謙遜と信仰

詩編22編23-29節(旧853頁)  マルコによる福音書7章24-30節(新75頁) 今日はマルコによる福音書7章24-30節の言葉を通して、主が我々に求められる謙遜と信仰について考えてみたいと思います。その前にマルコによる福音書5章の内容について手短に触れてみましょう。5章でイエスはガリラヤ湖の向こう岸のゲラサ地方に行かれました。ゲラサとはデカポリスに属する地域で、ローマ帝国が立ち上がる前に、ギリシャ帝国によって立てられた10の都市国家の一つであり、ユダヤ人には異邦の地と呼ばれるところでした。イエスは、そこで「レギオン(軍隊)」という名の悪霊に取り付かれた人に出会われました。主はその人を癒してくださった後、彼を遣わされつつ、ゲラサ地域で神の福音を宣べ伝えよとされました。この出来事から得られる重要な教訓は、イエスはユダヤ人と異邦人を差別なさらず、世のすべての民族が救われることを望んでおられるということでした。さて、今日の物語も、このような異邦人への宣教と係わる内容です。本文でイエスは、もう一度異邦の地域(ティルス)を訪れられます。そして、偶然シリア・フェニキアの女に出会い、彼女の信仰を試みられることになります。主は彼女の信仰をご覧になり、ユダヤ人ではなく異邦人であるにもかかわらず、その願いを成し遂げてくださいます。今日はイエスとシリア・フェニキアの女をめぐる物語を通して、望ましい信仰の姿勢である謙遜について考えてみたいと思います。 1.シリアのフェニキア人。 今日、主に出会った女はフェニキア出身のギリシャ人でした。シリア・フェニキア人は、シリア地域のフェニキア民族の人という意味で、イスラエルの北の海岸にある、とても古い民族でした。一説によるとフェニキア文明は紀元前40世紀前も存在していたと言われます。フェニキアはアルファベットで有名ですが、大昔からフェニキア人は地中海全域を掌握し、貿易を通して令名をはせてきました。そのため、早くから文字、数学、航海術が発達したと言われます。フェニキア文字の影響で西のギリシャ語も発展し、またそのギリシャ語によってラテン語、ヨーロッパの諸言語、英語も発展していきました。東南部のヘブライ語やアラビア語もフェニキア文字の影響下にあります。つまり、シリア・フェニキア文明は、地中海地域の文化全体に大きな影響を及ぼした中東・西洋文化の起源の一つといっても過言ではないほどです。またフェニキアは軍事的にも強い民族でした。紀元前3世紀から2世紀頃、ローマが本格的に大帝国になる前、ローマの海の向こうにはカルタゴといった海洋民族がありました。彼らは地中海の支配権をめぐってローマと雌雄を争いました。西洋史で有名なポエニ戦争が、このカルタゴとローマの戦争です。ここでカルタゴはフェニキア民族に由来した国です。このようにフェニキアは、文化的、経済的、軍事的に非常に由緒ある民族だったのです。 というのは、フェニキア人には文化的、経済的にユダヤ人より優れたという自負があったということでしょう。たとえば、中国には、日本や韓国、ベトナム、あらゆるアジア諸国より歴史的、文化的にすぐれたという中華思想があるようです。中国がアジアの中心だということでしょう。もちろん他国からは認められないようですが、彼らは今でも、そういう文化的な優越感を持っています。このように、シリア・フェニキア人はユダヤ人を自分たちより劣等な民族だと見なしていた可能性が高かったと思われます。これが当時のシリア・フェニキア人、つまり本文で、主が訪れたティルスの人々の認識だったということです。「イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。」(24)そういった歴史と文化に自負を持っているフェニキア人でしたが、その中にも貧しくて弱い人々が存在し、藁にも縋る思いでイエスのところに来る人たちがいました。彼らはどんな病気でも治し、どんな悪霊でも追い出し、5000人でも腹一杯食べさせる「奇跡の男」イエスに会うために押し寄せて来ました。今日、登場するシリア・フェニキアの女も、そういう人たちの一人でした。「汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。」(25) 2.イエスの試み。 しかし、イエスを訪ねてきたからといって、イエスの近場にいるからといって、皆がイエスに対して真の信仰を持っているとは言えませんでした。ある者たちは本当の信仰で、ある者たちは好奇心で、またある者たちは別の欲望で、各々の意図をもってやって来ました。代表的な人物が12弟子の1人であったイスカリオテのユダでした。彼はイエスを政治的なメシアだと思って従ったのですが、自分の思い通りにうまくいかず、結局、裏切ってしまいました。ここで一つ考えてみたいことがあります。私たちは、なぜイエスを信じているのでしょうか? 去年もいくつかの説教で、同様な質問をした記憶があります。私たちは、なぜキリスト者と名乗り、教会に通っているのでしょうか? 主に対する本当の愛のためか、それとも他の理由があるためか、我々の信仰について自らを顧みる必要があると思います。「わたしに向かって、主よ、主よと言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」(マタイ7:21)我々はこの言葉に耳を傾けなければなりません。多くの群衆の中でイエスを訪れた女は、果たしてどんな気持ちでイエスを訪れたのでしょうか? 「女はギリシャ人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。」(26) シリア・フェニキアの女の娘は、悪霊に取り付かれていました。