの人々がこの待降節を主イエスのご誕生だけのための準備期間として理解しがちだと思います。しかし、待降節が持つ大事な意味は、単に受肉してお生まれになった初臨のイエスだけでなく、いつか再び臨まれる再臨の主イエスをも共に記念することにあります。したがって、待降節は主イエスのご誕生とともに、再臨される主イエスを記念する期間でもあります。昔、主イエスはなぜこの地上にお生まれになり、将来、主イエスはなぜこの地上にまたおいでになられるのでしょうか。今日はアドベントの意味を通して、おいでになったイエスと、おいでになるイエスについて話してみましょう。

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王のためか、パンのためか。

申命記 8章3節(旧294頁) ヨハネによる福音書 6章1-15節(新174頁) 前置き 「どう生きるべきか」この問いは、古今東西を問わず、人間なら誰もが一度考えたことのある問いだと思います。みんな同じ方向に向かって駆けつけながらも、自分の人生について自ら真剣に問い掛けるべき質問。「私は何のために生きるのか。」皆さんは、この質問にどう答えておられますでしょうか。アメリカの16代大統領であるアブラハム・リンカーンは「40歳を過ぎると、人は自分の顔に責任を持つべき」と言いました。おそらく、リンカーンは「人は40年を生きると、自分が何のために生きているかをわきまえつつ生きるべき」という意味として、この言葉を残したでしょう。もちろん、個人差があるので、早めに気付く人も、遅く気付く人もいると思います。聖書は人の生きる理由についてこう語っています。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」今日は「キリスト者である私たちはなぜ、生まれてどう生きるべきか。」について話してみたいと思います。

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アメイジング・グレイス(驚くべき主の恵み)

ヨハネによる福音書3章16~17節 (新167頁) 前置き 今日のタイトルは「アメイジング・グレイス」です。英語そのままなので「なんで、英語?」と思う方もおられるでしょう。「アメイジング・グレイス」は日本語で「驚くべき恵み」という意味です。私が敢えてこの英語の発音を説教のタイトルにした理由は「ただの恵み(グレイス)」と「驚くべき恵み(アメイジング・グレイス)」を分けて、覚えやすく説き明かすためです。私たちキリスト者は、ただの恵みの中に生きているのではなく、主なる神の驚くべき恵の中に生きています。キリスト教の神学における神の恩寵は、世のすべての被造物に与えられる「一般恩寵」と、主に選ばれた者らに与えられる「特別恩寵」に分けることが出来ると言われます。主は、ご自分のことを知らず信じない者たちにも、ご自身の民と同じように、太陽の光や雨といった自然の恵みを与えてくださいます。しかし、主の民には、それ以上の特別な救いの恵みを与えてくださいます。本日は、この主の特別な恵みについて、ヨハネによる福音書の言葉を通じて分かち合いたいと思います。 1.

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アドベントの意味

イザヤ書65章17-25節(旧1168頁) ペトロの手紙二3章8-13節(新439頁) 前置き アドベント即ち待降節の時になると、多くの教会がクリスマス飾り、4本のロウソクなどを用意し、主イエスのご降誕を祝います。また、クリスマスまでの約1ヶ月間、天の玉座から低い地上の飼い葉桶までおいでになった赤ん坊イエスを待ち望みつつ、聖書の黙想と祈り、教派によっては断食などを通して、 イエスのご誕生を記念します。それゆえに、多くの人々がこの待降節を主イエスのご誕生だけのための準備期間として理解しがちだと思います。しかし、待降節が持つ大事な意味は、単に受肉してお生まれになった初臨のイエスだけでなく、いつか再び臨まれる再臨の主イエスをも共に記念することにあります。したがって、待降節は主イエスのご誕生とともに、再臨される主イエスを記念する期間でもあります。昔、主イエスはなぜこの地上にお生まれになり、将来、主イエスはなぜこの地上にまたおいでになられるのでしょうか。今日はアドベントの意味を通して、おいでになったイエスと、おいでになるイエスについて話してみましょう。

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王のためか、パンのためか。

申命記 8章3節(旧294頁) ヨハネによる福音書 6章1-15節(新174頁) 前置き 「どう生きるべきか」この問いは、古今東西を問わず、人間なら誰もが一度考えたことのある問いだと思います。みんな同じ方向に向かって駆けつけながらも、自分の人生について自ら真剣に問い掛けるべき質問。「私は何のために生きるのか。」皆さんは、この質問にどう答えておられますでしょうか。アメリカの16代大統領であるアブラハム・リンカーンは「40歳を過ぎると、人は自分の顔に責任を持つべき」と言いました。おそらく、リンカーンは「人は40年を生きると、自分が何のために生きているかをわきまえつつ生きるべき」という意味として、この言葉を残したでしょう。もちろん、個人差があるので、早めに気付く人も、遅く気付く人もいると思います。聖書は人の生きる理由についてこう語っています。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」今日は「キリスト者である私たちはなぜ、生まれてどう生きるべきか。」について話してみたいと思います。

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アメイジング・グレイス(驚くべき主の恵み)

ヨハネによる福音書3章16~17節 (新167頁) 前置き 今日のタイトルは「アメイジング・グレイス」です。英語そのままなので「なんで、英語?」と思う方もおられるでしょう。「アメイジング・グレイス」は日本語で「驚くべき恵み」という意味です。私が敢えてこの英語の発音を説教のタイトルにした理由は「ただの恵み(グレイス)」と「驚くべき恵み(アメイジング・グレイス)」を分けて、覚えやすく説き明かすためです。私たちキリスト者は、ただの恵みの中に生きているのではなく、主なる神の驚くべき恵の中に生きています。キリスト教の神学における神の恩寵は、世のすべての被造物に与えられる「一般恩寵」と、主に選ばれた者らに与えられる「特別恩寵」に分けることが出来ると言われます。主は、ご自分のことを知らず信じない者たちにも、ご自身の民と同じように、太陽の光や雨といった自然の恵みを与えてくださいます。しかし、主の民には、それ以上の特別な救いの恵みを与えてくださいます。本日は、この主の特別な恵みについて、ヨハネによる福音書の言葉を通じて分かち合いたいと思います。 1.

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