メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

日本キリスト教会所属の志免教会
日曜礼拝メッセージ​

担当:金東佑

兄弟姉妹の助け合い

詩編133編1~3節(旧975頁) エフェソの信徒への手紙2章11~22節(新354頁) 前置き ソウル文化村教会からの兄弟姉妹の皆さんを歓迎します。志免教会は皆さんの訪問をお許しくださった主なる神に心から感謝申し上げます。一緒にささげる礼拝による聖霊のみもとでの美しい交わりを喜びます。今日一緒に守る、この礼拝を通して、二つの教会のアイデンティティを確認し、主にあってお互いに助け合い、愛し合う関係であることを憶える時間になることを願います。両教会の上に主なる神の限りない祝福と恵みとが与えられますよう祈ります。 1.

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主に賛美せよ。

詩編113編1~3節(旧954頁) エフェソの信徒への手紙1章3~6節(新352頁) 前置き 賛美とはどういうものでしょうか? 私たちは礼拝の際、何度も讃美歌を歌います。讃詠を皮切りに聖書朗読前の讃美歌、説教前の讃美歌、説教後の讃美歌、聖餐式の讃美歌、礼拝が終わる時の頌栄を歌います。教会によっては、礼拝開始の前に讃美歌を歌うか、礼拝の後に讃美歌を練習する場合もあります。大きい教会では、イースター、クリスマスなどの記念日に合わせて賛美のコンサートを開くところもあります。そのため、私たちは無意識に「賛美は歌である」と受け止めがちです。しかし、賛美は果たして歌だけに限るものなのでしょうか?

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神の言葉は生きている。

イザヤ書55章6~8節(旧1152頁) ヘブライ人への手紙4章12節(新405頁) 前置き 私たちが主日ごとに教会に出席し、説教を聴く理由は聖書に記してある主なる神の御言葉を説教を通じて教えていただくためです。説教は説教者個人の知識の自慢でも、思想を広める手立てでもありません。説教は聖書に記してある主なる神の御言葉を現代の聞き手が理解できる言葉で解き明かし、数千年前の主の御心を教えるための大事な道具です。したがって、説教者も聞き手も、個人が追い求める欲望、思想、必要のため、御言葉を歪曲しないように格別に気を付けなければなりません。それにもかかわらず、不完全な人間が説教し、また、聴いているだけに神の御言葉が歪曲される可能性がないとはいえません。しかし、聖書は語ります。聖霊なる神が、聖書のまことの解釈者になってくださり、説教者の口と聞き手の耳を導いてくださると。つまり、聖書に記録された御言葉は聖霊によって生命を得、今でも働き、御言葉によって主の御心が伝えられるように生きているのです。今日は、主なる神の生きている御言葉について話しましょう。 1.

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聖霊と教会

ハガイ書2章1-9節(旧1477頁) エフェソの信徒への手紙2章14-22節(新354頁) 前置き キリスト教会は、御父、御子、聖霊の三位一体なる神を信じます。すべてを計画される父なる神と、神と人を執り成してくださる御子イエス・キリストと、教会と世界を導いていかれる聖霊、三位が一つになって三位一体の神である方です。しかし、私たちには、おもに父なる神と御子にだけ集中する傾向があって、聖霊に対しては見過ごしがちではないかと思うようになります。私たちは普段、聖霊について、どんな認識を持っていますでしょうか。実際、御父や御子に比べて、聖霊への認識は薄くありませんか。毎年聖霊降臨節(ペンテコステ)を記念していますが、私たちの日常生活において、聖霊はどのように位置づけられていますか。聖霊なる神と、そのご降臨について話してみたいと思います。 1.聖霊のご降臨

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兄弟姉妹の助け合い

詩編133編1~3節(旧975頁) エフェソの信徒への手紙2章11~22節(新354頁) 前置き ソウル文化村教会からの兄弟姉妹の皆さんを歓迎します。志免教会は皆さんの訪問をお許しくださった主なる神に心から感謝申し上げます。一緒にささげる礼拝による聖霊のみもとでの美しい交わりを喜びます。今日一緒に守る、この礼拝を通して、二つの教会のアイデンティティを確認し、主にあってお互いに助け合い、愛し合う関係であることを憶える時間になることを願います。両教会の上に主なる神の限りない祝福と恵みとが与えられますよう祈ります。 1.

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主に賛美せよ。

詩編113編1~3節(旧954頁) エフェソの信徒への手紙1章3~6節(新352頁) 前置き 賛美とはどういうものでしょうか? 私たちは礼拝の際、何度も讃美歌を歌います。讃詠を皮切りに聖書朗読前の讃美歌、説教前の讃美歌、説教後の讃美歌、聖餐式の讃美歌、礼拝が終わる時の頌栄を歌います。教会によっては、礼拝開始の前に讃美歌を歌うか、礼拝の後に讃美歌を練習する場合もあります。大きい教会では、イースター、クリスマスなどの記念日に合わせて賛美のコンサートを開くところもあります。そのため、私たちは無意識に「賛美は歌である」と受け止めがちです。しかし、賛美は果たして歌だけに限るものなのでしょうか?

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神の言葉は生きている。

イザヤ書55章6~8節(旧1152頁) ヘブライ人への手紙4章12節(新405頁) 前置き 私たちが主日ごとに教会に出席し、説教を聴く理由は聖書に記してある主なる神の御言葉を説教を通じて教えていただくためです。説教は説教者個人の知識の自慢でも、思想を広める手立てでもありません。説教は聖書に記してある主なる神の御言葉を現代の聞き手が理解できる言葉で解き明かし、数千年前の主の御心を教えるための大事な道具です。したがって、説教者も聞き手も、個人が追い求める欲望、思想、必要のため、御言葉を歪曲しないように格別に気を付けなければなりません。それにもかかわらず、不完全な人間が説教し、また、聴いているだけに神の御言葉が歪曲される可能性がないとはいえません。しかし、聖書は語ります。聖霊なる神が、聖書のまことの解釈者になってくださり、説教者の口と聞き手の耳を導いてくださると。つまり、聖書に記録された御言葉は聖霊によって生命を得、今でも働き、御言葉によって主の御心が伝えられるように生きているのです。今日は、主なる神の生きている御言葉について話しましょう。 1.

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