新約聖書で「悪霊に取り付かれた。」という言葉は、実際に悪霊に取り付かれて狂ってしまったという意味でもありますが、「神に逆らう、汚れた世の邪悪な支配のもとで苦しんでいる。」という意味にも解釈できます。おそらく、この女性は占い師、医師、宗教家など、多くの人々に頼んだはずです。しかし、誰ひとり、この世の支配から娘を自由にすることが出来ませんでした。結局、彼らもこの世の支配に属していたからです。ひとえにこの世の支配の外で、その支配を退けられるイエスだけが、その苦しみから娘を自由にすることが出来るものです。ユダヤ人も、ギリシャ人も、如何なる存在もイエスによってのみ世の邪悪な支配から自由になることが出来ます。ところで、女がイエスに声をかけた時、イエスのお答えは、私たちの予想とは全然違うものでした。「イエスは言われた。まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」(27)イエスが女性を小犬に比喩されたからです。当時ユダヤ人は自分たちは神の子どもであり、異邦人たちは「犬」と呼んでいました。滅ぼされるべき無益な存在だという意味で、非常に侮辱的な悪口だったのです。つまり、イエスがこの異邦の女を侮辱したも同然の状況でした。 先ほど、私はフェニキア民族の由来について説明しました。彼らは長い歴史、由緒ある伝統、優越な文化を持っていました。フェニキアはローマ帝国の植民地の一つでしたが、そのローマの文化がフェニキアから大きく影響を受けたことは否定できない事実でした。また、女はギリシャ人、つまり文化人でした。当時のギリシャ人とは野蛮人でない人という意味であったため、女の民族的、文化的なプライドは高かったはずです。しかし、主は彼女を「犬のような人間」と扱われました。数多くの人々がイエスを訪れましたが、その中に真の信仰を持っている人は何人だったでしょうか。イエスの弟子たちさえも、不信心に陥る時もあるほどでした。つまり、イエスはこの女の信仰を試みられたのです。本当に信仰を持ってきたのか、それとも他の人たちと同じように好奇心や欲望だけのために訪れたのかを計り知るためでしょう。しかし、彼女は驚くべき水準の信仰で、イエスにお答えしました。「女は答えて言った。主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」(28) つまり、言い換えれば、こういう意味でしょう。「もし、あなたが私を犬と呼ばれるなら、私は犬のように扱われても良いです。しかし、犬のような私でも、ひとえにあなただけが私を助けてくださる方であることを信じています。」彼女はまるでこのような返事をするかのように、主に反応したわけです。 3.謙遜と信仰 「そこで、イエスは言われた。それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。」(29-30)もちろん、イエスは心から彼女を犬だとは思っておられなかったでしょう。主はすべての存在の主であり, その愛は人種を選り分けません。主は彼女の信仰を試そうとされたことでしょう。そして彼女は見事にその試みを乗り越えました。民族、文化、歴史的な優越感ではなく、イエスという存在と自分という一人の人間の間にある、あらゆる妨げを乗り越えて、主との関係にのみ集中する、その立派な信心を、シリア・フェニキアの女は証明したのです。そして、その証明の根源は彼女の謙遜にありました。「貧しい人は食べて満ち足り、主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。」(詩編22:27)今日の旧約本文の27節には「貧しい者」という表現が出てきます。この「貧しい」の原文は「アナブ」というヘブライ語で、解釈次第で「謙遜である」という意味にもなり得ます。つまり、27節は「謙遜な心を持って主を追い求める者は豊かに恵まれるという意味でしょう。」優れた文化と伝統のフェニキア人、しかもギリシャ人と呼ばれていたシリア・フェニキアの女。彼女はみすぼらしい人間の姿でおいでになった、真の神を謙遜な心によって見つけたのでした。主は謙遜を通してご自分の姿を表されます。今日の本文は、その点を非常に重要に語っています。 締め括り 「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイ5:3)今日、本文の原文に照らすと、あの有名な山上の垂訓のこの言葉も再解釈できると思います。つまり、「謙遜な者は幸いである、御国は彼らのものである。」とのことでしょう。我々の信仰の基礎は謙遜にあります。「自分ではなく、主のお手柄によってのみ救われる。私ではなく、神の力によってのみ祝福を受ける。」という我々の信仰自体が、謙遜に基づくものでしょう。このようにキリスト者の信仰において謙遜とは、美徳ではなく、必要不可欠な本質です。志免教会に赴任した時は、本当に心配でした。「志免教会の皆さんが、韓国からの牧師をどのように思われるだろうか?」ということでした。志免教会の何人かの方がお生まれになった時は、まだ、韓国は日本の植民地状態でしたので、私の心の中に言い知れぬ負担があったのです。しかし、志免の兄弟姉妹たちは謙遜に韓国の牧師を受け入れてくださり、今では日本人でも韓国人でもない、ただ、主イエスとキリスト者の群れがいるだけです。きっとキムという人間ではなく、神の御心にへりくだって聞き従ったからでしょう。私は志免教会の、その謙遜を主が喜んでおられると信じます。また、その謙遜を貫いて生きる時、主はますます私たちを祝福してくださるでしょう。謙遜に生きていきましょう。 その謙遜の中で、主は我々一人一人と交わってくださり、導いてくださるでしょう。